2020年12月22日火曜日

チャンシルさんには福が多いね

予期せずにやってくる人生危機、
それを乗り越える「福」を見つける物語



찬실이는 복도 많지 / LUCKY CHAN-SIL



2019年/韓国
監督・脚本:キム・チョヒ
出演:カン・マルグム、ユン・ヨジョン、キム・ヨンミン、ユン・スンア、ぺ・ユラム
配給:リアリーライクフィルムズ、キノ・キネマ
上映時間:96分
公開:2021年1月8日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
HP:https://www.reallylikefilms.com/chansil

●ストーリー
 映画プロデューサーのチャンシル(カン・マルグム)は、長年組んできた監督が、飲み会の席で突然亡くなり、これまでの生活が一変する。今まで恋愛もろくにせず、仕事に没頭してきた人生だったが、その大切な仕事がなくなり、今まで一体何をしてきたんだろうと、途方に暮れてしまう。
 風変わりなおばあさん(ユン・ヨジョン)の家に間借りさせてもらいながら、食べていくために、後輩であり女優のソフィー(ユン・スンア)の家で家政婦として働くことになる。そこに現れたソフィーのフランス語の教師(ペ・ユラム)にチャンシルの心はときめく。そんな時にチャンシルの前に「レスリー・チャン」と名乗る謎の幽霊(キム・ヨンミン)が現れる。この怪しい幽霊のアドバイスを聞き、告白を試みるチャンシルだが…。

●レヴュー 
 映画プロデューサーとして、信頼する監督と組み、ずっと仕事に没頭してきたチャンシルさん。だが、突然、人生がお先真っ暗な状態に陥ってしまう。仕事を失い、お金もなく、不便な坂の上の家に間借りすることに。気づけばろくに恋愛もしてない、恋人もいないアラフォー世代。頑張ってきた映画の仕事で評価を得られたわけでもなく、すっかり落ち込んでしまう。
 
 本作は、仕事に邁進してきた40代の女性たちが直面するであろう現実を軽妙なタッチで描いている。突然、エアポケットに落ちたような変化に戸惑い、悩み、自虐的にもなる。そんな中でちょっぴり心のときめきも経験する。一所懸命に打ち込んできた仕事から離れて、初めて自分自身に向き合うチャンシルさんの姿に共感する人も多いだろう。それしかないと思い込んでいた仕事が、本当にやりたいことだったのか。自分の幸せはもっと他にあったのではないか・・。曲がり角にぶつかって悩んだり、思いも寄らない落胆を経験したりするのは人生の習いなのだから。

 この作品がそうした共感を得るのは、プロデューサーとしてホン・サンス監督作品に参加し、本作が長編デビューとなるキム・チョヒ監督の力量にあると思う。40歳を過ぎてから映画を撮り始めたという監督自身の姿を投影するストーリー展開。自然で乙な台詞やオフビートな進行がユニークで見るものの心に優しく響く。『はちどり』のキム・ボラ監督、『82年生まれ、キム・ジヨン』のキム・ドヨン監督に続く女性監督の進出が楽しみだ。
 そしてもう一つは、チャンシルさんを演じたカン・マルグムの魅力である。先に日本で公開された『悪の偶像』(イ・スジン監督)では、息子の罪の隠蔽を図る母親役を強かに演じて印象的だった。本作では一変、悩めるチャンシルさんをひょうひょうと、それでいてユーモラスで愛らしい演じっぷりが秀逸。遅咲きながら、これからどんな役柄をどう演じていくのか楽しみである。
 また、チャンシルさんは個性的な人物たちに囲まれ、心を通わせていく。紆余曲折の人生を送ってきた大家のおばあさんを手助けしたり、ちょっと心ときめいた年下のフランス語教師とは映画談義をしたり。女優の後輩には不思議と慕われ、レスリー・チャンの亡霊には励ましの言葉をかけられる。そうした人物を名優ユン・ヨジョン、演技派のぺ・ユラム、キム・ヨンミンといった俳優たちが確りと演じている点も必見。

 人は、自分の周りに「福」があることに気づかないでいるだけなのかもしれない。エンディングに流れる「家なし、金なし、男なし・・でもチャンシルさんは福が多いよ~」というパンソリ(韓国の民謡)調の歌。思わず口ずさんでしまい、同時にタイトルの持つ意味が心に染みてくる。人との小さな関わりを大切にしながら、誠実に一歩一歩前に進もう、この作品はそう思わせてくれる。韓国でスマッシュヒットとなったのも頷ける。(★★★☆加賀美まき) 

2020年12月20日日曜日

カムイチェプ  サケ漁と先住権

サケ漁をめぐるアイヌ先住民と和人の攻防


2020年/日本
監督:藤野知明
上映時間:93分


●レビュー


監督の母校・北海道大学の研究者たちに盗まれた先祖の遺骨を、アイヌの人々が取り戻そうとする姿を追った昨年の『とりもどす-囚われのアイヌ遺骨-』('19)に続き、東京ドキュメンタリー映画祭2020で都内初上映された作品だ。


 北海道の紋別や旭川などでは、毎年9月に川を登ってくるサケを迎え、自然に感謝し、豊漁を祈るアイヌの伝統儀式カムイチェプノミ(神の魚=サケを迎える祈り)が行われる。本作では、儀式に供えるサケを川で獲る際、その許可を取るようにいう警察や道庁の職員と、それを拒む紋別アイヌ協会の会長・畠山さんとのやり取りが見ものとなっている。

 国や北海道と交渉してきた畠山さんたちが求めているのは、アメリカやカナダなどの先住民が既に取り戻し、認めさせてきた先住権と、その行使としての自由な鮭漁。話し合いが進展しないことから、畠山さんは許可申請せずに鮭を獲ると、「密漁」扱いで報道される。


 取り締まる警察や、許可を取って下さいと何度となく頼みに来る道庁の職員も所謂悪人には決して見えない。いや、むしろきっと責任感の強い「いい人」たちが自分の仕事を真面目に全うしようとしているだけなのだが、話は当然の如く折り合わない。このSNS時代、カメラ前での行動がどんな印象を与え、影響を及ぼすかを流石に理解した人々の立ち振る舞いに見入ってしまう。お願いに来た担当者たちがどんなに腰が低く、人が良さそうでも、上と話が付かないことには問題の解決はない。とても差別的で残酷な行為を戦時中黙々と執行していたのは、家族思いの生真面目な役人だったという報告が頭をよぎる。


 言い争う警官の言いぶんに思わず笑ってしまったり、道庁職員の帰り際にねぎらいの言葉をかけてしまう畠山さんの人の良さが滲み出る。既成概念や先入観のほころびを見るのが、映画を見る醍醐味であり楽しみだが、シビアなやり取りの合間にも垣間見られるアイヌの人々の大らかさが前作同様、そのまま本作の豊かな魅力や面白さになっている。

 年に一度の儀式に供えるサケの十数匹くらい、当局も多めにみろよと、この映画を観た誰しもが恐らく思うだろう。ただ、当局=和人が恐れるのは、土地の所有も含めた先住権を求める声の高まりや広がりなのだろう。


 アメリカのおもにアングロサクソンや中国の漢人の覇権主義的で高圧的な拡張政策にウンザリ憤る際、我が日本の和人がアイヌの人々にこれまでしてきたことや今現在していることを自覚しておきたい。

 アイヌ同士の根深い部族抗争もかつてあったと聞けば、人の本能や宿命、限界を感じてしまう。ただ、先住民との問題に関しては、模範にできる先例が、問題だらけのアメリカや海外にはいくつもある。ハンセン病隔離政策の廃止が世界から3040年遅れた我が日本にも、止めどないウイルスの蔓延を食い止める方法を模索するように、できること、すべきことがないわけはない。


                               (★★★★今野雅夫


●関連情報


2020年12/5(土)~12/11(金)に開催された東京ドキュメンタリー映画祭2020は、3年目を迎え、150 本以上の応募作から選りすぐられた40作品と、特集「映像の民族誌」9作品に加え、香港情勢を伝える2作品も特別上映された。上映作品のテーマは、戦争、民主主義、原発事故、障害、 家族、自然、人権など多岐に渡る。 
 今回、その中の特集「映像の民族誌」の中から2プログラムを観る機会があった。一つは
今回取り上げた『カムイチェプ サケ漁と先住権』(藤野知明監督)もう一つは「ゾミアの秘祭」プログラム。『ナガのドラム』井口寛監督)はミャンマーの山奥で巨木を繰り抜いて巨大な太鼓を作り、その完成を祝うナガ族の祭の記録だ。『アルナチャール人類博覧会』(本映画祭のプログラム・ディレクターでもある金子遊監督は、インド北東部のゾミア(山岳地帯)に暮らす多くの少数民族をインド政府が集めて開催したフェスティバルで、少数民族が観光に利用される様を映した作品。いずれも興味深く拝見した。
 


●関連作品

『アイヌモシリ』


2020年12月10日木曜日

ハッピー・オールド・イヤー

オフィス改装のため断捨離に挑むデザイナーは数々の思い出に悩まされる

『バッド・ジーニアス』主演女優が見せる涙の意味とは






Happy Old Year 


2019年/タイ

監督:ナワポン・タムロンラタナリット

出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン(『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』)、サニー・スワンメーターノン(『フリーランス』)

配給:ザジ・フィルムズ、マグザム

上映時間:113

公開:1211日(金)よりシネマカリテ、ヒューマントラスト渋谷ほか全国順次ロードショー



●ストーリー


スウェーデンの留学から戻ったジーンは、デザイナーとして本格的に活動するため、自宅の1階部分を事務所にしようとリフォームを思い立つ。その家は父親がかつて音楽教室を開いていた小さなビルで、母と自作の服を売る兄が同居しているが、モノが溢れかえっていた。断舎離を開始するも、母親と衝突したり、親友からもらったCDを捨てたことを咎められたり、元カレのカメラを返すうちに、複雑な思いにかられ心は疲弊していく。時は年末。ジーンは新たな気持ちで新年を迎えることができるのだろうか?


●レヴュー


コロナ禍で在宅時間が長くなったせいもあるのだろうけど、「断舎離」という言葉を最近またよく目にするようになった。日本発の「断捨離」は世界でウケているようで、この映画でも欧米で浸透した“こんまりメソッド”らしきパロディ映像が挿まれるので苦笑してしまう。「断舎離」の過程が家族のドラマになる…というのは常套で、TV番組の格好のネタになるわけだが、この映画も例にもれない。ただ、ナワポン監督の感性にかかると、だいぶその表情は変わってくる。


ナワポン監督の作品は、そのほとんどが日本国内の映画祭などで上映されており、新作が完成するごとに注目して来た。最初に日本で紹介された2作目『マリー・イズ・ハッピー』('13)は実際に投稿された女子高生のツイッターから書き起こされたというポストモダンな作品だった。インディーズを軸足にしてるが、『フリーランス』(’15)という商業ベースの映画でも卓越した才気を見せ、本国で大成功を納めている。(フリーのグラフィックデザイナーの悲哀がコミカルに描かれる。主演は本作で元カレ・エームを演じたサニー・スワンメーターノン)


とりわけ僕が感銘を受けたのが、長編デビュー作にあたる『36のシーン』(’12)という作品だ。写真の36枚撮りフィルムの特性(1枚1枚が時間や場所を異にしたり、成功した写真もあれば、失敗した写真があったり、現像しないまま月日が経っていたり)をヒントに、映画関係者の男女の記憶の断片を1シーン1カットに置き換えた実験的作品だった。時の移ろいや相手を想うことが見事に表現されていた。

本作の中でも、主人公のジーンが断舎離の中で見つけた元カレのコンパクトカメラと数本のフィルムを、本人に返す筋書きがあり、連動感を感じた。このジーンの行動は、元カレと彼が現在つきあっている彼女の間に波紋を起こすことになる。


さて、この映画の設定でとても気になるところがある。それはジーンの父親についての描写だ。ジーンの父親は音楽教室を開いていたが、家族を捨てて出ていってしまった。父が残していったアンティークなピアノをジーンは処分しようとするが、いつか夫が戻って来ると信じている母親は猛反対する。ジーンは父親にコンタクトをとり、ピアノの件を問うが、それは父が二度と戻ってこないことを確認するような作業だった。


僕にはこの父親像が二人の人物とだぶって見える。一人は2016年に亡くなった国父として篤く慕われたラーマ9世、すなわちプミポン前国王だ。プミポン国王は音楽に精通していて作曲までこなす人物として知られている。度重なるクーデター、国民の分断を仲裁してきたバランサーとしての役目もあった。彼の不在が語られ、時が元に戻らない事を強調しているかのように見える。もう一人は、おそらく監督と同じ客家華人系であるタクシン元首相。彼が行った政治の評価は支持層によって分かれると思うが、政変によって未だに亡命生活を送っている。

新しい事務所を作るため家を「リフォームする」ことはおそらく、民主憲法を反故にし軍事政権下にあるタイ政治を変革したいという願いと同義だろう。その政治的「断舎離」は痛みを伴い、人々の対立を生むに違いない。ラストの長まわしによるジーンの涙はそんなタイの行く末を悲観しているように見える。


(★★★☆カネコマサアキ)




関連情報


15回大阪アジアン映画祭・グランプリ受賞