監督:藤野知明
上映時間:93分
●レビュー
監督の母校・北海道大学の研究者たちに盗まれた先祖の遺骨を、アイヌの人々が取り戻そうとする姿を追った昨年の『とりもどす-囚われのアイヌ遺骨-』('19)に続き、東京ドキュメンタリー映画祭2020で都内初上映された作品だ。
北海道の紋別や旭川などでは、毎年9月に川を登ってくるサケを迎え、自然に感謝し、豊漁を祈るアイヌの伝統儀式カムイチェプノミ(神の魚=サケを迎える祈り)が行われる。本作では、儀式に供えるサケを川で獲る際、その許可を取るようにいう警察や道庁の職員と、それを拒む紋別アイヌ協会の会長・畠山さんとのやり取りが見ものとなっている。
国や北海道と交渉してきた畠山さんたちが求めているのは、アメリカやカナダなどの先住民が既に取り戻し、認めさせてきた先住権と、その行使としての自由な鮭漁。話し合いが進展しないことから、畠山さんは許可申請せずに鮭を獲ると、「密漁」扱いで報道される。
取り締まる警察や、許可を取って下さいと何度となく頼みに来る道庁の職員も所謂悪人には決して見えない。いや、むしろきっと責任感の強い「いい人」たちが自分の仕事を真面目に全うしようとしているだけなのだが、話は当然の如く折り合わない。このSNS時代、カメラ前での行動がどんな印象を与え、影響を及ぼすかを流石に理解した人々の立ち振る舞いに見入ってしまう。お願いに来た担当者たちがどんなに腰が低く、人が良さそうでも、上と話が付かないことには問題の解決はない。とても差別的で残酷な行為を戦時中黙々と執行していたのは、家族思いの生真面目な役人だったという報告が頭をよぎる。
言い争う警官の言いぶんに思わず笑ってしまったり、道庁職員の帰り際にねぎらいの言葉をかけてしまう畠山さんの人の良さが滲み出る。既成概念や先入観のほころびを見るのが、映画を見る醍醐味であり楽しみだが、シビアなやり取りの合間にも垣間見られるアイヌの人々の大らかさが前作同様、そのまま本作の豊かな魅力や面白さになっている。
年に一度の儀式に供えるサケの十数匹くらい、当局も多めにみろよと、この映画を観た誰しもが恐らく思うだろう。ただ、当局=和人が恐れるのは、土地の所有も含めた先住権を求める声の高まりや広がりなのだろう。
アメリカのおもにアングロサクソンや中国の漢人の覇権主義的で高圧的な拡張政策にウンザリ憤る際、我が日本の和人がアイヌの人々にこれまでしてきたことや今現在していることを自覚しておきたい。
アイヌ同士の根深い部族抗争もかつてあったと聞けば、人の本能や宿命、限界を感じてしまう。ただ、先住民との問題に関しては、模範にできる先例が、問題だらけのアメリカや海外にはいくつもある。ハンセン病隔離政策の廃止が世界から30~40年遅れた我が日本にも、止めどないウイルスの蔓延を食い止める方法を模索するように、できること、すべきことがないわけはない。
(★★★★今野雅夫)
●関連情報
今回、その中の特集「映像の民族誌」の中から2プログラムを観る機会があった。一つは今回取り上げた『カムイチェプ サケ漁と先住権』(藤野知明監督)。もう一つは「ゾミアの秘祭」プログラム。『ナガのドラム』(井口寛監督)はミャンマーの山奥で巨木を繰り抜いて巨大な太鼓を作り、その完成を祝うナガ族の祭の記録だ。『アルナチャール人類博覧会』(本映画祭のプログラム・ディレクターでもある金子遊監督)は、インド北東部のゾミア(山岳地帯)に暮らす多くの少数民族をインド政府が集めて開催したフェスティバルで、少数民族が観光に利用される様を映した作品。いずれも興味深く拝見した。
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