2020年11月17日火曜日

ホモ・サピエンスの涙

 33のエピソードで紡がれる、この時代に生きる人々への映像詩



About Endlessness

2019年/スウェーデン、ドイツ、ノルウェー、、
監督・脚本:ロイ・アンダーソン
出演:マッティン・サーネル、イェッシカ・ロウトハンデル、タティアーナ・デローナイ
配給:ビターズ・エンド
上映時間:76分
公開:2020年11月20日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
HP:http://www.bitters.co.jp/homosapi/

●ストーリー
 高台にあるベンチに座る男と女。鳥の群が飛んでいる。「もう9月ね」永遠に続きそうな、穏やかな時間が流れる・・。
 美味しい夕食で妻を驚かそうとしていた男。数年ぶりに再会した友人に声をかけるが無視される。彼の横をその友人が再び通り過ぎるがやはり無視されてしまう。
 ぼんやり別のことを考えていたウエイター。唯一の客にワインを注ぐが、溢れてどんどんテーブルに広がっていく。助けを呼ぼうにも店内には誰もいない。
 さまざな人たちの33のエピソードが紡がれていく。

●レヴュー 
 淡々としたナレーションに導かれて、小さな33のエピソードが続いていく。色彩を抑えたブルーグレートーンの画面。登場する人々の動きはおしなべて緩やか。表情の変化も言葉も少なめで、時折静止画を見ているのかと錯覚してしまう。そこに散りばめられているのは、時代も世代も異なるが、どこか(文章や映像の中かもしれないが)で見聞きしたような市井の人々の人間模様。そんな彼らの姿に次第に惹きつけられていく。短いエピソードの断片は、最初は詩的なものにも感じられるのだが、実は自分の近くで起きていたかもしれない、不器用な人間たちのありのままの姿だと気付かされる。映像の魔術師と言われるロイ・アンダーソン監督は、そんな人間たちの愛すべき姿をユーモアとシニカルな独特の視線で描き出している。
 ひとつひとつのエピソードに、押し並べて関連性はないようなのだが、凡庸な人々の姿の合間に、20世紀を訓誡するような戦争の敗北者を登場させる。その中に、シャガールの絵に着想したという、空爆で破壊された都市の上空を飛ぶカップルのエピソードが印象的に織り込まれている。そのバランスが絶妙で意味深く、切れ切れにも思えるエピソードを見事に一つの作品にまとめ上げていると思う。

 もうひとつの見どころは、アンダーソン監督の構図・色彩・美術など細部に至るまで徹底的なこだわり。ほぼ全て、監督自身の巨大なスタジオにセットを組み、ワンシーンワンカットで撮影されている。前出の空爆された都市は、1/200の縮尺でケルンの街並みの模型を建てたという。そのディテールの再現、画面全体のグレーのグラデーションが秀逸。多くの絵画からインスピレーションを得ている監督だが、特に美的にも印象的なシーンになっている。
  
 そして、この作品を見ながら、不思議な感情が沸き起こった。薄雲に覆われたような世界、人の少ない空間、言葉少なに距離を取る人々の姿。監督はこの作品のテーマは人間の脆さだと語っているが、まるで新型コロナウイルス感染症によって様変わりした今の社会を予言していたかのようだ。人類が繰り返し経験してきた敗北、人間が誰しも抱える孤独、憂いや悲しみ。今まさにその渦中にあって、私たちはもがいていると思う。この作品の小さなエピソードから何を感じるかは観客に委ねられていると思うのだが、意味深長な逸話が多い中、3人の若い女性たちが、流れてきた軽快な音楽に合わせて道で楽しく踊リ出すシーンが、不思議と心に残る。人間の小さな希望や喜びがまた新しい世界へと繋がっていくのだと思わせてくれるからかもしれない。人生悲喜こもごも。悪いこともあるが、そればかりではない、原題の『無限』にその思いが込められていると思う。
(★★★☆加賀美まき)

76回ベネチア国際映画祭 銀獅子賞(最優秀監督賞)受賞。

2020年11月16日月曜日

セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選

 

 

そのほとんどの作品が主要国際映画祭に出品されているという、ドキュメンタリー作家セルゲイ・ロズニツァ。

今回《群衆》をテーマにした3作品の連続上映が行われるが、日本では今回の特集上映が初上映になるという。スターリンの国葬の記録映像を再編集した『国葬』、政府の自作自演だった裁判を描く『粛清裁判』、ダークツーリズムを考えさる『アウステルリッツ』の3本だ。

 

監督:セルゲイ・ロズニツァ

配給:サニー・フィルム

公開日:202011141211日シアター・イメージフォーラム

公式HPwww.sunny-film.com/sergeiloznitsa

 

 


 

 

国葬 State Funeral

 

2019年/オランダ、リトアニア

 

195335日、ソ連の指導者スターリンの死がソビエト全土に報じられた。世界最大級の国葬のため、彼の死を嘆く人々や世界各地から要人たちが集まってくる。首脳陣たちのスピーチが壇上で始まるが、その後まもなく粛清されてしまう顔も見える。

 

スターリンの国葬の模様を収めたフィルムがリトアニアで発見され、そのアーカイブ映像を編集した作品。驚くのが、デジタル修復されたその映像のクリアさ。スターリンの遺体を一目見ようと多くの群衆がモスクワに集まってくる。盛大な葬儀を世界に発信しようとする政府。人々はスターリンを畏れる一方で敬い、彼が死んだ後はどうして生きていけばいいかわからないと口にするものも少なくなかった。

最後にレーニン廟に埋葬されるスターリンだが、のちにそれが撤去される。権力は時代の前に風化し、群衆の関心はすぐに移り変わるのだ。★★★☆前原利行)

 

 

粛清裁判 The Trial

 

2019年/オランダ、ロシア

 

1930年のモスクワで、8人の有識者の裁判が行われていた。彼らは「産業党」というグループで、共産主義政権への破壊活動を行っていたという容疑だ。その裁判と並行して、街頭で「裏切り者に死を」というスローガンを抱えた群衆が練り歩く。しかしこの裁判はそもそも、“やらせ”だった。

 

本作が進むにつれ、観客は次第に違和感を抱いていく。8人は有罪になれば死刑になるのに、みな積極的に過ちを認め、深い反省の念を述べ、計画が失敗に終わったことを声高に言う。最後になり、ようやく私たちはこの裁判自体がやらせだったことをテロップで知る。今でもたいていの国で、政府は失敗すると国民の不満を逸らすために茶番をでっち上げる。権力を持っているものは、失敗を認めない。そして群衆はそれを信じる。人は自分が思っているよりも、騙されやすい。★★★前原利行)

 

 

 

アウステルリッツ Austerlitz

 

2019年/ドイツ

 

ベルリン郊外のザクセンハウゼン強制収容所跡。夏の晴れた日に多くの観光客がやってくる。かつてここには政治犯のほかユダヤ人やロマの人々が収容されていた。しかし今では単なる観光地と化している。

 

一つのシーンが固定で5分近くあるが、その間私たちは画面をずっと見つめるしかない。一体これは何なのだろうかと観客は自問していく。実はただベタで撮っているようでも、編集によりシーンは巧みに選ばれている。そしてロズニツァ作品共通のサウンド編集がある。意図的に音はクローズアップされている。

 

映画のタイトル「アウステルリッツ」は、本作はドイツの文学者WG・ゼーバルトの代表作「アウステルリッツ」にインスパイアされ、製作されたため。語り手である“私”が、ドイツ帝国時代の建物を巡るアウステルリッツから暴力や権力の歴史を聞く。

建物やその場所には、暴力や権力を刻んだものもある。それを再確認しに行くのがダークツーリズムだが、本作は、すっかり形骸化して単なる観光地になっている事実を映し出す。★★★前原利行)

 

2020年11月1日日曜日

『旅シネ 2000-2019 映画で旅する世界 : 21世紀のワールドシネマ』発行のお知らせ


「旅シネ 2000-2019 映画で旅する世界 21世紀のワールドシネマ」

旅シネ編集部 著


発行日/2020年8月14日(金)
A5サイズ 264ページ
販売価格1650円(税・送料込み) 
(本体価格1500円+税150円)

2003年から本サイトである「旅行人シネマ倶楽部(旅シネ)」は、旅行雑誌「旅行人」のウェブサイトのコーナーとして開始し、各執筆者が映画レヴューを寄稿してきました。

取り上げるのはアジアやイスラーム諸国、中南米から東欧に至るまで、第三世界が舞台のものが大半で、旅行人の読者層に合うような、海外の非ハリウッド系作品の紹介を中心にスタート。その国や地域の文化や歴史、習慣、そしてそこにある問題を描く作品が多いのが特徴です。

ウェブ上に掲載した約600本の中から、今回、なるべく時代の空気感や地域性が出ているものを中心に約200本をセレクトして一冊の本にまとめました。
その際に、書き下ろしイラストや、全体の文の加筆・修正も行っています。ページも264ページと、かなりボリュームがある本になりました。

オンライン購入はこちらのサイトからになります。予約は上記画像またはここクリックすると商品購入ページに飛びますので、そちらからよろしくお願いたします(上記クリックだけでは購入されません)。

クレジットカードまたはネット購入ができない方は、こちらから振込先をご連絡致しますので、メールにてご連絡ください。前原利行(mahaera@hotmail.com)

ご購入後、2-3日で発送の予定です。
 
また、限られてはおりますが、東京の以下の場所で直接購入することができます。
お近くまでいらしたときは、お立ち寄りください。。
 
池袋 新文芸坐
   
それでは、ウエブの次には本の世界でお待ちしています。

2020年11月1日更新
旅シネ編集部

2020年10月28日水曜日

私たちの青春、台湾

台湾の社会運動に突き進んだふたりの若者、彼らをカメラに収めたドキュメンタリー映画監督 それぞれの未来への記録


我們的青春、在台湾
Our Youth In Taiwan

2017年/台湾
監督:傳楡(フー・ユー)
出演:陳為廷(チェン・ウェイティン)、蔡博芸(ツァイ・ボーイー)
提供・配給・宣伝:太秦
上映時間:116分
公開:2020年10月31日(土) ポレポロ東中野他全国順次公開
HP:http://ouryouthintw.com

●ストーリー 
 2011年、傳楡(フー・ユー)監督は、魅力的な大学生に出会う。台湾学生運動のリーダーである陳為廷(チェン・ウェイティン)と台湾の社会運動に参加する中国人留学生の蔡博芸(ツァイ・ボーイー)。二人に興味を持った監督はカメラを回し、彼らの活動を記録する。
 2014年、為廷は林飛帆(リン・フェイファン)と共に立法院に突入し、「ひまわり運動」のリーダーになった。一方、中国からの留学生で人気ブロガーの蔡博芸(ツァイ・ボーイー)は、台湾における“民主”のあり方をブログで発信し、書籍化されて大反響を呼ぶ。傳楡監督は、彼らが最前線に突き進む姿を見ながら、「社会運動が世界を変えるかもしれない」という期待感を高めていった。しかし彼らの運命はひまわり運動後、思わぬ方向へと向かっていく。

●レヴュー 
 2014年に台湾で起きた「ひまわり運動」は、親中派の国民党政権がサービス貿易協定を強行採決したことに抗議する学生と社会運動家たちが立法院(国会)に突入し、3週間余りにわたって占拠するというものだった。その先頭に立ち、「ひまわり運動」の学生リーダーとなったのが陳為廷(チェン・ウェイティン)。もう一人、中国人留学生の蔡博芸(ツァイ・ボーイー)は、台湾の「民主」について果敢に発信して人気ブロガーとなり、ブログは書籍化され注目を浴びていた。この二人の大学生を追ったドキュメンタリーは、「ひまわり運動」が、台湾民主化へ向かう若者たちの奔流であったことをしっかりと記録している。「ひまわり運動」は一定の成果を残し、同年11月の統一地方選挙での国民党大敗を導き、台湾政治がよりリベラルな方向へと変革していく転換点となった。

 カメラは、学生たちのありのままの姿を捉え、当時の盛り上がりを映し出す。陳為廷、蔡博芸ふたりの姿は英気に満ちていて、恐れなど少しも感じさせず、台湾の洋々とした未来への期待感があった。ところが後半、事態は思いもよらない方向へと展開する。為廷は、地方の選挙戦に出馬するも性癖のスキャンダルが露見。博芸は学生会長選挙に臨むが、中国人留学生という立場が、反中リベラル層の非難の的となってしまう。映像は、のちに香港で雨傘運動を率いる黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、周庭(アグネス・チョウ)との交流も映し出すが、台湾・香港・中国が抱える問題の大きさを私たちに突きつける。あらわになる、若さゆえのもろさや危うさ。ふたりの活動は次第に失速していく。

 傳楡(フー・ユー)監督の目線は、ふたりを通じて「台湾」の未来を期待していた。だからこそ、その後の展開に監督自身が失意の底に突き落とされて涙を流すシーンが印象に残る。この作品が、監督自身の成長の記録であったことに大きな意味があるのだろう。本作は2018年・第55回金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。傳楡監督が、「いつか台湾が“真の独立した存在”として認められることが、台湾人として最大の願いだ」とスピーチしたことは大きな話題となった。
 
 私たち日本人には、「ひまわり運動」が突然起こった出来事のように思え、報道された一部分しか知り得なかった。たが、民主化運動はそれまでも台湾の底流に存在していたし、この作品を通して、台湾の歩みを知ることができたと思う。近年、日本では台湾ブームが起こり、コロナ禍においては台湾の政策が注目を集めている。「台湾」の心地よさにともすれば見過ごしてしまいそうになるのだが、彼らのアイデンティティ、歴史や社会についてしっかりと知っておきたいと思う。(★★★★加賀美まき)


THE CAVE(ザ・ケイブ) サッカー少年救出までの18日間


2018年にタイ北部で起きたタムルアン洞窟遭難事件の実話を基にタイで映画化

 

 
The Cave
2019年/タイ、アイルランド
監督:トム・ウォーラー
出演:ジム・ウォーニー、エクワット・ニラトウォラパンヤー、ジュンパ・サエンロム
配給:コムストック・グループ+WOWOW
上映時間:104分
公開:2020年11月13日より新宿ピカデリーほか

●ストーリー
2018年6月23日、タイ北部のチェンライ県メーサイの町はずれにあるタムルアン洞窟に、練習を終えたサッカーチームの少年たち12人がチームメイトの誕生日を祝うためコーチと共に入る。しかしその間に豪雨になり、洞窟は入り口から冠水。少年たちは水から逃れるために洞窟の奥へと逃れる。
少年たちが帰らないことで捜索が始まるが、洞窟内の水位が上昇し中に入ることができない。タイ軍の他にもアメリカ軍や世界各地から国際的なダイバーたちが集まり捜索にあたる。遭難から9日後、ようやく英国人タイバーが入り口から4km地点で取り残されている彼らを見つけた。しかし救出には困難が伴っていた。

●レヴュー
日本からも取材班が飛び、世界が注目したタイ北部の洞窟に閉じ込められたサッカー少年たちの救出。遭難から9日後、全員無事が確認されたが、問題は彼らをどうやって救出するかだった。死者が出てしまっては、非難は免れない。さらに雨季が続けば状況はさらに悪化しかねないし、少年たちの体調も心配だ。そしていつかは酸素もなくなる。

本作はその救出劇を映画化したものだが、何人かは当事者が自分自身を演じるなど、ドラマとドキュメンタリーの中間、いわば“再現ドラマ”に近い内容になっている。実際の救出作戦は、地上からの重機の掘削やポンプによる排出などいくつかの方法が同時並行で進められていたが、時間的にダイバーたちによる救出に絞られた。実際の救出に移る前に、途中の経路の確保中にタイ軍人が死亡してしまう事故も起きてしまう。

日本でこうした事故が起きた時、果たして海外の専門家に依頼するだろうか。阪神や東北の震災の時も、申し出を断っていたというニュースを耳にした。もちろん現地入りのインフラが整っていないということもあるが、こうした事故の場合、情報をオープンにすることにより、日本にはない別の意見や方法が生まれる可能性もあるのではないかと本作を見ていて思った。

本作はドラマなので、観客が感情移入しやすいように何人かのキャラクターを立てているが、主人公的な位置にいるのが、洞窟潜水の第一人者であるジム・ウォーニーで本人が演じている。ジムはこの救出劇に参加し、多くのダイバーたちと同様、救出の一部を受け持つ。映画の中心は全体を見たわけではないジムの視点で救出が描かれるので、その手探り感や緊張が伝わるようになっている。

タイ映画ということもあり、タイ側の重要なキャラクターとして登場するのが、ターボ排水ポンプを持ってくるポンプ会社の社長だ。彼が有効な手立てを訴えているのに、お役所仕事で受け付けてももらえないところは、日本でもありそうな話だ。また、排水により田が冠水してしまう地元の稲作農家の女性も登場させ、地元の協力なしには、作戦が成功しなかったことも語ることを忘れてはいない。あとわれわれ外国人からすると、まず偉いお坊さんが登場して祈りを捧げるところがタイらしい。

本作の問題は、いくつかキャラを立てているが、誰もが感情移入して物語に没入するほどではないこと。俯瞰と没入があるとしたら、本作はそれが中途半端になのだ。また救出される側の描写も、入れ込んだほうが良かったのではないか。遭難した側の心理にほとんどふれないので、心細さやハラハラ感がないのだ。たとえば最初のダイバーが発見するくだりはもっと感動的に描けたはずだし、睡眠薬の注射を見て少年たちが躊躇するとかのシーンもなかった。

なので全体的に再現ドラマの域を超えられず、映画的興奮に乏しくなってしまった。とはいえ救出作戦の様子を当事者本人が演じる試みは、リアリティがあり、悪くない面もある。★★★前原利行)


 

2020年10月17日土曜日

アイヌモシリ



阿寒湖のアイヌコタンで暮らす中学生カントは、自身のアイデンティティに揺れている。
アイヌ民族の現状を繊細に切り取った秀作



AINU MOSIR

2019年/日本・アメリカ・中国

監督:福永壮志

出演:下倉幹太 秋辺デボ 下倉絵美 三浦 透子 リリー・フランキー OKI

配給:太秦

上映時間:84

公開:1017日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開



●ストーリー


北海道阿寒湖畔でアイヌ民芸品店を営む母と暮らす14歳の少年カント。1年前に父を亡くして以来、アイヌ文化と距離を置くようになっていた。バンドに夢中で、中学卒業後は高校進学のため故郷を離れることを決めていた。そんな中、カントの父の友人デボは、自然の中で育まれたアイヌの精神や文化についてカントに伝えようとする。ある日、子熊を一緒に飼育しようと提案するのだったが…。



レヴュー


「アイヌ・ルネッサンス」、というのはちょっと大げさかもしれないが、例のマンガの大ヒットのせいか、若い世代のアイヌへの関心は非常に高まっているように見える。(僕もあのマンガにハマっているクチだ)また、色々と問題を孕んでるようではあるが、国家レベルでは「ウポポイ(民族共生象徴空間)」がアイヌ文化を復興するための施設として、今年の夏開館した。

 外からの関心は高まっているが、現在のアイヌのコミュニティの内側はどうなっているのか。彼らの現状が精緻な筆致で描かれているのが本作『アイヌモシリ』だ。


中学生のカントは、一年前に父を亡くし、心を閉ざしている。アイヌのコミュニティからは距離を置き、バンド活動に没頭してはいるが、高校進学を機に村を離れたいと思っている。そんな様子を心配してか、父の友人だったデボは、あの世に通じるという山の洞窟へ誘ったり、子熊を一緒に育てようと提案する。かわいい子熊に惹かれるカントだったが、その子熊はアイヌの重要な儀式「イオマンテ」の復活に捧げられることが大人たちの会合で決定されてしまう。現代の社会通念ではとうてい理解されない「イオマンテ」に対し、カントの心は大きく揺れる。


主演のカントを演じる下倉幹太は実際にアイヌの血を受け継ぐ少年で、その力強くも澄んだ眼差しに引き込まれる。俳優として素晴らしい逸材だと思う。その母親に実母の下倉絵美。阿寒湖周辺でマルチな活動をするという秋辺デボも芸達者な俳優のように写るがプロというわけではない。脇を固める配役陣(トンコリ奏者で、OKI DUB AINU BANDの活動で知られるミュージシャンOKIの参加も個人的にはうれしい)、コミュニティーの会話も、もはやドキュメンタリーの領域である。彼らはアイヌが抱える葛藤をストレートに吐露する。

 その映画製作の方法論にも感心せざるを得ない。阿寒の人々と会話を重ね脚本を作り上げていったという監督は、この欄でも取り上げた『リベリアの白い血』(’17)の福永壮志監督だ。国際的に活躍するその幅の広さに驚くが、実は北海道出身で、自らのルーツを考えたときに、身近な存在だったアイヌと向き合わざるを得なかったという。


話は変わるが、『浮雲』で知られる名匠・成瀬巳喜男の作品に『コタンの口笛』(1959)という作品がある。1950年代当時のアイヌ集落と和人(日本)社会の軋轢が伺い知れる作品だ。差別や貧困など、当時の問題意識は現代とは随分違っているように感じる。ぜひ、機会があればその変遷を比較してみてほしい作品だ。森雅之演じる飲んだくれの父親イヨンとその子供たちの母子家庭が描かれるが、久保賢(山内賢の子役名)演じる中学生のユタカが、本作の主人公カントと重なって見えた。

アイヌ文化の存続は依然として危機的状況であるかもしれないが、ある種、形を変えながらも続いていくのだろう。カントのまっすぐな眼差しにアイヌの未来が見えた気がする。

(★★★★カネコマサアキ)



関連情報


19回トライベッカ映画祭・国際コンペティション部門、審査員特別賞受賞


作品の背景


北海道や樺太、千島列島には、文字は持たないが、口承文化や儀式、舞踊、自然世界と共生する技術や生活文化様式を持っていたアイヌや北方少数民族の人々が暮らしていた。明治32年に施行された「北海道旧土人保護法」はアイヌ民族を土人として認識し、同化政策を進めた。その法律は戦後、幾度となく改正されたが、土地の規制については1997年まで存続していた。タイトルの『アイヌモシリ』とはアイヌ語で「人間の静かなる大地」という意味で、北海道を指す。





2020年10月13日火曜日

博士と狂人

「オックスフォード英語大辞典」の誕生秘話を描く実話




The Professor and the Madman

2018年/イギリス、アイルランド、フランス、アイスランド
監督:P.B.シェムラン
出演:メル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、エディ・マーサン、スティーヴ・クーガン
配給:ポニーキャニオン
上映時間:104分
公開:2020年10月16日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
HP:https://hakase-kyojin.jp


●ストーリー 

 19世紀後半のイギリス。英語辞典の編纂が遅々として進まないオックスフォード大学は、学士号を持たないたたき上げのマレー博士を編集責任者として抜擢する。シェイクスピアの時代まで遡りすべての言葉の出典を探し収録するという無謀とも思えるプロジェクトは困難を極め、いまだ「A」で足止めをくっていた。そんなマレーたちを救ったのは、依頼を呼びかける「声明文」に応じてひとりの人物から送られてきた大量のカードだった。しかしその送り主は、殺人を犯して精神病院に収監されていたアメリカ人マイナーだった。


●レヴュー 

映画のために作られたような話だが実話

 現代でもウィキを作るために、広く一般に呼びかけているが、この辞典の編纂はそれを100年前にしたようなもの。その単語が時代によってどう使われるようになってきたかを、初出をたどり、世紀ごとに用例を調べ、断絶がないかを調べる。ウィキもこの「OED」とも呼ばれる「オックスフォード英語大辞典」も大勢のボランティアによって作られている人類の叡智といっていいだろう。確かにすごい作業だ。
 演出や話運びはわりと凡庸だが、何よりも次の展開が読めないという基になった話が面白く、最後まで一気に見てしまう。映画のタイトルにもある「狂人」が辞典の編纂に関わっていたという事実も驚きだ。また、辞書の編纂というストーリーが進む中で、もうひとつのテーマとなる「罪と贖罪」が物語に厚みを加える。
 ギブソン側と制作側とのトラブルで、北米以外の多くの国ではネット配信公開になってしまったのが残念だが、興味深い内容を持った作品だと思う。(★★★☆前原利行)


言葉を一つ一つ収集し、分析や検討を重ねていく辞書編纂 その重みを感じられる作品

 言語学を独学で極め、辞書編纂を任された孤高の学者マレーと、精神を病み殺人を犯して収監された元軍医大尉マイナー。オックスフォード英語大辞典(OED)の編纂という偉業の裏にあった、出会うはずのなかったこの二人の物語が明かされる。
 マレーは、古語にも遡り全ての単語とその変遷を収録することを目指し、単語の収集を始める。OEDは全10巻、414,825語と182万以上の用例が収録されていることを考えると途方もない数。そこに至る方法は、その依頼を書いた「声明文」をあらゆる書籍に挟み込み、英語を話す人々から、単語とその用例を書いたカードを郵送してもらうというものだった。それを偶然目にしたマイナーは取り憑かれたように書物を調べ、マレーに単語カードを送り届けた。その結果、滞っていた編纂作業は一気に進むことになる。そうした知られざる辞書編纂のドラマとして興味深く、またそこに生まれた「博士と狂人」ふたりの結びつきや彼らの背景として描かれるドラマには、狂気と罪、許しと贖罪といった人間ドラマが緻密に描かれていて面白い。
 主演はメル・ギブソン、ショーン・ペンの二人だが、その脇を固めるイギリス人俳優たちの上手さが際立っている。イライザ役のナタリー・ドーマーは心の揺れを繊細に演じ、看守役、エディ・マーサンの確かな芝居がドラマを深みあるものにしている。衣装などにもイギリスの当時の雰囲気や趣を感じられ、引き込まれる作品になっている。(★★★☆加賀美まき)