2020年9月23日水曜日

鵞鳥湖の夜

再開発から取り残された街で、居場所を失くした男と寄り添う女

『薄氷の殺人』のディアオ・イーナン監督がグイ・ルンメイと再びタッグを組んだ野心作





南方車站的聚会 The Wild Goose Lake


2019年/中国・フランス

監督:ディアオ・イーナン

出演:フー・ゴー、グイ・ルンメイ、リャオ・ファン、レジーナ・ワン

配給:ブロードメディア・スタジオ

公開:9月25日(金)新宿武蔵野館、ヒューマントラスト有楽町&渋谷ほか

HP  :http://wildgoose-movie.com/


●ストーリー

2012年、中国南部。再開発から取り残された鵞鳥(がちょう)湖周辺の地区で、ギャングたちの縄張り争いが激化していた。刑務所を出て古巣のバイク窃盗団に戻った男チョウは、対立組織との争いに巻き込まれ、逃走中に誤って警官を射殺してしまう。指名手配された彼は、自身にかけられた報奨金30万元を妻子に残すために画策する。しかし、妻の方は警察の協力要請があり、迂闊に動くことができない。そんな彼の前に、見知らぬ女アイアイが妻の代理として現れるのだった。


●レヴュー

近年、中国のノワール映画の存在感が目立つ。

昨年公開された董越(ドン・ユエ)監督の90年代を舞台にした『迫り来る嵐』(’17)、日本未公開だが、ロシアの地を股にかけヤクザの抗争を描いた『氷の下』(’17 /蔡尚君監督/フィルメックスで上映)、一冊の本でつながった犯罪を描いた『追跡』(’17/李霄峰監督/「電影2018」で上映)も斬新な作品だった。そして『薄氷の殺人』(’14)で世界をあっと言わせたディアオ・イーナンの新作『鵞鳥湖の夜』も、安定の面白さだ。共通してるのは時代設定だろうか。現在ではなく、一昔前。中国に住んでいなくとも、どこかノスタルジーを感じる世界観。この映画の時代設定は2012年で、習近平が最高指導者になった年である。

前作とは打って変わって、季節は夏。南方の湿った風が吹いている土地が舞台だ。ネオン、屋台街が旅の郷愁を感じさせ、引き込まれる。劇中では武漢方言が話されてるようだが、架空の場所らしい。ギャングの抗争に巻き込まれ、逃走中に警官を撃ってしまったことで指名手配されるチョウ。彼は自分にかけられた報奨金を苦労をかけた妻に渡そうと画策するが、約束の場所に現れたのは、グイ・ルンメイ演じる謎の女アイアイだった。

彼女は鵞鳥湖周辺にたむろする“水浴嬢“といわれる風俗嬢で、どうやら報奨金を横取りしようとするホアという男と繋がっている。髪を短く刈り込んだヘアスタイルは彼女を一層細くみせ、独特の魅力を醸し出している。前作の無口なクリーニング店の女とは違って、かなり能動的である。彼女の意図が掴めぬまま、しかし、彼女にすがるしかないチョウ。ワンタン屋での食事、湖上の憩いのひと時も束の間に、敵対するギャング、警察の捜査に追いつめられて行く。はたして報奨金の行方は…?

『薄氷の殺人』では”ヤメ刑”だったリュウ・ファンが再び刑事役として登場したり、『ロングデイズ・ジャーニー』の主演ホアン・ジュエがカメオ出演していたりと、心憎い演出。チョウの妻(レジーナ・ワン)が働く家具屋倉庫に並ぶ「鏡」や、クライマックスの雑居ビルのシーン、闇と影の使い方、斬新なカメラワーク。何となくオーソン・ウェルズの作風、とりわけ『上海から来た女』(’47)を思い出してしまうのは私だけだろうか。前作同様、ラストに哀切が満ちている。

(★★★☆ カネコマサアキ)


2020年9月19日土曜日

バナナパラダイス

台湾の歴史のうねりの中、必死に生きる人々の姿をユーモアを交えて描く 
ワン・トン監督作品 劇場初公開(デジタルリマスター版)




香蕉天堂/Banana Paradise

1989年/台湾
監督:ワン・トン(王童)
脚本:ワン・シャオディー、ソン・ホン
出演:ニウ・チェンザー、チャン・シー、ゾン・チンユー、リー・ニン、ウィン・イン
配給・提供:オリフィルムズ
上映時間:148分
公開:2020年9月18日(金)ー11月13(金) 台湾巨匠傑作選2020 にて上映 新宿K’s cinema
HP:https://taiwan-kyosho2020.com

●ストーリー 
 1949 年、幼馴染みで兄貴分のダーション(チャン・シー)を頼って国共内戦中の国民党軍に潜り込んだ青年メンシュアン(ニウ・チェンザー)は、荒涼たる山東省から、バナナが実る緑豊かな南国台湾へとたどり着く。
 ある日、その新天地で二人にスパイ容疑がかけられ、命からがらその場を逃げ出す。ダーションと離れてしまったメンシュアンは途中、ある男の臨終に出くわし、まだ赤ん坊の息子を抱えていたその妻ユエシャン(ゾン・チンユー)に彼女の夫になりすまして仕事に就くことを持ち掛けられる。メンシュアンはその夫の外国語大学の卒業証書の写真を自分の写真を貼り替え、新しい職場に潜り込むのだが・・。


●レヴュー 
 台湾ニューシネマの巨匠の一人、ワン・トン監督の作品『バナナパラダイス』。戦後台湾に続いた混沌とした時代、その中で翻弄され、紆余曲折ありながらも必死に生き抜こうとする人物の姿を涙あり笑いあり、ユーモアと時には風刺を交えながら描いている。 
 冷涼とした山東省から、南の「バナナ天国」に憧れて台湾へやってきた兄弟分の二人。何でも器用にこなして上手く立ち回るダーションに対し、ちょっと間が抜けている弟分のメンシュアンだが、二人は助け合い何とか台湾に身を落ち着けていた。ところが適当につけた偽名から共産スパイと間違えられ逃げ回ることになってしまう。物語の中で、数々のエピソードが展開されるのだが、そこには、二人が逃げ回る先の地方都市、バナナ園が広がる南国の田舎、台北の様子などが描かれ、当時の社会情勢、市井の人々の生活の様子や当時の流行、また故郷への思慕の念なども盛り込まれている。捕まって拷問を受けるなど辛い目にも合うのだが、兄弟分として最後まで続く二人の情合い、バナナ農家に身を寄せるシーンは人情味に溢れ、台湾の人々の暖かさ、大らかさも感じられる。メンシュアンを演じたのは、のちに『軍中楽園』『モンガに散る』でメガフォンをとった若き日のニウ・チェンザー。ちょっと頼りない男をひょうひょうと演じていて印象深い。

 当時は、国民党と一緒に台湾へ渡ってきたいわゆる外省人がいて、国民党時代には、共産スパイの嫌疑をかけられたのも外省人が最も多かった。監督自身も家族で台湾へ渡ってきていて、自分たちの親世代の物語を映画に収めたかったという。そうして作られた「台湾近代史3部作」の2作目がこの『バナナパラダイス』で、1作目は『村と爆弾』(87年)、3作目が『無言の丘』である。市井の人の人生に起きた出来事を描いた本作品だが、出処を隠し、名前を変え、身分を偽って台湾で生き延びていった人々が、小さなエピソードを積み重ねて、台湾の戦後の歴史を支えてきたことを改めて知ることができる。

 ホウ・シャオシェン、エドワード・ヤン、ツァイ・ミリャン監督といった台湾ニューシネマの巨匠らの作品とは、別な視線から台湾の姿を描いている本作。ホウ・シャオシェン監督の『非情城市』と同じ年に発表された作品だが、今回が日本初公開。デジタルリマスター版として観ることができるのは本当に嬉しい。今回で第5弾になる台湾巨匠傑作選2020では、台湾ニューシネマから最近作までを公開している。(★★★★加賀美まき)

2020年9月15日火曜日

ヴィタリナ

リスボンの移民街、カーボ・ヴェルデから来た一人の女性が人生を語り始める



Vitalina Varela


2019年/ポルトガル

監督:ペドロ・コスタ

出演:ヴィタリナ・ヴァレラ、ヴェントゥーラ、マヌエル・タヴァレス・アメルダ

配給:シネマトリックス

上映時間:130分

公開:2020年9月18日(金) ユーロスペースにてロードショー、全国順次公開

HP:https://cinematrix.jp/vitalina/



●ストーリー


 ひとり、カーボ・ヴェルデからに夫の住むリスボンにやってきたヴィタリナ(ヴィタリナ・ヴァレラ。ポルトガルに出稼ぎに行った夫が、いつか自分を呼び寄せてくれると信じて待ち続けていた。しかし、夫ジョアキンは数日前に亡くなり、既に埋葬されていた。

 ヴィタリナは亡き夫の痕跡を探すかのように、移民たちが暮らすフォンタイーニャス地区にある、夫が住んでいた部屋に留まる決意をする。そして、その部屋の暗がりで自らの波乱に満ちた人生を語り始める・・。



●レヴュー 


 アフリカのカーボ・ヴェルデで暮らしていたヴィタリナ。出稼ぎに出ていた夫の危篤を聞き、ひとりポルトガルのリスボンの空港に降り立つ。暗闇の中から浮き上がるヴィタリナの姿、不安げなその表情に強烈に惹きつけられる。夫との再会を待ち望んでいた彼女だったが、夫はすでに亡くなっていて、葬儀は3日前に終わっていた。


 亡き夫の面影を辿るように、彼女はポルトガルに残り、夫が住んでいた貧しい移民街フォンタイーニャスの家に住み始める。物語は、ほとんどがこの石造りの住まいの中で進んでいく。昼なのか夜なのかもわからない漆黒の画面とその一部に差し込む強い光とのコントラスト、画面ごとに見事に計算された構図になっている。闇の中では、どこに誰がいるのか、何をしているのかなかなか見えてこないが、不意に人物が現れ、光に照らし出される表情や仕草からそれぞれの心気を読み取っていく。微かな光の中に浮き上がる写真や十字架、花、蝋燭やヴィタリナの衣装なども物語を消化する手がかりとなる。登場人物は静寂の中で呟くように自身を語るので、その言葉を繋いで少しずつ物語を理解していく。全ての場面で五感を研ぎ澄まして映像を向かい合うことになり、何とも言えない深遠な時間が続いていく。


 ヴィタリナ本人、夫を埋葬したという神父、近隣の男たち、夫の最期を看取ったという若い夫婦など、出演者によって考えられたという台詞は、意味深長。訥々とした語られる言葉から、主人公の過酷な生き様や心の機微が少しずつ明からになっていく。人の生死感が浮き彫りにされる中で、ヴィタリナが夫の死を受け入れ、次第に闇が解かれて光が見えてくるという演出は見事だと思う。光が溢れるラストシーンが印象に残る。

 ポルトガルの鬼才『ヴァンダの部屋』ペドロ・コスタ監督の強烈な個性、ヴィタリナを演じたカーヴィタリナ・ヴァレラ(彼女自身もカーボ・ヴェルデからの移民)の鋭敏な演技によって稀有な作品が生み出された。商業的な作品とは対極、また芸術系の映画とも異なり、見る人によって捉え方も評価も変わってくると思う。ロカルノ国際映画祭2019で、金豹賞(グランプリ)と女優賞をダブル受賞した。(★★★☆加賀美まき) 

2020年9月10日木曜日

ブリング・ミー・ホーム 尋ね人

失踪した子どもを探し続ける母のドラマ



Bring  Me Home

2019年/韓国
監督・脚本:キム・スンウ
出演:イ・ヨンエ、ユ・ジェミョン、イ・ウォングン、パク・へジュン
配給:ザジフィルムズ、マグザム
上映時間:108分
公開:2020年9月18日(金) 新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
HP:www.maxam.jp/bringmehome/


●ストーリー 

 ソウルの病院で看護師として働くジョンヨン(イ・ヨンエ)。6年前、当時7歳の息子ユンスが公園で失踪し、夫のミョングク(パク・ヘジュン)と共に捜し続けている。夫婦で支え合いながら日々を送る中、捜索中に悲劇的な事故が起こる。突然の出来事に、憔悴しきるジョンヨン。そんな彼女の元に、ユンスの目撃情報が寄せられる。桃のアレルギー、耳の後ろの斑点、やけどの痕、そして足の小指の副爪(ふくそう)――。目撃された少年とユンスの特徴は一致しているようだ。その情報に一縷の望みをかけ、ジョンヨンは、ユンスに似た少年・ミンスのいる《マンソン釣り場》へと向かう。
 釣り場を営むのは、老夫婦と、夫を亡くした女性と息子の親子、そして何名かの従業員たち。しかし、彼らに尋ねても「ミンスなんて少年は知らない」の一点張り、さらに、地元警察のホン警長(ユ・ジェミョン)でさえ、ミンスの存在を隠そうとしているかのようだ。引き下がれないジョンヨンは、その夜、一家が寝静まった頃を見計らい釣り場の一角にある家に侵入するが…。

 
●レヴュー 

14年振りのスクリーン復帰、変わらないイ・ヨンエの魅力

 失踪した息子を探し続ける母を演じるのは、「宮廷女官チャングムの誓い」で国民的スターになり、パク・チャヌク監督の「「親切なクムジャさん」での圧倒的な存在感を残したイ・ヨンエ。14年ぶりのスクリーン復帰作になるが、彼女の可憐かつ凛とした美しさは健在。その中に芯の強さや凄みを見せる演技が本作でも際立っている。TVドラマの復帰作「師任堂(サイムダン)、色の日記」でも韓国の良妻賢母の鏡、申師任堂(韓国5万ウォン札の肖像)を演じ、良家の出の才媛でありながら、労苦の絶えない母役が印象的だった。彼女自身、結婚、出産を経て母親役に説得力が増している。本作も子どものために奮闘する彼女の姿に引き込まれる。
 
 劇中、母は必死で子どもを探すのだが、嘘の情報や、親戚の食言によって追い詰められていく。そして、似た子どもがいるという情報を頼りに海辺の釣り場に行き着くのだが、そこを営む家族や従業員たちも、連れてきた子どもを虐待まがいに働かせている醜悪な輩だった。その中心人物、不徳な地元の警察官を演じるのはユ・ジェミョン。話題のドラマ「梨泰院クラス」では、主人公の敵役をこれでもかと嫌らしく演じるなど、このところ様々な癖のある役を演じて存在感を増している。本作での、自分の領域を侵害され、ひと一倍警戒感を露わにする怪演ぶりは、イ・ヨンエ演じる母との対比で見どころの一つになるだろう。

 韓国映画らしい激しく容赦のない演出と二転三転する展開は面白いのだが、後半は凄惨なホラーの様。人身売買、児童虐待、DVなど様々な社会問題を絡めていながら、それらの視点はどこかに消散してしまった。子どもの失踪事件はあとをたたず、日本でもキャンプ場で女児が姿を消した事件が記憶に新しい。原題は「私を探して」。ラストシーンを見てこの原題がやっと腑に落ちた。子どもの失踪と子どもを探す母親の姿を追った作品として、大人の無関心さや子どもを取り巻く問題へのアプローチがもう少しあればよかったと思う。(★★★☆加賀美まき)


母の話がかすむほどの釣り場の人々の鬼畜ぶり

 基本的には失踪した子供を探す母親の話だが、鑑賞後に印象に残るのはむしろ“悪役”とも言える釣り場の人々だ。失踪した子供によく似た少年が、この釣り場で働いているのだが、それが児童労働を通り越して“虐待”と言えるほど酷い扱いを受けている。変態従業員が少年を海に蹴り落とすところなど、「韓国映画、子供といえども容赦ないなー」と驚くほど。

 釣り場で働く人々はみな保身しか考えない鬼畜ばかりだが、そこから見えてくるのは「生活に余裕のない所(選択肢のない所)では、立場の強いものがより弱いものから搾取する」という構造だ。一番下はもちろん奴隷のように使われている身寄りのない子供、その上が安い賃金で働かせられている前科者、その上の釣り場の一家でさえ地元警察に賄賂を払わなければならない。では警察が巨悪かというとそうではなく、所詮田舎の警察なので得た金も小遣い稼ぎ程度なのだ。

 そんな連中の中に憔悴しきった主人公が放り込まれるのだから、後半はもはやホラー映画。といっても、鬼畜一家は犯罪を犯したいのではなく、違法行為を暴かれたくないだけ。彼らも突然現れたよそ者に精神的に追い詰められていくのだ。

 たぶん脚本が上手くない(雑)のか、話が目移りしたのか、「失踪した息子を探す母」を描く以外の要素(場面)が強くなり、作品としては変なバランスになってしまった。まあ、そこが面白い本作なのだけど。(★★★前原利行)

2020年9月1日火曜日

おかえり ただいま

「名古屋闇サイト殺人事件」

 社会に衝撃を与えた残虐な事件から13年、その深層に迫るドキュメンタリー




2020年/日本     
監督・脚本:齋藤潤一
出演:齋藤由貴、佐津川愛美、浅田美代子、大空眞弓、須賀健太
配給:東海テレビ
配給協力:東風
上映時間:112分
公開:2020年9月日19日(土) ポレボレ東中野にてロードショー ほか全国順次公開
HP:https://www.okaeri-tadaima.jp


●ストーリー  
 2007年8月24日深夜、帰宅途中の女性が拉致、殺害され、山中に遺棄された。犯人は、携帯電話のサイト“闇の職業安定所”で知り合った3人の男たち。マスコミの報道は過熱、母は加害者全員の死刑を望んだ。しかし、立ちはだかったのは「1人の殺害は無期懲役が妥当」という判例。母は街頭に立ち、極刑を求めて約33万筆の署名を集めた。裁判は1人が死刑、2人に無期懲役。その後、無期の1人に別の強盗殺人の余罪が発覚し、死刑が確定した。

●レヴュー 
 2007年に起きた「名古屋闇サイト殺人事件」である。帰宅途中の女性が拉致、殺害され、山中に無残に遺棄された残忍な事件。すぐに犯人は逮捕されるが、面識のなかった男3人が、ネット上の闇サイトを通じて集まって犯行に及んだというあまりに短絡的な事実に、当時、強い憤りを感じたことを覚えている。
 本作は、『人生フルーツ』『さよならテレビ』など、さまざまな社会問題を取り上げてきた東海テレビの制作。2009年に一度この事件を扱った番組を放送しているが、さらなる取材、そして新しい映像が加えられ、より被害者に寄り添った内容に再構成されている。 
 
 前半は、ドラマ映像で被害者となった女性と家族の姿を映し出す。被害者は、まだ赤ちゃんだった頃に病気で父を亡くし、母と祖母の愛情を受けて育てられた女性。人一倍母を大切に思って成長していった。母は、女で1つで娘を育てながら、大きな家を買うという夫との約束を果たそうと、懸命に働いてきた。お互いを思いやりながら、絆が紡がれていく。なにげない日常のやりとりから二人の心情が汲み取れる。斉藤由貴、佐津川愛美らの、実際の人物に添った真摯な演技が、再現ドラマをを実直なものにしている。事件の背景を追うだけでなく、被害者家族の姿を知ることが、このドキュメンタリーではとても重要な意味を持っている。

 後半は、突然娘の死を知らされた母親の姿を追う。裁判では、一人の殺害ならば死刑ではなく無期懲役が妥当、自首したものは情状酌量するという非常な司法判断が下される。3人に極刑を望む母は、署名活動を行い、運動は全国に広がりを見せていく。母と娘に流れていたかけがえのない時間、前半の二人のドラマを重ねることで、母の強い思いを知ることができると思う。そして、娘にも母のために絶対守りたいものがあった。絶望の中で犯人に教えた嘘のキャッシュカードの暗唱番号「2960」。恋人とよく語呂合わせを楽しんでいた被害者が、この番号に込めた意味に胸が締め付けられる。

 その一方で、加害者の男の生い立ちもドラマで構成し、事件の背景にある問題を浮かび上がらせている。タイトルの「おかえり ただいま」は、家族の間では不断の挨拶だが、加害者にその言葉を交わす大人はなかった。人は二つの命を持って生きているという。ひとつは自分の人生、もう一つは誰かの心の中で生き続ける人生。誰とも心から繋がれずにいた加害者の結末。最後は、死刑となった加害者の父の取材で終わっているが、本作品には、死刑存廃論を超えて、「家族」の意味をあらためて考えさせられる。
 監督は「死刑弁護人」など「司法シリーズ」を手掛ける齊藤潤一で、本作は東海テレビ・ドキュメンタリーシリーズの第13弾になる。辛い日々は忘れたいが、事件は風化させたくないと語る母親の言葉に沿う、事件を記憶に刻む秀逸なドキュメンタリー作品となっている。(★★★☆加賀美まき)