2021年4月7日水曜日

狼をさがして

1974年、日本社会を揺るがした連続企業爆破事件。
「東アジア反日武装戦線」の実態に迫るドキュメンタリー



 2020年/韓国
監督・プロデューサー:キム・ミレ
出演:太田昌国、大道寺ちはる、池田浩士、新井まり子、溶田由紀子ほか
配給:太秦
上映時間:74分
公開:3月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開中

●ストーリー

1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発し、死者8名、負傷者380名を出す事件が起きた。1か月後、犯人から声明文が出される。「東アジア反日武装戦線“狼”」と名乗るその組織は、「日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である」と宣言した。その後も別働隊”大地の牙”や”さそり”による爆破事件は続いたが、1975年5月19日犯人グループは一斉検挙される。

2000年代初頭、釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた韓国のキム・ミレ監督が、一人の労働者から東アジア反日武装戦線の存在を知り、彼らの思想を辿るドキュメントを撮り始めた。

●レヴュー

連合赤軍や日本赤軍を扱った映画は数多あるが、「東アジア反日武装戦線」に焦点を当てた映画は珍しいかもしれない。また、それが日本人ではなく韓国人のドキュメンタリー作家によって見出されたことも興味深い。ネチズンたちが左派たちを揶揄する「反日」の言葉の源泉もここに行き着きそうだ。「東アジア反日武装戦線」は70年代初期に勃興した武闘派左翼グループの一つと考えられるが、彼らは一体どのような思想を持っていたのか。カメラは関係者や支援者にインタビューを重ね、実像に迫ろうとする。

「東アジア反日武装戦線」は法政大学の文学部史学科に在籍していた大道寺将司を中心に結成されたグループが源流で、明治以降の「日本帝国主義」がアジアで行ってきた「悪行」について考える研究会が基礎になっている。そのコアな部分を抜粋してみる。

〜36年間に及ぶ朝鮮の侵略・植民地支配をはじめとして、台湾、中国大陸、東南アジア等も侵略支配し、「国内」植民地としてアイヌモシリ・沖縄を同化吸収してきた。我々はその日本帝国主義の子孫であり、敗戦後開始された、日帝の新植民地主義侵略支配を許容・黙認し、旧日本帝国主義者の官僚群、資本家を再び生き返らせた帝国主義の本国人である〜
〜自らの逃避口=安全弁を残すことなく”身体”を張って自らの反革命に落とし前をつけることである〜 『腹腹時計』兵士読本vol.1より

大道寺将司の出身は北海道・釧路だった。アイヌの問題はとりわけ身近だったのかもしれない。大学受験で大阪外語大を受けるが失敗、そのまま大阪に残り、釜ヶ崎で一年を過ごし日雇い労働者との親交を深める。東京に移動し、法政大学に入学し全共闘に入るも、安保闘争の敗北とともに自然消滅。大学も中退する。そして、先に述べたように「東アジア反日武装戦線」を結成する。安保闘争の失敗が彼らを追い詰め、捨て身の戦術に出たような印象がある。
まず、那須帰りの昭和天皇を荒川鉄橋で爆殺しようとする「虹作戦」を計画。しかし厳重な監視を意識してか中止に至る。その翌日、朴正熈暗殺を企てた在日の文世光のニュースに衝撃とシンパシーを感じ、戦前・戦中・戦後も「帝国主義」を支援する企業と断定した三菱重工への爆破テロへと舵を切る。

この映画に不満があるとすれば、70年代初期の時代の空気が伝わってこないことだろうか。東西冷戦の深化とともに、70年の三島由紀夫の市ヶ谷自衛隊駐屯地での割腹事件も、イタリアの赤い旅団やドイツのバーダー・マイホフなどの左翼過激派の活動も巨視的にはつながっている。思いつきで言ってしまうが、彼らの生真面目さとプライドの高さは「敗戦国」コンプレックスから来るものではないだろうか。
ダッカ事件の超法規的措置によって釈放され、日本赤軍と合流したことで知られる溶田由紀子の素顔も見える。1995年にルーマニアで拘束され、”大地の牙”部隊の連続爆破事件の当時者で懲役20年の判決を受けた。2017年の釈放後、足立正生との抱擁の様子も映っていたが、この人が…?という感じで、もはや親戚のおばさんにしか見えない印象だ。

「無関係な人々を殺めてしまったことには非があるが、その思想は間違っていなかった」という論理にはついていけない。いや、ついていけなくなった。その思想はどこかで間違っているに違いないからだ。コロナ禍が、年齢を重ねたことが、なお一層、そう思わせる。事件を風化させないためにこの映画は存在してほしいとは思うが、一方で、どこか全共闘世代を慰めるようなニュアンスも感じてしまう。韓国人監督だからこそ成立する内容だろうか。
ただ、一つ言えることは、時代が異なれば、彼ら20代の若者たちは別の人生を送っていたかもしれない、ということだ。劇中で詠まれた大道寺将司の後悔の俳句が切なく響く。

先日、チベット映画を見るために、久しぶりに岩波ホールへ行った。劇場の壁に1974年オープンから上映された映画のチラシが貼り出されてあった。この1974年という符号を興味深く感じた。ご存知かと思うが、岩波ホールはアジアやアフリカ、ラテンアメリカなど、第三世界と呼ばれる国々の映画を多数上映してきた。この活動は、早急ではないが少しずつ人々の意識を変えて来たかもしれない。こういった方法もあったのではないか。
彼らを反面教師にして、狭量な見方しかできない知性を疑わなければならないと襟を正した。

(★★★カネコマサアキ)


●関連情報
『第40回韓国映画評論家協会賞』独立映画支援賞
『第21回釜山映画評論家協会』審査委員特別賞