2020年10月5日月曜日

わたしは金正男を殺してない

世界中に衝撃を与えた金正男暗殺事件、その闇に隠された真実に迫るドキュメンタリー



2020年/アメリカ
監督:ライアン・ホワイト
配給:ツイン
上映時間:104分
公開:2020年10月10日(土) 
   シアター・イメージフォーラム、ヒューマントラストシネマ有楽町、
   アップリンク吉祥寺他、世界最速公開
HP:https://koroshitenai.com


●ストーリー 
 2017年2月、マレーシアのクアラルンプール国際空港で一人の男が突然倒れた。神経猛毒剤VXを顔に塗られて死亡したその男は、北朝鮮労働党委員長、金正恩の実兄・金正男。そしてその殺害を実行したのはベトナム人とインドネシア人の二人の若い普通の女性だった。その様子は空港の監視カメラにす べて納められ、そのいたずらのような“ドッキリ”映像は世界を駆け巡ることとなる――。
 なぜ彼女たちは北朝鮮の重要人物を殺したのか。そもそも彼女た ちはプロの殺し屋なのか。様々な憶測が飛んだが、分かってきたのは、貧しい二人がそれぞれの人生を夢見、そこに付け込んでSNSを通して巧妙につけこみ罠をしかけてきた北朝鮮の工作員たちの姿だった。巨大な国を相手に彼女たちの無罪を信じ、証拠を積み上げていく弁護団の渾身の調査はやがてある真実に行きつく。

●レヴュー 
 この事件は、兎にも角にも衝撃的なものだった。白昼、人が行き交う国際空港のロビーでの犯行は、その次第が監視カメラに収められていた。犯行に使われたのが猛毒の神経剤VXで、何より、死亡したのが北朝鮮・金正恩委員長の実兄、金正男だったことに世界中が驚かされ、「暗殺」という言葉が世界を駆け巡った。それに続いて、二人の外国人女性が実行犯として捕まったことが報じられ、その後、金正男の長男という男性の動画が、動画サイトに投稿されたことを記憶している。不可解な点が多い事件だったが、その後の東アジアや北朝鮮情勢が目まぐるしく変化していったこともあって、センセーショナルだったことだけが記憶に残り、事件からもっとずっと時間がたったような気がしていた。

 このドキュメンタリーは、実行犯として逮捕されたインドネシアとベトナム出身の二人の女性に焦点が当てられている。貧しい生活から抜け出そうとクアラルンプールへ出てきたが、なかなか思うようにならない。そんな中、お金が稼げるという誘いにのってテレビ局のいたずら番組の撮影に加わることになる。結果、手に塗った猛毒をいたずらを装って男の顔に塗るという犯行に及び、重要人物の殺害の実行犯として逮捕、拘束されてしまう。しかし、彼女たちは何も知らなかったと主張する。殺人罪での起訴、有罪が確定すれば異国の地で死刑という中、その言い分が通るのだろうか。裁判を粘り強く取材し、SNSや監視カメラの映像を検証する中で、明らかになっていく彼女らの行動。複数の工作員たちが社会に入り込み、女性たちを巧みに操り実行犯に仕立てていった過程が見えてくる。繰り返し練習を行いながら機会を待ち実行に及んだという恐ろしい事実。そこには捨て駒として利用され、スケープゴートにされた女性たちの姿が浮き彫りになっていく。
 
 登場するふたりのジャーナリストの存在が際立っている。一人は司法制度にも詳しい地元の記者で、もう一人は北朝鮮事情に精通するワシントン・ポスト北京支局長。多角的な視点がこのドキュメンタリーを明解なものにしている。その後、裁判では無実が証明され、彼女たちは解放される。誰かを犯人にしなければならなかったマレーシア政府の思惑、彼女たちの出身国と北朝鮮の関係性が事件に幕を引かせた。殺人が行われたにも関わらず、首謀者が誰だったのかはわからず、誰も罰せられていない。多くの謎が残されたままだが、瞭然となったのは、この事件に巻き込まれた二人の若い女性が、人生の一部を奪われたという事実である。(★★★☆加賀美まき)