2021年12月31日金曜日

なれのはて


フィリピンのマニラ。貧困地区で暮らす困窮邦人たちがいる。その中の4人を、およそ7年に渡って撮り続けたドキュメンタリーだ。

落ちぶれた生活といえばそうだが、そこには日本では得られない幸せもある。

 


監督:粂田剛

出演:嶋村正、安岡一生、谷口俊比古、平山敏春

製作年:2021

製作国:日本

配給:プライトホース・フィルム

公開:20211218日より新宿K’s cinemaほか

上映時間:120

公式HPhttps://nareno-hate.com/

 

ストーリー

 

マニラの貧困地区で、ひっそりと暮らしている日本人の老人たち。フィリピーナにはまり、離婚してフィリピンにやってきた元警察官。しかし脳梗塞からフィリピン人妻に逃げられ、今は社会の片隅で何とか暮らしている。退職後、マニラで内縁の妻と10年近く同居生活を送り、細々と日本人ガイドの仕事をしている者もいる。日本で事件を起こし、マニラにやってきたが、お金がなくなって路上生活をしていた元暴力団員。フィリピンで持ち金を全て無くし、その場の仕事で食い繋ぐも、今は結婚して子供もいる者。みな、生きていくのにギリギリの生活だが、彼らは日本に戻る道は選ばない。


レビュー

 

3回東京ドキュメンタリー映画祭で長編部門グランプリと観客賞をダブル受賞した作品。映像作家の粂田剛が、2012年から2018年の間、マニラで暮らす4人の困窮邦人たちを18回に及ぶ取材で撮影したドキュメンタリーだ。

 

僕は海外へよく行ったが、現地で生活したことはない。だからいつも海外は旅行者の目線だ。そんな僕でもたまに、現地に住んでいる邦人たちと接触することはある。働いている若者も入れば、現地で結婚して住んでいる者もいる。しかし東南アジアで現地妻と暮らしている男たちは、他の国で結婚して暮らしている邦人たちとは、どこか雰囲気が違う。

 

「なれのはて」というすごいタイトルだが、実際に映画は本人が自業自得で選んだ末の貧しい境遇を映し出す。そして当の本人たちも、カメラに撮られながら自嘲気味にだがそれを自覚している。だが、彼ら自身が不幸せと感じているかどうかは別だ。おおむね現在の境遇になったことを後悔していない。誰かへの恨みつらみはないのだ。

 

困窮老人たちは日本にもいる。多分、それと比べても彼らの生活はかなり厳しい。それはその年齢以上の見た目の老け具合や、ボロボロになった歯並びからもわかる。彼らの年齢が僕とそう変わり無いのに、70歳代に見えてしまうことに驚いた。過酷な生活や栄養状態、あるいはドラッグによるものなのかもしれない。とにかく彼らは、日本の同年代の老人よりも老けて見えるのだ。

 

特に気になったのは、歯の抜け具合だ。日本だったら医療補助や生活保護を受けて治すのだろうが、フィリピンで保険に入っていない彼らは、歯の治療は高額になるので治せないのだろう。具合が悪くなっても、病院に行くにはお金がかかるのだ。

 

では日本に帰って来ればいいじゃないかと思う人もいるだろう。

しかし彼らはすでに日本には居場所がない。居場所は単に物理的な場所ではない。他者との関係性が大事だが、その関係が日本ではもうないのだ。一度戻った者も居心地が悪く、またマニラの貧困地区に戻ってきてしまっている。

 

そんな彼らがマニラに住むのは、快適な暮らしのためではなく、人として付き合ってくれる人々が周囲にいるからだ。日本で多少いい暮らしができても、独居老人となり精神を病んでいく人もいる。それに比べれば、彼らの方がよほどまだ社会の中で生きている。とはいえ、貧乏は貧乏で、その生活は決して楽ではない。

 

ショックなのは、映画の後半になると、亡くなって行く人もいること。「〇〇さんなら、先月亡くなりましたよ」という感じなのだ。人生の終わりのそのあまりのあっけなさに、こちらも動揺してしまう。そして、彼らの生涯を単純に良かったとも悪かったともいえないが、自分ならどうしようと考えるのだ。

 

★★★前原利行)

 

2021年11月9日火曜日

茲山魚譜 チャサンオボ

生きる意味を追い求めた師弟の、実話を基に描いた感動の物語



자산어보/The Book of Fish


2021年/韓国

監督:イ・ジュニク

脚本:キム・セギョム

出演:ソル・ギョング、ピョン・ヨハン

配給:ツイン

上映時間:126分

公開:2021年11月19日(金)より 新宿武蔵野館他全国順次公開

HP:https://chasan-obo.com


●ストーリー 

 19世紀初頭の朝鮮王朝時代。22代国王正祖の没後、天守教(キリスト教)が弾圧され、信者たちが迫害を受けていた。有能な学者で、天主教信者でもあった、丁三兄弟の長兄・若銓(ヤクチュン/ソル・ギョング)も最果ての黒山島に流罪となってしまう。

 豊かな海と自然に恵まれた島で海の生物の魅力に目覚めた彼は、庶民のための海洋学書を著したいという新たな目標を見つける。そして島で最も海の生物に詳しいが、貧しく学問への欲求を満たせない若き漁師昌大(チャンデ/ピョン・ヨハン)と出会い、二人は友情を築いていく。



●レヴュー 

 『茲山魚譜』とは、19世紀初頭の朝鮮時代、優れた学者であった丁若銓(チョン・ヤクチュン)によって書かれた海洋生物の博物誌。その序文に、魚や海藻などに詳しい昌大(チョンデ)という青年の助言によって完成されたと記されている。本作は、その実話に基づく物語である。


 主人公の一人、丁若銓。優れた学者だったが、天主教徒への厳しい弾圧によって黒山島に配流となってしまう。最果ての島は決して豊かではなかったが、素朴な島民たちは彼を温かく迎え入れる。美しい自然に囲まれた島で日々を送る中、海の生物への興味を掻き立てられた若銓は、わかりやすい博物誌を記したいと思うようになる。だが情報は乏しく、一筋縄ではいかない。

 もう一人の主人公は漁師の青年、昌大で、海の生物の知識を人一倍豊富に持っていた。優れた能力があったが、暮らしは貧しく、島では新しい本を手に入れることもできない。両班の父に認められずに育った彼は、向学心を満たすことも島から出ることもできずにいた。若銓は学問を教える代わりに、昌大に海の知識を教えて欲しいと協力を持ちかける。そうして、身分を超えた二人は互いを必要として師弟の絆を深めていく。その出会いと行末が、島のゆったりと流れる時間に身を任せるように訥々と描かれている。

 

 その二人を演じる、ソル・ギョングとピョン・ヨハンが見事。意外にも本作が時代劇初出演というソル・ギョングの上手さは言うまでもないが、島で生きることになり、その後『茲山魚譜』を書き上げた老練な学者を粛々と演じている。時にはお茶目な姿も見せる演技は、至高の境地にも思える。

 そして、ピョン・ヨハン。大ヒットドラマ『未生(ミセン)』で広く知られるようになり、その後は幅広い役柄、硬軟どちらもこなせる注目の若手俳優である。ソル・ギョングに一歩も引けを取らない演技で、向学心を持ち、島から出たいという野心を持ち合わせた青年を鮮やかに演じ精彩を放っている。

 自然豊かな島の情景も印象深い。撮影は、朝鮮半島南西端の島々で行われ、全編モノクロの映像が美しく、あたかも色があるような錯覚に陥る。色彩に目を取られないからだろうか。実力のある演者たちに恵まれ、演技の一挙手一投足に注視し、物語に吸い込まれる。厳しい状況下でも信念を持ちつづけた二人の主人公を揺るぎなく演じた二人の俳優。その相乗効果が、この物語を秀逸な作品にしていると思う。

 

 本作で登場する丁三兄弟は、朝鮮王朝時代の最大勢力「老論派」の対抗勢力で、実学を重んじる「南人」の一族。映画やドラマでは、22代王・正祖の側近で稀代の実学者、末弟・若鏞(ヤギョン)にスポットが当たることが多いのだが、本作の主人公、長兄・若銓の存在、天主教の迫害によって殉死した次兄・若鍾(ヤクチョン)ついては初めて知ることができた。若鏞が配流された全羅南道康津の茶山草堂や白蓮寺でもロケが行われている。「茲山」は「茲」は「黒」を意味しているそうで、「黒山」への畏れの気持ちから『茲山魚譜』と記したという。(★★★★加賀美まき)

2021年10月31日日曜日

花椒(ホアジャオ)の味

父の死をきっかけに異母姉妹が出会い、それぞれの人生に向き合い成長していく物語



花椒之味 / Fagara


2019年/香港
プロデューサー:アン・ホイ、ジュリア・チュー
脚本・監督:ヘイワード・マック
出演:サミー・チェン(鄭秀文)、メーガン・ライ(賴雅妍)、リー・シャオフォン(李曉峰)、リッチー・レン(任賢齊)、ケニー・ビー(鍾鎮濤)、アンディ・ラウ(劉德華)
配給:武蔵野エンタテイメント株式会社
上映時間:118分
公開:2021年11月5日(金)より 新宿武蔵野館他全国順次公開
HP:https://fagara.musashino-k.jp

●ストーリー 
 疎遠になっていた、父(ケニー・ビー)が、突然倒れたと連絡を受ける。娘のユーシュー(如樹/サミー・チェン)は、会社から病院に駆けつけるが、もう亡くなった後で話すことも出来なかった。
 残された父の携帯から、自分の名に似た知らない名前を見つける。葬儀の日、台北からプロのビリヤード選手でボーイッシュな次女ルージー(如枝/メーガン・ライ)、重慶からオレンジの髪色で表情豊かな三女ルーグオ(如果/リー・シャオフォン)が現れ、初めて3人の異母姉妹が顔を合わせる。
 香港島タイハンにある、父が経営していた火鍋店「一家火鍋」の賃貸契約はまだ残っており、解約すれば違約金が発生する。従業員もいる。ユーシューは、父の店を引き継ぐことを決心する。しかし、火鍋のレシピは誰も知らず、常連客の望む“父の麻辣鍋”のスープが作れない。客足は少しずつ遠のく。ルージー、ルーグオも駆けつけ、姉妹はなんとか父秘伝の味を再現しようと奮闘するのだが。

             コピーライト: ©2019 Dadi Century (Tianjin) Co., Ltd. Beijing Lajin Film Co.,
                 Ltd. Emperor Film Production Company Limited Shanghai Yeah! Media
                 Co., Ltd. All Rights Reserved.


●レヴュー 
 父と疎遠になっていた娘ユーシューは、突然の父の他界に当惑する。そして、父の携帯電話から自分と似た文字の名前を見つける。「パパ、元気?」「最近どうしてるの?」父と彼女らの親しげなやり取り。そこで初めて、存在の知らなかった二人の妹がいることを知る。父の葬儀で初めて顔を合わせた三姉妹。香港の長女ユーシュー、台湾で暮らす次女ルージー、重慶に住む末妹ルーグオ、暮らす場所も境遇も違う三人だったが、すぐに打ち解け合う。父の店を手放したくないと感じたユーシューは、契約満了まで、父の火鍋店を受け継ぐことを決心。妹たちも手伝いに加わり、店は賑わいを取り戻していく。そしてさまざま悩みを抱えていた三姉妹も自身を見つめ直し、成長していく。そんな姿が秀逸な脚本で小気味よく描かれている。

 物語の軸となるのは、長女のユーシューで、父の死、妹たちとの出会いをきっかけに、自身と父との関係を振り返っていくことになる。場面は過去と現在を行ったり来たりしながら、三人の娘を持つことになった父の生き方も徐々に紐解かれていく。店を引き継つぎ、少しずつ父に近づく彼女だったが、看板メニューの火鍋(これがとにかく美味しそう)に使う香辛料のレシピがどうしてもわからない。そんな日々を送る中、父との思い出は、さまざまな気づきを与えてくれる。そして、火鍋の隠し味にも気づくのである。それは人生も同じ。彼女は自分にとって大切なもの、足りなかったもの、人生に必要なひと添えが何かを知るのである。

 一度は母を捨てた父を許せず、父に頑なな態度をとってきた長女、裕福な相手と再婚した母に反発しているボーイッシュでクールな次女、老いた祖母の面倒を見ながら暮らすファッショニスタで可愛い三女。三人三様の三姉妹をサミー・チェン、メーガン・ライ、リー・シャオフォンが着実に演じていて気持ちがいい。長女ユーシューを見守る二人の男性、元婚約者を演じるアンディ・ラウ、父と長女を繋ぐきっかけにもなった医師役のリッチー・レンの二人が流石に魅力的である。

 そして、もう一つの鍵となるのは、三姉妹が育った香港、重慶、台湾という三様の中国語圏の都市が登場するところだろう。火葬される父を送る時にかける三人の言葉はそれぞれ違っていた。火鍋の中で香辛料が混ざり合い、花椒が溶け込んでいるように、台湾そして、中国という巨大な国の中には、さまざま人々の日々の営みがあることを知らされる。本作は、香港は大きなうねりが起きる以前、2019年の作品である。(★★★☆加賀美まき) 


2021年10月29日金曜日

MONOS 猿と呼ばれし者たち


南米の4000m級の山上、そして低地のジャングル。ゲリラ組織の命令で人質を預かる少年少女たち。しかし次第にその団結は崩れていく。

 

 




原題:Monos

監督:アレハンドロ・ランデス

出演:モイエス・アリアス、ジュリアンヌ・ニコルソン

製作年:2021

製作国:コロンビア、アルゼンチン、オランダ、スウェーデン、ウルグアイ、スイス、デンマーク

配給:ザジフィルムズ

公開日:20211030日よりシアター・イメージフォーラムほか

上映時間:102

公式HPhttp://www.zaziefilms.com/monos/

 

ストーリー

雲を見下ろす4000m級の山上。壊れたコンクリートの建物で、“博士”と呼ばれるアメリカ人女性の監視と世話をしている十代の8人の若者たちがいる。反政府ゲリラの組織に属している彼らは「モノス(猿たち)」と呼ばれ、組織のメッセンジャーと呼ばれる男が定期的に人質と彼らの様子を確認している。そんな彼らの団結は、組織から預かった乳牛のシャキーラを仲間のドッグが誤って撃ち殺してしまうことで崩れる。リーダーのウルフは責任を感じて自殺。二番手のビッグフットは、死んだウルフに罪をなすりつけた。やがて、“敵”の襲撃を受け、モノスは人質を連れて低地の熱帯雨林に移動するが…。


レビュー

 

本作は南米で50年続いた内戦を下敷きにした映画だ。中南米の反政府ゲリラは、必ずしも庶民の味方とは限らず、単にその土地の利権を政府と争う武装組織ということもある。例えば、政府が反米ならば、武器や資金は米国から供与され、親米ならロシアなどの共産圏がお金を出す。中には政権を奪う気は最初からなく、最初から資金目当てで組織を立ち上げることもある。また、武力でその地域を制圧すれば、そこから出るお金を吸い上げることもできるし、資金源となる麻薬の原料の栽培だってできる。人的資源に関しては、時おり村を襲い、子供をさらって洗脳すれば良い。疑いを持たない子どもの方が、冷酷な兵士になるのだ。

 

人里離れた山頂付近で人質監視の任務を受けた、武装した8人の少年少女たち。他の世界を知らない彼らは、おそらくさらわれて兵士にされたのだろう。親兄弟もいない彼らは純粋に組織を信じ、命令に従う。大人になる前の年齢だが、リーダーのウルフとその恋人のレディのように男女の仲になるものもいる。

 

組織にとって彼らの一番の役目は、人質の監視だ。中南米では誘拐ビジネスが横行している。それはイデオロギーでもなく、生活の手段だ。この“博士”と呼ばれている米国人女性がどうしてさらわれたのかの説明はない。監禁が長期に及んでいるらしいことは伝わる。ただし、人質が弱ったり死んでしまったりしたら元も子もない。だから8人のモノスは、彼女をそれなりに大事にしている。それに人質がいなくなったら、彼らを結束させている目的はなくなる。彼らはやがて、人質は組織ではなく、モノスのものであると考えるようになる。

 

彼らの力関係はリーダーのウルフの死により崩れていく。次のリーダーとなったビッグフットが、事件の責任を死んだウルフになすりつける。しかしウルフの弟分だったランボーは気が収まらない。やがてモノスたちたちは今までの高みから下界の熱帯雨林へと拠点を移す。すべてがすっきりとしていた山上とは違い、ここでは木々によって視界は遮られる。湿気と虫が不快感を増す。そこで7人になったモノスもバラバラになっていくし、人質も脱出を計る。

Mono」はスペイン語では「猿」だが、ギリシャ語では「単体」を意味する。つまりモノスは「孤独な者たち」だ。

 

ジャングルで崩れた彼らの団結の行く末はどうなっていくのか。ようやく最後になって画面に登場する“街”で、人間らしく生きることはできるのか。

 

神話と現実世界が混在したような場所。そこには都市に住んでいる私たちが忘れてしまった物語がある。映像と音楽も素晴らしくに、それに浸るだけでもおすすめだ。

 

★★★★前原利行)

 

2021年10月24日日曜日

『夢のアンデス』

『光のノスタルジア』『真珠のボタン』に続き、巨匠パトリシオ・グスマンがチリの弾圧の歴史を描いた三部作・最終章



The Cordillera of dreams
2019年/チリ・フランス
監督・脚本:パトリシオ・グスマン
配給:UPLINK
上映時間:85分
公開:岩波ホールで公開中。全国順次公開

*岩波ホールでは『チリの闘い』三部作含むパトリシオ・グスマン監督作品が11/19(金)まで特集上映中。
https://www.iwanami-hall.com/movie/


●ストーリー

1973年9月11日、チリ。米国CIAの支援のもと、アウグスト・ピノチェトの指揮する軍部による軍事クーデターが起きた。民主的選挙によって選出されたサルバドール・アジェンデの社会主義政権を武力で覆したのだ。ピノチェト政権は左派を根こそぎ投獄し、3000人を超える市民が虐殺された。
監督のパトリシオ・グスマンはアジェンデ政権とその崩壊に関するドキュメンタリー『チリの闘い』(77~79)撮影後、政治犯として連行されるも、釈放。フィルムを守るため、パリに亡命した。
「2度と祖国で暮らすことはない」と話すグスマン監督が『光のノスタルジア』(10)『真珠のボタン』(15)に続き、チリの歴史的記憶を探る三部作最終章。

●レヴュー

冒頭、サンチアゴの街並みから、アンデス山脈の山々を捉える空撮映像の美しさに息を呑む。
『光のノスタルジア』(10)ではアタカマ砂漠にあった収容所で亡くなった人々を、『真珠のボタン』(15)ではパタゴニアの海底に沈められた行方不明者たちを扱い、1990年まで続いたピノチェト政権の弾圧で死んでいった同胞たちの記憶を、古代や先住民の歴史と重ねて考察していた。三部作最終章は、チリ人の精神的支柱であるアンデスの山々を土台にして、ピノチェト政権後のチリを生きてきた人々にスポットを当てる。

インタビューに登場するのは、アンデスの原材料を使って作品を制作する彫刻家のビセンテ・ガハルドとフランシスコ・ガシトゥア。作家であるホルヘ・バラディッドは、現代チリのピノチェト政治の継続性について語る。強権的で新自由主義的な振る舞いは今も変わらないと言う。音楽家のハビエラ・パラは、子供の頃に目撃した暴力の思い出を話す。

中でも興味深かったのは、映像作家であり、アーキビストでもあるパブロ・サラスのパート。1980年代以降、国家による暴力行為を記録し続けている人物だ。国外から祖国を見つめるグスマン監督とは対を成すような存在のように見える。「記録することで、どんな時代だったのか次の世代に伝えたい。二度と過ちを繰り返さないために」とテープや機材で山積みになった部屋で想いを語る。80年代のデモ隊行進の姿から、国家警備隊(カラビネーロス)が警棒で人々を殴打する場面、市街での隠し撮りなど、彼の撮りためた粗い粒子のビデオ映像が生々しく雄弁にその悲劇を伝える。それは、学生時代に読んだガルシア・マルケスの『戒厳令下チリ潜入記』(86)を不意に思い出させた。

サンチアゴの街を俯瞰しながら「できることなら、数十年前に戻って一軒家を建てて住みたかった」とポツリと吐露するグスマン監督。祖国に対する夢と現実の複雑な思いも伝わってくる。アンデス山脈の岩肌に見る自然の強固な不変性。移ろいゆく人間の営み。隕石が見せる宇宙的時間。過去と未来を見据えたその詩的とも言えるドキュメンタリー手法は今回も健在だが、その孤高のスタイルは故郷喪失者ゆえに生み出されたものではないか、と改めて思う。

(★★★カネコマサアキ)


●関連情報

第73回カンヌ映画祭・最優秀ドキュメンタリー賞(ルイユ・ドール賞)受賞

*『光のノスタルジア』『真珠のボタン』については好評既刊「旅シネ 2000-2019 映画で旅する世界 21世紀のワールドシネマ」でも取り上げています。そちらも是非ご覧ください。

2021年9月9日木曜日

アイダよ、何処へ?

ボスニア紛争末期に起こった集団虐殺事件の真実に迫った、ヤスミラ・ジュバニッチ監督の渾身作


Quo Vadis,Aida?



2020年/ボスニア・ヘルツエゴヴィナ・オーストリア・ルーマニア・オランダ・ドイツ・ポーランド・フランス・ノルウェー・トルコ
監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ
出演:ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ、ボリス・レアー、ディノ・バイロヴィッチ
配給:アルバトロス・フィルム
上映時間:101分
公開:2021年9月17日(金)より Bunkamuraル・シネマ、ヒューマンとラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国順次ロードショー
HP:https://aida-movie.com


●ストーリー 

 ボスニア紛争末期の1995年7月11日、ボスニア東部の町スレブレニツァがセルビア人勢力の侵攻によって陥落。避難場所を求める2万人の市民が、町の外れにある国連施設に殺到した。国連保護軍の通訳として働くアイダは、同胞たちの命を守るため施設の内外を立ち回る。一方で、夫と二人の息子を強引に施設内に招き入れ、あらゆる手を尽くして家族を守ろうと奔走する。
 しかし、町を支配したムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力は、国連軍との合意を一方的に破り、避難民を“移送”し、おぞましい処刑を始める・・


●レヴュー 

 1992年に勃発したボスニア紛争は、1995年の終結までに約20万人の死者、200万人以上の難民を出す紛争となった。『サラエボの花』、『サラエボ、希望の街角』のヤスミラ・ジュバニッチ監督が描く本作は、その末期に起きた「スレブレニッツァの虐殺」を真正面から描いた作品である。主人公は、元教師で国連軍の通訳者、妻であり二人の息子を持つ母でもあるボシュニャク人のアイダ。彼女の目を通して、スレブレニッツァの街に攻め込むセルビア人、街を追われれ被害者ボシュニャク人、国連施設を統括していたオランダ軍、3者の動向が語られる。彼女の鋭い眼差しが最後までこの物語を引っ張り、印象深いものにしている。

 セルビアの武装勢力に追われたボシュニャク人は、オランダ軍が統括する国連施設に助けを求めて殺到する。その数2万人以上。施設に入りきれず、ゲートは閉じられる。アイダは、必死の行動で夫と息子を施設に入れ、ある意味なりふり構わず家族を守ろうと画策する。しかし、国連軍はなすすべもない。セルビア人勢力に押し切られ、避難民たちを移送するバスが到着する。アイダも家族と引き裂かれ、夫と息子たち男性らは「選別」されてバスに乗せられる。その非常な光景、そして村の建物に押し込まれ、彼らに銃口が向けられるシーンに胸が締め付けられる。
 
 数年後のスレブレニッツァ。アイダはかつて暮らした家を再び取り戻すため訪れる。見つかっていない家族を探しに、掘り起こされた遺骨を確認しに出向く。そして教師という自分の仕事に戻り、さまざまな背景を持つ子どもたちと向き合う日々が始まる。緊迫感のある展開と変わって、その後の物語は淡々と語られていくのだが、このことがとても意味深い。
 
 劇中、国連施設のゲート前で、一人のセルビア兵の若者がアイダを「先生」と呼ぶシーンがある。彼はかつての教え子で、息子の友人でもあった。ボスニア紛争では、同じ地に暮らす隣人同士が、銃口を向け合い、そして紛争後、人々は再び折り合って生きていくことになる。
 本作で、ボシュニャク人のアイダを演じたヤスナ・ジュリチッチはセルビア出身。その逆の配役もある。そのことに意義があるかと問われ、ジュバニッチ監督は、同じ言語を話し、共通の歴史を持っている自分たちにとって、そして映画にとっても、国は重要でないはずとはコメントしている。

 筆者は、3年ほど前にボスニア・ヘルツェゴヴィナを車で旅した。ボスニア・ヘルツェゴヴィナの周辺東部と北部に広がる、セルビア人主体のスルプスカ共和国に入ると、道路脇に立つ「スルプスカ共和国へようこそ」というキリル文字が書かれた巨大な看板が目を引いた。一方、スルプスカ共和国を出ると、二か国語表記の地名標識でキリル文字部分だけが黒いスプレーで消されたものがあった。民族が混在するヨーロッパでは、地域によって複数の言語表記の標識が設置されている。その一つが消されているというのは、時々見かける光景なのだが、手の届かないところにある標識まで消されてるものを見たのは、この地域が初めてだった。紛争は終わり四半世紀が経ち、かつて多民族が共存してきた地域は、様々な思いを残しながら、均衡を保っているように見えた。
 国境が見えず、民族という意識の薄い日本人には、本作はこの地域の情勢を知る機会になると思う。
 虐殺されたボシュニャク人は8000人以上。遺体はそのことを隠蔽するために埋め変えられて場所がわからなくなっていたという。今でも年に何体かの遺骨が発見され身元が特定されると、虐殺のあった7月11日に埋葬が行われている。(★★★★加賀美まき)

2021年9月6日月曜日

インディアンムービーウィーク2021 パート2

 インド映画の話題作を紹介する「インディアンムービーウィーク2021」の第2弾が、6月のパート1に続き、この秋開催される。

昨年急逝したイルファン・カーン最後の出演作『イングリッシュ・ミディアム』、少年院の更生に立ち上がる教師を描く大ヒットアクション『マスター 先生が来る!』など4作品が日本初上映。パート1で話題になった『グレート・インディアン・キッチン』など再上映作品を含め、全9作品がラインナップされている。




2021910()107()

場所:キネカ大森 

(924日からは名古屋・大阪・兵庫など全国11カ所で開催)

配給:SPACE BOX

料金:1800円均一

https://imwjapan.com/



【上映作品】



『イングリッシュ・ミディアム』(原題:Angrezi Medium










©Maddock Films, ©Skywalk Films



2020/ ヒンディー語/ 145

監督:ホーミー・アダジャーニア

出演:イルファーン・カーン、ラーディカー・マーダーン、ディーパク・ドーブリヤール


娘の留学を叶えようと奮闘する父を描く、ファミリーコメディー

ラージャスターン州ウダイプルで老舗菓子店を営むチャンパクは、早くに妻を亡くし、娘ターリカーを一人で育ててきた。ターリカーは、ロンドンの大学への留学奨学生に選ばれたが、父の迂闊な一言でチャンスを失ってしまう。志望校の留学生枠は埋まり、残るは英国市民向けの入学枠のみ。チャンパクはロンドンに住む旧友バブルーを頼り、ターリカー、いとこのゴーピーと共にロンドンに向かうが…。実力派俳優が勢揃いしたファミリーコメディ。昨年急逝したイルファン・カーン(めぐり逢わせのお弁当、ヒンディー・ミディアム)最後の出演作。



●『マスター 先生が来る!』 (原題:Master














© B4U Motion Pictures, © Seven Screen Studio, © X.B. Film Creators

2021/タミル語/179

監督:ローケーシュ・カナガラージ

出演:ヴィジャイ(ビギル 勝利のホイッスル)、ヴィジャイ・セードゥパティ(キケンな誘拐)、マラヴィカー・モーハナン、アルジュン・ダース


公開初週の世界興収第1位! 荒廃した少年院の更生に立ち上がる正義の教師

アル中気味の大学教授のJDは、自身が主張した学生会長選挙で起きた暴動の責任をとり休職、地方都市の少年院に赴く。一方、バワーニは、少年時代にギャングの手で両親を殺され、その後少年院での生活で辛酸をなめ、冷酷非道な非合法ビジネスの大元締めに成長していた。バワーニが支配する荒廃した少年院で、JDは少年たちの更生のために立ち上がる。大人気俳優ヴィジャイと注目俳優ヴィジャイ・セードゥパティを主役に据えた、勧善懲悪のアクションドラマ。



●『ラジニムルガン』 (原題:Rajinimurugan













© Thirupathi Brothers



2016/タミル語/155

監督:ポンラーム

出演:シヴァカールティケーヤン、キールティ・スレーシュ、ラージキラン、スーリ、サムドラカニ


極楽トンボのハッピー・マドゥライ生活

南インド、マドゥライに暮らすのんきな無職青年ラジニムルガンは、大きな屋敷に一人住む祖父に可愛がられていた。彼には幼少時からの婚約者カールティカがいたが、彼女の父親の心変わりで遠い町に送り出されていた。美しく成長し帰郷した彼女に、ラジニムルガンはあの手この手で彼女にアタックを試みる。祖父はそんな孫のために屋敷を売却しようとするが、そこに法定相続人を名乗る男が現れて…。人気俳優シヴァカールティケーヤンとキールティ・スレーシュ(伝説の女優 サーヴィトリ)によるカラフルなロマンチック・コメディ。



●『俺だって極道さ』 (原題:Naanum Rowdy Dhaan













© Wunderbar Films



2015/ タミル語/ 139

監督:ヴィグネーシュ・シヴァン

出演:ヴィジャイ・セードゥパティ(キケンな誘拐)、ナヤンターラ(ビギル 勝利のホイッスル)、パールティバン、ラーディカー・サラトクマール、


お洒落な街並みで巻き起こるスラップスティック復讐コメディ

ポンディシェリに住む青年パーンディは、警官の母親を持ちながら極道に憧れており、友達のドーシと一緒に「極道ごっこ」で小遣いを稼いでいた。ある夜、彼は聾唖の女性カーダンバリに出会い、一目惚れする。何とか彼女の心を開こうとするパンディだったが、彼女が求めたのは、幼少時のトラウマとなっている事件の首謀者である大物極道への仇討ちだった…。人気のヴィジャイ・セードゥパティとナヤンターラを配し、旧フランス領ポンディシェリのお洒落な街並みを舞台にした、異色の新感覚リベンジ・コメディ。ダヌシュ(無職の大卒)プロデュース作品。



その他の「パート1」再上映作品はこちら

https://ryokojintabicine.blogspot.com/2021/06/2021-1.html



2021年8月16日月曜日

Summer of 85

フランソワ・オゾン監督が描く、少年たちの運命の出会いと永遠の別れ。

映画制作の原点となった小説の映画化。



Summer of 85


2020年/フランス


監督・脚本:フランソワ・オゾン

出演:フェリックス・ルフェーヴル、バンジャマン・ヴォワザン、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ

配給:フラッグ、クロック・ワークス

上映時間:101分

公開:2021年8月20日(金)より 新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ、グランドシネマサンシャイン池袋ほか全国順次公開

HP:https://summer85.jp


●ストーリー

 1985年の夏のフランス。セーリングを楽しもうとヨットで一人沖に出た16歳のアレックス(フェリックス・ルフェーブル)は、突然の嵐に見舞われ転覆してしまう。その時、彼に助けたのは、18歳のダヴィド(バンジャマン・ヴォワザン)だった。二人は急速に惹かれ合い、友情を超えてやがて恋愛感情で結ばれる。アレックスにとってはそれが初めての恋だった。互いに深く想い合う中、ダヴィドの提案で「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」という誓いを二人は立てる。

 しかし、一人の女性の出現を機に、二人の気持ちはすれ違い始める。追い打ちをかけるように事故が起こり、ダヴィドは帰らぬ人となってしまう。悲しみと絶望に暮れ、生きる希望を失ったアレックスを突き動かしたのは、ダヴィドとあの夜に交わした誓いだった――。



●レヴュー 

 物語は、警察署のシーンから始まる。なぜあんなことをしたのかと問われる主人公のアレックス。その問いに、彼はダヴィドとの始終を語リ始める。ちょっと謎めいた始まりがいかにもフランソワ・オゾン監督らしい。

 フランスのノルマンディーの海岸沿いに暮らすアレックスとダヴィド。二人の出会いは、ある夏の日。アレックスのヨットが転覆し、それを助けたのがダヴィドだった。文章を書くのが好きで少し奥手、進路に悩みを抱えていたアレックス。一方のダヴィドは奔放で能動的。だが父親を亡くしどことなく謎めいた少年。二人は急速に近づき、互いに惹かれていく。自分にないものを相手に求めていたのだろう。突然訪れた胸の高鳴り、溢れ出る愛おしさの感情、そこから始まる切なさと苦しさ、危うさに悶える若者の姿をフランソワ・オゾン監督は瑞々しく見事に描き出している。

 

 監督が、10代の頃に読み影響を受けたというエイダン・チェンバーズの小説「おれの墓で踊れ」が原作。じっくりと35年の年月をかけてどう撮るかを練り、小説を読んだ当時の感情を重視して映像にしたという。作品は1985年の夏の出来事で、原題は「Ete 85(85年 夏)」。それは監督がこの小説を読んだ年とリンクしている。全編フィルムで撮影され、その質感は当時に撮影されたような雰囲気を醸し出す。衣装や、音楽からも当時の様子が伝わってくる。だが、不思議と年代を意識することはなく、物語に引き込まれる。しっかりとした物語の展開の中、二人の青年の心の機微を丁寧に追って描写しているからだろう。 


 その少年を演じた二人の若い俳優、フェリックス・ルフェーブル、バンジャマン・ヴォアザンが素晴らしく、また、二人の間に入り、重要な役所であるケイトを演じたフィリッピーヌ・ヴェルジュもフレッシュで魅力に溢れている。とりわけ、アレックスを演じたルフェーブルは、前半は、初恋に沸き立ちそして悶え苦しむ葛藤を、後半は恋と友情を失った失意の中、彼との約束を果たそうと苦しみ、やがて自身を見直していく姿を繊細に演じている。


 原作を拠り所として純粋に仕立てられたこの作品は、観る人の心を揺さぶり、またかつて心が高鳴ったり感傷的になったりした頃の記憶を呼び起こすだろう。フランソワ・オゾン監督のそうした手腕は秀逸だと思う。(★★★☆加賀美まき)