2021年4月12日月曜日

ハウス・イン・ザ・フィールズ

弁護士になりたい妹、結婚するために学校を辞める姉。
モロッコ・アトラスの山村で暮らす一家を捉えたドキュメンタリー



原題:TIGMI N IGREN
2017年/モロッコ、カタール
監督・撮影:タラ・ハディド
出演:ハディージャ・エルグナド、ファーティマ・エルグナドほか
配給:アップリンク
上映時間:86分
公開:4月9日(金)よりアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

●ストーリー

モロッコはアトラス山脈にあるアマズィーグ人の村。少女ハディージャとその姉のファーティマは仲のいい姉妹。ハディージャは将来弁護士になることを夢見ている。ファーティマは来年の夏、結婚することが決まっている。「結婚するのが怖い。だけど義務だから」と胸のうちを語るファーティマ。ハディージャは、大好きな姉と離ればなれになってしまう寂しさを感じている。冬から春、そして夏へと季節は移り変っていく。


●レヴュー

被写界深度の浅いボケとピントの合った美しい映像に引き込まれる。
直感的に、これは写真家が撮った映画かな?と思った。資料によると、タラ・ハディド監督は写真集も出しているらしい。(名前に見覚えが、と思ったら世界的な建築家・故ザハ・ハディドの姪にあたる人物だった)スケッチ風に見えるが計算されていて、登場人物が「自分自身を演じる」タイプのドキュメンタリーだ。監督は7年に渡り現地入りし、彼らと寝食をともにしたという。ハディージャとファーティマの姉妹がこの女性監督に打ち解けている様子が伝わってくる。(男性ならイスラームを信仰する女性たちにカメラを向ける難しさがよくわかるだろう)

姉妹の一家を中心に、非アラブ系の「アマズィーグ人」のコミュニティを端的に描いている。舞台は高アトラス西南地域のとある村。アマズィーグ人とはベルベル人のことで、こちらの表記の方が馴染みがある人も多いと思うが、実は「異言を話す者=バルバロイ」から来るローマ人側からの蔑称でもあり、当人たちは自らを「アマズィーグ」というらしい。モロッコの25%を占めるというアマズィーグではあるが、彼らの置かれた立場は蔑称からも容易に想像がつく。

姉妹の父親は1970年から85年までユーロ圏へ出稼ぎに行っていた。その労苦は顔に刻まれた深いシワや抜け落ちた歯が物語っている。その間、妻は一人で家庭を守っていた。二人がカメラの前で、緊張気味に昔の思い出を”節回し”で披露する姿が印象的だ。
また、まだ幼さのある次男のオマールは、「村には仕事がない、兄のようにカサブランカやマラケシュで働きたい」と言っている。一家は畑仕事で生計を立てているようだが、村には慢性的な貧困があるのだろう。
次女ハディージャは将来弁護士を夢見ている。勉強が好きで続けたいと思っているが、姉のように結婚を選ぶと、勉強を途中でやめなくてはならないことを心配している。友人との会話で、男女平等を謳う国王令の話題をするシーンがある。「男性たちが男女平等に反対するデモをしているニュースを見たわ」と友人。将来を不安視する若い少女たちの言動に、モロッコ女性たちの状況も伝わってくる。国王ムハンマド6世による改革で男女平等の意識は進んでいるようであるが、まだまだ都会と田舎の格差はありそうだ。

映像はもちろんだが、音像の方も印象的だった。風の音、小川のせせらぎ、木々のさざめきがリアルで、アンビエント音楽を聴くような趣きすらある。自然の風景と音が心地よく、コロナ疲れを癒してくれる。しかし、その音像は、長女ファーティマの結婚式で爆発する。アマズィーグの伝統楽器ルタルが奏でる音、アホワーシュの隊列の歌声、太鼓やベンディールの打楽器のリズムが、ある種のトランス状態へいざなう。比較していいのかわからないが、ブライアン・ジョーンズの「ジャジューカ」(リフ山脈方面の村名)を思い出した。そして、祭りの後の静寂が姉との別れと重なる様は、実に文学的だ。
冬から夏にかけての出来事が章立てで描かれるが、その章立てにはアマズィークの文字ティフナグが使われている。こちらも目を引いた。
(★★★☆ カネコマサアキ)


●関連情報

2004年にムハンマド6世の主導権によって新家族法が成立し、女性の婚姻可能年齢は18歳以上に引き上げられ、一夫多妻制についても厳しい基準が要求されるようになった。新家族法制定で、女性は結婚時に夫に複数の妻(イスラム教徒の男は4人まで妻を持てる)を持たないよう求めることができる。さらに、女性から離婚を請求すること、家庭における夫婦の責任が同等となり、女性は自分自身で結婚を決めることができるようになった。