2020年7月17日金曜日

パブリック 図書館の奇跡

「パブリック=公共」とは何かを、あらためて考える、エミリオ・エステベス監督・主演作



The Public
2018年/アメリカ
監督:エミリオ・エステベス
出演:エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、ジェナ・マローン、クリスチャン・スレイター
配給:ロングライド
公開:7月17日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館にて
公式HP:https://longride.jp/public/



●ストーリー
大寒波に見舞われたシンシナティで、ホームレスたちが暖をとるために、朝から図書館に列をなしている。
図書館員のスチュワートは、彼らに対して寛容な態度で接しているが、かつて“匂い”の抗議を受けて図書館から追い出したホームレスによる訴訟で、自分が訴えられていることを知る。
凍死者も出る寒さの中、シェルターに入れなかったホームレスたちが、凍死を避けるために集団で図書館に居座ろうとする。そこでスチュワートがとった行動とは。

●レビュー
本作を見ていて頭に浮かんだのは、台東区で起きた災害時に公共の避難所でホームレスを拒否した事件と、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だ。

「公共(映画の原題であるThe Public)」が何であるかを理解するのは難しいが(致し方がない部分もあるが)、アメリカでもそれは変わらない部分もあるのだろう。

実は僕も「直営サービス、行政サービス、公共サービス、市民社会サービス」がどう違うのかはよくわかってない。 認証保育所と認可保育所の違いも。いい歳なのに、世の中の仕組みのことがさっぱりわかっていなし、わからないまま死ぬのかもしれない。

公共図書館は、国家による本の無料レンタルショップと思いがちだが、それは違う。公共図書館の役目は、ただ本を貸すだけではなく、すべての人に教育や知識の場を均等に与えることだ。それは本を読むだけではない。たとえば、いま、何かを手続きしようとしても、「ホームページをみてください」とお役所だって言うし、調べ物も本よりもネットの方が早い。しかし世の中には、パソコンだって買えない人もいるのだ。図書かが奉仕すべきは行政ではなく、それを利用すべき人々、そしてその機会はすべての人に、建前上でも均等に与えられなくてはならない。

池袋の老人暴走の交通事故のあと、「上級国民」と揶揄する声が上がったが、何となくそれに嫌な感じがしたのは、その声を上げている人たちが、自分が「中級」を自明としているような気がしたから。「中級国民」は、上級に不満を言いつつも、「下級」という層を作って差別していないのかと。

そんな差別が何となく出てしまったのが、台東区の災害時の避難所でホームレスを拒否した事件だ。基本的には、公共の場はすべての人を受け入れることになっているが、台東区では「住所不定の人は受け入れない」という独自判断をした(他の区ではなかった)こと。これは行政が「想定していなかった」と言い訳をしたが、行政がどこも想像力に欠けているはわかる。

ただし、一般人のコメントに「ホームレスを一緒に入れないでくれ」という声も多かった。「税金も払っていないのに」(公共サービスは有料のものもあるが、納税で差別はされない)とか、その目線は何となく、日頃彼らが不満をぶつけている上級国民がするものとそう変わらなかった。

映画の内容からはだいぶ離れてしまったが、本作はそんな「公共」とは何かを考える作品で、主人公は「公共」の精神を守ろうとして「行政」と対立することになる。「公共」は「行政」の出先機関ではないのだと。

映画はエステベス人脈なのか、低予算映画ながら、アレック・ボールドウィン、クリスチャン・スレイターなどのスターも揃えている。ただし、脚本がうまく整理されておらず、いらないキャラやエピソードもあり、満足のいく出来とは言い難い。語り口もまったりしている。
題材は面白いと思うのだが、2時間を長く感じてしまう。枝葉を切って90分ぐらいにすれば、もっと見やすくなったのではないか。★★★前原利行)