2015年10月29日木曜日

美術館を手玉にとった男


Art and Craft

全米46の美術館に、30年間自分の贋作を寄贈し続けた男を追うドキュメンタリー





2014 
監督:サム・カルマン、ジェニファー・グラウスマン
出演:マーク・ランディス、マシュー・レイニンガー
配給:トレノバ
上映時間:89
公開:1121日よりユーロスペースほか


●レヴュー


 ニュースを聞いて「まさか、何で気づかなかったの?」という事件が、時々起こることがある。この映画は、2011年にアメリカで発覚した「贋作寄贈事件」の作者を追うドキュメンタリーだが、それと同時に“気づかない側”の世界もあぶり出す。

 2011年、美術館職員のレイニンガーは寄贈された作品が贋作であることに気づく。彼はその寄贈者の名前を全米各地の美術館を送って独自調査をすると、その数は何と全米20州の46の美術館、点数で言えば100点以上に及んだ。レイニンガーが問い合わせをするまでは、どの美術館も“本物”だと信じて疑わなかったのだ。それらの作品は、ミシシッピ州に住むマーク・ランディスが“慈善活動”で寄贈していたものだった。それも特定の作家ではなく、15世紀のイコンからピカソ、ローランサン、エゴン・シーレ、マグリット、シュルツ(スヌーピーなどで知られる)などのマンガ作家、リンカーンやジェファーソンの文書にいたるまでさまざま。しかしすべて“寄付”なので、犯罪に問うことはできないという。

映画のタイトル「美術館を手玉にとった男」からは、私たちはやり手の贋作家をイメージするだろう。贋作で儲けて優雅な暮らしをしている犯罪者、画家として認められない恨みで世間に復讐する男…。ところが画面に登場するランディスは、どちらでもない。風貌はちょっとコワい感じもしなくはないが、出てくる声はか細く、柔和な態度。社会の片隅でひっそり暮らす、目立たない男だ。そして何よりも、自分では悪いことをしているという自覚がない。もともと青年期に統合失調症や行動障害と診断され、病院に入ったりしており、社会からの疎外感を抱いて暮らしていたようだ。そんな彼にとっての“生き甲斐”が、贋作の寄付になった。「30年前」という最初の動機はわからないが、その時自分が模写した作品の出来が良くて、寄贈したら喜ばれた。やがて、それが自分の“使命”と思うようになり、技術に磨きをかけて行ったのではないだろうか。それまで世間に必要とされることがないと思って生きて人間が、初めて認められた喜び。地道な作業を集中して丹念に仕上げるのは得意なようで、これこそ自分の“天職”だと思ってしまったのかもしれない。素の自分では人付き合いが苦手でも、慈善活動家や神父に成り済ませば、相手を信じ込ませることもできるのだ。

気になったのは、彼はどこでそんな技術を身につけたのかだが、“独学”だという。幼い頃からひとりで家で留守番をしていることが多く、そんな時に模写を始めたらしい。そして、贋作には特殊な年代物の塗料や埃とか、そんなものが必要だと思っていた僕に驚きだったのが、彼が大型画材店でふつうに売っている画材で贋作を描いていること。これって誰も気づかないのかなあ…。あと、ランディスの贋作に初めて気づいた男レイニンガー。美術館で働くレイニンガーは、ランディスの贋作の追求に熱を入れ過ぎ、通常業務がおろそかになったと言うことで、美術館をクビになってしまう。カメラは無職となり、家で子供の面倒を見ているレイニンガーを映し出す。彼は自分で何かに夢中になったら、とことんそれをやらないと気がすまない性分だと言う。たぶん平凡な人生を送ってきた彼は、「贋作事件の発見者」ということがなければ、新聞やテレビに取り上げられることもなかったに違いない。そこで彼も「これが自分の使命」と思い込んでしまったのではないか。映画の後半で、ランディスとレイニンガーの対面が実現するが、劇映画のように盛り上がらないその気まずさは、ドキュメンタリーならではだ。
(★★★)

●関連情報


劇映画には“贋作もの”というジャンルがあるほど、名画とその贋作は映画で取り上げやすい題材だ。「モネ・ゲーム」「おしゃれ泥棒」「トスカーナの贋作」「鑑定士と顔のない依頼人」「ミケランジェロの暗号」などなど。

2015年10月22日木曜日

放浪の画家 ピロスマニ


Pirosmani


グルジアの国民的画家を描いた名作が、37年の時を経てリバイバル!


1969
監督:ギオルギ・シェンゲラヤ
出演:アヴタンディル・ヴァラジ、ダヴィト・アバシゼ
配給:パイオニア映画シネマデスク
上映時間:87
公開:1121日より岩波ホールにて

●ストーリー


20世紀初頭の、ロシア帝政下のジョージア(グルジア)の首都チフリス(現トビリシ)近郊で、幼い頃に両親を亡くしたビロスマニは、知り合いの一家に育てられて成長した。しかし一家の娘に恋文を送ったことから、その家を出ざるをえなくなる。やがて友人と商店を開くが、彼には商売は向いていなかった。また、故郷の姉夫婦が縁談をまとめようとするが、結婚式の最中にそれが金目当てだと知ったピロスマニは、式を抜け出す。まもなくピロスマニはその日の糧と引き換えに絵を描きながら、チフリスの町を転々とする日々を送るようになる。そんな彼の絵が、ふとしたことからこの地を訪れた芸術家たちの目にとまるのだが…。

●レヴュー


最初に。最近国名が「ジョージア」に変わったが、どうもその名に今だにしっくりこないので、昔風に「グルジア」と書かせていただきます。もっとも「グルジア」というのもロシア語による他称で、自称は「サカルトヴェロ」。いっそ、こっちにしてくれたほうがよかったかも。

さて、10年ほど前にグルジアに行った時、首都トビリシの国立美術館に行った。お目当てはピロスマニの絵だ。ピロスマニの名を知ったのは、私が高校生の時。1978年、本作が劇場公開され「まるでギャグのような名前の人だなあ」と思ったのと。友人の父親(画家)が観に行ったということが記憶に残っている。ちなみにその年のキネマ旬報外国映画ベストテンでは第4位の高評価(1位は『家族の肖像』だが、今もみんなに観られているのは同点4位の『未知との遭遇』、9位の『スター・ウォーズ』だろう)。しかし78年当時はピロスマニに興味がなかった私は(まあそんなにシブい高校生はいない)、本作を観ることがなかった。のちにビデオやDVDも発売されたが、ふつうのレンタルビデオ屋に置かれるはずもなく、未見のまま現在に至ったのだ。

ビロスマニの絵は、何か人を惹き付けるものがある。それが、西欧の絵画運動とはまったく無縁に存在したのが、最初は意外だった。自分があちこち旅行するようになって、世の中には学校で習う「作家の芸術性を現すアートとしての絵画」以外の絵のほうが多いという当たり前のことを知った後は納得がいった。「素朴画」とジャンル分けもされようが、教会のイコン(聖画)だって、地元の無名の画家が描いたものは、恐ろしくヘタなものもある(それが味なのだが)。何年か前にスペインの教会で素人に修復されたキリストの絵が、“猿”のようになってしまったことも思い出される。ピロスマニの絵は、背景はあっさりし、人間(や動物)はマンガチックで、一度見たら強い印象を残す。というのも、もともと絵の目的は「看板」だったからだ。識字率が低い時代、商店が何の店であるかは絵やシンボルで現すのがふつうだった。最初はシンプルな記号のようなものだった絵も、この頃には裕福な商人が画家に発注するようになったのだろう。

映画は、そのピロスマニの絵画の魅力を伝えることを強く意識している。絵画そのものを見せるだけでなく、画面構成をピロスマニの絵のようにしているのだ。今では珍しいスタンダードサイズの画面が、映画自体を額縁に入ったピロスマニの絵のように見せている。草原の中にぽつりと建つピロスマニの商店も現実にはあり得ない場所だが、それは背景を省略したピロスマニの絵のようでもあり、孤独であるピロスマニの姿のようでもある。手前に川が流れ、その向こうの高い川岸に多くの人物がいるシーンも好きだ。

映画が日本で公開されたのは1978年なのだが、製作は1969年とほぼ半世紀前ということもあり、全体的にゆったりとしたペース。ハリウッド映画しか見ていない人には、「たるい」と感じるかもしれないが、それもこの映画の魅力。上映時間が87分と短いので、躊躇している人も見てみよう。グルジアの大地に生きた放浪の画家に会いに行って欲しい。なお、1978年の公開時にはロシア語版だったが、今回は原語のグルジア語版だ。
(★★★★)


●関連情報


1980年代にヒットしたロシア語歌謡曲「百万本のバラ」(日本語は加藤登紀子が有名)。その歌詞がこのピロスマニをモデルにしたものだったといわれている。フランスから来た女優マルガリータに恋をしたピロスマニが、彼女の泊まるホテル前の広場にバラを敷き詰めたという歌詞。この映画を見れば、ピロスマニにそんなお金はなかったことがわかるだろう。

1978年文部省特選」になっている。

ピロスマニの生涯や作品については、下記にまとめたので、良かったら読んでください。

2015年10月16日金曜日

裁かれるは善人のみ


Leviathan

『父、帰る』の監督の新作は、巨大な力の前で翻弄される“善人の苦難”の物語。個人は国家にあがなうことはできないのか




2014
監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
出演:アレクセイ・セレブリャコフ、エレナ・リャドワ、ウラディミール・ヴドヴィチェンコフ
配給:ビターズエンド
公開:1031日より新宿武蔵野館ほか


●ストーリー


ロシア北部の港町。自動車修理工のコーリャは、若い妻リリア、亡き妻との間の息子ロマと共に一軒家に住んでいる。強欲な市長ヴァディムは権力にものを言わせ、コーリャの土地を無理矢理に買収しようとしていた。コーリャは友人の弁護士ディーマをモスクワから呼んで対抗しようとする。しかしやがて、物事は玉突き状態のように、悪いほうへと転げ落ちて行く。


●レヴュー


何気ないファーストシーンから、この映画はきっと“いい映画”に違いないという予感がした。そして実際、その通りだった。今年のベストテン級の作品であることはまちがない。まず、物語の舞台となるロシア北部の港町のロケーションがいい。田舎町の片隅にある荒涼とした風景。しかしそんな土地にもしがみついて生きている人がいる。そしてさらに、それを取り上げようとしているものもいる。

全体的には力強いタッチで描かれる悲劇だが、それをぐっと引いた視点で物語は描かれている。といってもドキュメンタリータッチではない。コミカルなトーンのシーンもあるし、また主人公以外の登場人物にも、同等にキャラクターがよく描かれ、“群像劇”といってもいい物語特有のタッチなのだ。しかしそこに、どこか醒めた視点がある。それは大自然が常に画面に描かれているからだろうか。たとえばコーリャの一家が住む家には窓が多く、家の中のシーンでも常に外の風景が映り込んでいるといった具合だ。

主人公のコーリャは、どちらかといえば世渡りがヘタな無骨な男とでもいおうか。男気があり、まがったことはきらいだが、やや融通に欠け、面倒くさい所もある。しかしそんな男だから、友人はいるし、妻も欠点を認めながらも彼を愛している。一方、彼と対立する市長は、権力がある割には小心で、コーリャを内心怖れている部分もある。自分のしていることが悪いという自覚もあるが、結局は悪事に手を染める。その間で翻弄されるのが、妻リリア、そして息子のロマ、弁護士のディーマだ。彼らはコーリャほど意地を張らない、どちらかと言えば私たちに近いふつうの人たちだ。彼らは、自然や社会にあがなうことより、自分の身近な悩みを解決したいのだ。

映画で驚くのは、教会(ロシア正教会)と権力の結託と腐敗だ。市長も自分の悪事には気がとがめる部分があり、司祭に相談するが、司祭はそれを知って聞こうとしない。悪事だと知っているからこそ、あえて「聞かないこと」にしようとする。その悪事が、教会と関係しているからだ。教会は“きれいなまま”誰かの犠牲の上に神の家を建て、神はその上で罪人を祝福する。いや、そもそも神はこの土地にはいないのだ。

映画の原題は「リヴァイアサン」。聖書に出てくる最強の怪物(レヴィヤタン)であり、ホッブスが「国家」をたとえたもの。そしてその怪物は、映画の中で理不尽な仕打ちを呪う主人公に神父が話をする「ヨブ記」の中にも出てくる。ヨブ記では、敬虔な信者で善人の主人公ヨブが、次々理不尽な苦難を受け、神に試される。要するに、世の中は因果応報で動いているのではない。神の考えることは誰にもわからない。だから不幸も神が決めたことで、受け入れろということだ。しかし主人公コーリャは納得できないし、神を信じられない。「ヨブ記」では、神が関心があるのは神を信じるもののみであり、悪人は興味がないともとれる。

浜辺に打ち上げられたクジラの白骨。そして妻リリアが目にする海の怪物…。人は自分の力で対抗できない、大きな力に立ち向かっては行けないのか。そして、ただ破れるのみなのか。わかりやすいエンディングではないが、非常な現実を私たちに見せてくれるインパクトは強い。ロシアもこういった映画が作られるようになってきたのも驚きだ。
(★★★★)

●関連情報


72回ゴールデングローブ賞外国語映画賞、第87回アカデミー外国語映画賞ノミネート、
67回カンヌ国際映画祭脚本賞、など、世界の映画賞を受賞

2015年10月7日水曜日

ヴィヴィアン・マイヤーを探して

謎の女流写真家、ヴィヴィアン・マイヤー
その発見と彼女の人生に迫るドキュメンタリー


Finding Vivian Maier

2013年/アメリカ
監督:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル
出演:ヴィヴィアン・マイヤー、ジョン・マルーフ、ティム・ロス
配給:アルバトロス・フィルム
上映時間:83分
公開:10月10日(土)、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

●レビュー

 2007年、シカゴに住むジョン・マルーフはオークションで古いネガフィルムの入った箱を手にいれる。
「ヴィヴィアン・マイヤー」という女性が撮影したその写真をネット上に公開するや反響を呼び、賛辞が
寄せられた。しかし、彼女が何者なのかは謎のままだった。2年後、唯一検索エンジンにヒットした彼女
の死亡記事から、ヴィヴィアンが住み込みのナニー(乳母)だったことが明らかになる。

 ヴィヴィアン・マイヤーが撮った写真は15万枚。だが、生前に発表された写真は1枚もない。彼女は
一体どんな人物で、なぜ優れた写真を大量に撮り続けたのか。自ら監督を務めたジョン・マルーフは、
ヴィヴィアンが溜め込んでいた、呆れるほど膨大な数のシートやカード類、新聞記事のスクラップなど写
真素材以外も大量に収集。それらをひとつひとつ調べ、手がかりにしてヴィヴィアンの生い立ち、人物像、
そして彼女が残した写真の意義に迫るドキュメンタリーで興味深い。

 ヴィヴィアンの残した写真には、正直舌を巻いた。とりわけ、50年代以降、ローライフレックスを手に
した彼女が撮ったシカゴのストリートフォトは秀逸だ。ファインダーを上から覗くタイプのこのカメラで
は、被写体を少し下の方から狙うので、相手に緊張感を与えることなくシャッターを切ることができる。
ヴィヴィアンが捉えたシカゴの街に暮らす人の姿には、彼らの生活や生き様が感じられる。しかもごく自
然に一枚の写真として切り取られていて、一流の写真家と肩を並べてもおかしくない完成度。その後、彼
女の写真が高く評価されたのは当然のことだろう。世界各地の旅先で撮った写真も多く、本作の後半で紹
介されている。

 時折、ガラス窓や鏡に映って写真に写り込んでいる彼女は、証言通り、風変わりでちょっと偏屈な印象。
生涯独り身で孤独に生きたというのだが、本当のヴィヴィアンはどんな人物だったのか、見る人の想像は
膨らむと思う。(★★★☆)