2018年7月13日金曜日

乱世備忘 僕らの雨傘運動




監督:陳梓桓(チャン・ジーウン)
公開:7月14日(土)ポレポレ東中野ほか全国順次公開

■レビュー

2014年9月26日、香港の中高校生・大学生を中心に始まった雨傘運動。その動向を心配しながらSNSを注視していた人も多いことだろう。この映画は当時27歳の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督がある若者グループとともに活動した雨傘運動の記録である。
                  
話題になった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、周庭(アグネス・チョウ)ら中高生による組織「学民思潮」のリーダーシップにも驚かされるが、旺角(モンコック)に陣取り集まった普通の大学生たちも、それぞれ自分たちの意見とヴィジョンをしっかり持っている様子。物資の調達から後輩たちへの講義まで、手慣れた様子で事を進め、語り合い、助け合っている。どちらかというと学園祭のノリもあるが、長期戦を見込んで力の加減を計算してるかのような印象も受ける。

話は随分と遡るが、僕は1996年の国慶節に北京・天安門の国旗掲揚を中国人民に混じって眺めたことがある。「香港返還まであと何日」という掲示板が掲げられ、浮き足立った中国国内の雰囲気と「天安門事件」の記憶で複雑な感傷に浸ったのを覚えている。それは天安門で民主化を訴えた学生たちと同世代であったことに理由がある。また、旅から帰るとウォン・カーワイ(上海からの移民)作品にのめり込んだ。映画は期待と不安が入リまじっていた香港を活写していた。遠い将来何かが起きるかもしれないが、今は気にすることない、当時はそんな思いだった。返還の前後、カナダや豪州へ移民・脱出という選択をとった香港人もいた。ある意味その行動は正しかったともいえるが、香港市民が中国社会を変えて行かなければ、一体誰が?という思いが僕にはあった。
 
本編の中にも、息子の運動参加を快く思わない親・親戚が出て来る。経済的に中国に依存せざるを得ない現状、あるいは親世代が元々大陸からの移民、または新移民だったりと、自己矛盾と逡巡を抱え、政治運動には消極的な人が大半だ。それゆえに、まったく新しい世代による今回のアクションは”フレッシュ”意外の言葉がみつからない。香港市民と大陸人民、どちらが虐げられて良いわけでもない。自分たちだけの権利だけを守るのではなく、中国を巻き込む変革の旗手であってほしいという願いが僕にはある。彼らなら、何か柔軟な方策を見つけてくれるのではないか、という期待感がある。

残念ながら、政治的には敗北に期したが、世界に、そして中国当局に与えたインパクトは大きい。先日のワールドカップ日本代表じゃないが、次につながる敗北だといっていいかもしれない。周囲を見渡せば(足下も、だ)、強権的独裁をふるまう首脳ばかり。民主主義がいつまでもあると思うのは幻想かもしれない。アジアのリベラル勢の連帯が求められる。
(カネコマサアキ★★★☆)

■関連事項

事の発端は同年8月31日、2017年から導入されるはずの「普通選挙」に対して中国当局が下したある決定だ。中国の全人代常務委員会は「行政長官候補は『指名委員会』※で認められなければ選挙に出馬できない」とし、事実上民主派を選挙から排除したのだ。50年間は「一国二制度」を遵守する、という約束を早々に反故にするものだ。
※『指名委員会』は様々な業界から選出された1200名からなるが、過半数以上が親中国派で占められている。結局、2017年の行政長官選挙で親中派の林鄭氏が当選した。

 事態の深刻さから、香港の中高校生・大学生は授業をボイコットし、「真の普通選挙」を求めるデモを行う。また戴 耀廷(ペニー・タイ)香港大副教授の提案で10月1日の国慶節に計画されていた香港の金融街、中環(セントラル)を占拠する「セントラル・オキュパイ」を前倒しで実行する。場所も中環から金鐘(アドミラルシティ)へ移された。一方、九龍半島側の旺角(モンコック)でも占拠が始まり、カメラはここに居を構える学生グループを中心にとらえている。


山形国際ドキュメンタリー映画祭2017・小川紳介賞受賞
第53回台湾金馬奨・最優秀ドキュメンタリー賞受賞

バトル・オブ・ザ・セクシーズ



2018年 アメリカ
監督:ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス(『リトル・ミス・サンシャイン』)
出演:エマ・ストーン、スティーヴ・カレル
配給:20世紀フォックス映画
公開:TOHOシネマズ シャンテにて公開中

■ストーリー

 1973年、9月10日。女子テニスプレイヤーのチャンピオンのビリー・ジーン・キングと、元男子チャンピオンのボビー・リッグスが、多額の賞金と”女”と”男”のプライドを懸けて対戦した。全世界が見守る中、”バトル・オブ・セクシーズ”(性差を超えた闘い)が幕を開ける…。

■レビュー

こんな対戦が70年代のアメリカであったのか。
女子と男子が(年齢差はあるとはいえ)真っ向から勝負するなんて、今の感覚からするといささか滑稽に見えるが、マスコミの煽りやテニス協会の横槍、男性至上主義者たちの冷やかしに戸惑いながらビリー・ジーン・キング(名前にキングがついてるが女性である)は世紀のゲームマッチに挑んで行く。

テニスに詳しい人ならビリー・ジーン・キングの輝かしい業績は周知なのかもしれない。彼女は仲間とともに全米テニス協会を脱退し、女子テニス協会を立ち上げた。女子の優勝賞金が不当に安く(男子の1/8の金額だった)、男女平等を求めた末の行動だった。このゲームは、女子プレーヤーの地位向上ばかりでなく、フェミニズム運動の盛り上がりを象徴するような出来事として、人々の記憶に残っているようだ。

興味深いのはビリー・ジーン・キングの私生活だ。献身的な夫がありながら、別の人物に惹かれ、本当の自分を見いだして行く。実はLGBTQの問題を孕んでいるのだ。意外な背景に消化不良を起こしそうになるが、これが実話というんだから驚いてしまう。最近のMeToo運動の告発を見るにつけ、男女平等という点で果たして時代は進歩してるのだろうか?と訝しがってしまうが、先人たちの闘いに教えられることも多いはずだ。

(カネコマサアキ★★★☆)

■関連事項

この映画の試写を見る前日に、たまたまETV特集『Love1948-2018 多様な性をめぐる戦後史』という日本のセクシャル・マイノリティを検証したドキュメンタリーを見たせいか、とても連動感があった。機会があれば見てほしい。アメリカで言えば、フェミニズムもゲイ・プライドも50-60年代の公民権運動の流れにあるのだろうか。