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2022年5月24日火曜日

ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇

拉致され「海の奴隷」として漁船で働かさせる男たちと

彼らを救うべく奮闘するタイ人女性追ったドキュメンタリー





2018年/アメリカ
監督:スアノン・サービス、ジェフリー・ウォルドロン
出演:パティマ・タンプチャクル、トゥン・リン、チュティマ・シダサシアン(オイ)
配給:ユナイテッドピープル
上映時間:90分
公開:2022年5月28日(土) シアターイメージフォーラム他 全国順次ロードショー
HP:https://unitedpeople.jp/ghost/


●ストーリー 
 世界有数の水産大国であるタイ。そこから遠洋漁業に出ている船には「うまい仕事がある」と誘惑され、拉致されたタイ、ミャンマー、ラオス、カンボジアなど貧困国の男たちが送り込まれている。人身売買業者はたった数百ドルで漁業会社に男たちを売り飛ばし、数ヶ月、酷いと10年以上も下船させることなく「海の奴隷」として働かせているというのだ。
 そうした漁船から逃亡した人々を捜索し救出すべく、タイ人女性パティマ・タンプチャヤクル(2017年ノーベル平和賞ノミネート)と11年間奴隷労働した経験のあるトゥン・リンらは、インドネシア東部の離島に向けて出航する。


●レヴュー 
 シーフード産業の闇に迫った衝撃的なドキュメンタリーだ。タイの沖合数千キロの漁場で操業する船。タイ、ミャンマー、ラオスやカンボジアといった貧困国から人身売買で男たちが送り込まれ、拘束は数ヶ月、酷いケースでは十数年に及ぶという。捕った魚は沖合で母船に荷揚げし、再び漁場に出るため、一度も下船することなく働かされているというのだ。そこから逃れてきた者たちは、寝る間もなく働かされ、逃げれば漁業会社に追われ拘束された。網に巻き込まれ大怪我をするものもいる、暴行を受けたり、海に投げ込まれた者もいたと証言する。にわかに信じがたい衝撃的な話だが、そうした労働者は数万人にも及ぶという。

 本作は、そうした奴隷労働の実態を明らかにすると同時に、ある女性人権活動家の姿を追っている。タイの労働権利推進ネットワーク(LPN)共同創設者のパティマ・タンプチャヤクル。2014年、インドネシアの離島から約2000人の奴隷を救出するなどして注目を集め、2017年にはノーベル平和賞の候補にも上がっている。 
 彼女と行動を共にするトゥンは、「海の奴隷」として10年以上拘束され、1日20時間以上の重労働を強いられていたという。海に飛び込み命がけでインドネシアの島に逃れたという経緯を持つ。母国へ帰る手段もなかったところをパティマに救出され、その後、漁業会社から指を失う事故の補償金をえることができた。彼女の熱心な支援がなければ彼の未来はなかっただろう。「一人でも多くの人を家に帰してあげたい」彼女の類稀な熱意と勇気、そして努力の積み重ねが多くの人たちを救っているのだと実感する。

 後半、パティマらの一行がインドネシアに捜索船を出し、救出活動に出向く様子が撮影される。事実を可視化するための意図を含む撮影ではあるが、漁船から逃れたタイ人がいるというわずかな情報を頼りに、危険を顧みず他国の無法地帯に乗り込んでいく様子は緊迫感に包まれる。次々と映し出される驚くべき事実に息を呑むが、ひとりの男の救出劇が、パティマらの活動の一筋の光となっている。

 このドキュメンタリーの焦点は、現代の奴隷労働という衝撃的な事例の告発だけではない。こうした労働下で捕った魚はシーフードやペットフードとなり私たちの生活と密接に繋がっている。この闇は私たちに無縁ではないのだと、本作は強く警告していると思う。 (★★★★加賀美まき)

*本作が取り上げている海の奴隷労働は、いわゆる密漁だけでなく、IUU漁業:Illegal,Unreporteed and Unregulated(違法・無報告・無規制)漁業によって引き起こされていると言われている。

2021年6月2日水曜日

デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング

香港のスーパースター、デニス・ホーが、民主活動家として再生する姿を追ったドキュメンタリー


Denis Ho Becoming The Song
2020年/アメリカ
監督:スー・ウィリアムズ
配給:太秦
上映時間:83分
公開:6月5日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国劇場公開


●ストーリー

2014年、香港で起きた「雨傘運動」。警察官の放つ催涙弾をかわすために雨傘を持った若者たちが街を占拠した運動に、一人のポップスターの姿があった。彼女の名はデニス・ホー。しかし、彼女は占拠した学生たちを支持したことで逮捕され、中国のブラックリストに入ってしまう。スポンサーが次第に離れていき、公演を開くことができなくなった彼女は、第二の故郷モントリオールへと向かうのだった。

●レヴュー

恥ずかしながらデニス・ホーについてはよく知らず、ジョニー・トー監督の『奪命金』(2011)に出演してると資料にあって、ああ、銀行員のあの娘か、とぼんやりと思い出すことができる程度だった。なので、スタジアムを一杯にするほどの超人気歌手であり、あのアニタ・ムイの弟子だったということを知って、今更ながら驚いた。

彼女のキャリアは色々と因縁めいて見える。1988年、11歳の時、両親と共に(おそらく仕事の都合、あるいは返還を見越しての移住だろうか?)カナダのモントリオールへ引っ越し、多感な時代を過ごす。1996年、TVの歌唱コンテストをきっかけに、中国返還の前年に香港へ戻り、その輝かしいキャリアをスタートさせる。その歩みは、香港が「中国化」していく流れと一致しているのが興味深い。また、「香港の娘」と呼ばれた歌手アニタの死を乗り越え、後継者としてバトンを受け継いだことも運命的だ。

一方で独自の基金を設立したり、カミングアウトして同性愛者の権利を求める「 Big Love Alliance (大愛同盟)」を結成したり、社会活動にも積極的だった。特に、自身のジェンダーに向き合い、真実を求め自問する過程で、彼女は大きく変わったのだろうと想像する。多くの芸能人が中央政府に対する政治的発言を控える中、「雨傘運動」に参加することは、ある意味必然だったのだろう。

個人的には、盟友アンソニー・ウォン(黄耀明)の登場にも驚かされた。2000年代、彼が立ち上げたインディーズレーベルの「人海人山」に注目していたことがあって、CDをいくつか持っていた。80年代に一世風靡した「達明一派」という彼自身のグループも、今聞くとレトロフューチャー感あってなかなか良い。デニスとLGBTアクティヴィストとして行動を共にする姿に、そうだったのか・・・、という思いだ。

映画『奪命金』では地味な演技だったが、国連やアメリカ議会で香港の民主主義の危機を訴える演説は、舞台演劇の1シーンを見るかのように力強いものだった。やはり彼女には華がある。中共政府への強烈な批判は、溜飲が下がる思いだった。穿った見方をすると、このドキュメンタリーでさえ、今後の活動のプロモーションとして活用していくのだろうが、何もかも削ぎ落とした姿は清々しくも、凛々しく、そして逞しく見える。書きながら思い出したが、そういえば、映画『奪命金』で最後に漁夫の利を得たのは、彼女の役ではなかったか。

(★★★カネコマサアキ)


2020年10月5日月曜日

わたしは金正男を殺してない

世界中に衝撃を与えた金正男暗殺事件、その闇に隠された真実に迫るドキュメンタリー



2020年/アメリカ
監督:ライアン・ホワイト
配給:ツイン
上映時間:104分
公開:2020年10月10日(土) 
   シアター・イメージフォーラム、ヒューマントラストシネマ有楽町、
   アップリンク吉祥寺他、世界最速公開
HP:https://koroshitenai.com


●ストーリー 
 2017年2月、マレーシアのクアラルンプール国際空港で一人の男が突然倒れた。神経猛毒剤VXを顔に塗られて死亡したその男は、北朝鮮労働党委員長、金正恩の実兄・金正男。そしてその殺害を実行したのはベトナム人とインドネシア人の二人の若い普通の女性だった。その様子は空港の監視カメラにす べて納められ、そのいたずらのような“ドッキリ”映像は世界を駆け巡ることとなる――。
 なぜ彼女たちは北朝鮮の重要人物を殺したのか。そもそも彼女た ちはプロの殺し屋なのか。様々な憶測が飛んだが、分かってきたのは、貧しい二人がそれぞれの人生を夢見、そこに付け込んでSNSを通して巧妙につけこみ罠をしかけてきた北朝鮮の工作員たちの姿だった。巨大な国を相手に彼女たちの無罪を信じ、証拠を積み上げていく弁護団の渾身の調査はやがてある真実に行きつく。

●レヴュー 
 この事件は、兎にも角にも衝撃的なものだった。白昼、人が行き交う国際空港のロビーでの犯行は、その次第が監視カメラに収められていた。犯行に使われたのが猛毒の神経剤VXで、何より、死亡したのが北朝鮮・金正恩委員長の実兄、金正男だったことに世界中が驚かされ、「暗殺」という言葉が世界を駆け巡った。それに続いて、二人の外国人女性が実行犯として捕まったことが報じられ、その後、金正男の長男という男性の動画が、動画サイトに投稿されたことを記憶している。不可解な点が多い事件だったが、その後の東アジアや北朝鮮情勢が目まぐるしく変化していったこともあって、センセーショナルだったことだけが記憶に残り、事件からもっとずっと時間がたったような気がしていた。

 このドキュメンタリーは、実行犯として逮捕されたインドネシアとベトナム出身の二人の女性に焦点が当てられている。貧しい生活から抜け出そうとクアラルンプールへ出てきたが、なかなか思うようにならない。そんな中、お金が稼げるという誘いにのってテレビ局のいたずら番組の撮影に加わることになる。結果、手に塗った猛毒をいたずらを装って男の顔に塗るという犯行に及び、重要人物の殺害の実行犯として逮捕、拘束されてしまう。しかし、彼女たちは何も知らなかったと主張する。殺人罪での起訴、有罪が確定すれば異国の地で死刑という中、その言い分が通るのだろうか。裁判を粘り強く取材し、SNSや監視カメラの映像を検証する中で、明らかになっていく彼女らの行動。複数の工作員たちが社会に入り込み、女性たちを巧みに操り実行犯に仕立てていった過程が見えてくる。繰り返し練習を行いながら機会を待ち実行に及んだという恐ろしい事実。そこには捨て駒として利用され、スケープゴートにされた女性たちの姿が浮き彫りになっていく。
 
 登場するふたりのジャーナリストの存在が際立っている。一人は司法制度にも詳しい地元の記者で、もう一人は北朝鮮事情に精通するワシントン・ポスト北京支局長。多角的な視点がこのドキュメンタリーを明解なものにしている。その後、裁判では無実が証明され、彼女たちは解放される。誰かを犯人にしなければならなかったマレーシア政府の思惑、彼女たちの出身国と北朝鮮の関係性が事件に幕を引かせた。殺人が行われたにも関わらず、首謀者が誰だったのかはわからず、誰も罰せられていない。多くの謎が残されたままだが、瞭然となったのは、この事件に巻き込まれた二人の若い女性が、人生の一部を奪われたという事実である。(★★★☆加賀美まき)

2020年8月21日金曜日

行き止まりの世界に生まれて

 閉塞感の漂う街から抜け出そうともがく、3人の若者を追った12年間のドキュメンタリー



Minding The Gap


2018年/アメリカ

監督・撮影:ビン・リュー

出演:キアー・ジョンソン、ザック・マリガン、ビン・リュー、ニナ・ボーグレン

配給:ビターズ・エンド

上映時間:93分

公開:2020年9月4日(金) シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー

HP:bitters.co.jp/ikidomari/


●ストーリー 

 家庭環境に恵まれないキアー・ジョンソン、ザック・マリガン、ビン・リューの3人の若者は、イリノイ州ロックフォードで暮らしている。厳しい現実から逃れるようにスケートボードに熱中する彼らにとって、スケート仲間はもうひとつの家族であり、ストリートこそが自分たちの居場所だった。その中の一人がスケートボードビデオを撮り始める。

 やがて彼らも成長し、目の前に立ちはだかるさまざまな現実に向き合う時期がやって来る。


●レヴュー 

 アメリカ中西部、イリノイ州北部のロックフォード。この作品の舞台となる小さな街は、かつて栄えた産業が衰退し、ラストベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれる地域にある。早朝の人気のない街をスケートボードに乗った若者たちが疾走する。アフリカ系アメリカ人のキアー、白人のザック、アジア系のビンの3人だ。問題の多い家庭で育つ彼らは、そこから逃れるようにスケートボードにのめり込み、その時間と仲間が唯一の居場所だった。その中の一人ビンが、カメラを回して自分たちの姿を撮り始める。はじまりは単に仲間を撮るスケートビデオだったが、それが記録となり、3人の12年間の軌跡を収めたドキュメンタリー作品となった。


 夢中でスケートボードに乗っていた3人も成長し、それぞれの生き方を模索し始める。低賃金ながら働き始めるキアー、家庭を持ったザック、映画監督になったビン。彼らの前には厳しい現実が立ちはだかるのだが、ビンのカメラは仲間に寄り添っていく。それぞれが抱えてきた葛藤、先が見えないことへの不安や苛立ち、大人になる痛み、家族間のわだかまりを浮き上がらせ、赤裸々な思いを吐露させる。カメラの前で語るパーソナルな告白は、本人には辛いものに違いないのだが、それは自身のセラピーとなり、希望を見出すきっかけにもなっていった。監督のビン自身も自分の生い立ちと自らが抱えてきたトラウマに向き合うことになる。母親をインタビューするビンを捉えた画面から、彼の複雑な思いが伝わり、そこに行き着く道のりがこの作品の心髄だと感じた。


 かつて栄えたこの地域では、いわゆるミドルクラスが多く、人種の棲み分けもなかった地域だったという。汗をかいて働けば人並みを暮らしができた。ところが産業構造の変化によってこの地域はすっかり輝きを失ってしまった。ここに登場する3人の住む場所も、決してスラムではないし、広くはないが一軒家に住み、貧しいが何とか生活は成り立っている。家族に問題を抱えてはいるが、非行や犯罪に走るわけではない。この作品は、アメリカの根深い問題を映し出しているように思う。街も人も閉塞感に飲み込まれ、まっすぐに生きようとすればするほど、希望が見出せなくなっているのは、一枚岩に思えたアメリカで、保たれていた均衡が崩れかけているのだろうか。


 原題は「Minding The Gap」。様々な「溝や隔たり」にぶつかる若者の姿を自身が撮り続けたエモーショナルで秀逸なドキュメンタリー。「アメリカで最も惨めな街」のひとつ、この行き止まりのような場所で、3人の若者が自分自身と向き合って掴んだ小さな希望と現実的な歩みを応援せずにはいられない。

 サンダンス映画祭をはじめ59もの賞を受賞している。(★★★★加賀美まき)


2020年8月6日木曜日

シチリアーノ 裏切りの美学

組織に忠誠を誓った男は、何故「血の掟」を破り政府に寝返ったのか

シチリア・マフィア史上の驚くべき実話を映画化



IL TRADITORE


2019年/イタリア、フランス、ブラジル、ドイツ


監督:マルコ・ベロッキオ

脚本:マルコ・ベロッキオ、ルドヴィカ・ランポルディ、ヴァリア・サンテッラ、

   フランチェスコ・ピッコロ

出演:ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、マリア・フェルナンダ・カンディド、

   ファヴリツィオ・フェラカーネ

配給:アルバトロス・フィルム、クロックワークス

上映時間:145分

公開:2020年8月28日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、

   Bunkamuraル・シネマ他 全国公開

HP:https://siciliano-movie.com


●ストーリー 

 1980年代初頭、シチリアでは、マフィアの全面戦争が激化していた。パレルモ派の大物トンマーゾ・ブシェッタ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)は、抗争の仲裁に失敗しブラジルに逃れるが、残された家族や仲間達はコルレオーネ派の報復によって次々と抹殺されていった。

 その後、ブラジルで逮捕されイタリアに引き渡されたブシェッタは、マフィア撲滅に執念を燃やすファルコーネ判事(ファウスト・ルッソ・アレジ)から捜査への協力を求められる。麻薬と殺人に明け暮れ、堕落した犯罪組織となったコーザ・ノストラに失望していたブシェッタは、固い信頼関係で結ばれたファルコーネに組織の罪を告白する決意をするが、それはコーザ・ノストラの“血の掟”に背く行為だった。


●レヴュー 

 1980年代のイタリア、シチリアのパレルモは、ヨーロッパ中の麻薬が集まり犯罪の巣窟と言われるような場所。その地を牛耳るのが「コーザ・ノストラ」というマフィアの一大組織だった。そのファミリーの1つ、パレルモ派の大物が実在したマフィア、トンマーゾ・ブシェッタでこの物語の主人公。のちに司法当局に協力し、その情報提供によりマフィアは掃討されることになる。


 冒頭は、美しい海を臨む豪邸にコーザ・ノストラの2つのファミリーが集う、ゴージャスなパーティーのシーン。表向きは均衡を装っているが、その裏では血を血で洗う抗争が続いていた。前半はブシェッタが組織から離れ、海外に潜伏、その後捕まってイタリア政府に身柄が引き渡されるまでが描かれる。

 後半、ブシェッタはイタリアに移送され、マフィア撲滅に執念を燃やすファルコーネ判事と対面する。彼の説得に応じ、組織を裏切って全ての情報を当局に渡すことになる。マフィアは一網打尽にされ、彼の告白により457人が起訴され、360人が有罪となった歴史的な裁判シーンへ。大法廷で、マフィアたちは法廷を半円に囲むように分割された檻に入れられ、そこで繰り広げられる裁判の光景に驚かされる。81歳になる巨匠マルコ・ベッキオ監督は、独特の美学でブシェッタの姿とこの抗争劇を演出している。劇中、次々と殺されていく関係者。ブシェッタの息子たちも貶められ身内に無残に殺され、裁判が進む裏でもブシェッタに対する報復が繰り返される。判事も移動中に橋ごと爆破されて死亡する。抗争で死んだ人の数がカウントアップされていき、数字は最後に157に。この抗争がいかに激しいものだったか想像を絶するが、人の命がかくも軽く扱われるのかと思うと恐ろしく、実話を元に描かれているだけに、劇場的なこうした演出に少し胸が痞えた。

 

 原題の「IL TRADITORE」は、裏切り者の意味。トンマーゾ・ブシェッタを描く作品は、いままであまりなかったという。「血の掟」という固い絆で結ばれた組織の大物が自己の全てを投げ打って新生する。その結果がただの改悛なのか美学を持った裏切りなのか、それがあまり釈然としなかった。組織の全てを当局に渡した理由。それは彼が理想とする高潔なマフィアが、麻薬売買に依存する堕落したものになっていったからだろう。冒頭でブシェッタが思うマフィア像は既に崩れていて、彼の変化は、その時から始まっていたということになる。判事との間にどのようなやりとりがあり、ファミリーを率いていたほどの大物に起きた心境の変化の核心は何だったのだろうか。ブシェッタを演じるピエルフランチェスコ・ファヴィーノの存在感が光っていただけに、ブシェッタのそれまでに生き様や彼が理想とするマフィアの美学を見たかったと思う。実際をあまり知らない日本人だからかもしれないのだが。

 本作は2020年のイタリアアカデミー賞で作品賞や監督賞を含む最多6部門に輝いた。シチリアは、地中海の中央に位置し、歴史的にも要衝としてさまざまな民族の覇権争いの地となってきた場所。そこに存在してきた闇を、作品ではしっかりと照らし出している。今のシチリアを旅してみたいと思う。(★★★☆加賀美 まき)

2020年7月17日金曜日

パブリック 図書館の奇跡

「パブリック=公共」とは何かを、あらためて考える、エミリオ・エステベス監督・主演作



The Public
2018年/アメリカ
監督:エミリオ・エステベス
出演:エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、ジェナ・マローン、クリスチャン・スレイター
配給:ロングライド
公開:7月17日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館にて
公式HP:https://longride.jp/public/



●ストーリー
大寒波に見舞われたシンシナティで、ホームレスたちが暖をとるために、朝から図書館に列をなしている。
図書館員のスチュワートは、彼らに対して寛容な態度で接しているが、かつて“匂い”の抗議を受けて図書館から追い出したホームレスによる訴訟で、自分が訴えられていることを知る。
凍死者も出る寒さの中、シェルターに入れなかったホームレスたちが、凍死を避けるために集団で図書館に居座ろうとする。そこでスチュワートがとった行動とは。

●レビュー
本作を見ていて頭に浮かんだのは、台東区で起きた災害時に公共の避難所でホームレスを拒否した事件と、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だ。

「公共(映画の原題であるThe Public)」が何であるかを理解するのは難しいが(致し方がない部分もあるが)、アメリカでもそれは変わらない部分もあるのだろう。

実は僕も「直営サービス、行政サービス、公共サービス、市民社会サービス」がどう違うのかはよくわかってない。 認証保育所と認可保育所の違いも。いい歳なのに、世の中の仕組みのことがさっぱりわかっていなし、わからないまま死ぬのかもしれない。

公共図書館は、国家による本の無料レンタルショップと思いがちだが、それは違う。公共図書館の役目は、ただ本を貸すだけではなく、すべての人に教育や知識の場を均等に与えることだ。それは本を読むだけではない。たとえば、いま、何かを手続きしようとしても、「ホームページをみてください」とお役所だって言うし、調べ物も本よりもネットの方が早い。しかし世の中には、パソコンだって買えない人もいるのだ。図書かが奉仕すべきは行政ではなく、それを利用すべき人々、そしてその機会はすべての人に、建前上でも均等に与えられなくてはならない。

池袋の老人暴走の交通事故のあと、「上級国民」と揶揄する声が上がったが、何となくそれに嫌な感じがしたのは、その声を上げている人たちが、自分が「中級」を自明としているような気がしたから。「中級国民」は、上級に不満を言いつつも、「下級」という層を作って差別していないのかと。

そんな差別が何となく出てしまったのが、台東区の災害時の避難所でホームレスを拒否した事件だ。基本的には、公共の場はすべての人を受け入れることになっているが、台東区では「住所不定の人は受け入れない」という独自判断をした(他の区ではなかった)こと。これは行政が「想定していなかった」と言い訳をしたが、行政がどこも想像力に欠けているはわかる。

ただし、一般人のコメントに「ホームレスを一緒に入れないでくれ」という声も多かった。「税金も払っていないのに」(公共サービスは有料のものもあるが、納税で差別はされない)とか、その目線は何となく、日頃彼らが不満をぶつけている上級国民がするものとそう変わらなかった。

映画の内容からはだいぶ離れてしまったが、本作はそんな「公共」とは何かを考える作品で、主人公は「公共」の精神を守ろうとして「行政」と対立することになる。「公共」は「行政」の出先機関ではないのだと。

映画はエステベス人脈なのか、低予算映画ながら、アレック・ボールドウィン、クリスチャン・スレイターなどのスターも揃えている。ただし、脚本がうまく整理されておらず、いらないキャラやエピソードもあり、満足のいく出来とは言い難い。語り口もまったりしている。
題材は面白いと思うのだが、2時間を長く感じてしまう。枝葉を切って90分ぐらいにすれば、もっと見やすくなったのではないか。★★★前原利行)

2020年6月12日金曜日

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

四姉妹の成長を描いた「若草物語」とその続編である「続 若草物語」の瑞々しい映画化


Little Women
2019年/アメリカ
監督:グレタ・ガーウィグ
出演:シアーシャ・ローナン、エマ・ワトソン、ティモシー・シャラメ、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、ローラ・ダーン、メリル・ストリープ
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公開:6月12日より全国
公式HP:https://www.storyofmylife.jp/


●ストーリー

1860年代、ジョーはニューヨークの出版社に原稿を持ち込んでいた。そんな彼女の脳裏に7年前の家族の姿が蘇る。父親が南北戦争に従軍し、留守になったマーチ家。しかし優しい母(ローラ・ダーン)のもと、しっかり者の長女メグ(エマ・ワトソン)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン)、三女ベス、末っ子のエイミー(フローレンス・ピュー)の四人は楽しく暮らしていた。裕福な未亡人の叔母(メリル・ストリープ)は、裕福な相手との結婚が女性としての幸福だという。やがて彼女たちの輪に隣家の少年ローリー(ティモシー・シャラメ)も加わるが、ジョーは彼の想いを拒否する。

●レヴュー

『レディ・バード』などの女性監督グレタ・ガーウィグによる、オルコットによる自伝的小説「若草物語」と「続若草物語」の映画化だ。主人公ジョーを演じているのは、その『レディ・バード』の主演シアーシャ・ローナン。グレタ・ガーウィグが主演した『フランシス・ハ』を見ていると、シアーシャ・ローナンがガーウィグによく似ていることがわかる。ローナンは本作でアカデミー主演女優賞にノミネートされたが、それも納得の好演だ(本作はアカデミー賞主要6部門ノミネート)。

映画の時間軸の“現在”は、姉妹たちが実家を離れた後。主人公のジョーが過去を振り返る形で、現在と過去の話が入り混じる。「古めかしい古典」かと思って見ていると、その予想は外れる。100年前の家族愛や女性の悩みが語られるが、それは実に今日的なのだ。古典を新鮮な語り口で、今も女性たちが抱える問題として蘇らせたガーウィグの手腕はすばらしい。

女性はなぜ男性と同じ幸せを得られないのか。この社会は男性中心で作られていることは、今も変わらない。結婚していない女性、子供を産めない女性を「かわいそう」などと平気で言う女性は今もいる。女性の価値は、結婚する相手で決まると信じている女性もいる。結婚を人生のゴールとする価値観は、未だに健在なのだ。しかし結婚が人生のゴールとする男性はほとんどいない。

マーチ家の四姉妹は、これから大人になる様々な女性たちの価値観の現れだ。それは現代でも変わっていない。今では結婚をしなくても女性は生きていけるが、それでも独りの寂しさは消えないだろう。劇中で、ジョーが自分を愛する男性の求婚を拒否するが、同時に分かち合えない寂しさを感じる。誰が正しいか正しくないかなんてわからない。正解のない人生の中で、それぞれが自分の道を選択して生きていく。それが初々しく、この映画自体が「古典」となる美しさを持っている。邦画の『海街diary』のように、いつまでもこの四姉妹と一緒にいたくなる。そんな作品だ。(★★★★ 前原利行)

2020年6月7日日曜日

15年後のラブソング

大人になりきれない大人たちのラブコメディ

Juliet,Naked

2018年/アメリカ・イギリス

監督:シェシー・ペレッツ
脚本:エフジェニア・ペレッツ、ジム・テイラー、タマラ・ジェンキンス
出演:ローズ・バーン、イーサン・ホーク、クリス・オダウド
配給:アルバトロス・フィルム
上映時間:97分
公開:2020年6月12日(土)、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開

●ストーリー 
 仕事もあり、長い付き合いの恋人ダンカン(クリス・オダウド)もいる30代後半のアニー(ローズ・バーン)。周囲からは安定した生活を送っていると思われていて、特に不満があるわけではないのだが、日々なんとなくモヤっとした思いを抱いていた。
 そんな折、1990年代に表舞台から姿を消した、ダンカンが敬愛する伝説的ロック・シンガーのタッカー・クロウ(イーサン・ホーク)から1通のメールが届く。それがきっかけとなり、イギリスの港町サンドクリフとアメリカ・ニュージャージー州の田舎町をつなぎ、彼らの奇妙な三角関係が始まる。

●レヴュー 
 それなりにやりがいのある仕事を持ち、腐れ縁のパートナーと一緒に暮らす主人公アニー。今の生活は安定しているが、なんとなくモヤモヤしているこじらせ女子。ある年齢に達して、そういう思いに陥っている人は少なくないかもしれない。そんな彼女に絡む二人の男性も大人になりきれない男たち。アニーと同居するダンカンは、90年代に表舞台から姿を消した伝説のロックシンガーに陶酔し、アニーそっちのけで彼を追うSNSの運営に忙しいオタク系。そのロックシンガーは、音楽活動を放棄して仕事もせず、元妻の家の倉庫に間借りして幼い息子と暮らしている超ダメ男。そんな彼には子供が5人もいるらしい。三人にはそれぞれに苦い経験や人に言えない思いがあるのだが、それを心に封印して毎日をやり過ごしてきてしまったようだ。年齢、性別や境遇で共感ポイントは違ってくると思うのだが、この三人をなぜか憎めない。その男女を三人の俳優が見事なアンサンブルで好演している。
 
 ある日、アニーはダンカンのSNSサイトに批判的な投稿をしたところ、タッカー本人から返信の書き込みが来る。それをきっかけに二人は繋がり、漫然としていた日々が少しずつ変化していく。新しい何を模索していく成り行きがさらりと描かれ、いくつかのトピックが軽妙に演出されていて心憎い。これから大人になる人も、今モヤっとしている人も、もう大人になりきってしまった人にも楽しめる小粋な作品だと思う。

 伝説のロックシンガーを演じたのはイーサン・ホーク。「いまを生きる」(89年)で、気弱な生徒を演じた美少年も、このところ「大人になれないダメ男」がはまっている。それがなぜかチャーミングに見えるのは、幅広い役を演じ分けるイーサン・ホークならではの魅力だろう。かくいう筆者も長年のファン。若いころのイーサンの写真が登場し、劇中、彼の歌声が聞けるのは嬉しい。また、タッカーの曲をネイサン・ラーソンやロビン・ヒッチコックといった面々が提供。90年代のオルタナティブロックのムーブメントが各所に散りばめられ、楽しめる作品になっている。
 原作は「アバウト・ア・ボーイ」などで知られるニック・ホーンビィの『Juliet, Naked』。イギリスの港町サンドクリフの風情がとてもいい。(★★★☆加賀美まき)



2020年2月20日木曜日

名もなき生涯



自らの信念を貫き通しナチスに立ち向かった男。
名匠テレンス・マリックが知られざる実話を映画化。


A Hidden Life
2019年/アメリカ・ドイツ

監督・脚本:テレンス・マリック
出演:アウグスト・ディール、ヴァレリー・パフナー、ブルーノ・ガンツ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
公開:2月21日(金)TOHOシネマズシャンテほかロードショー

■ストーリー

1938年、オーストリアはナチス・ドイツに併合され、その影響は山間の片田舎にまで及ぼうとしていた。農夫のフランツはファニと結婚し、幸せな家庭を築いていたが、たびたび軍事演習に駆り出され、時おり家族と離ればなれになっていた。フランスが降伏したことで戦争は終わるかに見えたが、戦火は広がる一方で、村人たちはナチス党の煽動に飲み込まれて行く。しかし、フランツはヒトラーの思想に疑問を持ち、村長や司教の説得にもかかわらず戦争協力を拒否する。家族が「裏切り者」として村八分にあう中、フランツに召集令状が届くのだった。

■レビュー

まず、こんな人物がいたのか、と驚かされる。
主人公フランツ・イェーガーシュテッターはオーストリアのザンクト・ラーデグント村出身の実在の農夫。映画はフランツとその妻の書簡集『監獄からの手紙』を元にしている。オーストリアがナチス・ドイツに併合されてから、ファシズムは長閑な農村にまで及ぶ。当時の農村というのは互いに助け合い、種まきから収穫まで協同作業をしないと成立しない。周りとうまくやっていかないと生きていけない場所だ。

だが、フランツは村で集める戦争義援金を出す事も、兵役も拒否するようになる。彼の強固な意志は、ヒトラーへの反発というより、純粋に人を殺めることへの罪の意識から来るものだろうと推測する。映画には描かれていないが、意外にもフランツはファニと出会い結婚するまでは暴力的で粗野な男だったらしい。もともとカトリックの信仰に厚い土地柄ではあったようだが、彼女からの愛、彼女を通じた神の愛の発見によって彼が変わったのは想像に難くない。一方で、彼の内なる暴力性は反ナチスへと向かったのかもしれない。現代でいう”パンキッシュ”な形で。

テレンス・マリックの作風は『シン・レッド・ライン』『ツリー・オブ・ライフ』を観ても一貫してるように思う。人間を自然の中の一部として捉える。キリスト教的な神との対話を描きながら、万物に宿る八百万の神をも描いているように見える。人間社会が相対化され、とるに足らない世界に見えてくる。縦横無尽でダイナミックなカメラワークも健在だ。『ベルリン天使の詩』で堕天使役、『ヒトラー〜最後の12日間』でヒトラー役を演じたブルーノ・ガンツのキャスティングも興味深い。

フランツは兵役を拒否したためにベルリンへ送られ収監される。この時期、妻へ手紙を許されたのは月に一度だけだった。独り身ならいいが、三人の子供も妻もいる家長である。本来、守るべきは家族ではないのか?と疑問に思うが、この過酷な状況で信念を貫き通そうとする。名もなき人物のこの行動は、当時、特にニュースとなったわけでもなく、キリストのように十字架にかけられ聖人化されたわけでもなく、何の意味もなさなかったはずだ。だが発掘された事実は、後世に生きる我々に大きなものを投げかけてくる。目の前に見えるものだけを観ていればいいのだろうか?ということを。

(カネコマサアキ ★★★☆)

2019年10月30日水曜日

永遠の門 ゴッホの見た未来

At Eternity’s Gate

 ゴッホの最期の日々を描く。ウィレム・デフォーの熱演が光る


2018
監督:ジュリアン・シュナーベル(『バスキア』『潜水服は蝶の夢を見る』)
出演ウィレム・デフォー、ルパート・フレンド、オスカー・アイザック、エマニュエル・セニエ、
   マチュー・アマルリック、マッツ・ミケルセン
配給:GAGA、松竹
公開:118日より新宿ピカデリー他
公式HP : gaga.ne.jp/gogh/

■ストーリー
画家としてまだ評価されていなかったフィンセント・ヴァン・ゴッホは、出会ったばかりの画家ゴーギャンの「南へ行け」というアドバイスを受け、南仏のアルルにやってくる。しばらく安宿に滞在していたゴッホだが、カフェのジヌー夫人の紹介で「黄色い家」を紹介してもらう。やがてゴッホは絶対の美を見出していくが、孤独は彼と住民の間にトラブルも引き起こしていた。一見を案じた弟のテオは、金銭的な援助を条件にゴーギャンに兄と合流することをすすめる。

レヴュー
 1887年から1890年までのゴッホの最晩年を描いた映画。ゴッホ役のウィレム・デフォーの演技は高く評価され、ヴェネチア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞したほか、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた。弟のテオにはルパート・フレンド、ゴーギャンにオスカー・アイザック、ジヌー夫人にエマニュエル・セニエ、ガシェ医師にマチュー・アマルノック、聖職者にマッツ・ミケルセンと他のキャストも豪華だが、全編デフォーは出ずっぱりだ。

一応、事実に沿ったゴッホの伝記映画風にはなっているが、セリフは少なく、カメラはただゴッホの姿を追う。
ゴッホだけのシーンが全体の半分ぐらいあるのは、ゴッホが孤独だからだろう。
撮影時62歳ぐらいのデフオーが、37歳で亡くなったゴッホを演じているが、特に違和感はない。
撮影はかなり特殊で、大半がゴッホに近寄った手持ちカメラの長回しと、遠近両用レンズを使ったゴッホの主観に近い映像だ。
画面は斜めになったり揺れたりして、人によっては前の方で見ていると酔うかもしれない。
遠近両用レンズを使った映像は、そのタイプの眼鏡を持っている人ならわかるだろうが、上半分でピントが合っていたら、下半分はボケで見える状態になっている。これは、他の人には見えない世界が見えたゴッホの視点を表している。
野心的な映像だが、それが効果的かどうかは個人的には疑問。画面が落ちかなくて集中できないからだ。

本作のゴッホの姿が次第にイエス・キリストにダブってくるのは偶然ではない。
そもそもデフォーは『最後の誘惑』でイエスを演じていたし、本作でも神父との問答で自分とイエスを重ねているゴッホのセリフが出てくる。
ゴッホは画家になる前は神父を目指していたので、聖書に詳しい。
「なぜ神は、誰も欲しがらない絵を描く才能を私に与えたのか。それは私の絵は、未来の人々のためのものだから」とゴッホは神父に言う。
イエスの教えも同時代の人々には受けいられなかった。
その時点では、キリスト教も“未来の宗教”だったとゴッホは言う。

かといってゴッホは聖人ではない。
特に彼の身近に暮らしていた人にとっては、いつ人に危害を加えるかわからない危ない存在だった。
映画でもセクハラまがいのことをしたのに、「記憶にない」とゴッホに言わせている。
南仏では子供に石をぶつけられて追いかけるが、最後には子供が自分に犯した罪を自ら被って死んでいく。

ゴッホが絵を描くシーンの多くは、デフォーが実際に描いている。
ゴーギャンが「早く描きすぎ」というように、ゴッホの筆は早く、ためらいがない。
なので実際にデフォーが描く必要があったのだ。
より複雑なタッチの部分は、監督のジュリアン・シュナーベルの手によるもの。
本作に飾られているゴッホの模作の多くもシュナーベルによって描かれたものだ。

シュナーベルは、バスキアなどで知られる1980年代の新表現主義の代表作家で、のちに映画監督も始め、『バスキア』『潜水服は蝶の夢を見る』などを送り出した。
そんな画家としても一流の感性が本作には込められている。

映画は最近のゴッホ研究により、ゴッホ自殺説を否定している。
ゴッホの油絵が動くタッチで作られた映画『ゴッホ 最期の手紙』もそうだった。
ゴッホは自殺した悲劇の画家ではなく、最期まで自分の芸術に向き合った。
彼の作品からそう考える方が、腑に落ちるのだろうな。

ハリウッド映画しか見ていない人には、タルかったり、きつかったりするかもの映画。
正直、僕もピンと来たわけでなく、夢うつつの中でゴッホと生活を共にしたような非現実感に包まれていた。
ただしデフォーの熱演や、各俳優の存在感、神父との問答は面白く感じた。
ゴッホは少年の罪を許し、かぶって死んだ。キリストのように。
そして、今、私たちはそのゴッホを信仰している“未来”に生きている。
  (前原利行 ★★★


2019年9月21日土曜日

ホテル・ムンバイ


Hotel Mumbai
 
 

2008年に起きた「ムンバイ同時多発テロ」を基に描く

2018年/オーストラリア、アメリカ、インド

監督:アンソニー・マラス
出演:デヴ・パテル(『スラムドッグ$ミリオネア』『奇蹟がくれた数式』)、アーミー・ハーマー(『君の名前で僕を呼んで』)、ナザニン・ボニアディ(『パッセンジャー』)、アヌパム・カー(『ビッグ・シック 僕たちのおおいなる目ざめ』

配給:ギャガ
公開:927日よりTOHOシネマズほか全国で公開
公式HPgaga.ne.jp/hotelmumbai/

●ストーリー
 20081126日、臨月の妻と幼い娘と暮らす給仕のアルジュンは、いつものように仕事先のタージマハル・ホテルへ向かった。その日、ホテルには生後間もない娘とシッターを伴ったアメリカ人建築家デヴィッドと妻のザーラ、ロシア人実業家のワシリーなども泊まっていた。一方、ゴムボートでムンバイに上陸したテロリスト集団はまずCST駅を襲撃。別の集団は外国人でにぎわうコラバのカフェを襲った後、タージマハル・ホテルに逃げ込んだ人々に混じって入り込み、無差別に射撃を始める。

●レビュー
 この事件の数年前、このタージマハル・ホテルに泊まったことがある。このホテルは単なる高級ホテルではない。19世紀末、インド有数の財閥であるターターが友人とホテルに行ったところ、「欧米人専用である」と入場を断られた。そのことがターターに、インドにインド資本の一流ホテルを建てなければならないと決意させ、1903年にこのホテルが完成した。つまり映画のタイトルのように、タージマハル・ホテルは、ムンバイの町やインドの象徴でもあるのだ。そのためにテロリストたちの標的にもなったのだろう。

 本作では実際に起きた事件のリサーチに時間をかけ、事件に巻き込まれた多くの人たちの要素をまとめて何人かのキャラクターを作り出している。映画の主人公のひとりであるアルジュンもそんなひとりだ。ホテルの給仕でシク教徒だ。演じるデヴ・パテルは、出世作となった2009年の『スラムドッグ$ミリオネア』のラストシーンで踊ったCST駅が、撮影数ヶ月後にテロの舞台になったことを忘れていなかったという。

 映画はテロ事件の様子を、冷静に映し出していく。正直、人は誰かが撃たれるまで危機感はない。銃を堂々持って歩いても「あれ?」というぐらいの感じなのだ。犯人たちはCST駅のトイレで銃を準備し、無造作に外に出て撃ちまくる。伏せようが死んだふりしようが関係ない。別グループは、僕も何度も行ったことがあるコラバの名物カフェのレオポルドへ。ここは六本木のアマンドみたいに繁華街に面した場所だ。こんなところで犯人が入ってきたら、もうどうしようもない。外国人なら隠れても探し出されて射殺されるだけだ。映画では、運良くレオポルドを脱出した外国人カップルが、運悪くタージマハル・ホテルに避難するシーンがある。徒歩5分程度だし、テロが起きた時に高級ホテルが一番安全な避難場所と思うのも無理もないかもしれない。その時点ではテロの標的が何かもわからないのだから。映画では描かれていないが、タージマハル・ホテルと同時に、やはり高級ホテルのオベロイも襲われ、そこでは日本人ビジネスマンひとりが犠牲になっている。

 しかし映画を見ていて思ったのは、銃を持った男が一人いたら一般人100人ぐらいはすぐに殺せるということ。もう、戦うなんて不可能。それはキアヌとかセガール映画の世界。そしてこうした無差別殺人の場合、逃げても隠れても、助かるか助からないかは自分の行動ではなく、単なる運しかないってことだ。走って逃げても撃たれる。隠れても、見つかるのは時間次第だ。本作でも、主要登場人物の多くが途中まで生き延びても、ほとんど抵抗できないままあっけなく死んでいく。テロリストたちにとっては、人を殺すのはゴキブリを叩くのと同じぐらいの感覚なのだ。

 一方、映画はテロリストたちの素顔も描いていく。彼らの多くは少年と言ってもいい年頃だ。イスラーム過激思想に洗脳され、死ねば天国に行けると思っている。また、お金が目的で参加したものもいる。彼らもまた「神のために人を殺せ」と言われて従順に従い、最後は射殺される使い捨ての犠牲者だ。首謀者は携帯で指示するだけで、自分は安全な場所にいる。洗脳された少年が、女性の頭を平然と撃ち抜く姿は怖い。

 中盤から、ホテルの中に舞台が限定されていく。たった3人の少年たちが各部屋を回って宿泊客を撃ち殺していく間、取りかこむ数百人の警官隊は何もできない。多分アメリカなら3時間で決着つくと思うが、インドではテロ終結まで60時間もかかってしまう。まあ、しかし日本で同じようなテロが起きたら、多分インドとそう変わらないことになるだろう。お役人は誰も責任を取りたくないから、突入しないのは目に見えている。

 前述の通り、このホテルに泊まったことがあるので、ついつい自分だったらどうするかとリアルに感じて観てしまった。もちろんこの映画には欠点もある。宿泊客たちの描きこみが弱かったり、ホテルスタッフが美化されているような気がしたり、実際のタージマハル・ホテルのロビーとは似ておらず、最後は無理やりハッピーエンド感があるなどだ。しかし、まあそれは細かいところで、大筋としてはあのテロ事件をうまく映画化したと思う。そして最も憎むべきは、人を憎むように少年たちを教育した輩だ。そしてもし自分があの場にいたらどうすべきなのか。回答がない自問かもしれないが、考えざるをえない作品だ。
★★★☆

2019年4月4日木曜日

ROMA/ローマ

本年度暫定マイベストワン! 内容、風格とも素晴らしい 


 
2018年/メキシコ、アメリカ
監督:アルフォンソ・キュアロン(『ゼロ・グラビティ』)
出演:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タピラ
配給:Netflix
公開:公開中
劇場情報:アップリンク渋谷、シネスイッチ銀座ほか


今年のアカデミー賞作品賞最有力と言われながら、劇場での限定公開、
そしてメインが動画配信サイトのNetflixでの公開のためで惜しくも3部門の受賞にとどまり、
選考基準にも一石を投じた作品。
ただし、映画自体は文句なくすばらしく、また作品賞を取ってもいい格調であるあることは確か。
そして動画配信作品ながら、もっとも映画館の環境で見るべき作品だ。もし、見に行くか迷っている人がいたら、公開が終わる前に必ず行くべし! 
パソコンのモニターとスピーカーで見たら、映画の良さの1/10ぐらいしか伝わらないからだ。
ベネチア映画祭では最高賞の金獅子賞、アカデミー賞では外国語映画賞、監督賞、撮影賞を受賞



舞台は1970年から71年にかけての、メキシコシティのローマ・コンデンサ地区。
若い先住民の女性クレオはそこで医者のアントニオと妻のソフィアに雇われ、
住み込みの家政婦として働いている。
家には夫婦の子供たちが4人、ソフィアの母のテレサも暮らしていた。
ケベックへ仕事で出かけたアントニオだが、そのまま家には帰ってこなかった。
その前からソフィアとの夫婦関係はギクシャクしていたのだ。
一方、クレオは友達の恋人の紹介で、フェルミンという武術を習っている青年と付き合っていたが、ある日、彼に自分が妊娠したことを告げると、彼は戻ってこなかった。
クレオの出産予定日が近づき、テレサにつれられてベビーベッドを買いにいくクレオだが、
そこで暴動に巻き込まれてしまう。。。


上映時間2時間15分、モノクロ、映画のための劇伴音楽は一切なし。そして出だしはスロースタートと、見ていて眠くなってしまう要因は多いが、最初だけ我慢して見続けて欲しい。
冒頭、床とそこに流される水が数分にわたって映し出される。耳を澄ますと流れる水の音、
犬の吠える声、遠くを飛ぶ飛行機、通りの物売りの音がリアルに聞こえてくる。
カメラがパンすると、主人公である若い家政婦のクレオが映し出され、
それから彼女の日常の1日の仕事が始まる。
この生活音の音響設定が見事で、まるで自分がそこにいるかのように、
左右、前方から聞こえてくる。
スロースタートなのは、映画の世界に没入するようにするためだろう。
基本的には1シーンのカット割りが長い。というか、ほぼ1シーン1カットだ。
家の2階をゆっくりカメラが一周し、クレオの仕事とそこで暮らす家族を映し出す(これが劇中何度か繰り返される)。観客は間取りまで、完全に頭の中に入る。
ワイドスクリーンの画面をフルに使った画面構成は見事
クレアが家を出て町の通りを歩き、映画館に着くまでを長い横移動でほぼ1カットで見せる。
クレアがベビーベッドを買いにいくくだりでは、数百人のエキストラが動き、デモから暴動、
屋内の家具店内での事件からクレアの破水までを、ほぼ1カットの流れるような移動カメラで見せる。すごい迫力だ。
このカメラワークと、自然音の演出は、クレオの出産シーンやラストの海のシーンでピークに達する
そうした映画の中でインパクトが強いシーンの合間にも、印象的なシーンが多い。
というか、ほとんどが印象的なシーンといってもいい。
フルチンで武術をクレオに見せるフェルミンの滑稽さと、その後の最低男ぶりは、
誰かに語りたくなるほど。
フェリーニ映画(とくに『アマルコルド』)のような、大変なできごとを後ろの方で起きているユーモラスな絵のアンバランスが打ち消す。
たとえば深刻な状態でベンチに座り込んでアイスを食べている一家の後ろには巨大なカニの作り物(カニ道楽のような)があり、そして後ろでは結婚で喜ぶ新婚カップルが映し出されるなど、あげていけばきりがない。
さらに、メキシコにおけるメスティソと先住民との経済格差といった問題(先住民が多い地方の町はバスを降りると未舗装でドロドロだ)などが、重層的に盛り込まれている。
ただ、そうした階層の差を超えて、いつしか家政婦のクレオと雇い主のソフィアは、
男に苦しめられている女性という点で心情が理解し合えるようになるのだ。
もちろんアメコミ映画などとは違い、受け身で楽しめる映画ではない
しかし集中して見れば、不穏な空気がだんだん高まっていき、緊張を持って見ることはできるだろう。
なので、いつでも視聴を止められる環境で見ることは、あまり勧められない(集中が中断すると良さは半減する)。
そして、素晴らしい立体的な音響効果を堪能するには、やはり音のいい劇場空間で。
いや、本当に音が360度から聞こえてきて、びっくりした。THXならもっといいんだろうな(試してないがヘッドフォンやサラウンドシステムもアリかも)。
見る人を選ぶかもしれないが、今の所、本年度暫定ベストワンの作品だ。
★★★★☆

2019年1月31日木曜日

ヴィクトリア女王 最期の秘密


 晩年の女王と彼女に仕えたインド人の知られざる物語



2017年/イギリス、アメリカ
監督:スティーヴン・フリアーズ(『クイーン』『あなたを抱きしめる日まで』)
出演:ジュディ・デンチ(『マリー・ゴールドホテルで会いましょう』『007』シリーズ)、アリ・ファザル(『きっと、うまくいく』)、エディ・イザード、マイケル・ガンボン(『ハリー・ポッター』シリーズ)
配給:ビターズエンド、パルコ
公開:125日よりBunkamura ル・シネマにて公開中


●ストーリー
1887年、ヴィクリトア女王即位50周年を迎え、記念金貨の贈呈役としてインドからイスラム教徒の若者アブドゥルがやってきた。アドブゥルをひと目で気に入ったヴィクトリアは、彼を自分の身近に置くように命じる。長生きして愛する人を失ってきたヴィクトリアだが、アブドゥルを“ムンシ(先生)として”心を許すようになり、身分を超えた友情が芽生え始める。しかしアブドゥルを寵愛するヴィクトリアに、周囲は反発する。

●レヴュー
どこまでが事実かはわからないが、近年になって発見されたアブドゥルの日記や、
破棄を免れたヴィクトリアのウルドゥー語の練習帳などをもとにシャラバニ・バスが
小説を書き、それを映画化したしたのが本作だ。
ヴィクトリアは18歳にして即位。以来、在位期間が63年と7ヶ月に及んだ
イギリスの全盛期を象徴する女王だ。
その時代、イギリスは選挙制度が進み、近代国家として確立したが、
植民地支配を推し進めたという面もある。
ただしドイツなどの専制国家とは異なり、その時代のイギリスは立憲君主制が進み
政策は議会が決め、イギリスは女王といえど議会の決定を追認するしかなかった。
映画を見ていると、周囲は建前的には女王を敬うが、政策などには口を出させないことがよくわかる。
当時のヨーロッパの王室とは親戚関係にあり、
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とロシア最後の皇帝ニコライ2世の妻アリックスは孫だ。

ヴィクトリアは夫アルバートを愛していたが42歳の時に死別。
その後、イギリス帝国主義を推し進めた政治家ディズレーリを偏愛したことは知られていて、
彼の死のときに葬式に出たいと言ったことは有名(当時は身分的にかなわなかった)。
孤独のまま長生きしていたヴィクトリアが、晩年に出会ったのがインド人のアブドゥルだった。
本作でも描かれているように、70歳を過ぎたおばあさんが若いイケメン男子を寵愛するのは、哀れでもあり可愛らしくもある。たとえば自分の息子、いや孫に近いぐらいのアイドルに熱狂する日本のおばさんたちと変わらない。
しかし、長く生きていれば、それぐらいの楽しみがあっても何が悪いとも言える。
老人は老人らしく、何の楽しみもなく静かにしていればいいと、周囲は思うかもしれない。
でも生きがいもなく、ただ生きるのは苦痛なのだ。

それまで抜け殻のようになっていたヴィクトリアだが、インドからやってきたアブドゥルを見て
一目で気に入り、自分の手元に置くように命じる。
アブドゥルはインド皇帝であるヴィクトリアの側近になるという野心もあったにちがいない(映画ではアブドゥルが本当は何を考えているのかをワザとはっきりとは描かない(善良だが、都合の悪いことは言わないというしたたかな面もある)。
抜け殻の老人から、恋する乙女に変身するヴィクトリアを演じるジュディ・デンチは本当に素晴らしく、その演技を見るだけでもこの映画をみる価値はある。
実際、本作を批判的な人でもデンチの演技だけは絶賛している。

実際のヴィクトリアは、短期で直情的、そして教養がなかったと言われている。
映画に描かれているように、息子のアルバート皇太子とは仲が悪く(若い頃から不品行で親を悩ませ、それが原因で夫が亡くなったとヴィクトリアは思っている)、アルバートも母親が長生きなのでいつまでも自分が国王になれないと思っている。
ヴィクトリアは夫の死後、ひとり噂されたお付きの者がいたが、その彼も亡くなっていた。
長生きするということは、ひたすら愛するものを失う日々が続く。
いいことばかりではないのだ。
そんなヴィクリトアにとって物怖じしないアドブゥルは大きな光だ。
同じイギリス人は本音と建前があり距離感を作るが、利害関係がなく屈託のないインド人には心許せるのだ。

恋する乙女になったヴィクトリアだが、途中アブドゥルに妻がいたことを知って怒る。
アブトゥルからしたら聞かれないことは言わなかっただけだが、まあズルい(笑)。
インドに帰れとなるが、思い直して「妻も呼びなさい」と命じる。
やがてヴィクトリアはアブドゥルにウルドゥー語を習い始める(当時のインドの宮廷語)。
大英帝国のトップが、支配下の国の言葉を学ぶというのは当時としては大問題だ。
逆にみんなが英語を覚えろという時代だから。
しかしヴィクトリアはそんなことにはおかまいなしだ。
ただ2人になれる時間が欲しかったのだろう。
ヴィクトリアのインド熱は高まり、インドの寸劇を王宮で演じたり、インドの王族の広間のダルバールホールを宮殿内に作らせたりもする(事実)。

当然ながら、周囲はアブドゥルを嫌い、ヴィクトリアを諌めるものも現れる。
「どうしゃったのだろう?」と。それが表面化するのは、ヴィクトリアがアブドゥルを叙勲しようとした時だ。また、アブドゥルが女王に言っていた家柄とは違うこと、「インド大反乱」についてアブドゥルがイスラム教徒よりの見解を伝えていたことがわかってくる。
そしてヴィクトリアに死期が迫ってくる。

本作は実際にあった話をもとにしているが、あくまでフィクションだ。
アブドゥルは実在の人物で、晩年のヴィクリアに仕えたが、スキャンダルを恐れた皇太子のエドワードが書類や手紙を全て焼却してしまったのでわからない。
残っているのは、アブドゥルの日記と、ヴィクトリアのウルドゥー語の練習帳だ(何が書いてあるかわからなかったので焼却を免れた)。
しかしどちらかといえば、ヴィクトリアの歳の方が近い自分としては、老人の生きがい、愛する人が皆死んでしまっての長生きなどを考えてしまった。
はたから見たら、「うちのばあちゃん、何やっているの」だが、当人にしてみたらそれぐらいの自由は欲しいのだと。

ヴィクトリアを演じるジュディ・デンチは、ヴィクトリアを映画で演じるのはこれが2回目になる。魅力的な若者アブドゥル役に抜擢されたのは、『きっと、うまくいく』に出演していたアリ・ファザル。途中で自殺してしまうイケメン役だ。監督は『クイーン』などのスティーヴン・フリアーズ。
映画としての出来はふつうだが、イギリス映画らしい丁寧さは落ち着く。
フリアーズ監督の手堅い演出は映画的なスケール感はないが、上質のテレビドラマを見たような感じで、実は僕は好きだ。
またデンチの演技は必見なので☆をプラス。
★★★☆

2018年7月13日金曜日

バトル・オブ・ザ・セクシーズ



2018年 アメリカ
監督:ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス(『リトル・ミス・サンシャイン』)
出演:エマ・ストーン、スティーヴ・カレル
配給:20世紀フォックス映画
公開:TOHOシネマズ シャンテにて公開中

■ストーリー

 1973年、9月10日。女子テニスプレイヤーのチャンピオンのビリー・ジーン・キングと、元男子チャンピオンのボビー・リッグスが、多額の賞金と”女”と”男”のプライドを懸けて対戦した。全世界が見守る中、”バトル・オブ・セクシーズ”(性差を超えた闘い)が幕を開ける…。

■レビュー

こんな対戦が70年代のアメリカであったのか。
女子と男子が(年齢差はあるとはいえ)真っ向から勝負するなんて、今の感覚からするといささか滑稽に見えるが、マスコミの煽りやテニス協会の横槍、男性至上主義者たちの冷やかしに戸惑いながらビリー・ジーン・キング(名前にキングがついてるが女性である)は世紀のゲームマッチに挑んで行く。

テニスに詳しい人ならビリー・ジーン・キングの輝かしい業績は周知なのかもしれない。彼女は仲間とともに全米テニス協会を脱退し、女子テニス協会を立ち上げた。女子の優勝賞金が不当に安く(男子の1/8の金額だった)、男女平等を求めた末の行動だった。このゲームは、女子プレーヤーの地位向上ばかりでなく、フェミニズム運動の盛り上がりを象徴するような出来事として、人々の記憶に残っているようだ。

興味深いのはビリー・ジーン・キングの私生活だ。献身的な夫がありながら、別の人物に惹かれ、本当の自分を見いだして行く。実はLGBTQの問題を孕んでいるのだ。意外な背景に消化不良を起こしそうになるが、これが実話というんだから驚いてしまう。最近のMeToo運動の告発を見るにつけ、男女平等という点で果たして時代は進歩してるのだろうか?と訝しがってしまうが、先人たちの闘いに教えられることも多いはずだ。

(カネコマサアキ★★★☆)

■関連事項

この映画の試写を見る前日に、たまたまETV特集『Love1948-2018 多様な性をめぐる戦後史』という日本のセクシャル・マイノリティを検証したドキュメンタリーを見たせいか、とても連動感があった。機会があれば見てほしい。アメリカで言えば、フェミニズムもゲイ・プライドも50-60年代の公民権運動の流れにあるのだろうか。