2021年1月17日日曜日

旅シネ執筆者が選ぶ 2020年度映画ベスト10 (前原利行、カネコマサアキ、加賀美まき)

 
  


■前原利行(旅行・映画ライター)


2020年に観た映画は、スクリーン、DVD、新作・旧作含めて217本。前年の193本に続き、かなり精力的に映画を見た年だった。
映画界一番のトピックは、やはりコロナ下の映画館閉鎖と新作洋画のストップ。楽しみにしていた大作映画は軒並み延期に。また試写もほぼオンライン試写になってしまった。その結果個人的にも、映画鑑賞というと「配信」が主になり、今まであまり観ていなかった配信映画を結構見るように。
あとは自分の映画レビューサイトを作ったということ。こちらはコンスタントに毎週3本ほどアップしている。そちらにも2020年の自己ベストテンを掲載しているので、こちらの「旅シネ」には旅シネらしいものをと、いつも選ぶアメリカのエンタメ映画は外してみた。以下、詳しいレビューは、リンク先にあるので、映画タイトルをポチッと押してね。

1. パラサイト半地下の家族(ポン・ジュノ監督/韓国)
鑑賞が2019年なので入れるのを迷ったが、新年早々のテレビ放映を観て、素晴らしいことを再確認。これが1位だと当たり前すぎてつまらないけど、やはり全てにおいて隙がなく、バランスいいんだよね。1年前は格差社会へのメッセージとして観たが、再鑑賞では、3つの階層の家族を描くファミリームービーに感じた。どの家族も仲間割れせずに仲がいい。

2. ある画家の数奇な運命(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督/ドイツ)
ナチス、共産主義とファシズムの時代に、芸術家は何をもって闘うのか。実在する現代アートの巨匠ゲルハルト・リヒターがこんな半生を送っていたと初めて知る。主人公の絵画の遍歴が20世紀現代アートの歴史に。3時間の長尺だが、面白いので退屈はしない。監督は『善き人のためのソナタ』の人。

3. レ・ミゼラブル(ラジ・リ監督/フランス)
フランス版『ドゥ・ザ・ライト・シング』とも言える作品で、舞台は人種的緊張が高まるパリ郊外の団地群。ささいな事件から一触即発に。ラストの緊迫感はすごい。



4. 屋根裏の殺人鬼フリッツ・フォンカ(ファティ・アキン監督/ドイツ、フランス)
シリアル・キラーの映画は2019年に『ハウス・ジャック・ビルト』をベストテンに入れたが、こちらは実話。連続殺人鬼の美学もここにはなく、そして殺される女性たちも老娼婦ばかり。冷静に社会の底辺にいる人々を見つめる、いやーな映画。

5. ミッドサマー(アリ・アスター監督/アメリカ、スウェーデン)
アメリカ映画だけど、舞台がスウェーデンということで入れさせていただいた。そしてこれも、いやーな映画。旅好きだけど、もう絶対に知らない土地のお祭りには行きません。

6. グレース・オブ・ゴッド 告発の時(フランソワ・オゾン監督/フランス)
実際に起きた、カソリック聖職者の少年への性的虐待事件の裁判中に映画化。主人公がリレー式に代わっていく構成が意表を突く。被害者に寄り添う姿勢も良く、なぜ性的虐待の被害者がずいぶん時間が経ってから声を上げるのかが良くわかった。

7. シリアにて(フィリップ・ヴァン・レウ監督/ベルギー、フランス、レバノン)
真面目な社会派映画だと思っていたら(確かにそうなのだが)、アパートから出られない一家を襲うゾンビ映画のように緊張感ある上質のサスペンス映画でもあった。ハラハラした。

8. バクラウ 地図から消された村
(クレベール・メンドンサ・フィリオ、ジュリアーノ・ドルネレス監督/ブラジル、フランス)
オカルト系不思議映画かと思って見ていたら、グローバル社会に潰されそうな田舎の村人が反撃するという、「なめてた相手が殺人マシーンだった」系の映画だった。ちょくちょく意表を突く展開で、飽きさせない。

9. 巡礼の約束(ソンタルジャ監督/中国)
ポンポンパッ。頭の中でずっと五体投地のあの音が聞こえてくる。しみじみ良い作品。

10. 獣の棲む家(レミ・ウィークス監督/イギリス)
Netflixオリジナル映画。ソマリアから難民としてイギリスに渡った夫婦が住む住宅に、異変が起きるというホラーだが、その根底には難民がどんな思いで海を渡ってきたかという問題が描かれている。例えて言えば『海は燃えている』をホラーで表現した拾いもの。

ベストテンにはもれたけど、『行き止まりの世界に生まれて』『鵞鳥湖の夜』『私は金正男を殺していない』なども、昨年公開映画の中ではおすすめ。
アメリカ映画では、『シカゴ7裁判』『もう終わりにしよう。』『アンカット・ダイヤモンド』『フォードvsフェラーリ』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』がベストファイブ級の名作だった。



■カネコマサアキ(イラストレーター、マンガ家)


1. パラサイト 半地下の家族(
ポン・ジュノ監督/韓国)
原点回帰したようなポン・ジュノ監督の真骨頂。個人的には、黒澤明『天国と地獄』の変奏のような作品だと思った。たとえば、『天国と地獄』では誘拐された子供はカウボーイハットで保安官ごっこをしているが、『パラサイト』の少年は先住民インディアンの格好で戯れている、など、発見がありそう。

2. 死ぬ間際(ヒラル・バイダロフ監督/アゼルバイジャン)
病床の母親と介助する息子。ある日、口論した息子は家を飛び出し、マフィアの手下を殺しバイクで逃走するという映画的な物語世界へ。道中、息子は三人の女性を救うが、それは母親が変容した姿にも見える。家族〜民族の心的世界を描いてるようで、その詩情と映像美に心酔した。フィルメックスにて。

3. アラヤ(シー・モン[石梦]監督/中国)
ある村の人々にまつわる数奇な巡り合わせ、奇縁を描いた作品。グリフィスやラングなどサイレント映画でよく観るような題材、怪奇映画の要素もあり、D.リンチ的技巧も。これが長編第一作という女性監督だが、中国映画界は毎年のように凄い才能が現れる。東京国際映画祭にて。

4. 繻子の靴(85年/マノエル・ド・オリヴェイラ監督/ポルトガル)
ポール・クローデルの戯曲を映画化した6時間50分の大作。16世紀の大航海時代を舞台にした大河ロマンス。大半がカメラ目線で演じられ、飛び出す絵本をみるような感覚。巨匠オリヴェイラの半ば伝説化した作品だったが、まさかこの時期に観られるとは思わなかった。フィルメックスにて。

5. 在りし日の歌(ワン・シャオシュワイ[王小師]監督/中国)
一人息子を失くした夫婦の30年を精緻な筆致で描く。『ルアンの歌』から注目している王小師監督の到達点。『冬の小鳥』やイ・チャンドン作品の撮影キム・ヒョンソクの撮影が素晴らしい。王監督のプロデュース作『象は静かに座っている』の胡波監督の夭折を思うと、一層泣けてくる物語だ。

6. ギリアップ('75年/ロイ・アンダーソン監督/スウェーデン)
住み込みで働くことになった「渡り鳥」の青年とホテルの裏方たちの交流を描く。秘密がないのが悩み、生きる意味がわからない、と言う青年が’抱える不安は、後のロイ・アンダーソン作品の原点のように思える。最新作『ホモ・サピエンスの涙』は本来、風刺として笑える映画のはずなんだけど、時代が超越してしまった感ある。PFFのロイ・アンダーソン特集上映にて。

7. オールド・ジョイ(06年/ケリー・ライカート監督/アメリカ)
もうすぐ子供が生まれる予定で父親になろうとしているカートと、未だに風来坊をしているマーク。幼なじみの2人は久しぶりに車でキャンプに出かけるが、2人の間には微妙な距離が…。知る人ぞ知るケリー・ライカート監督の特集上映が2回に渡って開催。ミニマルな作品だが、旅映画としてもおすすめだ。ヨ・ラ・テンゴの音楽も良い。

8. 国葬、粛清裁判(セルゲイ・ロズニツァ監督/ロシア)
ソビエト時代のフッテージを再構成したアーカイブ映画。ジガ・ヴェルトフを生んだお国柄か、ドキュメントorプロパガンダの映像も凛として見応えがある。映像の真贋、リテラシーは見る側に委ねられるが、まさにそれは歴史そのものに対峙する姿勢に等しい。

9. 光に生きる ロビー・ミューラー(クレア・パイマン 監督/オランダ)
ヴェンダースやジャームッシュの傑作群に関わった撮影監督(‘18年没)の全貌をプライベート映像や証言で振り返る。『夢の涯までも』(91)で監督と険悪になり、その修復に数年かかった話、D.リンチからの仕事キャンセル詫び電話など、興味は尽きない。ラストのウェンダースの讃辞に涙。

10. 死霊魂(王兵監督/中国)
反右派闘争で収容所に収容された元囚人たちや関わりのあった人たち120人の証言、600時間に及ぶ素材から編み出された8時間に及ぶ渾身のドキュメンタリー。ロンド形式のように「1958-61にあった出来事」というテーマを繰り返し、曖昧な古い記憶を煮詰めて、真実をあぶり出して行く様は見事。コロナ禍の中の映画体験としても記憶に残るだろう。


次点(入れ替え可能作品)
日子(ツァィ・ミンリャン[蔡明亮]監督/台湾)
バナナ・パラダイス(89年/ワントン[王童]監督/台湾)
恋歌1980(メイ・フォン[梅峰]監督/中国)
鵞鳥湖の夜(ディア・イーナン監督/中国)
迂闊な犯罪(シャーラム・モクリ監督/イラン)
マイルストーン(アイヴァン・アイル監督/インド)
伝説の女優 サーヴィトリ(ナーグ・アシュウィン監督/インド)
詩人の恋(キム・ヤンヒ監督/韓国)
殺人蝶を追う女(79年/キム・ギヨン監督/韓国)
LETO(キリル・セレブレンニコフ監督/ロシア)
ドヴラートフ(アレクセイ・ゲルマン・Jr./ロシア)
テネット(クリストファー・ノーラン監督/アメリカ)
フォードvsフェラーリ(ジェームズ・マンゴールド監督/アメリカ)
マンク(デヴィッド・フィンチャー監督/アメリカ)
コロンバス(コゴナダ監督/アメリカ)
スパイの妻(黒澤清監督/日本)
アイヌモシリ(福永壮志監督/日本)

昨年を振り返ってみる。2月にフィリピン映画生誕百周年記念「フィリピン・シネマ・クラシックス」の特集上映で、念願だった『マニラ・バイ・ナイト』(80)『バッチ’81』(82)などを観る事ができた。

4月の非常事態宣言から映画館へは当分行けないだろうと観念し、CSに加入したり、オンラインで試写や映画を観る事にも慣れていったが、『旅シネ2000-2019』発刊後の夏の終わりに意を決して8時間の『死霊魂』を横浜シネマリンで観てから、マスクをしていれば大丈夫かもしれないと確信。秋にはインディアン・ムービーウィーク、東京国際映画祭とフィルメックスの同時開催に通い、コロナ禍にありながら、けっこうな数の映画をフィジカルに体験する事ができた。

しかし、心底楽しんだ、堪能したか?というと、疑問符がつく。マスクや飲食など、気を使わなくてはいけないことが多いからだ。今年はのっけから状況が大きく変化しているが、どれだけの映画に出会えるのだろうか? 今までの方法が通用するのだろうか? 早く終息することを切に願う。


■加賀美 まき(造形エデュケーター)

2020年は、米アカデミー賞作品賞を受賞した「パラサイト 半地下の家族」に始まり、内容も多彩な多くの韓国映画の公開されました。また、Netflixなどの配信で、韓国ドラマが大人気となるなど、韓国作品に興味が注がれた1年でした。注目したいのは、ベスト10のうち半分を占める女性監督(*印)の進出。新しい視点を持った秀作が揃い、今後ますますの活躍が楽しみです。


●韓国映画ベストテン

1. エクストリーム・ジョブ(イ・ビョンホン監督/韓国)
 潜入捜査でチキン店を経営することになった麻薬捜査班。その店が大人気店となってしまうという韓国映画らしいコメディで楽しめる。主演の班長役に実力派俳優のリュ・スンリョン以下、イ・ハニらが演じる捜査員のキャラを見事に立たせた、一押し作品。本国大ヒット作。

1. パラサイト  半地下の家族 (ポン・ジュノ監督/韓国)
 昨年の米アカデミー作品・監督・脚本賞受賞作。半地下の家に住む貧困一家が、高台の富裕家族の家に入り込むのだが・・。秀逸な脚本、綿密なストーリー展開、ソン・ガンホら俳優陣も見事。ポン・ジュノ作品の完成度は流石。韓国社会の様々な側面を織り込んでいて見応え十二分。

3. スウィングキッズ(カン・ヒョンチョル監督/韓国)
 朝鮮戦争下の1951年、実在した巨済島の捕虜収容所が舞台。イデオロギーも人種も立場も異なるメンバーがダンスを通じて絆を深めていくエンタメ感動作。ブロードウェイダンサーのJ.グライムスと高い演技力をみせるK-POPグループEXO D.O.のキレのあるダンスは必見。新鋭女優パク・ヘスの美声も。

4. 幼い依頼人(チャン・ギュソン監督/韓国)
 実際に起きた事件を元にした秀作ドラマ。継母から虐待を受けている幼い姉弟と出会った弁護士の主人公。弟が死亡し、姉が殺人の被疑者とされたと知り、大手法律事務所への就職を蹴って幼い姉の弁護人として奔走する。主演の弁護士役をイ・ドンフィが好演。子役が見事。

4. 虐待の証明(*イ・ジウォン監督/韓国)
 実際の児童虐待事件を元にした、憎悪の連鎖と社会の悲惨な現実を描いた衝撃作。虐待を受けて育ち、社会の底辺で荒んだ生活を送る「ミス・ペク」(原題)は、同じ境遇の少女に出会い、手を差し伸べようとする。ドラマで活躍するハン・ジミンが、イメージを覆す体当たりで主人公を熱演。

6. はちどり(*キム・ボラ監督/韓国・アメリカ)
 急速な経済成長を続ける1994年の韓国・ソウルを舞台に、14歳の少女の日々を捉え、思春期の心の揺らぎ、家族や友人との微妙な関係、心を通わせる女性教師との出会いを繊細に描いた秀作。キム・ボラ監督の長編デビュー作品は各国で多数の映画賞を受賞。日本でも静かなヒットとなった。

7. マルモイ ことばあつめ(*オム・ユナ監督/韓国) 
 日本統治時代の京城(現・ソウル)、失われていく母国語を守るために命がけで辞書作りに取り組んだ人々を描いた感動作。『タクシー運転手 約束は海を超えて』(’18年)で脚本を手がけたオム・ユナの初監督作品。本作でも脚本を担当。

8. 詩人の恋(*キム・ヤンヒ監督/韓国) 
 『息もできない』『あゝ、荒野』のヤン・イクチュン主演。荒々しいイメージとは対照的な、不器用で無垢、ぽっこりとお腹の出た中年の売れない詩人役。済州島を舞台に、ドーナツ店の美青年に心が騒つき戸惑うおじさんを繊細に演じている。脚本が素晴らしく、静かな共感を呼ぶ感動作。

9. 悪人伝(イ・ウォンテ監督/韓国)
 マ・ドンソク演じる極悪組長、キム・ムヨル演じる暴力刑事がタッグを組み無差別殺人鬼を追い詰めていくという斬新な展開のバイオレンス・アクション。今やテレビ・映画にひっぱりだこ、ハリウッド進出も果たしたマ・ドンソクが凄みを見せる熱演。

10. 82年生まれ、キム・ジヨン(*キム・ドヨン監督/韓国)
 現代の韓国女性の生きづらさを描き、問題を投げかけた同名小説を映画化。結婚を機に専業主婦になり子育てに追われるうちに主人公は次第に心の均衡を失っていってしまう。妻役のチョン・ユミが好演。小説ほどは人物、社会背景が描かれていないので、少し理解が浅くなってしまったのが残念。


●次点 順不同
「ディヴァイン・フューリー/死者」(キム・ジュファン監督/韓国)
  名優アン・ソンギ×人気の若手パク・ソジュン、スタイリッシュな悪魔祓いもの。
「ブリング・ミー・ホーム 尋ね人」(キム・スンウ監督/韓国)
  イ・ヨンエ14年ぶりのスクリーン復帰作。我が子を探し続ける母役を熱演。
・「暗数殺人」(キム・テギュン監督/韓国)
  『神と共に 第一章、第二章』『アシュラ』チュ・ジフンの悪役ぶりが見もの。
  


2021年1月15日金曜日

羊飼いと風船

変わりゆく時代の狭間で揺らぐ、チベット遊牧民の一家を描く

BALLOON    

2019年/中国
監督・脚本:ペマ・ツェテン
出演:ソナム・ワンモ、ジンバ、ヤンシクツォ
配給:ビターズ・エンド
上映時間:102分
公開:2021年1月22日(金) シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
HP:http://www.bitters.co.jp/hitsujikai/

●ストーリー 
 チベットの草原地帯。タルギェ(ジンバ)、ドルカル(ソナム・ワンモ)の夫婦は、3人の息子とタルギェの父との三世代で牧畜で生計をたてながら暮らしている。父タルギェは力強い羊飼いで、働き者の母ドルカルは家を切り盛りしている。学校の長期休みには牧羊を手伝う長男、自然の中を駆け回る弟兄弟。仏教の教えと伝統文化を大切にする祖父が家族を見守っている。貧しくも昔ながらの素朴で穏やかな生活を送っていた。
 だが、家族に少しずつ波風が立っていく。祖父が亡くなり、時を同じくして、ドルカルの妊娠が明らかになる。だが、もう一人子どもを産めば罰金が課せられてしまう。彼女は子どもを堕したいと夫に告げるのだが・・

●レヴュー 
 チベットの大平原。遊牧民の一家の幼い兄弟が、楕円形の妙な風船を持って駆け回って遊んでいる。物語は、のどかな情景とそんな彼らの些細ないたずらからユーモラスに始まるのだが、様々な波に翻弄され苦悩する遊牧民家族の次第を映し出す展開になっていく。その中でも伝統と慣習の中にあるチベットの女性たちの姿が印象深く描かれている。

 今日、昔ながらの牧畜文化を継承していくのは、簡単ではないだろう。父タルギェは、父親からその精神を受け継ぎながらも新しい時代へ適応していかなくてはならない世代。遊牧民の暮らしは貧しく厳しいが、子どもを全寮制の学校に入れて、その学費のために羊を売る。種付けのための羊を友人から借り、バイクに括り付けて運び、力強く牧畜の作業をこなす。父の死は、友人と酒を交わしている時、スマートフォンで知らされる。
 一方、女性はどうだろうか。家族は穏やかに暮らしているが、母ドルカルは、朝起きてから寝るまで、家のこと、子どもや舅の世話、そして牧畜の仕事までも忍耐強くこなしている。それは遊牧民の女性たちの果たすべき伝統的な役割で、彼女自身もそのしきたりを大切にしているのだろう。だが、伝統的な生活と新しい生活様式との摩擦の中で困難な思いをしていることも伝わってくる。妊娠や出産についても同様だ。村の診療所は、女性たちにコンドームを配っているが、ドルカルはこれ以上の妊娠を避けるため、避妊手術を受けることを決める。しかし、その間に祖父が急逝し、そして彼女の妊娠が明らかになる。チベットの人々の宗教観をもってその子は輪廻転生による祖父の生まれ代わりだと喜ぶ夫。だが、これ以上子どもは持てないと考えるドルカルの決意は固い。遊牧民の女性たちは男性と対等であって、決して弱い立場ではないという。ドルカルの芯の強さが最後まで物語を引っ張っていく。そのような女性を演じたソナム・ワンモの演技と彼女の眼差しが印象的に残る。

 監督は小説家でもあるペマ・ツェテン。チベットの人々の精神文化と現代社会との関係性を描き、選択を迫られた人々の姿を描きたかったと語っている。だが、物語の結末は、観客に委ねられている。赤い風船が空を飛んでいくラストシーンを見ながら、チベットの人々はどう進むだろうか、そして自分なら何を選択するだろうかと思いを巡らせることになるだろう。変わりゆくチベットで、厳しい土地にたくましく生きる人々の営み。そして美しい映像美で映し出される雄大な自然が心に残る作品だ。(★★★☆加賀美まき)

第20回(2019年)東京フィルメックス・コンペティション部門最優秀作品賞 受賞

2021年1月14日木曜日

聖なる犯罪者

実話を基に描かれた、過去を偽り聖職者となった青年の顛末。 

Corpus Christi

2019年/ポーランド、フランス
監督:ヤン・コマサ
脚本:マテウシュ・パツェヴィチ
出演:バルトシュ・ビィエレニア、エリーザ・リチェムブル、アレクサンドラ・コニェチュナ
配給:ハーク
上映時間:115分
公開:2021年1月15日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、渋谷ホワイト シネクイント他 全国順次公開
HP:http://hark3.com/seinaru-hanzaisha/

●ストーリー 
 殺人を犯し少年院に入った20歳のダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)。そこで出会った神父の影響で熱心な信者となり、前科者は聖職者になれないと知りながらも、神父になることを夢見ていた。仮釈放が決まり、ダニエルは田舎の製材所で働くことになるになるだが、そこに向かう途中、丘から見えた教会に立ち寄る。居合わせた少女マルタに自分は司祭だと嘘をついたことから新任の司祭と勘違いされ、そのまま司祭の代わりを任されることになる。
 司祭らしからぬ言動や行動をするダニエルに村人は戸惑うが、交流を通じて村人との信頼を深めていく。一年前、この村で7人が命を落す事故があったことを知ったダニエルは、この事故が村人たちに与えた深い傷を知り家族を癒したいと模索しはじめる。そんな折、同じ少年院にいた男がダニエルの前に現れる…。

●レヴュー 
 殺人を犯し、少年院に入れられた青年ダニエル。信仰を深め、院内でミサを行う神父に信頼される存在になっていった彼は、自分も聖職者になりたいという夢を抱くようになる。しかし、犯罪歴のあるものは神学校への入学は許されておらず、神父にも「善行をしたいならば他にもたくさん道はある」と諭される。仮出所したダニエルはとある村で身分を偽って司祭になりすます。ポーランドで実際にあった事件をベースに、ほぼ事実に基づいて脚本が書かれているという。

 主人公のダニエルは果たしてどんな人物なのだろうか。殺人を犯しながら、純粋に聖職者になりたいと願うほどの信仰心を持つ2面性。どのような経緯で殺人を犯したのかはわからないし、どう信仰を深めていったのかも想像するしかない。健気に罪を悔いているのかと思えば、仮出所するとすぐに歯目を外し、どこで手に入れたのか司祭服を着て神父を気取ってみせたりする。意図的に司祭になろうとしたわけではなかったが、結果的には身分を隠し、自分なりのやり方でミサを執り行い、次第に村人の信頼を得ていく。さらに彼は、そっと身を潜めているだけでなく、村人を親交を深め、村で起きた凄惨な事故による家族の心の傷を癒そうとまでする。信頼する神父の言葉通り、善行を行うことで自分も聖職者になれると思ったのかもしれない。それもまた正義なのだろうか。彼の本心がどこにあるのか、善とも悪ともつかないダニエルの行動や心の揺らぎが何によるのか推し量りながら物語が進んでいき、最後まで惹きつけられる。
 やがて、ダニエルの正体は知れるところとなる。宗教的な部分にまで踏み込んだ理解は(その背景がない筆者には)難しいところだが、閉塞的な田舎の村の人間関係とダニエルという人物を通じて、人間の危うさ、罪深さや不確かさを鋭くつく視点が秀逸。物語は完全な赦しには着地しないが、ラストシーンまで何が受容されたのか見るものが問われる作品だと思う。

 そのダニエルを演じたのは、深い眼差しが印象的な28歳のバルトシュ・ビィエレニア。独特な佇まいで善とも悪ともつかない人物を見事に演じている。そのようなダニエルの不確実さや全体に流れる静穏だが張り詰めた空気感を表すような、ブルーグレーやグリーンがかったベールに包まれたような色調の画面が美しい。ダニエルが教会を去ったあとに映し出される道端のマリア像も印象深い。(★★★★加賀美まき)

第92回アカデミー賞 国際長編映画賞へのノミネート。
「2020 ORL Eagle Awards」(ポーランド版アカデミー賞) 監督賞、作品賞、脚本賞、編集賞、撮影賞ほか11部門受賞