2021年1月15日金曜日

羊飼いと風船

変わりゆく時代の狭間で揺らぐ、チベット遊牧民の一家を描く

BALLOON    

2019年/中国
監督・脚本:ペマ・ツェテン
出演:ソナム・ワンモ、ジンバ、ヤンシクツォ
配給:ビターズ・エンド
上映時間:102分
公開:2021年1月22日(金) シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
HP:http://www.bitters.co.jp/hitsujikai/

●ストーリー 
 チベットの草原地帯。タルギェ(ジンバ)、ドルカル(ソナム・ワンモ)の夫婦は、3人の息子とタルギェの父との三世代で牧畜で生計をたてながら暮らしている。父タルギェは力強い羊飼いで、働き者の母ドルカルは家を切り盛りしている。学校の長期休みには牧羊を手伝う長男、自然の中を駆け回る弟兄弟。仏教の教えと伝統文化を大切にする祖父が家族を見守っている。貧しくも昔ながらの素朴で穏やかな生活を送っていた。
 だが、家族に少しずつ波風が立っていく。祖父が亡くなり、時を同じくして、ドルカルの妊娠が明らかになる。だが、もう一人子どもを産めば罰金が課せられてしまう。彼女は子どもを堕したいと夫に告げるのだが・・

●レヴュー 
 チベットの大平原。遊牧民の一家の幼い兄弟が、楕円形の妙な風船を持って駆け回って遊んでいる。物語は、のどかな情景とそんな彼らの些細ないたずらからユーモラスに始まるのだが、様々な波に翻弄され苦悩する遊牧民家族の次第を映し出す展開になっていく。その中でも伝統と慣習の中にあるチベットの女性たちの姿が印象深く描かれている。

 今日、昔ながらの牧畜文化を継承していくのは、簡単ではないだろう。父タルギェは、父親からその精神を受け継ぎながらも新しい時代へ適応していかなくてはならない世代。遊牧民の暮らしは貧しく厳しいが、子どもを全寮制の学校に入れて、その学費のために羊を売る。種付けのための羊を友人から借り、バイクに括り付けて運び、力強く牧畜の作業をこなす。父の死は、友人と酒を交わしている時、スマートフォンで知らされる。
 一方、女性はどうだろうか。家族は穏やかに暮らしているが、母ドルカルは、朝起きてから寝るまで、家のこと、子どもや舅の世話、そして牧畜の仕事までも忍耐強くこなしている。それは遊牧民の女性たちの果たすべき伝統的な役割で、彼女自身もそのしきたりを大切にしているのだろう。だが、伝統的な生活と新しい生活様式との摩擦の中で困難な思いをしていることも伝わってくる。妊娠や出産についても同様だ。村の診療所は、女性たちにコンドームを配っているが、ドルカルはこれ以上の妊娠を避けるため、避妊手術を受けることを決める。しかし、その間に祖父が急逝し、そして彼女の妊娠が明らかになる。チベットの人々の宗教観をもってその子は輪廻転生による祖父の生まれ代わりだと喜ぶ夫。だが、これ以上子どもは持てないと考えるドルカルの決意は固い。遊牧民の女性たちは男性と対等であって、決して弱い立場ではないという。ドルカルの芯の強さが最後まで物語を引っ張っていく。そのような女性を演じたソナム・ワンモの演技と彼女の眼差しが印象的に残る。

 監督は小説家でもあるペマ・ツェテン。チベットの人々の精神文化と現代社会との関係性を描き、選択を迫られた人々の姿を描きたかったと語っている。だが、物語の結末は、観客に委ねられている。赤い風船が空を飛んでいくラストシーンを見ながら、チベットの人々はどう進むだろうか、そして自分なら何を選択するだろうかと思いを巡らせることになるだろう。変わりゆくチベットで、厳しい土地にたくましく生きる人々の営み。そして美しい映像美で映し出される雄大な自然が心に残る作品だ。(★★★☆加賀美まき)

第20回(2019年)東京フィルメックス・コンペティション部門最優秀作品賞 受賞