2019年5月28日火曜日

パドマーワト 女神の誕生


インド史上の美女をめぐる、闘いを描く歴史大作

2018年/インド
監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー(『ミモラ 心のままに』)
出演:ディーピカー・パードゥコーン(『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』)、ランヴィール・シン、シャーヒド・カプール
配給:SPACEBOX
公開:6月7日より新宿ピカデリー、ユナイテッドシネマほか全国で公開
公式HP:http://padmaavat.jp/


●ストーリー
13世紀末、ラージャスターンのラージプト族のひとつメーワールの王ラタン・シンは、シンガール王国(スリランカ)を訪れる。
その時、シンは王女パドマーワティと恋に落ち、彼女を妃に迎えることに。
その頃、北方のデリーでは、アフガニスタンからやってきたハルジー朝がデリーを都として力を伸ばしていた。
その中で若きアラーウッディーンは頭角を現していき、スルタン(皇帝)である叔父を殺し、ハルジー朝のスルタンの位を簒奪する。
モンゴル軍の侵入を防ぎ、「第二のアレクサンドロス」と呼ばれたアラーウッディーンに敵はいなかった。
そんな時、アラーウッディーンは絶世の美女パドマーワティの噂を聞き、軍をメーワールの都に向ける。

●レビュー
何年か前、ラージャスターンのチットールガル城塞へ行った。
行った人はわかると思うが、ここは平地にそびえる高さ150m、東西800m、南北2.5kmという軍艦のような形をした丘だ。
その周りを城壁が取り囲み、戦時には人々がこの中に避難して戦うという城市だった。
今では中は遺跡になっているが(世界遺産)、その中に「パドミニ・パレス」という建物がある。これは王妃パドミニ(パドマーワティ)のために建てられた宮殿で、その隣の貯水池の中に小さなキオスクがあった。
解説によると、そこはアラーウッディーンがパドマーワティを見初めた場所と書いてあった。
その時は、本作で描かれたパドマーワティの伝説は知らなかったので、今回は映画を見て「ああ、あの場所か」と感慨深いものがあった。

パドマーワティは、インドでは知らない者がいないという絶世の美女だ。
何しろ彼女を手に入れるために、時のスルタンが大軍を送ったほどなのだから。
とはいえ、それは歴史上の事実ではなく文学による創作だ。
1540年にイスラームの詩人が著した叙事詩「パドマーワト」で、1303年に起きたハルジー朝のメーワール王国への侵攻をロマンチックに脚色したものだが、それが人気を呼び人々の間で歌い継がれ、現代ではドラマや映画として上演されて、インドでは知らぬもののない状態になったのだ。

本作はその叙事詩をもとに、自由に脚色した歴史大作だ。
33億円というインド映画では最大級の制作費を使ったが、『バーフバリ』のような派手な戦闘スペクタクルシーンは意外に少ない。
それではその制作費はどこに消えたかというと、CG処理ではなく(もあるが)、豪華な宮殿のセットや主人公であるパドマーワティの衣装代だという。
実際、そちらを見せるシーンにはかなり力をかけていることは確かだ。
一着何百万もする衣装が、映画のために作られたという。

本作はインド映画の王道とも言える演出で、特に目新しいところはない。
美男美女が出会って恋に落ち、結ばれるが強敵が登場する。
キャラクターもぶれずに、映画内での成長も特にない。
いい人は最後までいい人、悪い奴は反省もしない。
歌や踊りもあり、安心して見られる。
『バーフバリ』みたいに、笑っちゃうほど破天荒でもでもない。
オーソドックスに堅実に作っているのだ。

映画ではハルジー朝の軍は二度にわたってチットール城を包囲する。
ただしその攻防戦が、力の戦いだけではなく、バカしあいで相手の心理を見抜いて逆手に取るのは面白かった。
メーワール国王は善人なのだが、その分、映画的には掘り下げにくく、また攻めてこられる側なので、ドラマはほとんどが悪役であるアラーウッディーンを中心に展開する。
なのでアラーウッディーン、出番は多いのだが、もう少し人物像を彫り込んで見たら(小さい頃にトラウマがあったとか、冷酷だが動物は異常に愛するとか)と思う。
まあ、インド映画でそれをやったら、観客が混乱してしまうかもしれないけど。

二人の男の闘いも見せ場としてあるが、やはりパドマーワティを演じるディーピカー・パードゥコーンの美しさが本作の最大の見どころだろう。
とにかく彼女が美しく見えるようにというのが、本作のキモなのだ。
ということで、ラージャスターンの宮殿と豪華な衣装、それにアクションを足して楽しめる2時間半。この映画はしばしあなたをインドに連れて行ってくれるはずだ。
★★★

2019年5月18日土曜日

マルリナの明日



たった1人で強盗団に立ち向かうマルリナ。
これが噂のナシゴレン・ウェスタンだ!

2017年/インドネシア・フランス・マレーシア・タイ合作/インドネシア語
監督:モーリー・スリヤ
出演:マーシャ・ティモシー(『カリファーの決断』『ザ・レイドGOKUDO』)、エギ・フェドリー、ヨガ・プラタマ
配給:パンドラ
公開:5月18日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー
https://marlina-film.com/

■ストーリー

夫と子供を亡くし、荒野の一軒家で静かに暮らすマルリナ。そこへ、7人の強盗団が彼女を襲う。暴行を受けながらも次々と強盗団を倒し、首領マルクスの首を刎ねて脱出する。自らの正当防衛を証明するため、遠く離れた警察へ向かうが、強盗団の残党たちが彼女の行方を追う。

■レビュー

舞台はヌサ・トゥンガラ諸島にあるスンバ島。
荒涼とした乾いた土地は、そこがインドネシアであることを忘れてしまいそうだ。以前は森林で覆われてたそうだが、過度の放牧や野焼きで荒廃してしまったのが原因らしい。インドネシアでも最も貧しい地域であり、「現代社会では起こりえない事が、今でも起こっている場所」(監督の弁)なのだそうだ。未開拓地域・無法者の闊歩する世界を描いた西部劇の移築先としては最適な場所なわけだ。

西部劇風といっても不思議なテイストに満ちている。テーマもいわゆる復讐劇や英雄譚とはちょっと違う。「何じゃこりゃあ!」と松田優作みたいに驚いてほしいので詳細は伏せるが、スンバ島の風習や精霊信仰が色濃く作風に現れている。(その風習はスラウェシ島にも存在する)個人的には『ガルシアの首』('74)『メルキアデス・エストラーダ三度目の埋葬』('05)あたりを彷彿とさせるが、モーリー・スリヤ監督にとってはジャームッシュの『デッドマン』('95)が制作のガイドになっているようだ。
ちなみに「ナシゴレン・ウェスタン」と宣伝文句が踊っているが、ナシゴレンは出てこない。劇中に出てくる象徴的な食べ物はスプ・アヤム(鶏のスープ。ソト・アヤムとも言う)である。インドネシアのおふくろの味であり、傷ついた女性を癒すにはぴったりの優しい味の料理だ。もう少しネタばらしをするなら、この映画は西部劇の男臭さとは相反して、虐げられた女たちの物語なのである。

映画の企画は、2014年シトラアワード(インドネシア版アカデミー賞)で審査員を務めていた縁で、ガリン・ヌグロホ監督から原作「The Woman」を手渡されたことに始まる。ヌグロホ監督がスンバ島での経験を元に書いた脚本は、女性監督によって制作されるべきだと考えたようだ。そうして完成された作品は、カンヌでお披露目、フィルメックスで最優秀作品賞、2018年の同シトラアワードで10部門受賞する快挙となった。

先輩風を吹かせるわけではないが、僕は2013年の旅シネベストテンでモーリー・スリヤ監督の『愛を語るときに、語らないこと』('13 )を2位に挙げている。盲学校を舞台に、赤裸々な恋愛から国家表象まで描かれ、凄い才能の映画作家が出て来たものだと興奮した。彼女のオリジナル脚本で、本来の持ち味が色濃く出ている作品だ。こちらの作品も素晴らしいので、是非上映機会が増えることを願っている。(『マルリナの明日』も『殺人者マルリナ』のタイトルで2017年度のベストテン6位に挙げている)

(カネコマサアキ★★★☆)

2019年4月5日金曜日

ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ

究極の美と権力に秘められた名画ミステリー。


HITLER VERSUS PICASSO AND THE OTHERS

2018年/イタリア、フランス、ドイツ

監督:クラウディオ・ポリ
原案:ディディ・ジョッキ
出演:トニ・セルヴィッロ
配給:クロック・ワークス、アルバトロス・フィルム
上映時間:97分
公開:2019年4月19日(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国公開

●レビュー  

 1933年から45年にかけて、ナチス・ドイツがヨーロッパ各地で略奪した芸術品の総数は約60万点にのぼり、戦後70年以上経った今でも10万点が行方不明だと言われている。なぜ、ナチス・ドイツ、ヒトラーは美術品略奪に執着したのか。本ドキュメンタリーは、イタリアの名優トニ・セルヴィッロが案内人となり、現代にまで尾を引く美術史の負の歴史を紐解いていく。

 ナチス・ドイツは二つの方法で芸術を掌握しようとしていた。ひとつは、印象派や前衛的なアートに「廃退芸術」という烙印を押して一掃するというもの。もうひとつは美術館やユダヤ人富裕層からの美術品没収だった。まず、二つの大きな展覧会が紹介される。ヒトラーが正統芸術とする品を集めた「大ドイツ芸術展」と、彼らの美の概念にそぐわない理由で没収された美術品を展示した「敗退芸術展」だ。芸術作品は作者の手を離れると特別な「価値」を持つものとなって利用されることがあるが、これは芸術がプロパガンダとして利用された最たる例だろう。芸術が備え持つ力を窺い知ることができる。

 美術品はその価値を増すにつれ、富の絶大なる象徴となっていく。プロパガンダを推進しながら、ヒトラーは自らの美術館を作るために、腹心のゲーリングはヒトラーを欺くまでの執着心で、美術品収集にのめり込む。芸術品を手にすることは上流会階級への仲間入りを意味していたからで、ここでも芸術が持つ特別な側面を見てとれる。そして、美術品の対価でビザを得たユダヤ人は海外に逃れ、持たざる者は収容所へ送られという事実は、美術品がたとえ作者の質実さから生まれるものであっても、その「価値」が人を動かす道具となることを顕著に表している。
 
 第二次世界大戦が終わると、隠されていた美術品が見つかるが、多数の美術品は今だに所在が不明だという。戦後60年以上たって、ヒトラー専任の画商が隠匿していた絵画が多数見つかるという事件が起きている。美術館に収められ返還が難しいもの多く、返還に至る手続きは複雑で、個人の訴訟はなかなか進まないのが現状だという。これもまた市場で取引される美術品がもつ特殊な一面を示している。

 美術品を前にすると人は不思議と気持ちの高揚を感じる。市井の鑑賞者はそうした気持ちに沿って芸術に親しめばいいのだが、様々な「価値」を持つ美術品には、表に見えてこない世界があるようだ。本作によるナチス・ドイツの時代に起こった負の美術史の検証は、多くの人間が芸術に眩み、翻弄された事実と芸術の持つ多様な側面を私たちに教えてくれる。最終盤に登場するピカソの言葉が全てを語っている。

 各方面からの興味深いアプローチで構成され、多くのインタビューを挟みながら検証が進むので、情報量がかなり多くなっている。把捉しながら見るのは少し大変かもしれない。★★★☆)加賀美まき


2019年4月4日木曜日

ROMA/ローマ

本年度暫定マイベストワン! 内容、風格とも素晴らしい 


 
2018年/メキシコ、アメリカ
監督:アルフォンソ・キュアロン(『ゼロ・グラビティ』)
出演:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タピラ
配給:Netflix
公開:公開中
劇場情報:アップリンク渋谷、シネスイッチ銀座ほか


今年のアカデミー賞作品賞最有力と言われながら、劇場での限定公開、
そしてメインが動画配信サイトのNetflixでの公開のためで惜しくも3部門の受賞にとどまり、
選考基準にも一石を投じた作品。
ただし、映画自体は文句なくすばらしく、また作品賞を取ってもいい格調であるあることは確か。
そして動画配信作品ながら、もっとも映画館の環境で見るべき作品だ。もし、見に行くか迷っている人がいたら、公開が終わる前に必ず行くべし! 
パソコンのモニターとスピーカーで見たら、映画の良さの1/10ぐらいしか伝わらないからだ。
ベネチア映画祭では最高賞の金獅子賞、アカデミー賞では外国語映画賞、監督賞、撮影賞を受賞



舞台は1970年から71年にかけての、メキシコシティのローマ・コンデンサ地区。
若い先住民の女性クレオはそこで医者のアントニオと妻のソフィアに雇われ、
住み込みの家政婦として働いている。
家には夫婦の子供たちが4人、ソフィアの母のテレサも暮らしていた。
ケベックへ仕事で出かけたアントニオだが、そのまま家には帰ってこなかった。
その前からソフィアとの夫婦関係はギクシャクしていたのだ。
一方、クレオは友達の恋人の紹介で、フェルミンという武術を習っている青年と付き合っていたが、ある日、彼に自分が妊娠したことを告げると、彼は戻ってこなかった。
クレオの出産予定日が近づき、テレサにつれられてベビーベッドを買いにいくクレオだが、
そこで暴動に巻き込まれてしまう。。。


上映時間2時間15分、モノクロ、映画のための劇伴音楽は一切なし。そして出だしはスロースタートと、見ていて眠くなってしまう要因は多いが、最初だけ我慢して見続けて欲しい。
冒頭、床とそこに流される水が数分にわたって映し出される。耳を澄ますと流れる水の音、
犬の吠える声、遠くを飛ぶ飛行機、通りの物売りの音がリアルに聞こえてくる。
カメラがパンすると、主人公である若い家政婦のクレオが映し出され、
それから彼女の日常の1日の仕事が始まる。
この生活音の音響設定が見事で、まるで自分がそこにいるかのように、
左右、前方から聞こえてくる。
スロースタートなのは、映画の世界に没入するようにするためだろう。
基本的には1シーンのカット割りが長い。というか、ほぼ1シーン1カットだ。
家の2階をゆっくりカメラが一周し、クレオの仕事とそこで暮らす家族を映し出す(これが劇中何度か繰り返される)。観客は間取りまで、完全に頭の中に入る。
ワイドスクリーンの画面をフルに使った画面構成は見事
クレアが家を出て町の通りを歩き、映画館に着くまでを長い横移動でほぼ1カットで見せる。
クレアがベビーベッドを買いにいくくだりでは、数百人のエキストラが動き、デモから暴動、
屋内の家具店内での事件からクレアの破水までを、ほぼ1カットの流れるような移動カメラで見せる。すごい迫力だ。
このカメラワークと、自然音の演出は、クレオの出産シーンやラストの海のシーンでピークに達する
そうした映画の中でインパクトが強いシーンの合間にも、印象的なシーンが多い。
というか、ほとんどが印象的なシーンといってもいい。
フルチンで武術をクレオに見せるフェルミンの滑稽さと、その後の最低男ぶりは、
誰かに語りたくなるほど。
フェリーニ映画(とくに『アマルコルド』)のような、大変なできごとを後ろの方で起きているユーモラスな絵のアンバランスが打ち消す。
たとえば深刻な状態でベンチに座り込んでアイスを食べている一家の後ろには巨大なカニの作り物(カニ道楽のような)があり、そして後ろでは結婚で喜ぶ新婚カップルが映し出されるなど、あげていけばきりがない。
さらに、メキシコにおけるメスティソと先住民との経済格差といった問題(先住民が多い地方の町はバスを降りると未舗装でドロドロだ)などが、重層的に盛り込まれている。
ただ、そうした階層の差を超えて、いつしか家政婦のクレオと雇い主のソフィアは、
男に苦しめられている女性という点で心情が理解し合えるようになるのだ。
もちろんアメコミ映画などとは違い、受け身で楽しめる映画ではない
しかし集中して見れば、不穏な空気がだんだん高まっていき、緊張を持って見ることはできるだろう。
なので、いつでも視聴を止められる環境で見ることは、あまり勧められない(集中が中断すると良さは半減する)。
そして、素晴らしい立体的な音響効果を堪能するには、やはり音のいい劇場空間で。
いや、本当に音が360度から聞こえてきて、びっくりした。THXならもっといいんだろうな(試してないがヘッドフォンやサラウンドシステムもアリかも)。
見る人を選ぶかもしれないが、今の所、本年度暫定ベストワンの作品だ。
★★★★☆

2019年2月28日木曜日

サッドヒルを掘り返せ

荒れ地と化した名作映画のロケ地を蘇らせる、熱き映画への想いが詰まったドキュメンタリー


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2017年/スペイン
監督・制作・撮影・編集:ギレルモ・デ・オリベイラ
出演:エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウド、ジェイムズ・ヘットフィールド、ジョー・ダンテ
配給:東北新社
上映時間:86分
公開:2019年3月8日(土)、シネマカリテほか全国順次ロードショー

●ストーリー

 マカロニ・ウエスタンの名作『続・夕陽のガンマン』(1966年)で伝説のシーンの舞台となった「サッドヒル墓地」。撮影用に作られたロケ地が当時のまま人知れず残っていた。2015年10月、その「サッドヒル」を掘り起こし、再び命を吹き込もうとする巨大プロジェクトが始まる。映画ファン有志によるその活動のニュースは世界に広まり、毎週末、ヨーロッパ中の映画ファンが鍬やシャベルを担いでスペインの荒野へ駆けつけた。そうして、スペインのブルゴス郊外に50年間埋もれていた舞台が蘇っていく…
 
●レビュー 
 
 思入れのある映画のセットやロケ地を訪ねることは、ファンにとって巡礼のようなものだと思う。本作は、長い年月の間に草や土に埋もれていたあるオープンセットを掘り起こし、再生しようとする人たちの熱いドキュメンタリーである。

 その場所の名は「サッドヒル墓地」。かの名作映画「続・夕陽のガンマン」クライマックスシーンと聞けば、エンニオ・モリコーネの名曲「黄金のエクスタシー」、ギターの旋律から始まる「トリオ」、トランペットが鳴り渡る中、クリント・イーストウッド、イーライ・ウォラックら三つ巴の決闘シーンへ・・と記憶が蘇るだろう。円形の石畳の周囲に無数の墓標が並ぶ、あの墓地のオープンセットは、50年近くもの間、スペイン北部・ブルゴス郊外の荒れ地にのみ込まれ場所がわからなくなっていたという。その場所の痕跡が発見されると、いつしか有志が集まり、遺跡発掘さながらにその場所を掘り起こすプロジェクトが動き出したのである。
 
 かつてマカロニウエスタンと呼ばれたイタリア製西部劇。アメリカのバージニアに似ているというスペインの北部は撮影場所のひとつとなった。石畳の円形広場を5000基もの墓標が囲むオープンセットもその枯れた荒野に作られた。近くに駐屯していたスペイン軍兵士たちが動員され、たった2日間で広大な土地にセットを作ったという。かれらはエキストラとしても駆り出されたそうで、フランコ政権下のスペインで、そんな大らかさが当時の映画を巡る環境にあったというのも興味深い。
 
 2014年、4人の男たちがそのセットを掘り起こそうと声を上げた。映画が主要な娯楽だった時代、家族と一緒に何度も映画館へ足を運び見た「続・夕陽のガンマン」。その思い出は作品への愛に変わり、墓地を掘り起こそうという「サッドヒル 文化連盟」が立ち上がる。やがてそのプロジェクトは周囲に広がり、集まってきたボランティの力によってセットは昔の姿を取り戻す。彼らの活動の様子をカメラは追っていく。そして2016年には撮影50周年という記念イベントが開かれ、最後のサプライズにはほろりとさせられる。
 
 かれらの純粋な作品愛、その熱量は半端なく、さらに当時の映画人、専門家、ファンらのインタビューも見どころ。登場する人々の語り口がとにかく熱い。芸術志向の強かったイタリア映画界で、セルジオ・レオーネ監督の評価は高くはなかったが、緻密で機知に富んだ監督の作品は、後にタランティーノなどの若手監督たちに影響を及ぼしたのも頷ける。当時の熱い映画づくりが、時代を超えて人々の心を結びつけ、「サッドヒル」復活へと繋がったと思う。
 「サッドヒル墓地」はスペイン、サント・ドミンゴ・デ・シロス自治州に属し、誰でも訪れることができるそうだ。★★★☆)加賀美まき

2019年1月31日木曜日

ヴィクトリア女王 最期の秘密


 晩年の女王と彼女に仕えたインド人の知られざる物語



2017年/イギリス、アメリカ
監督:スティーヴン・フリアーズ(『クイーン』『あなたを抱きしめる日まで』)
出演:ジュディ・デンチ(『マリー・ゴールドホテルで会いましょう』『007』シリーズ)、アリ・ファザル(『きっと、うまくいく』)、エディ・イザード、マイケル・ガンボン(『ハリー・ポッター』シリーズ)
配給:ビターズエンド、パルコ
公開:125日よりBunkamura ル・シネマにて公開中


●ストーリー
1887年、ヴィクリトア女王即位50周年を迎え、記念金貨の贈呈役としてインドからイスラム教徒の若者アブドゥルがやってきた。アドブゥルをひと目で気に入ったヴィクトリアは、彼を自分の身近に置くように命じる。長生きして愛する人を失ってきたヴィクトリアだが、アブドゥルを“ムンシ(先生)として”心を許すようになり、身分を超えた友情が芽生え始める。しかしアブドゥルを寵愛するヴィクトリアに、周囲は反発する。

●レヴュー
どこまでが事実かはわからないが、近年になって発見されたアブドゥルの日記や、
破棄を免れたヴィクトリアのウルドゥー語の練習帳などをもとにシャラバニ・バスが
小説を書き、それを映画化したしたのが本作だ。
ヴィクトリアは18歳にして即位。以来、在位期間が63年と7ヶ月に及んだ
イギリスの全盛期を象徴する女王だ。
その時代、イギリスは選挙制度が進み、近代国家として確立したが、
植民地支配を推し進めたという面もある。
ただしドイツなどの専制国家とは異なり、その時代のイギリスは立憲君主制が進み
政策は議会が決め、イギリスは女王といえど議会の決定を追認するしかなかった。
映画を見ていると、周囲は建前的には女王を敬うが、政策などには口を出させないことがよくわかる。
当時のヨーロッパの王室とは親戚関係にあり、
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とロシア最後の皇帝ニコライ2世の妻アリックスは孫だ。

ヴィクトリアは夫アルバートを愛していたが42歳の時に死別。
その後、イギリス帝国主義を推し進めた政治家ディズレーリを偏愛したことは知られていて、
彼の死のときに葬式に出たいと言ったことは有名(当時は身分的にかなわなかった)。
孤独のまま長生きしていたヴィクトリアが、晩年に出会ったのがインド人のアブドゥルだった。
本作でも描かれているように、70歳を過ぎたおばあさんが若いイケメン男子を寵愛するのは、哀れでもあり可愛らしくもある。たとえば自分の息子、いや孫に近いぐらいのアイドルに熱狂する日本のおばさんたちと変わらない。
しかし、長く生きていれば、それぐらいの楽しみがあっても何が悪いとも言える。
老人は老人らしく、何の楽しみもなく静かにしていればいいと、周囲は思うかもしれない。
でも生きがいもなく、ただ生きるのは苦痛なのだ。

それまで抜け殻のようになっていたヴィクトリアだが、インドからやってきたアブドゥルを見て
一目で気に入り、自分の手元に置くように命じる。
アブドゥルはインド皇帝であるヴィクトリアの側近になるという野心もあったにちがいない(映画ではアブドゥルが本当は何を考えているのかをワザとはっきりとは描かない(善良だが、都合の悪いことは言わないというしたたかな面もある)。
抜け殻の老人から、恋する乙女に変身するヴィクトリアを演じるジュディ・デンチは本当に素晴らしく、その演技を見るだけでもこの映画をみる価値はある。
実際、本作を批判的な人でもデンチの演技だけは絶賛している。

実際のヴィクトリアは、短期で直情的、そして教養がなかったと言われている。
映画に描かれているように、息子のアルバート皇太子とは仲が悪く(若い頃から不品行で親を悩ませ、それが原因で夫が亡くなったとヴィクトリアは思っている)、アルバートも母親が長生きなのでいつまでも自分が国王になれないと思っている。
ヴィクトリアは夫の死後、ひとり噂されたお付きの者がいたが、その彼も亡くなっていた。
長生きするということは、ひたすら愛するものを失う日々が続く。
いいことばかりではないのだ。
そんなヴィクリトアにとって物怖じしないアドブゥルは大きな光だ。
同じイギリス人は本音と建前があり距離感を作るが、利害関係がなく屈託のないインド人には心許せるのだ。

恋する乙女になったヴィクトリアだが、途中アブドゥルに妻がいたことを知って怒る。
アブトゥルからしたら聞かれないことは言わなかっただけだが、まあズルい(笑)。
インドに帰れとなるが、思い直して「妻も呼びなさい」と命じる。
やがてヴィクトリアはアブドゥルにウルドゥー語を習い始める(当時のインドの宮廷語)。
大英帝国のトップが、支配下の国の言葉を学ぶというのは当時としては大問題だ。
逆にみんなが英語を覚えろという時代だから。
しかしヴィクトリアはそんなことにはおかまいなしだ。
ただ2人になれる時間が欲しかったのだろう。
ヴィクトリアのインド熱は高まり、インドの寸劇を王宮で演じたり、インドの王族の広間のダルバールホールを宮殿内に作らせたりもする(事実)。

当然ながら、周囲はアブドゥルを嫌い、ヴィクトリアを諌めるものも現れる。
「どうしゃったのだろう?」と。それが表面化するのは、ヴィクトリアがアブドゥルを叙勲しようとした時だ。また、アブドゥルが女王に言っていた家柄とは違うこと、「インド大反乱」についてアブドゥルがイスラム教徒よりの見解を伝えていたことがわかってくる。
そしてヴィクトリアに死期が迫ってくる。

本作は実際にあった話をもとにしているが、あくまでフィクションだ。
アブドゥルは実在の人物で、晩年のヴィクリアに仕えたが、スキャンダルを恐れた皇太子のエドワードが書類や手紙を全て焼却してしまったのでわからない。
残っているのは、アブドゥルの日記と、ヴィクトリアのウルドゥー語の練習帳だ(何が書いてあるかわからなかったので焼却を免れた)。
しかしどちらかといえば、ヴィクトリアの歳の方が近い自分としては、老人の生きがい、愛する人が皆死んでしまっての長生きなどを考えてしまった。
はたから見たら、「うちのばあちゃん、何やっているの」だが、当人にしてみたらそれぐらいの自由は欲しいのだと。

ヴィクトリアを演じるジュディ・デンチは、ヴィクトリアを映画で演じるのはこれが2回目になる。魅力的な若者アブドゥル役に抜擢されたのは、『きっと、うまくいく』に出演していたアリ・ファザル。途中で自殺してしまうイケメン役だ。監督は『クイーン』などのスティーヴン・フリアーズ。
映画としての出来はふつうだが、イギリス映画らしい丁寧さは落ち着く。
フリアーズ監督の手堅い演出は映画的なスケール感はないが、上質のテレビドラマを見たような感じで、実は僕は好きだ。
またデンチの演技は必見なので☆をプラス。
★★★☆

2019年1月25日金曜日

バジュランギおじさんと、小さな迷子

迷子の少女をパキスタンまで送り届けるヒューマンドラマ
 
 

2015年/インド
監督:カビール・カーン
出演:サルマン・カーン、カリーナ・カプール、ハルシャーリー・マルホートラ
配給:SAPCEBOX
公式ページ:bajrangi.jp/
公開:1月18日より新宿ピカデリーほかにて公開中

●ストーリー
パキスタンの山岳地帯に住む少女シャヒーダーは、幼い頃から声が出ない。そこで心配した母親がインドの聖者廟に願掛けに連れて行くが、帰国途中ではぐれてシャヒーダーはインドにひとり取り残されてしまう。そんな彼女に出会ったのは熱心なハヌマーン信者のバワン。「バカ」がつくほどの正直者の彼は、やがてシャヒーダーがパキスタン人と知って驚くが、彼女をパキスタンへ送り届けようと国境を越える。

●レビュー
『ダンガル きっとつよくなる』『バーフバリ 王の凱旋』に次ぐインド映画世界歴代興行収入第3位というヒットのヒューマンドラマ。
タイトルロールのバジュランギおじさんことバワンを演じるのは、インド映画界の大スターのサルマン・カーン。アクションもののイメージが強い彼だが、今回は多少の立ち回りはあるものの、“頭がちょっと弱いギリギリの正直者”(昔の邦画喜劇ではよくあったキャラ)を演じている。
 
面白いと感じたのは日本人には馴染みが薄い宗教の違いから来るギャグだ。
迷子の少女を最初は「バラモンの子」と勘違いしていた主人公。
シャヒーダーが目を離した隙にイスラム教徒の家に入り込んで肉を食べているのを見てビックリするシーン、モスクに入り込んでお祈りしようとしているのを見て「ムスリムだ」とショックを受けるというのも、日本人には異文化を感じるシーンだ。
 バワンはバラモン階級らしいヒンドゥー教徒で、しかもハヌマーン信者とドラマ内では公言しているが、これがどんなタイプなのかがわからない。
シヴァとかヴィシュ信者は聞くけど。
 
パキスタンに住むシャヒーダー(イスラムの「殉教者」という意味)が、「ご利益あり」として母親に願掛けに連れて行かれるのが、デリーのニザーム・ウッディーン・アウリヤー廟。
ガイドブックではおなじみの場所だが、ここがパキスタンからわざわざ苦労してくるほどの場所だとは知らなかった。
厳格なイスラーム原理主義の国とは違い、インドを含む南アジアではイスラーム神秘主義(スーフィズム)による聖者信仰が盛んだ。モスクは神のために祈る場所であり、神様は個人の願いなど聞いてくれない。
しかし人々は神様にすがって何かを祈願したい。
そこでイスラーム教の場合、神様ではなく聖者にご利益を求める。有名な聖者の廟は、男ばかりのモスクと違って女性が多い。
厳粛なモスクと違い、ここでは熱狂が渦巻くことがある。
ただし、厳格なムスリムからすればそれは偶像崇拝で異端でもある。
しかしヒンドゥー寺院などみれば、聖者廟はインドの文化に受け入れやすい。
「声が出ますように」という祈りは、娯楽映画なので最後には叶えられるのだが。
 
また、映画には「インド人のパキスタン人観」が垣間見られ、面白い。
バワンは最初は正規のルートでパキスタン行きを申請しようとするのだが、埒があかない(役人のダメさ加減は笑いの対象)。
結局はジャイサルメールの砂漠から密入国しようとするのだが、砂漠の国境地帯にはメキシコ国境よろしくたくさんのトンネルが掘られているというのは、都市伝説かもしれないが面白かった。
 
密入国したインド人は、当然ながらパキスタンではスパイ容疑がかけられる。
しかし人々の善意と警察の無能ぶりにより、ふたりは何とかシャヒーダーの故郷であるカシミールへと向かう。
バレそうになっても、正直なバワンに皆心打たれて、一般人は彼を守るのだ。
舞台は砂漠地帯から一転してカシミールの山岳地帯へ。美しい風景もこの映画の見所だ。
ラストは、バワンの行動がインド、パキスタン両国の人々の心を動かす。
ヒマラヤの国境に両国の大勢の人々が押し寄せるシーンは感動的だ。
 
とはいえ、映画的には“古〜い邦画喜劇”的な緩さ(インドの娯楽映画)なので、映画として出来はというと、ゆるくみればいい。
一応、「両国は仲良くしましょう」という社会的メッセージはあるが、昨年の『パッドマン』ほど強くはなく、「人々の善意で何とかなる」という程度のゆるいもの。
あと、個人的には子役の演技が古すぎてイラつくときがあった。
インドではまだ、子役に定型の演技を求めるのだが、ほら、邦画で不自然な子役の演技にイラっとすることあるでしょ。あれと同じ。
インドということで、自動的に☆ひとつおまけして、★★★