2019年11月27日水曜日

読まれなかった小説



The Wild Pear Tree

トルコの田舎町を舞台に、息子と父親の軋轢を描く『雪の轍』の監督最新作

2018
監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン(『雪の轍』)
出演:アイドゥン・ドウ・デミルコル、ムラト・ジェムジル、ベンヌ・ユルドゥルムラー
配給:ビターズ・エンド
公開:1129日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町

●ストーリー
トルコ西部、トロイ遺跡にも近いチャナッカレからさらに内陸に入った小さな町。そこに大学を卒業したシナンが戻ってきた。就職状況は厳しいが、シナンは密かに作家になる夢を持っていた。父のイドリスは定年間近の教員だが、ギャンブルで作った借金がある。母親も働くなど一家の生活には余裕がなく、シナンはそんな父親を疎ましく思っていた。父イドリスはシナンに教員試験を受けるように促すが、シナンは気が進まない。仕事もなかなか決まらないまま、シナンは処女小説を自費出版する。

●レビュー
前作『雪の轍』(14)でカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールを獲得した、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督。商業的な映画とは遠いが欧州では高く評価されており、『冬の街』(03)『昔々、アナトリアで』(11)でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞している。前作のカッパドキアを舞台にした『雪の轍』(未見)は196分という長尺だったが今回も189分あり、トルコの地方に生きる人々の人間関係を描くという点では共通しているようだ。

物語の主人公は、大学を出たばかりのシナン。まだ就職はしておらず、社会経験がないが自我やプライドだけは人一倍強い。そんなシナンが最もなりたくない大人といえば、自分の父親だ。父イドリスは学校教師として安定した仕事があるのに、競馬で失敗して家族ばかりか周囲の人々の信頼も失っている。更生したとはいうが、今も賭け事をしているのではないかとシナンは疑う。文句は言うが父親の人間性までは否定しない母親と違い、面と向かって父親をけなすシナン。

真面目で不器用だが、尊大で自意識が強いシナンに対し、父親はいつも調子がいいことばかり言って、できもしない夢を語る。似ているところはまったくない。人間誰しも若い頃はそう思うだろう。親は反面教師。ああはなりたくないと。しかし、自分がかつての親ぐらいの年頃になってくると、ふと気づく。あ、ここは似ているなと。見た目は似ていなくても、根っこでは意外に似ているところもあるし、また気づかなくても影響を強く受けているのだ。

主人公のプライドの高さと自信のなさのアンバンランスが出てくる、中盤のシーンが印象的だ。町の書店で見かけた地元の小説家に、自分の原稿を読んでもらいたいのだが、人に素直にものを頼むことができない。シナンは逆に議論をふっかけて相手を批判し、怒らせてしまう。相手の小説家が大人で、ずっとこの不躾な若者の話を聞いているところからハラハラしてしまう。実力ない(何も発表していない)のについ上から目線になって話す。イタい。

そんな主人公と、一番理解し合えないと思っていた父親とつなぎとめたのは、自分が書いた小説だった。人間、物事はその中にいると見えないことがある。「時間」という距離が経たないと、俯瞰して自分を客観的に見られない。そんなことに気づかせてくれる作品だ。3時間は確かに長いけれど、不思議に退屈したり、眠くなったりはしなかった。しかし見るなら、体調を整えてから(笑)。(★★★☆前原利行)

2019年11月19日火曜日

台湾、街かどの人形劇


台湾「布袋戯」の伝統を守る人間国宝・陳錫煌を追った10年の記録

紅盒子/Father
2018/台湾

監修:侯孝賢
監督:楊力州(『あの頃、この時』)
出演:陳錫煌
公開:1130日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー
公式HP:http://machikado2019.com/

レビュー

侯孝賢監督の映画を好んで観ている方なら、李天禄(リー・ティエンルー,1910-1998)という名脇役をご存知だろう。『戯夢人生』('93)ではセミドキュメンタリーという形で彼の半生が描かれているが、元々は「布袋戯」(ポテヒ)と言われる民間芸能の国宝的名手である。本作は、その李天禄の芸を受け継ぐ長男の陳錫煌(チェン・シーホァン)にスポットを当てた、彼の人生と「布袋戯」の現状を描くドキュメンタリーだ。

80歳を超えた高齢ながら、精力的に国内外を公演して回る陳錫煌。公演の前には、常に持ち歩いている赤い箱(原題は『紅盒子(赤い箱)』)に入った”田都元帥”という戯劇の神様に礼を捧げる。袋状になった人形に手を入れ、指を器用に動かし動作と表情をつける。繊細な動きから、激しいアクションもお手のもの。ワイヤーアクションを思わせる動きは、武侠映画とどちらが先なのだろうか?カメラは袋人形をぬいだ陳錫煌の素手の指の動きをも捉える。簡単そうに見えて実は難しそうだ。

かつて「布袋戯」は隆盛を極めた。台湾全土に7つの流派があり、祭りの際、廟などで催される公演にはたくさんの人が集まった。しかし70年代からは衰退の一途を辿る。娯楽がテレビに取って代わり、テレビで放映される現代アレンジされた布袋戯は人気を博すことはあったが、政治的理由で放映禁止になったり、伝統的なものは客の足が遠のいてしまったのだ。台湾語で口上を述べる形式も、国語教育で台北周辺では誰も解さなくなっていったのも一因だろう。それゆえ、陳錫煌は海外公演にも活路を見出したのかもしれない。現在、幸いにも陳錫煌にはフランス人を含む頼もしい弟子たちが数人いるが、全てを伝承するには時間が足りないと焦っている。

一方で、映画は李天禄と陳錫煌の父子関係に迫って行く。
2人の父子関係はちょっと複雑そうだ。父・李天禄が陳家に婿養子に入ったことから、長男が陳家の姓を受け継ぎ、次男が李姓を継いだ。つまり父・李天禄が1931年に創設した「亦宛然掌中劇団」を次いだのは弟の方だった。
陳錫煌は暖簾分けという形で1953年に「新宛然」を設立して以降、独自の活動をして名声を得ていた。しかし、弟が2009年に逝去すると新たに劇団「陳錫煌伝統掌中戯団」を設立。あの赤い箱に入った”田都元帥”を継承することで、現在に至るというわけだ。映画から受けるイメージとは裏腹に父・李天禄は芸事に厳しく、日常ではほとんど話さなかったという。
自らもあまり語ろうとしない陳錫煌だが、多くを語らずとも「布袋戯」と弟子たち対する温かい想いが伝わってくる。後継の為に老体にムチ打ちながら、惜しみなく自らの技術を動画に納めようとする姿に熱いものがこみ上げてくる。

(カネコマサアキ★★★)

■関連事項
大阪アジアン映画祭
第11回中国語ドキュメンタリー映画祭(香港2018)長編部門グランプリ受賞

2019年11月10日日曜日

盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲


ANDHADHUN


2018年/インド
監督:シュリラーム・ラガヴァン
出演:アーユシュマーン・クラーナー(『ヨイショ!君と走る日』)、タブー(『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日間』)、ラーティカ・アープテー(『パッドマン 5億人の女性を救った男』)
配給:SPACEBOX
公開:1115日より新宿ピカデリー、アップリンク他、全国

●ストーリー
ピアニストのアーカーシュは、自分の感性を磨くために見えなくなるコンタクトをつけていて、ふだんは盲目を装っていた。かつての映画スターに、家での演奏を頼まれたアーカーシュがピアノ演奏を始めると、目の前にスターの死体が。映画スターの妻シミーと不倫相手による殺人だった。目が見えないことでその場を切り抜けたアーカーシュだが、やがて盲目を疑われて犯人たちに命を狙われることになる。

●レビュー
近年は、歌と踊り、アクション、コメディ、長時間と行った、昔のインド映画のイメージから離れたインド映画が増えてきている。昔ならたまのお出かけなので、毎回、幕の内弁当や五目そばでよかったのだが、趣向が様々になり、カキフライ弁当や家系のラーメンが食べたくなるようなものだ。本作もそんな最近のインド映画の潮流を感じさせる作品だ。ピアニストが主人公の本作なので音楽シーンは満載だが、ミュージカルシーンはない。公開されると、その巧みなストーリーテリングはインドの批評家たちにも高評価を受け、大ヒットになった(インド映画歴代14位、世界興収64億円)。

「言えないワケありの主人公が命を狙われる」というのはサスペンスの王道で、さらに先の読めない巧みな脚本が話を盛り上げる。しかし先の読めなさがハリウッド映画と少し違い、登場するキャラクターが実にインド的な人たちというところがある。特に驚くのが後半で、新しいキャラが出てきて裏切りや騙し合いが続き、話が違う方向へ強引にそれて行くのは、エネルギーがあった頃の香港映画のようで面白い。
かくして主人公が窮地から脱しようとする一方、死人が増えて行く。誰もが脛に傷があり、誰に感情移入していいかもわからなくなる。誰も信用できないのだ。

きっと監督はコーエン兄弟作品やタランティーノ作品が好きなのではないかという語り口だが、監督によれば、映画の最初のタイトルはフランソワ・トリュワーの『ピアニストを撃て!』を使おうと思ったらしい(ノワールものが好きということで共通している)。
俳優では、本作では悪役だが主人公以上に魅力的なのが、映画スターの妻役のタブーだ。悪役だが、どのくらい悪いのかがわからないところが、彼女に感情移入したりしなかったりという効果を引き出している。
★★★☆前原利行)

●映画の背景
映画の舞台となる都市は、西インドのプネー。人口300万人を超えるインドで9番目の人口を誇る都市だが、映画に出てくることは少ないと思う。
映画のラストに登場するクラブは、映画では「欧州のどこか」になっているが、ポーランドのクラクフ旧市街にある。主人公のバンド名が「アズナブール・アンサンブル」になっているのは、『ピアニストを撃て!』の主演がシャルル・アズナブールだったことから。

2019年11月4日月曜日

残された者 —北の極地—


2018年/アイスランド
監督:ジョー・ペナ
出演:マッツ・ミケルセン、マリア・テルマ・サルマドッティ
配給:キノ・フィルムズ/木下グループ
公開:11月8日より新宿バルト9ほか
公式HP:www.arctic-movie.jp

■ストーリー
北極圏にひとり取り残された男がいた。彼の名はオボァガード。地上に大きなSOSの字を書き、魚を釣って生で食べ、毎日同じ時間に救援信号を送り、無駄な体力の消耗を避けていた。何日が過ぎたかわからない頃、信号機が反応し、ヘリコプターがやってくる。助けを求めるオボァガードだが、強風に煽られたヘリは墜落してしまう。パイロットは亡くなるが、オボァガードは機内から重傷を負った女性を救い出す。やがてオボァガードは彼女の命を救うために、氷原を歩き始める決断を迫られる。

■レヴュー
 全編、ほぼマッツ・ミケルセンのひとり芝居。特に中盤に怪我を負った女性が登場するまでは会話もなく、サバイバルする男の日常が淡々と描かれる。男はサバイバル能力に長け、毎日をルーティーンで淡々と過ごしている。映画では語られないが、物語が始まる前は周辺を探査したり、発見される工夫を凝らしたりといろいろ試した結果、今は体力を消耗しない日々を過ごしていることがだんだんとわかってくる。
 
 難しいひとり芝居を、ほぼ無表情のミケルセンがこなしているが、退屈はしない。押し殺していた感情が発露されるのは、ヘリの救援が来た時だ。しかしその希望も、彼の眼の前で崩れ去る。重傷を負った女性は言葉をほとんど話せないし、何人かもわからない。しかし、彼の孤独は少し柔わらいでいく。自分が生き延びる以外の目的ができたからだ。
 
 後半は、彼女の命を救うため、氷原を横断して一番近い観測基地まで行く、サバイバル行だ。歩く。ひたすら歩く場面が続くが、緊張感は崩れない。氷原にいるのは、彼とソリで引かれる女性だけ。彼女の命が尽きるまでに、基地にたどり着かねばならない。もしかしたら、自分ひとりなら助かるのではないか。そんな誘惑が彼を襲う。そんな葛藤も、セリフではなく絵で見せなければならないので、映画としてはなかなかチャレンジだ。
 
 ロケはアイスランドで行われたようだ。ほぼ氷の世界の中の物語だが、最後まで緊張感を持って見せ切るのは、名優マッツ・ミケルセンの力があってこその事。地味な映画かもしれないが、サバイバルもの好きにはなかなかの佳作だと思う。
★★★☆