2020年7月11日土曜日

LETO


80年代のレニングラード。ロックで結びついた若者たちの青春を描く実話





LETO

2018年/ロシア、フランス

監督:キリル・セレブレンニコフ

出演:ユ・テオ、ローマン・ビールィク、イリーナ・ストラシェンバウム

配給:キノフィルムズ

公開:724日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか

上映時間:129




●ストーリー


1980年代前半、ソ連時代のレニングラードにも西側諸国の文化が浸透し、ロックミュージックに影響を受けたグループが次々と現れていた。その活動はまだアンダーグラウンドながら、人気を博していたバンドが「ズーパーク」だった。そのリーダーのマイクのもとに、ロックスターを夢見るヴィクトルが訪れる。人を魅了するヴィクトルの曲を聴き才能を感じたマイクは、ヴィクトルを何かと面倒を見てバックアップを行うことに。しかしマイクの妻のナターシャもまたヴィクトルに恋心を感じるようになっていった。不思議な三角関係の中、ヴィクトルはレコーデンィグを始める。



●レビュー


ロックがまだ商業化されていない、初々しい姿を描く音楽映画だ。ただ、それは50年代のアメリカでも60年代のロンドンでもなく、80年代のソ連での出来事。長らく西欧文化を拒んでいたソ連にも少しずつ自由化の波が押し寄せ、このころには西側諸国を30年にもわたって熱狂させていたロックが知られるようになっていた。大物ロックアーティストとして初めてソ連で公演を行ったのは、1979年のエルトン・ジョンだろう。その映像を見たことがあるが、観客はみな席から立ち上がったり騒いだりを禁じられていて、「ああ、やっぱり共産圏だな」と思ったことがある。



それまでソ連で密かには聴かれていた西側ロックだが、1980年のモスクワオリンピック前後から比較的自由に聴けるようになる。そしてそれに触発され、ロシア語のオリジナルのロックを歌うロックバンドも結成された。本作はそのソ連のロック黎明期と、のちに知られるようになるロックアーティストの青年期を描いた作品だ。



話の中心となるのは、ロシアの伝説的バンド「キノー」のボーカルであるヴィクトル・ツォイ、そして当時人気を博していたバンド「ズーパーク」のボーカルのマイク、そしてマイクのパートナーであるナターシャの三人の関係だ。アンダーグランドとはいえすでにソ連のロックの中では一目置かれているマイクが、自分より若いヴィクトルが持つ才能を見抜く。しかしナターシャも彼に惹かれていることを知り、嫉妬も混じった複雑な関係が生まれていく。



録音風景が出てくる「キノー」のデビューアルバム『45』がリリースされたのが1982年、デュランデュランの話題、デヴィッド・ボウイの新譜が『スケアリー・モンスターズ』(81)などから、映画の舞台は198182年ぐらいの出来事だろう。劇中でMTV風に演出されている英語曲は、時代的には古いヴェルヴェット・アンダーグラウンドやT・レックス、トーキング・ヘッズの初期曲などもあり、ロック解禁と共に古い曲も新しい曲も一気にソ連に入ってきたのだろう。



物語の合間に挿入される、MTVミュージックビデオ風の演出が楽しい。バスの乗客が突然歌い出すイギー・ポップの「パッセンジャー」、若者たちが列車内で大暴れするトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」、雨に打たれながら電話ボックスで出会った中年女性が歌い出す「パーフェクト・デイ」となど、ミュージカル的要素もあり、ただオリジナルを流すよりわくわくするし、フィルムに傷をつけたアニメのシネカリグラフの手法も面白い。



80年代、初めてウォークマンを手に入れた時、それで音楽を聴いている間は誰もが自分が映画の主人公の気分だった。この演出も、音楽が自分を物語の主人公にさせてくれる高揚感をぴったり表している。特に若者にとってロックは、自分が社会のパーツではなく、自分の物語の主人公であることを思い出させてれる存在かもしれない。実際にレニングラードの会場で演奏されているシーンと、脳内で盛り上がっている会場のシーンの対比もいい。みな、ああいうことを夢見ているのではないだろうか。つまらないと思っていた日常も、音楽や愛があればドラマチックな毎日に変わるのだ。



予備知識がなかったのでちょっと不思議だったのが、アジア系のヴィクトルがふつうにバンドに混じっていること。実際のヴィクトルは、朝鮮系カザフ人とロシア人とのハーフだった。そんなヴィクトルのエキゾッチクな容姿に、ナターシャは惹かれたのかもしれない。



生まれたばかりの(ソ連の)ロックシーンの初々しさ、そして青春の輝きをとらえた佳作だ。(★★☆前原利行



●映画の背景


シベリア鉄道の開通前後から朝鮮半島からウラジオストックなどの極東ロシアへ移住する朝鮮人が増えており、「高麗人」と呼ばれた彼らは、ロシアがソ連に変わるころにはその数は10万人ほどに増えていた。日本との戦争が迫るころ、スターリンは彼らを日本のスパイとみなし、17万人の高麗人を中央アジアに強制移住させる。当時の中央アジアには、敵になりそうなドイツ系移民やチェチェン人も強制移住させられていたという。カザフスタンに住んでいたヴィクトルの父親も、そうした高麗人のひとりだった。



●関連情報


ヴィクトルが作ったバンド「キノー」の名前の意味はロシア語で「映画」。「キノー」はロシアで成功したロックバンドのひとつで、ヴィクトル・ツォイは今でも「ロックの神様」的に高い人気があるという。しかし人気が出始めた19906月にヴィクトルは交通事故で亡くなり、キノーは解散した。