2020年7月10日金曜日

グレース・オブ・ゴッド 告発の時


フランスで起きた聖職者による児童への性的虐待。その告発を描く、オゾン監督最新作

 


 Grace a Dieu
2019
監督:フランソワ・オゾン
出演:メルヴィル・プポー、ドゥニ・メノーシェ、スワン・アルロー
配給:キノフィルムズ/東京テアトル
公開:2020717日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて
上映時間:137
公式HPgraceofgod-movie.com/
ベルリン国際映画祭 銀熊賞


●ストーリー

 

妻や子どもたちと共にリヨンに住むアレクサンドル。カトリック教徒で家族と共に熱心に教会の行事にも参加しているが、幼少時に自分に性的虐待をしていたプレナ神父が、いまも子供たちに聖書を教えていることを知り驚く。アレクサンドルは教会に訴え、その仲介でブレナ神父と面会するが、ブレナは自分の行いをあっさり認めたものの、謝罪をしないばかりか、教会はその行為を知りながら何十年もブレナを放置していたという証言をする。すでに時効になっていたが、アレクサンドルは悩みながらも告発をする。

その後、いまは成人したフランソワの両親の元に警察の調査が入る。フランソワもやはり幼少時に性的虐待を受けていたのだ。まだ時効が成立していないフランソワは、ブレナ神父に被害を受けた者たちを集め、集団訴訟に踏み切る。心に傷を負ったまま生きてきたエマニュエルも、そのニュースを知り、参加。しかし教会は、事件を封印していた責任を逃れようとする。

●レビュー

 

本作は、フランスのリヨンで起きた聖職者による子供への性虐待事件をテーマにした実話だ。カソリックの聖職者は、妻帯が禁じられている。多くの者は禁欲のまま正しく生きているが、なかには教会で助手を務める男の子たちに手を出す者もいる。それは昔から陰では噂されていたが、実際にリアルな事件として告発されたのは2002年のアメリカでのことだった。

ボストン・グローブ紙が告発した2002年の事件は、司祭が30年にわたって130人もの児童を虐待していた。それがそれまで明るみにならなかったのは、相手が子供だということ、子供の方が罪の意識を持ち告白できなかったこと、また教会の上層部がもみ消しをしたり、告発者に圧力をかけたりしていたからだった。これが明るみになり、アメリカでは数千人規模の聖職者が児童虐待容疑で調査を受けた。
この事件はのちに『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)として映画化され、アカデミー作品賞を受賞した。やがてこうした事件は、ドイツ、イギリス、中南米、さらに日本でもあったことが報告された。

本作は2019年から裁判が始まったフランスの事件の映画化だ。起訴されたブレナ神父は20203月に有罪判決を受けた。つまり本作はまだ裁判が進行する中で公開されたのだ(20192月のベルリン国際映画祭に出品)。そのため、裁判中の人が実名で登場する映画を公開するのはどうかという意見もあったようだ。
本作終了後のテロップを見ると、20192月以降の出来事も出るので、世界公開に合わせて追加された情報もあるのかもしれない。

少年への性的虐待というショッキングな犯罪を犯す神父も問題だが、映画を観ていて被害者ならずとも観客が追求したくなるのは、教会という組織の隠蔽体質だろう。映画では神父があっさりと行為を認めていることに驚く。そのため、彼は病気で自分では止められなく、逆に誰かに止めて欲しかったのではないかとさえ思う。しかし教会の上司は神父の虐待を知りつつも止めもせず、スキャンダルが広まる前に地区を移動させていた。これでは隠蔽工作と言われても当たり前だ。
こうした自浄作用ができない組織的な問題が、カソリック教会にあったのではないか。2013年に就任した教皇フランシスコは、前教皇が「身内に甘い」という批判を受けていたので、厳しい措置を取っているようだが。

また、本作が観客に教えてくれるのは、「幼少期に受けた心の傷」の大きさだ。日本でも、何十年も経って子供時代に受けた性的虐待を告発する事件がある。告発されるのは、学校の先生だったり父や親族だったりするが、そうすると必ず「なぜいまさら」という人が出てくる。「その時に言わないで、成人してからかなりたってから言うなんて」と被害者を責める無責任な野次馬大衆だ。しかし、苦しみは当人しかわからない。
虐待親から逃れられない子供のように、子供はまだそれが世の道理から外れた悪いことだと思っていない。狭い世界しか知らない、あるいは信頼しているものから受けたからだ。そうした起きたことは心の奥底に封印されていく。しかしそれは忘れた訳ではなく、常に解消されないまま自分を蝕んでいくのだ。

本作がユニークな造りなのは、主人公が物語の進行に伴ってリレー方式で変わっていくことだ。最初は社会的にも成功し、家族にも恵まれているアレクサンドルだ。常識的で多くの観客が共感しやすいタイプだ。次に主人公となるのはフランソワ。彼はアレクサンドルと真逆のエキセントリックな性格で、時には過激となるため引いてしまう観客もいるかもしれない。しかし彼がいるからこそ、裁判という手段に進むことができた。そして最後のパートの主人公とも言えるエマニュエル。風変わりな彼だが、実は三人の中では彼が一番辛い生活を送っているのだ。

自分が親の世代になったからもしれないが、被害者の両親たちの描写も細やかなことに感心する。息子の力になれなかった罪滅ぼしに、電話応対を買って出るエマニュエルの母親。それと対照的に無関心な父親。子どもの悩みを察してあげることが、親としての務めだろう。

フランソワ・オゾン監督らしさは薄いかもしれないが、社会派エンタメとしては上出来で、オススメできる作品だ。★★★☆前原利行)

●関連情報

・ニュース/少年虐待で起訴された元司祭、裁判で自身の性的虐待被害を告白 フランス
・ニュース70年で子ども推定3000人超が性的虐待被害、仏カトリック教会