2023年1月27日金曜日

イニシェリン島の精霊

突然言い渡された絶交。
精霊舞い降りるアイルランドの島で起きる二人の男の対立の行方


The Banshees of Inisherin
2020年/イギリス
監督:マーティン・マクドナー(「スリー・ビルボード」)
出演:コリン・ファレル、ブレンダ・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
上映時間:1時間54分
公開:2023年2月27日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、ほかロードショー

●ストーリー

1923年、アイルランドの西海岸に浮かぶイニシェリン島。内戦に揺れる本土とは別に、島ではのどかな時間が流れていた。ある日、誰からも愛されるパドレイク(コリン・ファレル)が、親友コルム(ブレンダン・グリーソン)から突然絶交を言い渡される。理由がわからず困惑するパドレイクは、妹シボーンや年下の隣人ドミニクを巻き込んで関係修復を図るが、逆にコルムは頑なな態度をとるようになる。そして、「これ以上俺に話しかけたら、自分の指を切り落とす」とコルムは宣言する。両者の対立は想像を絶する事態へと進んでいく。

●レヴュー

アメリカを舞台にした『スリー・ビルボード』(2017)の印象が強いが、マ−ティン・マクドナー監督はイギリス・ロンドン生まれのアイルランド系。映画監督の前に劇作家として知られており、アイルランドを舞台にした作品を多数発表している。両親の実家があるゴールウェイ周辺を扱ったリーナン三部作(コネマラ三部作)は、高い評価を得ている。さらに、ゴールウェイの西南にあるアラン諸島を舞台にした三部作、イニシュマン島のビリー(1996年)、ウィー・トーマス(2001年)、その3つ目に用意されていたのが、本作と同名の戯曲だ。劇としては未発表だという。
また、映画界に身を移して制作された処女長編ヒットマンズ・レクイエム(2008)は、本作と同じコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンの主演キャスティングで、二人のアイルランド人の殺し屋の逃避行とその末路を描いている。できれば、本作鑑賞の前にこちらの作品を見ておくと、連動感を感じられるかもしれない。


さて、本作も前作と同様、寓話的で、心理的で、グロテスクな展開が観る者を惹きつける。「イニシェリン島」は架空の島の設定で、物語も監督の創作のようだが、実際のロケ地はアラン諸島・イニシュモア。例えば、J.M.シングが書いた紀行文『アラン島』(1907)を読んだことのある人は、その中で見聞きされる島の生活や、老人たちが語るフォークロアと似た感触を持つだろう。原題の、精霊を意味する「バンシーズ」とは、「家族が死ぬことを知らせるために泣き叫ぶ女性の精霊」のことで、劇中で出てくる老婆(主人公パドレイクは彼女を避けている)がそれを体現していそうだ。

物語の核となるパドレイクとコルムの関係だが、いくつかの重層的な見方ができそうだ。まず、二人の仲違いは、島の外、本土で起きている内戦と呼応している。1922年から23年まで、アイルランドは自由国家として承認されたにもかかわらず、英国連邦の一部のままだった。英愛条約を支持する暫定政府と、反条約派のアイルランド共和国軍(IRA)の主導権争いで内戦が勃発。それが契機となった北アイルランドをめぐる紛争は現代にまで尾を引いている。

もう一つは、宗教的・文化的側面。パドレイクの名前はアイルランドの守護聖人であるパドレイク、すなわち「聖パトリック」を簡単に思い出せる。(最近、日本でも認知されつつあるセント・パトリック・デーの信仰対象である)フィドル奏者で音楽家のコルムが作曲のために、指を切り落として差し出す行為は、創作の痛みを表すとともに、芸術というものが神に捧げるものとして始まったという起源とダブる。それまでのコルムは「神との対話」が成立していた、と捉えることもできよう。
一方で「聖パトリック」がアイルランドにキリスト教を広めたという聖人であり、コルムが彼を拒絶する=キリスト教を拒否することは、キリスト教伝播以前の「ケルト文化の復興」を意味してると考えられないだろうか。

話は戻るが、前述のJ.M.シングの『アラン島』の中で、海外からゲール語を学びに言語学者が多数アラン島を訪れたことが書かれているが、この19世紀後半というのは、アイルランド独立運動と並行してケルト文芸復興運動が盛り上がっていく時期だという。1893年にダグラス・ハイドを中心に「ゲール語連盟」がダブリンで結成される。そのメンバーの系譜に、パドレイク・コルム(1881-1972)という詩人を見出せる。偶然にも、この映画の主人公「パドレイク」「コルム」二人の名前を同時に持っている人物だ。実はこのパドレイク・コルム含む一派は、あのJ.M.シングが書いた戯曲『西の国のプレイボーイ』の上演に際し、アイルランドの悪口書かれていると批判、暴動が起きるまでの事件になり、作家W.B.イェイツらと仲違いしているという逸話がある。
ジェイムス・ジョイスとも親交があるパドレイク・コルムは、詩の他に、戯曲、絵本、民話の収集なども手がけており、後年、アメリカに居を移し、生涯を終えている。アメリカ進出を果たしたマクドナー監督が好みそうな人物ではないだろうか?

メインのキャストは全てアイルランド出身の俳優で固めている。警官の父親に虐待を受けるドミニク役バリー・コーガンの演技には毎回舌をまく。(ファレルとコーガンはランティモス監督『聖なる鹿殺し』でも共演)こうしてみると、マクドナー監督が、民族主義者とまではいかないまでも、アイルランドを表象することに並々ならぬ情熱を注いでいるのではないか、と推測できる。劇中でコルムが作曲する「イニシェリン島の精霊」という同名曲は、アイルランド史へのレクイエムであり、現在も世界で起きている分断と戦争、死が迫りつつあることへの警告を意味してるのだろう。
                            (★★★★カネコマサアキ)

参考文献:『アラン島』J.M シング/柿崎正見・訳(岩波文庫)、『ケルト/装飾的思考』鶴岡真弓(ちくま文庫)、Padraic Colum(wikipedia)ほか

●関連情報

ヴェネチア国際映画祭2020 脚本賞・男優賞(ヴォルヒ杯)受賞2冠