2019年12月26日木曜日

ヘヴィ・トリップ 俺たち崖っぷち北欧メタル!


「トナカイ以外、何にもねぇ〜」。
田舎の町で活動するメタルバンドが、フェスを目指して一念発起


2018
監督:ユーソ・ラーティオ、ユッカ・ヴィドゥグレン
出演:ヨハンネス・ホロバイネン、ミンカ・クーストネン、ヴィッレ・ティーホネン
配給:Space Shower Films
公開:1227日よりシネマート新宿、池袋シネマ・ロサほかにて

●ストーリー
フィンランド北部の何もない田舎町で退屈な日々を送る25歳のトゥロは、
 4人組ヘヴィメタルバンドのボーカルだ。
とは言っても、バンドは結成以来12年間、一度もライブをしたことがなく、
またオリジナル曲も作ったことがないコピーバンドだ。
そんな彼らが一念発起してオリジナルを作り、
さらにノルウェーのメタルフェスの主催者にたまたまデモテープを渡すチャンスに恵まれた。
ところがそれが彼らの住む町では、バンドがフェスに出演が決定したことに
なってしまい、トゥロは後に引けなくなってしまう。
地元のライブハウスでの初ライブ、トゥロは緊張のあまり大ゲロを吐いてしまい大失敗。
また、出演依頼もなく、バンドは解散の危機に。
しかし、彼らは試練を乗り越え、勝手にフェスを目指してノルウェーを目指す。

●レビュー
80年代、日本でもヘビメタブームがあったが、今やマニアのための音楽という感がある。
しかし北欧では、今でも“ヘヴィメタル”は人気で、とりわけフィランドではメタル人口が多いらしい。
どのくらい多いかというと、日本から九州を引いたぐらいの面積の国に北海道ぐらいの人口
そこに3000のメタルバンドがいるという。

とはいえ映画の舞台となるのは、都会ではなく北のはずれの田舎の小さな村だ。
バンドメンバーはみなメタルらしく長髪に革ジャンと見てくれは良い。
ただし主人公はその格好で自転車を漕いで通勤しているし、
リハスタジオは、ギタリストの実家であるトナカイ屠殺工場の1だ。
道を歩けばヤンキーに「ほーも!」と馬鹿にされる始末
恋心を抱いている花屋の幼馴染にも打ち明けることはできず、日々、老人ホームで掃除の仕事をしている。

町の人間には笑われながらも心には大好きなメタルを抱いている彼らが、
主人公のちょっとした好きな子への見栄から、「フェス出場」という勘違いをされ、後に引けなくなる。
バカといえばバカだが、バカはそこからは凄い。
僕もバンドをしているが、メタル系の人は真面目というか体育会系というか、ストレートな人が多い印象
このバンドメンバーもそんな感じで、見ていて知り合いのバンドの人のように思え、応援したくなってくる。
メタルなんてやっていても仕事の役には立たない(そもそもメタルに限らず音楽がそんなもの)。
なくても生きていける。
しかしそんなことに頑張れるって、素晴らしい事じゃないか。

とにかく笑って笑ってというところでは、『スパイナル・タップ』『デトロイト・ロック・シティ』といった
ロック映画がツボにはまった人なら、本作も好きになることはまちがいなし。
年末年始、毒のないファミリー映画ばかりだけど、家族サービスで付き合ったら、
こんな映画を観に映画館に行ってもいいんじゃない?
きっと自分と同じような気分の人たちが、映画館に集っているはずだ。
映画としては作りは素朴というかシンプルだが、メタルに敬意を表して☆おまけ。
★★★☆前原利行)

2019年12月23日月曜日

サイゴン・クチュール

1969年のサイゴンから現代にタイムスリップした女の子がファッション界で活躍!

2017年
監督:グエン・ケイ、チャン・ビュー・ロック
出演:ニン・ズーン・ラン・ゴック、ホイ・ヴァン、ジェム・ミー 9x、ゴ・タイン・バン(『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』)
配給:ムービー・アクト・プロジェクト
公開:12月21日より新宿K’s cinemaほか

●ストーリー

1969年のサイゴン。ミス・サイゴンに選ばれるほどのルックスとファッションセンスを持っているニュイだが、実は9代続いたアオザイ仕立ての老舗の娘。
母親が守る伝統のアオザイは大嫌いで、それから逃れようと最新の西洋ファッションに身を包み、母親を失望させていた。
しかしある日、突然ニュイは現代のサイゴン(ホーチミン)にタイムスリップしてしまう。
そこでは華やかだった店は閉店しており、ぶくぶくと太って落ちぶれた自分がいた。
ニュイは店と現代の自分を救うために、青年トアンの助けを借りて、現代のファッション界に身を投じる。
そして最新ファッションを追いながらも、アオザイの魅力に気づいていくのだった。

●レビュー

1969年というとベトナム戦争真っ盛りだと思うが、ここではそれについては1ミリとも触れない。
「ベトナム=戦争」だけじゃないぞというベトナム人の思いかもしれない。
実際、1969年の時点では、戦争は遠い国境地域で行われていたという意識なのだろう。
タイムスリップして現代に来た主人公も、戦争の結果とか政治・社会的な話題は全く気にしていないし。

ということで、本作はエンタメに割り切ったベトナム発のファッションムービーだ。
“タイムスリップ”というストーリーを生かし、60年代ファッションから現代のファッションに至るまでの変遷も見せてくれるのが面白い。
過去のシーンでは、当時のトレンドであるミニなどのロンドンファッション、ヒッピー風ファッションなど、さながら『ワンス・アポン・イン・ア・タイム・ハリウッド』の世界のよう。
もちろん舞台がアオザイの名店ということもあり、伝統的なアオザイの数々も見せてくれる。

次に現代。
ここでは主人公はファッション界で働くという設定なので、最新のトレンドなど現代のファッションを見せてくれるが、中心となるのはやはり主人公が得意とする「レトロモダン」だ。
ファッションデザイン事務所の様子や女社長の雰囲気が、『プラダを着た悪魔』をわざとなぞっているのも面白い。
トールサイズのコーヒーを常に片手に持つボスは、アナ・ウインターのマネだ。

ストーリーはワガママだった主人公が、心を入れ替えて店のために頑張り、すべてが丸く収まるという他愛のないものだが、それはそれでこの気楽なコメディ作品にはいい。
とにかく、主人公の女の子を可愛く見せ、そして多くのファッションで観客をうっとりさせ、楽しく映画館を出てもらうのが目的なのだから。
気軽に見て楽しめる、そんな映画なのだ。

最後に。
主人公のニュイの母親役を演じているゴ・タイン・バンは、ベトナムの人気女優。
近年では『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(ローズの姉ペイジ役)にも出演しているほか、Netflixなどで配信中の映画『ハイ・フォン : ママは元ギャング』は世界でもヒット。現在はプロデューサーとしても活躍している。
★★★前原利行)

2019年12月13日金曜日

シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢


「夢は現実になる」。愛娘のためにたったひとりで築き上げた奇想の宮殿




2018
監督:ニルス・タヴェルニエ(『グレート・デイズ!夢に挑んだ父と子』)
出演:ジャック・ガンブラン、レティシア・カスタ
配給:KADOKAWA
公開:1213日より角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA
公式HPcheval-movie.com/

●ストーリー
19世紀末、山に囲まれたフランス南東部の村オートリーヴ。村から村へと郵便を届ける配達人のシュヴァルは妻を亡くした。人付き合いが苦手で変わり者のシュヴァルだが、やがて未亡人のフィロメーヌと知り合い、結婚。娘アリスも誕生する。ある日、配達の途中で石につまずいたシュヴァルは、その石の変わった形からひらめきを得る。それから毎日、シュヴァルは娘のために、たったひとりで石を積み上げ、彼の理想宮を作り続けることになる。

●レビュー
正規の美術教育を受けていない者が、その発想のままに優れたアート作品を制作することがある。これを美術用語では「アウトサイダー・アート」という。その代表例としてよく引用されるのが、南仏にあるこの「シュヴァルの理想宮」だ。本作は、ひとりの郵便配達人シュヴァルが33年の年月をかけて、石やセメントを使い、一人で造り上げた「理想宮」の物語だ。

シュヴァルは人付き合いが苦手で、人とまともに視線も合わせられない人物だ。今なら「発達障害」とか「自閉症」とか病名が付けられるかもしれないが、昔はそんな“変わり者”はいても、普通に暮らしていた。人とのコミュニケーション能力は高くはないシュヴァルだが、別に冷たいわけではない。家族に対する深い愛情はあっても、それをうまく表現できないだけなのだ。数少ないセリフで自分の感情を表すというこの難役を演じる、ジャック・ガンブランがすばらしい。何十年という映画時間を彼と過ごしているうちに、シュヴァルの気持ちがこちらによく伝わってくる。

彼はこの建物を娘のために建てたのかもしれない。しかし、それは彼がつまずいた石と同じで、きっかけさえあれば彼は何かを作り上げたのではないか。何かを表現せざるを得ないという人はいる。その衝動は自分の心の内にあるのか、それとも外にあるのか。富や名声とは関係なく、誰にも顧みられるわけではないのに作り続けるのは一体なぜか。そしてそんなアウトサイダー・アートは、美術に詳しくないものでも心を動かされる強い魅力を持っている。

主人公シュヴァルが淡々とした人なので映画自体も淡々と進むが、この映画は全くダレることなく私たちに様々なことを訴えかける。身近なものへの愛情、秘めたパッション、強い意志とは。人が何かをこの世に残すとはどんなことか。そして最も心が揺さぶられるのは、人を愛すれば愛するほど、その人に先立たれてしまうことが辛いかだ。長生きするということは、愛するものを次々に失う苦しみを味わうことである。シュヴァルは88歳という当時としてはかなりの長生きをしたが、それだけに愛するものに先立たれるという多くの苦しみもあった。個人的には、小品ながらも忘れがたい作品。この冬のおすすめだ。
★★★★前原利行)

●映画の背景
シュヴァルの理想宮は現在、フランスの重要建築物に指定されており、オートリーヴ村の観光地になっている。
リヨンから日帰りできるようだが、辺鄙な場所にあるので、公共交通機関を使っていくと1日がかりになりそうだ。

2019年11月27日水曜日

読まれなかった小説



The Wild Pear Tree

トルコの田舎町を舞台に、息子と父親の軋轢を描く『雪の轍』の監督最新作

2018
監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン(『雪の轍』)
出演:アイドゥン・ドウ・デミルコル、ムラト・ジェムジル、ベンヌ・ユルドゥルムラー
配給:ビターズ・エンド
公開:1129日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町

●ストーリー
トルコ西部、トロイ遺跡にも近いチャナッカレからさらに内陸に入った小さな町。そこに大学を卒業したシナンが戻ってきた。就職状況は厳しいが、シナンは密かに作家になる夢を持っていた。父のイドリスは定年間近の教員だが、ギャンブルで作った借金がある。母親も働くなど一家の生活には余裕がなく、シナンはそんな父親を疎ましく思っていた。父イドリスはシナンに教員試験を受けるように促すが、シナンは気が進まない。仕事もなかなか決まらないまま、シナンは処女小説を自費出版する。

●レビュー
前作『雪の轍』(14)でカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールを獲得した、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督。商業的な映画とは遠いが欧州では高く評価されており、『冬の街』(03)『昔々、アナトリアで』(11)でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞している。前作のカッパドキアを舞台にした『雪の轍』(未見)は196分という長尺だったが今回も189分あり、トルコの地方に生きる人々の人間関係を描くという点では共通しているようだ。

物語の主人公は、大学を出たばかりのシナン。まだ就職はしておらず、社会経験がないが自我やプライドだけは人一倍強い。そんなシナンが最もなりたくない大人といえば、自分の父親だ。父イドリスは学校教師として安定した仕事があるのに、競馬で失敗して家族ばかりか周囲の人々の信頼も失っている。更生したとはいうが、今も賭け事をしているのではないかとシナンは疑う。文句は言うが父親の人間性までは否定しない母親と違い、面と向かって父親をけなすシナン。

真面目で不器用だが、尊大で自意識が強いシナンに対し、父親はいつも調子がいいことばかり言って、できもしない夢を語る。似ているところはまったくない。人間誰しも若い頃はそう思うだろう。親は反面教師。ああはなりたくないと。しかし、自分がかつての親ぐらいの年頃になってくると、ふと気づく。あ、ここは似ているなと。見た目は似ていなくても、根っこでは意外に似ているところもあるし、また気づかなくても影響を強く受けているのだ。

主人公のプライドの高さと自信のなさのアンバンランスが出てくる、中盤のシーンが印象的だ。町の書店で見かけた地元の小説家に、自分の原稿を読んでもらいたいのだが、人に素直にものを頼むことができない。シナンは逆に議論をふっかけて相手を批判し、怒らせてしまう。相手の小説家が大人で、ずっとこの不躾な若者の話を聞いているところからハラハラしてしまう。実力ない(何も発表していない)のについ上から目線になって話す。イタい。

そんな主人公と、一番理解し合えないと思っていた父親とつなぎとめたのは、自分が書いた小説だった。人間、物事はその中にいると見えないことがある。「時間」という距離が経たないと、俯瞰して自分を客観的に見られない。そんなことに気づかせてくれる作品だ。3時間は確かに長いけれど、不思議に退屈したり、眠くなったりはしなかった。しかし見るなら、体調を整えてから(笑)。(★★★☆前原利行)

2019年11月19日火曜日

台湾、街かどの人形劇


台湾「布袋戯」の伝統を守る人間国宝・陳錫煌を追った10年の記録

紅盒子/Father
2018/台湾

監修:侯孝賢
監督:楊力州(『あの頃、この時』)
出演:陳錫煌
公開:1130日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー
公式HP:http://machikado2019.com/

レビュー

侯孝賢監督の映画を好んで観ている方なら、李天禄(リー・ティエンルー,1910-1998)という名脇役をご存知だろう。『戯夢人生』('93)ではセミドキュメンタリーという形で彼の半生が描かれているが、元々は「布袋戯」(ポテヒ)と言われる民間芸能の国宝的名手である。本作は、その李天禄の芸を受け継ぐ長男の陳錫煌(チェン・シーホァン)にスポットを当てた、彼の人生と「布袋戯」の現状を描くドキュメンタリーだ。

80歳を超えた高齢ながら、精力的に国内外を公演して回る陳錫煌。公演の前には、常に持ち歩いている赤い箱(原題は『紅盒子(赤い箱)』)に入った”田都元帥”という戯劇の神様に礼を捧げる。袋状になった人形に手を入れ、指を器用に動かし動作と表情をつける。繊細な動きから、激しいアクションもお手のもの。ワイヤーアクションを思わせる動きは、武侠映画とどちらが先なのだろうか?カメラは袋人形をぬいだ陳錫煌の素手の指の動きをも捉える。簡単そうに見えて実は難しそうだ。

かつて「布袋戯」は隆盛を極めた。台湾全土に7つの流派があり、祭りの際、廟などで催される公演にはたくさんの人が集まった。しかし70年代からは衰退の一途を辿る。娯楽がテレビに取って代わり、テレビで放映される現代アレンジされた布袋戯は人気を博すことはあったが、政治的理由で放映禁止になったり、伝統的なものは客の足が遠のいてしまったのだ。台湾語で口上を述べる形式も、国語教育で台北周辺では誰も解さなくなっていったのも一因だろう。それゆえ、陳錫煌は海外公演にも活路を見出したのかもしれない。現在、幸いにも陳錫煌にはフランス人を含む頼もしい弟子たちが数人いるが、全てを伝承するには時間が足りないと焦っている。

一方で、映画は李天禄と陳錫煌の父子関係に迫って行く。
2人の父子関係はちょっと複雑そうだ。父・李天禄が陳家に婿養子に入ったことから、長男が陳家の姓を受け継ぎ、次男が李姓を継いだ。つまり父・李天禄が1931年に創設した「亦宛然掌中劇団」を次いだのは弟の方だった。
陳錫煌は暖簾分けという形で1953年に「新宛然」を設立して以降、独自の活動をして名声を得ていた。しかし、弟が2009年に逝去すると新たに劇団「陳錫煌伝統掌中戯団」を設立。あの赤い箱に入った”田都元帥”を継承することで、現在に至るというわけだ。映画から受けるイメージとは裏腹に父・李天禄は芸事に厳しく、日常ではほとんど話さなかったという。
自らもあまり語ろうとしない陳錫煌だが、多くを語らずとも「布袋戯」と弟子たち対する温かい想いが伝わってくる。後継の為に老体にムチ打ちながら、惜しみなく自らの技術を動画に納めようとする姿に熱いものがこみ上げてくる。

(カネコマサアキ★★★)

■関連事項
大阪アジアン映画祭
第11回中国語ドキュメンタリー映画祭(香港2018)長編部門グランプリ受賞

2019年11月10日日曜日

盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲


ANDHADHUN


2018年/インド
監督:シュリラーム・ラガヴァン
出演:アーユシュマーン・クラーナー(『ヨイショ!君と走る日』)、タブー(『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日間』)、ラーティカ・アープテー(『パッドマン 5億人の女性を救った男』)
配給:SPACEBOX
公開:1115日より新宿ピカデリー、アップリンク他、全国

●ストーリー
ピアニストのアーカーシュは、自分の感性を磨くために見えなくなるコンタクトをつけていて、ふだんは盲目を装っていた。かつての映画スターに、家での演奏を頼まれたアーカーシュがピアノ演奏を始めると、目の前にスターの死体が。映画スターの妻シミーと不倫相手による殺人だった。目が見えないことでその場を切り抜けたアーカーシュだが、やがて盲目を疑われて犯人たちに命を狙われることになる。

●レビュー
近年は、歌と踊り、アクション、コメディ、長時間と行った、昔のインド映画のイメージから離れたインド映画が増えてきている。昔ならたまのお出かけなので、毎回、幕の内弁当や五目そばでよかったのだが、趣向が様々になり、カキフライ弁当や家系のラーメンが食べたくなるようなものだ。本作もそんな最近のインド映画の潮流を感じさせる作品だ。ピアニストが主人公の本作なので音楽シーンは満載だが、ミュージカルシーンはない。公開されると、その巧みなストーリーテリングはインドの批評家たちにも高評価を受け、大ヒットになった(インド映画歴代14位、世界興収64億円)。

「言えないワケありの主人公が命を狙われる」というのはサスペンスの王道で、さらに先の読めない巧みな脚本が話を盛り上げる。しかし先の読めなさがハリウッド映画と少し違い、登場するキャラクターが実にインド的な人たちというところがある。特に驚くのが後半で、新しいキャラが出てきて裏切りや騙し合いが続き、話が違う方向へ強引にそれて行くのは、エネルギーがあった頃の香港映画のようで面白い。
かくして主人公が窮地から脱しようとする一方、死人が増えて行く。誰もが脛に傷があり、誰に感情移入していいかもわからなくなる。誰も信用できないのだ。

きっと監督はコーエン兄弟作品やタランティーノ作品が好きなのではないかという語り口だが、監督によれば、映画の最初のタイトルはフランソワ・トリュワーの『ピアニストを撃て!』を使おうと思ったらしい(ノワールものが好きということで共通している)。
俳優では、本作では悪役だが主人公以上に魅力的なのが、映画スターの妻役のタブーだ。悪役だが、どのくらい悪いのかがわからないところが、彼女に感情移入したりしなかったりという効果を引き出している。
★★★☆前原利行)

●映画の背景
映画の舞台となる都市は、西インドのプネー。人口300万人を超えるインドで9番目の人口を誇る都市だが、映画に出てくることは少ないと思う。
映画のラストに登場するクラブは、映画では「欧州のどこか」になっているが、ポーランドのクラクフ旧市街にある。主人公のバンド名が「アズナブール・アンサンブル」になっているのは、『ピアニストを撃て!』の主演がシャルル・アズナブールだったことから。

2019年11月4日月曜日

残された者 —北の極地—


2018年/アイスランド
監督:ジョー・ペナ
出演:マッツ・ミケルセン、マリア・テルマ・サルマドッティ
配給:キノ・フィルムズ/木下グループ
公開:11月8日より新宿バルト9ほか
公式HP:www.arctic-movie.jp

■ストーリー
北極圏にひとり取り残された男がいた。彼の名はオボァガード。地上に大きなSOSの字を書き、魚を釣って生で食べ、毎日同じ時間に救援信号を送り、無駄な体力の消耗を避けていた。何日が過ぎたかわからない頃、信号機が反応し、ヘリコプターがやってくる。助けを求めるオボァガードだが、強風に煽られたヘリは墜落してしまう。パイロットは亡くなるが、オボァガードは機内から重傷を負った女性を救い出す。やがてオボァガードは彼女の命を救うために、氷原を歩き始める決断を迫られる。

■レヴュー
 全編、ほぼマッツ・ミケルセンのひとり芝居。特に中盤に怪我を負った女性が登場するまでは会話もなく、サバイバルする男の日常が淡々と描かれる。男はサバイバル能力に長け、毎日をルーティーンで淡々と過ごしている。映画では語られないが、物語が始まる前は周辺を探査したり、発見される工夫を凝らしたりといろいろ試した結果、今は体力を消耗しない日々を過ごしていることがだんだんとわかってくる。
 
 難しいひとり芝居を、ほぼ無表情のミケルセンがこなしているが、退屈はしない。押し殺していた感情が発露されるのは、ヘリの救援が来た時だ。しかしその希望も、彼の眼の前で崩れ去る。重傷を負った女性は言葉をほとんど話せないし、何人かもわからない。しかし、彼の孤独は少し柔わらいでいく。自分が生き延びる以外の目的ができたからだ。
 
 後半は、彼女の命を救うため、氷原を横断して一番近い観測基地まで行く、サバイバル行だ。歩く。ひたすら歩く場面が続くが、緊張感は崩れない。氷原にいるのは、彼とソリで引かれる女性だけ。彼女の命が尽きるまでに、基地にたどり着かねばならない。もしかしたら、自分ひとりなら助かるのではないか。そんな誘惑が彼を襲う。そんな葛藤も、セリフではなく絵で見せなければならないので、映画としてはなかなかチャレンジだ。
 
 ロケはアイスランドで行われたようだ。ほぼ氷の世界の中の物語だが、最後まで緊張感を持って見せ切るのは、名優マッツ・ミケルセンの力があってこその事。地味な映画かもしれないが、サバイバルもの好きにはなかなかの佳作だと思う。
★★★☆

2019年10月30日水曜日

永遠の門 ゴッホの見た未来

At Eternity’s Gate

 ゴッホの最期の日々を描く。ウィレム・デフォーの熱演が光る


2018
監督:ジュリアン・シュナーベル(『バスキア』『潜水服は蝶の夢を見る』)
出演ウィレム・デフォー、ルパート・フレンド、オスカー・アイザック、エマニュエル・セニエ、
   マチュー・アマルリック、マッツ・ミケルセン
配給:GAGA、松竹
公開:118日より新宿ピカデリー他
公式HP : gaga.ne.jp/gogh/

■ストーリー
画家としてまだ評価されていなかったフィンセント・ヴァン・ゴッホは、出会ったばかりの画家ゴーギャンの「南へ行け」というアドバイスを受け、南仏のアルルにやってくる。しばらく安宿に滞在していたゴッホだが、カフェのジヌー夫人の紹介で「黄色い家」を紹介してもらう。やがてゴッホは絶対の美を見出していくが、孤独は彼と住民の間にトラブルも引き起こしていた。一見を案じた弟のテオは、金銭的な援助を条件にゴーギャンに兄と合流することをすすめる。

レヴュー
 1887年から1890年までのゴッホの最晩年を描いた映画。ゴッホ役のウィレム・デフォーの演技は高く評価され、ヴェネチア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞したほか、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた。弟のテオにはルパート・フレンド、ゴーギャンにオスカー・アイザック、ジヌー夫人にエマニュエル・セニエ、ガシェ医師にマチュー・アマルノック、聖職者にマッツ・ミケルセンと他のキャストも豪華だが、全編デフォーは出ずっぱりだ。

一応、事実に沿ったゴッホの伝記映画風にはなっているが、セリフは少なく、カメラはただゴッホの姿を追う。
ゴッホだけのシーンが全体の半分ぐらいあるのは、ゴッホが孤独だからだろう。
撮影時62歳ぐらいのデフオーが、37歳で亡くなったゴッホを演じているが、特に違和感はない。
撮影はかなり特殊で、大半がゴッホに近寄った手持ちカメラの長回しと、遠近両用レンズを使ったゴッホの主観に近い映像だ。
画面は斜めになったり揺れたりして、人によっては前の方で見ていると酔うかもしれない。
遠近両用レンズを使った映像は、そのタイプの眼鏡を持っている人ならわかるだろうが、上半分でピントが合っていたら、下半分はボケで見える状態になっている。これは、他の人には見えない世界が見えたゴッホの視点を表している。
野心的な映像だが、それが効果的かどうかは個人的には疑問。画面が落ちかなくて集中できないからだ。

本作のゴッホの姿が次第にイエス・キリストにダブってくるのは偶然ではない。
そもそもデフォーは『最後の誘惑』でイエスを演じていたし、本作でも神父との問答で自分とイエスを重ねているゴッホのセリフが出てくる。
ゴッホは画家になる前は神父を目指していたので、聖書に詳しい。
「なぜ神は、誰も欲しがらない絵を描く才能を私に与えたのか。それは私の絵は、未来の人々のためのものだから」とゴッホは神父に言う。
イエスの教えも同時代の人々には受けいられなかった。
その時点では、キリスト教も“未来の宗教”だったとゴッホは言う。

かといってゴッホは聖人ではない。
特に彼の身近に暮らしていた人にとっては、いつ人に危害を加えるかわからない危ない存在だった。
映画でもセクハラまがいのことをしたのに、「記憶にない」とゴッホに言わせている。
南仏では子供に石をぶつけられて追いかけるが、最後には子供が自分に犯した罪を自ら被って死んでいく。

ゴッホが絵を描くシーンの多くは、デフォーが実際に描いている。
ゴーギャンが「早く描きすぎ」というように、ゴッホの筆は早く、ためらいがない。
なので実際にデフォーが描く必要があったのだ。
より複雑なタッチの部分は、監督のジュリアン・シュナーベルの手によるもの。
本作に飾られているゴッホの模作の多くもシュナーベルによって描かれたものだ。

シュナーベルは、バスキアなどで知られる1980年代の新表現主義の代表作家で、のちに映画監督も始め、『バスキア』『潜水服は蝶の夢を見る』などを送り出した。
そんな画家としても一流の感性が本作には込められている。

映画は最近のゴッホ研究により、ゴッホ自殺説を否定している。
ゴッホの油絵が動くタッチで作られた映画『ゴッホ 最期の手紙』もそうだった。
ゴッホは自殺した悲劇の画家ではなく、最期まで自分の芸術に向き合った。
彼の作品からそう考える方が、腑に落ちるのだろうな。

ハリウッド映画しか見ていない人には、タルかったり、きつかったりするかもの映画。
正直、僕もピンと来たわけでなく、夢うつつの中でゴッホと生活を共にしたような非現実感に包まれていた。
ただしデフォーの熱演や、各俳優の存在感、神父との問答は面白く感じた。
ゴッホは少年の罪を許し、かぶって死んだ。キリストのように。
そして、今、私たちはそのゴッホを信仰している“未来”に生きている。
  (前原利行 ★★★