2020年2月20日木曜日

名もなき生涯



自らの信念を貫き通しナチスに立ち向かった男。
名匠テレンス・マリックが知られざる実話を映画化。


A Hidden Life
2019年/アメリカ・ドイツ

監督・脚本:テレンス・マリック
出演:アウグスト・ディール、ヴァレリー・パフナー、ブルーノ・ガンツ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
公開:2月21日(金)TOHOシネマズシャンテほかロードショー

■ストーリー

1938年、オーストリアはナチス・ドイツに併合され、その影響は山間の片田舎にまで及ぼうとしていた。農夫のフランツはファニと結婚し、幸せな家庭を築いていたが、たびたび軍事演習に駆り出され、時おり家族と離ればなれになっていた。フランスが降伏したことで戦争は終わるかに見えたが、戦火は広がる一方で、村人たちはナチス党の煽動に飲み込まれて行く。しかし、フランツはヒトラーの思想に疑問を持ち、村長や司教の説得にもかかわらず戦争協力を拒否する。家族が「裏切り者」として村八分にあう中、フランツに召集令状が届くのだった。

■レビュー

まず、こんな人物がいたのか、と驚かされる。
主人公フランツ・イェーガーシュテッターはオーストリアのザンクト・ラーデグント村出身の実在の農夫。映画はフランツとその妻の書簡集『監獄からの手紙』を元にしている。オーストリアがナチス・ドイツに併合されてから、ファシズムは長閑な農村にまで及ぶ。当時の農村というのは互いに助け合い、種まきから収穫まで協同作業をしないと成立しない。周りとうまくやっていかないと生きていけない場所だ。

だが、フランツは村で集める戦争義援金を出す事も、兵役も拒否するようになる。彼の強固な意志は、ヒトラーへの反発というより、純粋に人を殺めることへの罪の意識から来るものだろうと推測する。映画には描かれていないが、意外にもフランツはファニと出会い結婚するまでは暴力的で粗野な男だったらしい。もともとカトリックの信仰に厚い土地柄ではあったようだが、彼女からの愛、彼女を通じた神の愛の発見によって彼が変わったのは想像に難くない。一方で、彼の内なる暴力性は反ナチスへと向かったのかもしれない。現代でいう”パンキッシュ”な形で。

テレンス・マリックの作風は『シン・レッド・ライン』『ツリー・オブ・ライフ』を観ても一貫してるように思う。人間を自然の中の一部として捉える。キリスト教的な神との対話を描きながら、万物に宿る八百万の神をも描いているように見える。人間社会が相対化され、とるに足らない世界に見えてくる。縦横無尽でダイナミックなカメラワークも健在だ。『ベルリン天使の詩』で堕天使役、『ヒトラー〜最後の12日間』でヒトラー役を演じたブルーノ・ガンツのキャスティングも興味深い。

フランツは兵役を拒否したためにベルリンへ送られ収監される。この時期、妻へ手紙を許されたのは月に一度だけだった。独り身ならいいが、三人の子供も妻もいる家長である。本来、守るべきは家族ではないのか?と疑問に思うが、この過酷な状況で信念を貫き通そうとする。名もなき人物のこの行動は、当時、特にニュースとなったわけでもなく、キリストのように十字架にかけられ聖人化されたわけでもなく、何の意味もなさなかったはずだ。だが発掘された事実は、後世に生きる我々に大きなものを投げかけてくる。目の前に見えるものだけを観ていればいいのだろうか?ということを。

(カネコマサアキ ★★★☆)

2020年2月16日日曜日

屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ


リアルなシリアルキラーの姿を見せてくれる。おぞましいが画面から目を離せない実録犯罪ドラマ

       屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカのイメージ画像1



2019
監督:ファティ・アキン(『ソウル・キッチン』『女は二度決断する』)
出演:ヨナス・タスラー、マルカレーテ・ティーゼル
配給ビターズエンド
公開:214日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館

●ストーリー
1970年代のハンブルグ。
屋根裏部屋にひとりで住むフリッツ・ホンカは、しがない労働者だ。
彼は行き場をなくした人々が集まるバー「ゴールデングローブ」で酒を飲み、店にやってくる売春婦に声をかける。
しかしホンカの相手をしてくれるのは、老人とも言える年老いたアル中の女性だけだった。
歯並びは悪く斜視という見かけの上、人と会話もできず、暴力的な行動を取ってしまうンカ。
彼は誰からも気に止められない男だったが、大きな秘密があった。
彼の部屋には殺してバラバラにされた女性たちの遺体が隠されていたのだ。

●レヴュー
昨年は『ハウス・ジャック・ビルト』というシリアルキラーを描いたトラウマ級のおぞましい傑作があったが、あれはフィクション。
殺される人もある意味映画的だったが、こちらは実際に1970年代にドイツのハンブルグで起きた、連続売春婦殺人事件を元にした実話の映画化だ。
そしてこちらもトラウマ級のいやーな映画だ。
なのでインパクト大だが、見る人を選ぶだろう。

映画はシリアルキラーであるンカの行動をひたすら追うが、彼の内面はわざと描かない
なのでなぜ彼がこういう人格になったのかは、見るものの想像に任せている。
その代わり彼に殺される運命になる老娼婦たちの側の痛みは、嫌という程伝わってくる。
老いて、彼女たちを買う男もおらず、家族からも相手にされなくなり、一杯の酒を求めて酒場にやってくる。
そして殺人鬼の手にかかり殺されて、バラバラにされるが、誰も彼女たちがいなくなったことも気にかけない。

映画が始まってまもなく最初の殺人の様子をカメラがとらえる。
死体を布に包み、階段をゴトゴトと無造作に引き摺り下ろすが、目立って人に見られてしまう。
そこで死体をのこぎりで切ってバラバラにして運びやすくするのだが、計画性のないンカはそれを近くの公園に捨ててしまう。
まもなく死体は発見されニュースになり、ンカはそれ以来、死体を屋根裏の自分の部屋に隠すようになる。
防腐処理を施すわけではないので、夏には悪臭が漂う部屋になる。
彼の部屋に来た者は皆一様にその悪臭に顔をしかめるが、ンカはその部屋で寝起きし、飯を食い、女を犯し、そして殺す。

映画はンカを通して事件を描くが、ンカの内面は見せないので、私たちは常にンカを外側から見ることになる。
ンカは見た目も中身も下品で最低な男だ
飲み屋で隣に座っていても、友達にはなりたくないし、女からすれば彼氏になんて夢にも思わない男だ。
そしてコミュニケーション下手で、言葉で女を気持ちよくさせることはできず、少しでも女が寄ってきたら暴力的に犯すことしか考えない。
そんな社会の底辺にいる男が殺すのは、同じ、いや、さらに底辺にいる女性たちだ。
まさに地獄。
予告やチラシに使われているような、若くて美しい女性ではなく、年老いて醜い体型をさらしているような女性たちが殺されていく
なんとかここまで生きてきた人生の最後が、こんなのでは地獄すぎる。

そんな陰惨な話だが、語り口は重々しいアート系ではなく、時にはコミカルであったり、時にはサスペンス映画のようであったりと、なかなかうまい。
そして「あー、このままだと殺されちゃうな」というこちらの予想(期待)を裏切る展開はうまい。
つまりンカは殺しでさえ、自分の望む女を手に入れることができないのだ。
また、本筋と関係ないバーに集まる人々や脇役のキャラの描き方もなかなかよく、みなそれぞれの人生が垣間見えるようになっている。
それぞれが懸命になんとかここまで生きてきた。その結果がこれなのか?

あとはアルコール依存の恐ろしさ
劇中、一回だけンカが事故をきっかけにアルコール断ちし、仕事にも復帰して社会的には真面目に生きて行くのだが、それが崩れてまた元の世界に戻ってしまうあたり。
あれ、怖い。“ほどほどに呑む”ができない人もいるのだ。

社会の底辺ということで、昨年大ヒットした映画『ジョーカー』とも共通点があるが、あちらはやはりハリウッド映画なので、「ジョーカー=アーサー」を魅力的に描いているが、こちらは誰も共感を感じないだろう。
そこに、より冷静な視点があると思う。
問題を提起して煽るのではなく、「これは何なんだ」と観客が考える。
『ジョーカー』よりも大人の映画だが、その分、毒も強い。
監督は『愛より強く』『女は二度決断する』など国際的にも評価が高いドイツ人監督のファティ・アキン
★★★★前原利行)

2020年2月13日木曜日

巡礼の約束


ラサへの巡礼を通し家族それぞれの想いが浮き彫りになり、それが受け継がれていく


2018
監督:ソンタルジャ(『草原の河』
出演:ヨンジョンジャ、ニマソンソン、スィチョクジャ、ジンパ
配給:ムヴィオラ
公開:28日より岩波ホールにて


●ストーリー
四川省北部の山間の村に、夫のロルジェとその父と暮らすウォマ。
ある朝、不思議な夢を見て目覚めた彼女は、夫に付き添ってもらった病院からの帰り、夫にラサに五体投地で巡礼に行く決心を告げる。
15kmぐらいしか進まない五体投地では、ラサまでは半年以上もかかる。
反対するロルジェだが、ウォマの固い決心は揺らがない。
ウォマには実家に預けたままの前夫との間の息子のノルウもいた。

ウォマの巡礼の旅が始まる。
しばらくしてウォマの病を知って追いかけてきたロルジェ、ノルウも巡礼に合流する。
しかし病をおして旅に出たウォマの体は衰弱していった。

●レビュー

ポンポンパッ。
映画を観た後、しばらくその音が耳から離れない。

ご存知の方も多いと思うが、チベット人が一生に一度は望むのが聖地ラサへの巡礼だ。
ラサには活仏ダライ・ラマが住んでいたポタラ宮、巡礼者が訪れるジョカン(大昭寺)がある。
道のりは遠いが、鉄道やバスも通じているので、乗り物に乗れば難なく行けるのは我々も中国の人も変わりない。
しかしチベットの人々が望むのは、自分の家かららラサまで五体投地で行くことだ。
近ければまだいいが、ラサから遠いところに住んでいる人にとっては気の遠くなるような時間がかかる。そして肉体的にも辛い。
夫婦が住むギャロンからラサへは2000km近くもある。
なぜ妻は、突然巡礼を決意したのか。

ある朝、夢で起きた妻が突然供養を始める。
そして医師の診断を受けた後に、ラサへの巡礼の旅を夫に告げる。
妻には死に別れた夫がいた。
その後、再婚したが、前夫との間の息子は実家に置いたまま。
後悔や後ろめたさが、彼女を日々苦しめていたのだ。

この作品をその妻の気持ちで見るのか、夫の気持ちで見るのかによっても感じ方は違うだろう。
隠されていた妻の想いを知り、激しく動揺する夫の心は切ない。
嫉妬にかられるシーンはとても人間臭く、いけないことだがその気持ちはよくわかるだろう。
後半では、今まで夫が向き合うことがなかった血の繋がらない息子との関係が軸になって進行していく。

登場人物すべてが秘めた思いを口にしないが、その分、行き場のない感情がこちらにより伝わってくる。ふだんペラペラと喋らない分だけ、話した時にその中身が心に迫るのだ。
背景に映るチべットの自然が、彼らの気持ちを時には代弁し、時には包み込む。
地味だが丁寧な描写で描かれた良作。
監督は前作『草原の河』が評判を呼んだソンタルジャ。
★★★☆前原利行)