2018年10月13日土曜日

世界で一番ゴッホを描いた男

中国のゴッホの複製画家が本物に会いに欧州へ




2016年
監督:ユイ・ハイボー、キキ・ティンチー・ユイ
出演:趙小勇(チャオ・シャオヨン)
配給:アーク・フィルムズ、スターキャット
公開:10月20日より新宿シネマカリテにて公開
公式ページ:http://chinas-van-goghs-movie.jp/

職人か芸術家か
その問いを自分に投げかける人は、世の中にたくさんいるだろう。
自分を表現するために何かを始め、それで飯が食えるようになっても、
いつのまにか単に技術を提供するだけになっている、
なんてこの世界、当たり前のことだ。
僕が住んでいる出版や編集の世界でもまったく同じ。
最初は“バイト仕事”ぐらいに感じていた、技術だけ提供する雇われ仕事が、いつのまにか生活を支えるようになっている。
このドキュメンタリーの主人公となる趙小勇(チャオ・シャオヨン)は、その逆だ。
スタート地点が、生活を支えるための模写だった。
そして20年目にして、彼の心を動かす出来事が起きる。

中国深圳市にある大芬(ダーフェン)村
複製画の制作が世界の半分以上のシェアを占めるという、
世界最大の絵画村だ。
ここには複製画を描く職人たちの工房が軒を連ねている。
地方の農村から出稼ぎでここにやってきた趙小勇は、独学で絵を学び、ここでもう20年、ゴッホの複製画を描いている
工房には彼の妻や親戚もいるが、籍はまだ地方にあるので、
娘は遠く離れ、言葉もあまり通じない田舎の学校に通わなくてはならない。

本作の前半は、この大芬村で複製画を描いていく人々や、
その様子を映し出していく。
その中で次第に、ベテランの趙小勇がクローズアップされていく。
彼の夢はいつしか、“本物のゴッホ”を見ることだ。
本やテレビでしか見たことがない、ゴッホの絵。
自分が20年も描いてきたものの、本物が見たい。
仲間のひとりは、すでに複製画ではなく、“自分の”絵を描くようになっていた。そんな焦りもあったかもしれない。

後半は、お金をかき集めて、ついに念願の欧州へ旅立つ
趙小勇をカメラが追う。
長年、自分たちの描いた複製画がアムステルダムの画廊で
売られていると思っていた趙小勇だが、
着いてみるとそこはただのおみやげ屋だった
失望が顔に浮かぶ趙小勇。
さらに販売価格が、自分たちの売値の8倍と知って
やるせない気持ちにもなる。
複製画だが、誇りを持って描いてた自分なのに。

そして彼は、アムステルダムのゴッホ美術館に。
ゴッホの自画像に見入る趙小勇。
彼の旅は、アルル、サン・レミ、最後の地となったオーヴェル・シュル・オワーズと続く。
ゴッホの足跡を訪ねるその旅はまた、
趙小勇が自分を見つめ直す旅でもあった。
自分はいったい何者なのか。
本物と偽物の違いとは? 芸術家と職人の違いは? 
帰国後、彼はある決断をする。

複製しか描いたことがなく、自分の作品がない趙小勇が苦悩する姿は、滑稽でもあり、また私たちに真摯に訴えかけるものでもある。
彼が苦しむ姿は、“本物”だからだ。
これといった大きな仕掛けはない小品だが、
趙小勇の問いは多くの人が感じていること。
きっと観客の心にも、その問いは投げかけられることだろう。
★★★

2018年10月11日木曜日

アラン・デュカス 宮廷のレストラン

世界最高のシェフが世界を飛び回り、味を探求する


 
2017年/フランス
監督:ジル・ドゥ・メストル
出演:アラン・デュカス
配給:キノフィルムズ/木下グループ
公開:10月13日よりシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館にて公開
公式ページ:http://ducasse-movie.jp/

食通なら、アラン・デュカスの名を知らないものはいないだろう。
かくいう僕は食通ではないので、アラン・デュカスのレストランに行ったことはないのだが(笑)、その名ぐらいは知っている。
アラン・デュカスは、33歳のときに史上最年少で3星シェフに輝いた名シェフだが、本作からわかるのは、彼は単なる料理人ではなく、経営能力に優れていることだ。

デュカスは現在、パリ、モナコ、ロンドンに3星レストランを3軒運営するだけでなく、他にも2星、1星レストランを世界各地に運営している。
各店はその店のシェフに任せており、
今や自分で料理を実際に作ることはほとんどない。
とはいえ、自分の名前をただ冠しただけのフランチャイズではなく、また、各店舗の料理が全く関係ないわけでもない。
彼のマインドは、各店舗で生きているのだ。

本作はヴェルサイユ宮殿内のレストランのオープンをクライマックスに、世界を飛び回り味を探求するデュカスの多忙な2年を、
90分に凝縮したドキュメンタリーだ。
コンパクトにちょうどいい長さにまとめられており、
新書一冊読んだぐらいの充実度はあるだろう。
ロンドン、リオ、フィリピン、中国と世界各地へ味と食材を求めて飛び回り、また各店舗の新メニューをチェックして回るデュカスだが、日本のシーンも比較的長く収められている。

まずは東京の銀座のシャネルにある「ベージュ アラン・デュカス東京」で新メニューのチェック。
それから京都へ行き、老舗の日本料理店、大衆的な食堂、デパ地下のスイーツ店などをチェック。
彼が食べるのは、何も高級店ばかりではない。
数百円の安いケーキだって買ってホテルの部屋でチェックし、なぜこの価格でこのくらいのものができるかも気になるのだ。
その合間には、NHKの情報番組にだって出演する

パリへ戻ったデュカスは、新レストランのための「王の食卓」メニューの開発プロジェクトに取り組む。
ルイ16世時代をイメージした食器のデザインと発注、
現代でも揃う食材、そしてただ古いメニューの再現だけではなく、
そこに現代風のアレンジも施す
そしてオープニングの日。
政界ともパイプがあるデュカスなので、
来場客の中には各国大使が何十人もいる。
舞台裏ものが大好きな僕としては、
修羅場とそれに続く達成感を感じている顔を見るだけでも幸せだ。
そしてまた、自分もあのような達成感を味わいたいと、
羨ましくもなるのだ。

たまには贅沢して、デュカスのレストランへ行ってみようかと、
映画を見終わったときは思うのだが(笑)。
★★★☆

2018年10月5日金曜日

運命は踊る

イスラエルの兵士とその両親をめぐる運命のダンス。

ヴェネチア国際映画祭で審査員グランプリを受賞作品


 

Foxtrot

2017年

監督:サミュエル・マオズ
出演:リオール・アシュケナージー、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ
配給:ビターズ・エンド
公開:9月29日よりヒューマントラストシネマ有楽町にて公開中
公式サイト:www.bitters.co.jp/foxtrot/
予告編



●ストーリー

ミハエルとダフナ夫妻の元に、息子ヨナタンの戦死を告げる軍の役人がやってくる。やがて、息子の死は誤報だったと告げられるが、安堵するダフナと対照的にミハエルは怒りをぶちまけ、息子を呼び戻すように要求する。一方、ヨナタンはたまにしか車が通らない検問所で、その日も間延びした時間を過ごしていた。しかし、彼の運命を狂わす事件が起きる。

●レビュー

映画は三幕構成になっている。一幕目は、息子の死を知らされた夫婦の悲劇。妻はショックのあまり倒れ、夫はお役所的な軍人の態度にイライラする。やがて息子の死が誤報であったことがわかった時、夫の感情は爆発し、息子をすぐに戦場から呼び戻すようにと言う。

場面が変わり、二幕目は国境付近の検問所で働く息子、ヨナタンの日常が描かれる。時おり、車やラクダが通るだけの、のんびりとした検問所。しかしいつ、何が起こるかわからない緊張が時おり走る。実際に戦闘が行われているわけではないが、かといって安全なわけではない。そんな場所は世界中のいたるところにあるのだろう。緊張の中の退屈、あるいは退屈の中の緊張。そんな警備の兵士たちの日常が、リアルに描かれる。兵士といっても、専門職ではなく徴兵された二十代の若者たちだから、そこらにいる若者たちと大して変わらない。だらだらとした日常だが、突発的に起こった“ある事件に”、観客はハッとさせられる。兵士は人を殺すこともできるし、殺される危険性もあるのだと。

三幕目は、ふたたび夫婦の姿が描かれる。そこで出てくるのが、映画の原題でもある「フォックストロット」だ。これは前右左後とステップを踏み、元の位置に戻るダンスのステップだが、「人は結局は運命には逆らえない」という宿命を象徴しているかのようだ。この三部構成の“悲劇”は、日頃私たちが忘れようとしている“運命”というものを考えさせてくれる。

非常に理知的に、きっちりと作られた作品だが、逆にそのあたりが鼻につくという人もいるかもしれない。監督・脚本のサミュエル・マオズは、実際にイスラエル軍に従軍し、1982年のレバノン侵攻にも参加している。この侵攻時に、パレスチナ人難民の大量虐殺事件が起きた。先日公開された『判決、ふたつの希望』でも語られ、その時の従軍経験を映画にしたアリ・フォルマン監督の傑作『戦場でワルツを』でも描かれている。さて、そうした作品群に比べると、「優等生が作った作品」ぽい感じがするが、まあそれは監督のスタイルなのだろう。僕は、あまり知ることがないイスラエル人兵士の日常、そして宗教離れしているイスラエル知識人の日常をしることが出来たのも、興味深かった。
★★★


●関連情報

2017年第74回ヴェネチア国際映画祭で審査員グランプリ(銀獅子賞)を受賞した、イスラエルのサミュエル・マオズ監督の長編2作目。マオズ監督は長編1作目の『レバノン』も同映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞しており、いまや国際的な作家といえよう。

2018年10月4日木曜日

僕の帰る場所

日本とミャンマー、二つの国に揺れる家族の物語


Passage of Life

2017年/日本=ミャンマー

監督・脚本:藤元明緒
出演:カウン・ミヤッ・トゥ、ケイン・ミヤッ・トゥ、アイセ、テッ・ミヤッ・ナイン、
         來河侑希、黒宮ミイナ、津田寛治
配給:株式会社 E.x.N
上映時間:98分
公開:2018年10月6日(土)、ポレポレ東中野ほか全国順次公開

●ストーリー 

 東京郊外の小さなアパートに住む、ミャンマー人の母ケインと幼い二人の兄弟。入国管理局に捕まった夫アイセの代わりに、ケインは一人で家庭を支えていた。日本で育ち、母国語を話せない子どもたちに、ケインは慣れない日本語で一生懸命愛情を注ぐが、父に会えないストレスで兄弟はいつも喧嘩ばかりで、ケインは不眠症になってしまう。移民申請は繰返し却下され、これからの生活に不安を抱うケインは、ミャンマーに帰りたいという想いを募らせていく・・。

●レビュー 

 これは、ある在日ミャンマー人家族の実話を基にした物語。ミャンマーでは、1988年に軍部が実権を握る社会主義政権に対し、民主化運動が活発化するが、その後、武力弾圧により軍事政権が成立。結果、多くの人々が身の安全を求めて国を離れ難民となった。日本に来た家族も少なくない。

 昨今、海外における難民、移民問題はしばしは報道されてるが、日本における難民の実情はほとんど知られていないように思う。この作品の中で、藤元明推監督は、異国の地で肩を寄せ合いながら生きる家族の姿をドキュメンタリーをような映像でリアルに捉えている。それを「難民問題」という視点でを切り取るならば、難民に厳しい態度をとる日本や難民が経験する周囲との軋轢など、難民をを取り巻く社会問題を提示する作品だと言えるだろう。けれども、監督の目線は、そうしたシビアな眼差しを含みながらも、難民の家族の毎日を優しく見守りながら物語を紡ぎ出している。

 フィクションでありながら、一家の姿をリアルに切り取っているように見えるのは、主だった役を演技経験のないミャンマーの人々が演じているからだろう。この作品の中心に描かれている6歳と3歳の兄弟もしかりで、二人を演じたカウンとテッは実際の兄弟(母親役も兄弟の実母)で、かれらの自然な姿がこの物語を心揺さぶるものにしている。祖国を離れた両親は、さまざまな問題を抱えているのだが、日本で成長した子どもたち、特に兄のカウンは日本語を話し、日本に馴染み、生き生きと学校生活を送っている。しかし、物語の中盤、生活に疲れ「普通の生活がしたい」と望む母から帰国を言い渡され、父とも離れてミャンマーに帰ることになる。まだ幼く屈託ない弟とは対照的に、言葉のわからない兄カウンは自分の居場所をみつけられず、思い悩み苛立つ。こうした、国情や大人の都合に巻き込まれ、社会の渦中に投げ込まれて翻弄するのは、いつも子どもたちだ。カウンが彷徨い歩くミャンマー、ヤンゴンの夜の街が印象的に映る。葛藤する子どもたちの姿に心が痛くなるのだが、彼らは大人以上に強く、自分の未来を切り開いていこうする力も持っているのだと知らされる。

 ミャンマーで劇映画を撮った日本人は過去にほとんどなく、企画から5年をかけてこの作品は完成したという。昨年の東京国際映画祭では「アジアの未来」部門で作品賞を受賞。アジアの知る一作となっている。オランダの映画祭では、兄役のカウン・ミヤッ・トゥくんが最優秀俳優賞を受賞している。彼のかわいらしさ、そして成長していく姿を体現した演技も必見。★★★★)加賀美まき


2018年9月19日水曜日

バッド・ジーニアス 危険な天才たち


監督・脚本:ナタウット・プーンピリヤ
出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン、チャーノーン・サンティナトークン、タネート・ワラークンヌクロ(『ポップ・アイ』)
配給:ザジフィルムズ/マグザム
公開:9月22日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー

■ストーリー

成績優秀で天才的な頭脳をもつリンは、授業料全額免除の奨学生としてとある高校に転入してくる。仲良くなったクラスメートのグレースに勉強を教えるも、彼女のレベルは低かった。中間テストの最中、リンはある方法で彼女に答えを教える。それによって見事にグレースの成績が上がった。それを聞いたグレースの彼氏パット(裕福な家の御曹司)は、彼女にビジネスの話を持ちかける。それはテストの答えを教える代わりに、一人一科目につき3千バーツを払うというものだった。

■レビュー

子供の頃の記憶になるけど、その昔、カンニング・ブームというのがあった。実際に学校でカンニングが横行したというのではなく、『ザ・カンニンング IQ=0』(1982年公開)というフランスのコメディ映画が話題になり、TVのバラエティ番組がこぞってネタにしたり真似をしたのだ。ジャッキー・チェンの映画に『カンニング・モンキー天中拳』(’83年公開)なんて邦題までつけてることから、当時の流行が伺える。(こちらは和製英語のカンニングではなく、本来の”ずる賢い”の意だと思うけど)

そんなわけで、カンニングを扱う映画と聞いて、コメディタッチの学園ドラマを想像していたのだが、これが良い意味で裏切られた。これはクライム・サスペンスといっていい領域だ。細部の作り込みが凝っていて、盛り上げ方もスピルバーグ並み。教室内で行われていたカンニングは、徐々にスケールを増し、アメリカ留学のために各国で行われる統一試験”STIC”で実行されることになる。オーストラリアとタイの時差を利用した国際的で大掛かりなものだ。

1981年生まれのタイの監督が『ザ・カンニング』を知ってるのかどうかわからないが、この『バッド・ジーニアス』は中国で実際にあったSAT試験カンニング事件から着想を得たらしい。なぜ今それを取り上げ、2017年のタイNo1ヒットになる社会現象になったのか。資料によると、近年のタイの受験熱が一因となってるようだ。90年代に大学制度が整備されて以来、学歴偏重社会が進み、現在大学進学率は50%に。バンコクのサイアム・スクエア近辺には進学塾が乱立するまでになっているらしい。

日本で『ザ・カンニング』が公開された時代というのは、'79年に共通一次試験が導入され(フランスの「バカロレア」を参考にしたという)、偏差値による大学の序列化が進み、1980年はあの「金属バット事件」があり、校内暴力も大きな社会問題になっていた頃だ。生徒の側からの学校制度・競争社会への抵抗や叫びが顕在化した年代でもあった。カンニング・ブームは、ある種の緩衝剤としての機能があったのかもしれない。

主人公のリンとバンクは成績優秀で本来優等生ではあるが、決して裕福とはいえない家庭の子どもたちだ。今ある状態(あるいは階層)から抜け出したいと思っている。追いつめられた彼らは自らの留学とカンニング・ビジネスでの収入を賭け、大きな勝負に出る。クライマックスの28分間のスリリングな展開は実に見事で、手に汗握るサスペンスとなっている。優れたエンタメ作品ながら、タイの不平等社会と学校制度を鋭く抉った快作だ。ラストのリンの描写に疑問がないわけではないが、青春映画としての魅力も十分にある。

(ちなみに、安室奈美恵が出演しているという『That's カンニング!史上最大の作戦』という日本映画が存在しているのをこの原稿を書く段階で初めて知った。公開された1996年は筆者は日本にいなかったので知らないのも当然なのであった。)

(カネコマサアキ★★★★)

■関連事項

第27回タイ・アカデミー賞(スパンナ賞)史上最多12部門受賞
アジアフォーカス福岡映画祭 観客賞
ニューヨーク・アジアフィルム・フェスティバル 作品賞/ライジングスター賞
カナダ・ファンタジア映画祭 作品賞/監督賞
ほか多数受賞

2018年9月15日土曜日

ヒトラーと戦った22日間

 「『ヒトラーと戦った22日間』予告編」の画像検索結果
 
2018年/ロシア、ドイツ、リトアニア、ポーランド
 
監督:コンスタンチン・ハベンスキー
出演:コンスタンチン・ハベンスキー、クリストファー・ランバート
配給:ファインフィルムズ
公開:9月8日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館にて公開中
公式ページ http://www.finefilms.co.jp/sobibor/


■レビュー

 最近、ナチス政権下のユダヤ人もの、「ヒトラー」を入れ込んだ邦題が多いのが気になるが、本作にもヒトラーは出てこない。そして本作は収容所ものには珍しい、ロシア映画。監督・脚本・主演をこなすのは、ロジア人のコンスタンチン・ハベンスキーだ。というのも、実話に基づいた本作だが、反乱のリーダーとなるサーシャが、ユダヤ系ソ連兵だったからだ。

 1943年9月、ポーランドにあるソビボル絶滅収容所に、ソ連兵のサーシャが送られてくる。ほとんどのユダヤ人はすぐにガス室に送られて殺されてしまうが、作業に必要なユダヤ人だけは生かされていた。彼らは脱出計画を練っていたが、強力なリーダーがいない。そこにウクライナで脱走経験のあるサーシャが来たので、一部のものたちが彼をリーダーにして反乱計画を練る。それはSS将校たちを殺し、全員が脱走するというものだった。そして22日後の10月14日、反乱が決行される。

 有名なアウシュヴィッツ=ビルケナウ以外にも、多くのユダヤ人強制収容所があった。勉強不足だったが、強制労働を目的とした強制収容所のほかに、最初から殺戮だけを目的とした絶滅収容所があった。そのうち、本作の舞台となるソビボルでは16万7000人が殺されているという。殺害が目的だから、列車で着いたユダヤ人のうち、生かされるのは死者の遺品の整理やそれを直して再利用できる職人などごくわずか。仕事ができない子供は問答無用で殺された。そしてソビボルなど、多くの絶滅収容所はソ連軍が迫ると、証拠隠滅のために残っていたユダヤ人もろとも、なかった状態にされた。

 本作の題材となった事件は、珍しく、収容されていたユダヤ人たちがやられっぱなしではなく、反乱を起こしたことだ。機を見て、11人のナチス将校を殺して武器を奪い、600名中、360名が脱走に成功。そんな歴史があったことは、あまり知られていないのでは。映画は、決してうまい出来ではなく、前半はナチスの囚人いじめがネチネチ描かれ、まったり感がある。ただし、脱走当日になると展開はスピーディに。結末を知らなかったので、ハラハラしながら見る。将校をひとりひとり呼び出して、ナイフで殺害するくだりは、「殺っちゃってください」と心の中で拍手喝采(映画なので、ナチス軍人は良心の欠片もない極悪人として描かれている)。


 脱走後の顛末は、字幕で書かれるが、脱走した360人のうち200人は、すぐに追っ手の親衛隊によって殺され、逃げられなかった240人も全員殺され、残った160人のうちの100人余りは、民間のポーランド人に殺されたり密告によって命を落としたという。当時のポーランドでは、反ユダヤ主義も根強く、自分たちがナチスに占領されながらも、そこから逃げてきたユダヤ人を殺したりしていたというのも陰惨な話だ。また、映画では触れられていないが、看守などにはドイツ人ではなく、反共産のウクライナ人が多く使われており、彼らもまた残虐だったという。弱いものがより弱いものをいじめるという構図はやりきれない。


 本作の主人公であるサーシャも、脱出後にはパルチザンに加わり戦ったが、戦後はドイツの収容所にいたとして「外患罪(外国の捕虜になった者は半共産思想に感染しているという言い分)」により、ソ連の強制収容所に入れられたこともあるという数奇な運命を辿っている。
 ということで、人間ドラマとしては薄い出来だが、こうしたことがあったという事実を知るにはいいテキストかもしれない。(前原利行 ★★★

2018年8月13日月曜日

1987、ある闘いの真実


1987

2017年/韓国
監督:チャン・ジュナン
脚本:キム・ギョンチャン
出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ユ・へジン、キム・テリ、パク・ヒスン、イ・ヒジュン、
   ソル・ギョング、カン・ドンウォン、ヨ・ジング
配給:ツイン
上映時間:129分
公開:2018年9月8日(土)、シネマート新宿、シネマート心斎橋 全国順次ロードショー


●ストーリー 

 1987年1月、警察での尋問中に大学生パク・ジョンチョル(ヨ・ジング)が死亡する。パク署長(キム・ユンソク)は、部下らに遺体の火葬を命じるが、その日当直だったチェ検事(ハ・ジョンウ)は不審を抱きそれを拒否、上層部の反対を押し切り解剖を執行させる。警察は心臓麻痺という虚偽発表を続けるが、現場の痕跡や解剖所見は拷問致死を示していた。事件を取材していたユン記者(イ・ヒジュン)は「水拷問中の窒息死」と報道。これに対しパク署長は、チョ班長(パク・ヒスン)と刑事の2人だけを拘束し事態を収束させようとする。
 一方、民主化運動家で指名手配中のキム・ジョンナム(ソル・ギョング)は真実を暴く機会をうかがっていた。協力者のハン刑務官(ユ・へジン)は、収監中のチェ班長から情報を得ると、検問をかいくぐるため、姪のヨニ(キム・テリ)に情報伝達の任務を託す。そして民主化運動が拡大する中、ヨニが知り合った学生運動家イ・ハニョル(カン・ドンウォン)に事件が起こる・・。

●レビュー 

 「1987」は、軍事政権下の1987年、大学生の死に端を発した韓国民主化闘争を描いた作品で、実話に沿い気骨に語られている。その年の1月、体制への不満が高まり各地で学生デモが勃発する中、警察に連行されたソウル大生が拷問中に死亡。隠蔽されようとしていた死因が暴露されるや前途ある若者の死の衝撃は、民主化の動きとなって韓国全土に広がっていく。

 実際の事件に基づくため、実在する多くの人物が登場する。脱北者の立場から任務遂行に執念を燃やす署長。青年の死を隠蔽しようする警察や強権的な政治指導者。その末端で命令に従う者たち。一方、体制に抗う者は、事実を暴こうする奔走する。民主化運動家、自ら行動を起こす学生たちや協力者。その裏では、体制に翻弄されてきた国民がいて、やがて彼らも民主化のうねりのひとつとなっていく。劇中、そうした登場人物一人一人に焦点がしっかりと当てられ、当時の韓国に生きた人々の姿がリアルに描かれている。キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、カン・ドンウォンら力のある俳優が背景をしっかりと含みながら役柄を演じて秀逸。特に刑事役のパク・ヒスン、記者役のイ・ヒジュンの堅実な演技がさらなる説得力を生んでいる。

 隣国が軍事政権下にあり、民主化運動が起こったのは、日本が「バブル」という名の景気に踊らされていた頃。この物語の1987年は、わずかに31年前のことだ。アジア大会後、「漢江の奇跡」と言われた経済発展を遂げ、ソウルオリピックを控えた隣国の実情を私たちは知らずにいたと思う。こうした作品を通じてあらためて隣国の本当の姿に気付かされる。

 最終盤、学生たちの民主化運動が激しさを増す中、無差別に発射される催涙弾が学生のひとりを直撃する。重症を負ったその学生の死亡が伝えられると、民主化運動は最大のうねりとなっていく。亡くなった学生の写真が掲げられる中で集まった市民。声をあげた彼らの勇気が大きな希望となり国を動かしていったことに心を動かされる。そして、知らずにいたことを目を向けていくこと、それがこれからの隣国との関係に必要なのだろうと感じる。韓国を知る上で必見の作品。最後には実際の写真も多く映し出される。
★★★★)

第69回 百想芸術大賞4部門
    (大賞、脚本賞、主演男優賞/キム・ユンソク、助演男優賞/パク・ヒスン)


2018年8月10日金曜日

ポップ・アイ



2017年シンガポール・タイ

監督・脚本:カースティン・タン
出演:タネート・ワラークンヌクロ(『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』)
ペンパック・シクリンほか
配給:トレノバ
公開:8月18日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー

■ストーリー

かつては一流建築家として名を馳せたタナーだったが、いつしか会社には居場所がなくなり、妻にも相手にされず、人生に幻滅している。ある日、バンコクの街角で幼い頃飼っていたゾウのポパイを偶然見つける。いてもたっていられなくなったタナーは巨大なゾウを買い取って家に連れて帰るが妻は激怒。何もかも放り出したくなったタナーはポパイと旅に出ることに…。

■レビュー

荻上直子監督の『めがね』という映画では、南の島でボーっとすることを「たそがれる」と表現していた。この映画もゆったりした時間の流れがあり、シンプルな画面構成にも荻上作品に似たモノを感じるのだが、この「たそがれる」、造語なのかと思っていたら、辞書に「黄昏れる」という言葉がきちんと存在していた。本来の意味は「盛りを過ぎて衰える」という意味だ。

主人公はかつては第一線にいた建築家だったが、会社や家庭にに居場所をなくし、文字通り盛りを過ぎてしまった「黄昏れた」中年男だ。バンコクの生活にうんざりして街角で再会したゾウと故郷ルーイへ戻ることに。旅をしながら自分の人生を振り返る。

旅先ではトラブルの連続。そして様々な人に出会う。廃屋で死を待ち続けている男、酒場でくだを巻くトランスジェンダーの女。いずれも黄昏れた人々だ。ようやく到着した故郷ルーイでは驚きの事実を知らされる。老いてなお変わらないもの、人生に大切なものとは…。いろいろと示唆に富んだ作品だ。心理学的にいったら「ミドルエイジ・クライシス」を描いているのだろうと思うが、筆者のような中年男にはなぜか居心地が良い世界観だ。

監督はシンガポール出身で2年間タイに住んでいた経験をもつ。タイ社会に自国にはない寛容さと仏教的諦観を発見するのは日本人も同じだろう。タイの伝統弦楽器ピンに似たギターの音色で奏でられたマット・ジェイムズ・ケリーの浮遊感ある音楽も素晴らしい。ルークトゥン『娼婦からの手紙』の詞にもぐっと来る。たそがれたい人、タイ旅気分を味わいたい人は必見だ。

(カネコマサアキ★★★☆)

第33 回サンダンス映画祭ワールド・シネマドラマ・コンペティション部門脚本賞
第90回アカデミー賞外国語映画賞シンガポール代表



ゲンボとタシの夢見るブータン

The Next Gardian
2017年/ブータン・ハンガリー

監督:アルム・バッタライ、ドロッチャ・ズルボー
配給:サニーフィルム
公開:8月18日(土)よりポレポレ東中野ほか全国ロードショー

■ストーリー

ブータンの小さな村に暮らす兄ゲンボ(15歳)と妹タシ(14歳)。ゲンボは悩みを抱えている。一族が代々受け継いできた寺院を引き継ぐために学校を辞め、戒律の厳しい僧院学校に行くように父親から薦められているからだ。タシは女子サッカーに夢中でナショナルチームへ行くことを夢みている。急速な近代化で変わりゆくブータン社会の中で思春期を迎えた子供たちの未来をみつめるドキュメンタリー。

■レビュー

ゲンボとタシの兄妹が実に魅力的だ。
二人は今どきの日本の中高校生のようにYoutubeやFacebookに興じ、まるで仲のよい親友同士のように、サッカーや可愛い女の子の話で盛り上がる。え?と思った方も多いだろう。兄弟ならまだしも、兄と妹が?と。タシは男っぽい女の子で、性同一障害(FtoM)の要素があるようなのだ。両親も「男の子の魂を持って生まれて来た」と、その辺は理解を示してるようだ。

一方、ゲンボは父親の期待を一心に背負っている。舞台となっているブムタンはブータン中部にあり、一族が代々受け継いできたチャカル・ラカンは8世紀初頭にまでルーツを遡る由緒ある古刹らしい。ゲンボとタシは600年前にその地に寺を建てた高僧ドルジ・リンパの子孫にあたる。父親は責任を感じていて、一刻も早く僧院学校に入学させ一通りの祭事を息子に教えたいと思っているが、母親は海外の訪問者を案内するための英語の勉強も必要だしそんなに急がなくても、と言って意見が合わない。ゲンボ本人も進路を決めかねているようで父親の問いかけにも無口だ。

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CLIPSEFILM / SOUND PICTURES / KRO-NCRV


国家として「国民総幸福量:GNH」という理念を掲げるブータンだが、実は目標の数値を達成できないでいる。鎖国状態から1999年にTV放送とインターネットが同時に解禁され、2008年に立憲君主制に移行する新憲法が公布、ブータンは急激な近代化のただ中にある。物質主義ではない豊かさに価値を求めようとシステム化されたGNHだったが、皮肉なことに、国際化・近代化は多様な価値観、金=幸福の認識を広めてしまったため、人々の幸福度は下がってしまったようだ。

子供たちにとって何が幸せなのか。映画は結論を出さず、我々に問いかける。現代人にとって、目移りしてしまうほどたくさんの可能性があることは、ある種の不幸かもしれないと時に思ったりする。だが、これはすでに近代化を終えた側の身勝手な言い分に過ぎないかもしれない。伝統と近代化の問題は戦後アジア各国で未だに引きずっている問題だが、ゲンボと父親が下見に訪問した僧院学校の先生がとても現実的で理性的な意見を言うのが意外で安堵もした。ゲンボとタシは将来どういう選択をしていくのか。彼らの成長が気になるので、ぜひ続編を希望したい。
(カネコマサアキ★★★)

■関連事項
ブータン出身のアルム・バッタライとハンガリー出身のドロッチャ・ズルボーは、若手ドキュメンタリー制作プログラム「ドッグ・ノマッズ」で出会い、世界7つのドキュメンタリー・ピッチング・イベントに参加。国をまたがる6つの財団から資金を得て、完成にこぎつけた。その制作過程も興味深い。



「ゲンボとタシの夢見るブータン」ポレポレ東中野 公開記念ミニ・トークイベント・シリーズ 
8/18(土)12:20~上映後、監督&出演者ゲンボによる舞台挨拶(Skype)
8/20(月)19:10〜の回上映後 内山 拓/NHKスペシャル「秘境ブータン 幻のチョウを追う」
8/26(日)12:20〜の回上映後 松本 紹圭/浄土真宗本願寺派光明寺僧侶、一般社団法人お寺の未来代表理事  
8/29(水)19:10〜の回上映後 天城 靱彦/Tokyo Docs 実行委員会委員長
8/30(木)19:10〜の回上映後 関 健作/写真家、元ブータン日本人教師
9/2(日)12:20〜の回上映後 関野 吉晴/探検家、医師
9/3(月)19:10〜の回上映後 石川 直樹/写真家
9/5(水)19:10〜の回上映後 南 のえみ/Be Inspired! 編集者
9/7(金)19:10〜の回上映後 加部 一彦/埼玉医科大学総合医療センター小児科


8/25(土)& 8/26(日)大阪公開記念トークイベント
25日(土)12:20の回上映後にトーク ゲスト: 松尾 茜/元・ブータン政府観光局職員、現・京都大学大学院 地球環境学舎 持続的農村開発論分野
26日(日)12:20の回上映後 草郷 孝好/関西大学 社会学部 社会システムデザイン専攻 教授

9/1(土)「ゲンボとタシの夢見るブータン」 京都公開記念特別講演会
講師:熊谷誠慈/京都大学こころの未来研究センター
会場:出町座/時間:12:30〜の回上映後/劇場イベントページ



2018年8月6日月曜日

英国総督 最後の家


Viceroy’s House
2017年/イギリス

監督:グリンダ・チャーダ
出演:ヒュー・ボネヴィル、ジリアン・アンダーソン、マニーシュ・ダヤール、フマー・クレイシー、マイケル・ガンボン
音楽:A. R. ラフマーン
配給:キノフィルムズ/木下グループ
公開:8月11日より新宿武蔵野館ほか

公式HP:http://eikokusotoku.jp/

●ストーリー


1947年、独立が決まったインドのデリーに、最後となる新総督マウントバッテン卿とその家族がやってきた。目的は、つつがなく独立インドに主権譲渡をすること。新総督の到着に合わせ、インド人青年ジートが新しく秘書として雇われてやってきた。パンジャブ地方出身のジートは総督邸でかつて思いを寄せていた女性のアーリアと偶然再会する。アーリアはマウントバッテンの娘パメラの世話係だった。
準備を始めるマウントバッテンだが、ネルー、ガンディー、ジンナーといった指導者たちの意見はまとまらなかった。ネルーはムスリム優遇には難色を示し、ジンナーは分離してムスリム多数派の国を望んだ。ガンディーは統一のためにはジンナーに譲歩するようネルーに言うが、聞き入れられない。そんな指導者たちの対立が民衆に及び、各地で宗教対立による暴動が起こる。混乱を避けるため、マウントバッテンは分離支持に傾いていく。

●レビュー


8月15日は日本では終戦記念日だが、インドでは独立記念日となる。本作は、インド独立となった1947年8月15日にいたるまでの6ヶ月を、主権譲渡のためにやってきたマウンバッテン卿とその家族、そして総督邸で働くヒンドゥー教徒のジートとムスリムの女性との恋などを絡めて描いた歴史群像ドラマだ。

こうした歴史ドラマは大きく分けると2通りある。ひとつは歴史はあくまで背景で、そこに生きる人間の葛藤を主にしたもの。もうひとつは、歴史の動きをわかりやすく描くために、各役割を担う人々を散らした群像ドラマだ。本作は後者で、監督もコメントしているように、デビッド・リーン監督作(『アラビアのロレンス』など)を意識したようだ。ということで、人間ドラマというより、教養的な部分でいろいろとためになることが多い作品ととらえるといいかもしれない。

歴史の舞台をわかりやすくするため、本作ではさまざまな立場の人を登場させる。最後の総督となるマウントバッテンはイギリス貴族らしく、感情を抑え、自分の職務をまっとうしようとする生真面目な人間として描かれている。しかしその生真面目なゆえ、自分が老獪な政治家チャーチルに利用されているとは最後の方になるまで気付かない。現地で出迎える参謀のイズメイはチャーチル派で、マウントバッテンが知らない政府の思惑を裏で進めようとしている。
チャーチルは保守派の植民地主義者で、インドの独立には反対していた。しかし独立が避けられないとしたら、ソ連とアメリカが強大になる戦後の世界を睨み、パキスタンを分離独立させて英国の味方につけようとしていた。映画では、チャーチルはひそかに最初からジンナーにパキスタンを与えることを約束しており、ネルーやガンディーには「統一」という餌をぶら下げていただけということになっている。チャーチルは今の基準で言えば白人至上主義者であり(当時としてはふつうだったが)、ガンディーが嫌いだった。そして独立したインドがソ連と仲良くすることは避けたかったのだ。チャーチルは終戦を待たずに選挙で負けるが、マウントバッテンが赴任する頃には、自分の思惑を実行する人々を配置させていた。

インド側の代表となるネルー、ガンディー、ジンナーはそれぞれのそっくりさんが出てきて、それぞれの異なる主張をする。ガンディーは、統一インドの初代首相はジンナーにすべきと言うが、ネルーら国民会議派には受け入れがたいものだった。また、ジンナーにとっても、イスラム教徒が多数派になるのが目的だったので呑めるはずがない。しかし多数派にとっては天国でも、それが目的となる国では少数派には地獄になる。ガンディーはそのむなしさをわかっていたから、分離という結果には失望しかない。

インド側の庶民はどうだったか。それを観客に理解できるよう、映画ではドラマ部分の実質上の主人公であるヒンドゥー教徒のジートという青年を登場させている。彼の住むパンジャーブでは、各教徒が混在して住んでいた。ジートを総督邸に誘った友人はシク教だし、ジートが思いを寄せる女性はムスリムだ。しかし異教徒間の恋愛は、分離独立という社会のうねりの前には芥子粒のようなものだ。また、総督邸のキッチンでも、分離独立問題は従業員たちの争いを生むようになる。

分離独立が決まると、それまでのインド政府が持っていた資産が、インド8、パキスタン2の割合ですべて均等に分割されることになる。映画でも、百科事典を途中で分けるという馬鹿げたシーンがあるが、博物館の収蔵品もそれに沿って分けられたという。「断食するブッダ」像が、インドにないのはそのためらしい。

分離独立すると、それぞれで少数派にならないように、大量の住民の移動が起きた。その過程で略奪と虐殺が起き、それがさらに避難民の数を増やした。映画でもその模様が描写されるが、とりわけ地方が二分されたパンジャブ地方での被害が大きかったようだ。この住民同士による無差別大虐殺と過酷な移動で、双方合わせて100万人近くが死んだという。

ラストはちよっと甘いかもしれないが、それは観客のサービス。とはいえ、本作はインド現代史を知るにはいいテキストとなる映画だろう。イギリス映画らしく、派手さを抑えてきっちり作っている。これがアメリカ映画だと、大爆発や銃撃戦が盛り込まれるだろうし。★★★☆

●関連情報

監督は『ベッカムに恋して』などのグリンダ・チャーダ。彼女もまた自身がインド系で、祖母の代にパンジャブからきたシク教徒。夫で、脚本のポール・マエダ・バージェスは名前からわかるように日系アメリカ人。

マウントバッテン卿の妻役には、なつかしやXファイルのスカリーさん。

プロデューサーのディーパック・ナヤールも、名前からしてインド系だが、これまでに手がけた作品は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』『スラム・ドッグ$ミリオネア』『食べって、祈って、恋をして』『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』『ライフ・オブ・パイ』『LION/ライオン』など、異文化との出会いやインドをテーマにしたものが多い。

総督邸のロケが行われたのは、ジョードプルの宮殿ホテル、ウメイドバワンパレス。

2018年8月3日金曜日

祈り 三部作


監督:テンギズ・アブラゼ
配給:ザジフィルムズ
公開:8月4日(土)より岩波ホールほか全国順次公開

ジョージア(グルジア)の巨匠テンギズ・アブラゼ監督の伝説的な傑作『祈り 三部作』(『祈り』『希望の樹』『懺悔』)が一挙上映される。

■レビュー

 テンギズ・アブラゼ監督の作品は『懺悔』(1987)が2009年に公開されているので、ご存知の方も多いかと思う。(前原さんのレビューがリンク切れのようで残念です)
自分はこれまで見る機会を逃していて、今回はじめて三部作『祈り』('67)『希望の樹』('76)『懺悔』('84)を立て続けに拝見する機会に恵まれた。こんな映画作家がいたのか、とただただ圧倒されるばかりだ。

 とりわけ感心したのは、今回日本初公開になる『祈り』の素晴らしさだ。ジョージアの国民的作家V.ブシャヴェラの叙事詩をもとに19世紀の部族の対立を描いている。詩的かつ精緻なモノクロ映像は神話・宗教性を帯びていてカール・ドライヤーの作品を思わせる。舞台になってる北東部の山岳地帯ヘヴスレティという隔絶された辺境の美しい風景、シャティリという村の独特な建築物の造詣。こんな場所があるなら旅してみたいと思わずにいられない。そして何よりもキリスト教とイスラム教徒の対立を双方の視点を描き、融和を訴える内容は、今の世界の現状に強く響いてくる。いま力を持つのは、一つの宗教への信仰を描いたドライヤーの作品より、複数の文化・宗教が共存する希望・祈りを描いたこちらの作品だろう。

ロシア革命前夜のカヘティ地方の村を舞台に2人の純真な若者の悲恋を描いた『希望の樹』、スターリン(グルジア出身)時代の恐怖政治を揶揄するような『懺悔』は、『祈り』の作風とは全く違っていて、ユーモアやグロテスクな風刺が効いている。いずれも、小国グルジアの歴史と人間に深く向き合った怪作だ。

10月13日からは「コーカサスの風 ジョージア(グルジア)映画祭2018」も予定されている。グルジア映画の代名詞となったオルギー・シェンゲラーヤ監督『ピロスマニ』、オタール・イオセリアーニ監督『落葉』、『とうもろこしの島』のギオルギ・オバシュビリ監督作などがラインナップとして上がるようだ。

(カネコマサアキ★★★★)












2018年7月13日金曜日

乱世備忘 僕らの雨傘運動




監督:陳梓桓(チャン・ジーウン)
公開:7月14日(土)ポレポレ東中野ほか全国順次公開

■レビュー

2014年9月26日、香港の中高校生・大学生を中心に始まった雨傘運動。その動向を心配しながらSNSを注視していた人も多いことだろう。この映画は当時27歳の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督がある若者グループとともに活動した雨傘運動の記録である。
                  
話題になった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、周庭(アグネス・チョウ)ら中高生による組織「学民思潮」のリーダーシップにも驚かされるが、旺角(モンコック)に陣取り集まった普通の大学生たちも、それぞれ自分たちの意見とヴィジョンをしっかり持っている様子。物資の調達から後輩たちへの講義まで、手慣れた様子で事を進め、語り合い、助け合っている。どちらかというと学園祭のノリもあるが、長期戦を見込んで力の加減を計算してるかのような印象も受ける。

話は随分と遡るが、僕は1996年の国慶節に北京・天安門の国旗掲揚を中国人民に混じって眺めたことがある。「香港返還まであと何日」という掲示板が掲げられ、浮き足立った中国国内の雰囲気と「天安門事件」の記憶で複雑な感傷に浸ったのを覚えている。それは天安門で民主化を訴えた学生たちと同世代であったことに理由がある。また、旅から帰るとウォン・カーワイ(上海からの移民)作品にのめり込んだ。映画は期待と不安が入リまじっていた香港を活写していた。遠い将来何かが起きるかもしれないが、今は気にすることない、当時はそんな思いだった。返還の前後、カナダや豪州へ移民・脱出という選択をとった香港人もいた。ある意味その行動は正しかったともいえるが、香港市民が中国社会を変えて行かなければ、一体誰が?という思いが僕にはあった。
 
本編の中にも、息子の運動参加を快く思わない親・親戚が出て来る。経済的に中国に依存せざるを得ない現状、あるいは親世代が元々大陸からの移民、または新移民だったりと、自己矛盾と逡巡を抱え、政治運動には消極的な人が大半だ。それゆえに、まったく新しい世代による今回のアクションは”フレッシュ”意外の言葉がみつからない。香港市民と大陸人民、どちらが虐げられて良いわけでもない。自分たちだけの権利だけを守るのではなく、中国を巻き込む変革の旗手であってほしいという願いが僕にはある。彼らなら、何か柔軟な方策を見つけてくれるのではないか、という期待感がある。

残念ながら、政治的には敗北に期したが、世界に、そして中国当局に与えたインパクトは大きい。先日のワールドカップ日本代表じゃないが、次につながる敗北だといっていいかもしれない。周囲を見渡せば(足下も、だ)、強権的独裁をふるまう首脳ばかり。民主主義がいつまでもあると思うのは幻想かもしれない。アジアのリベラル勢の連帯が求められる。
(カネコマサアキ★★★☆)

■関連事項

事の発端は同年8月31日、2017年から導入されるはずの「普通選挙」に対して中国当局が下したある決定だ。中国の全人代常務委員会は「行政長官候補は『指名委員会』※で認められなければ選挙に出馬できない」とし、事実上民主派を選挙から排除したのだ。50年間は「一国二制度」を遵守する、という約束を早々に反故にするものだ。
※『指名委員会』は様々な業界から選出された1200名からなるが、過半数以上が親中国派で占められている。結局、2017年の行政長官選挙で親中派の林鄭氏が当選した。

 事態の深刻さから、香港の中高校生・大学生は授業をボイコットし、「真の普通選挙」を求めるデモを行う。また戴 耀廷(ペニー・タイ)香港大副教授の提案で10月1日の国慶節に計画されていた香港の金融街、中環(セントラル)を占拠する「セントラル・オキュパイ」を前倒しで実行する。場所も中環から金鐘(アドミラルシティ)へ移された。一方、九龍半島側の旺角(モンコック)でも占拠が始まり、カメラはここに居を構える学生グループを中心にとらえている。


山形国際ドキュメンタリー映画祭2017・小川紳介賞受賞
第53回台湾金馬奨・最優秀ドキュメンタリー賞受賞

バトル・オブ・ザ・セクシーズ



2018年 アメリカ
監督:ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス(『リトル・ミス・サンシャイン』)
出演:エマ・ストーン、スティーヴ・カレル
配給:20世紀フォックス映画
公開:TOHOシネマズ シャンテにて公開中

■ストーリー

 1973年、9月10日。女子テニスプレイヤーのチャンピオンのビリー・ジーン・キングと、元男子チャンピオンのボビー・リッグスが、多額の賞金と”女”と”男”のプライドを懸けて対戦した。全世界が見守る中、”バトル・オブ・セクシーズ”(性差を超えた闘い)が幕を開ける…。

■レビュー

こんな対戦が70年代のアメリカであったのか。
女子と男子が(年齢差はあるとはいえ)真っ向から勝負するなんて、今の感覚からするといささか滑稽に見えるが、マスコミの煽りやテニス協会の横槍、男性至上主義者たちの冷やかしに戸惑いながらビリー・ジーン・キング(名前にキングがついてるが女性である)は世紀のゲームマッチに挑んで行く。

テニスに詳しい人ならビリー・ジーン・キングの輝かしい業績は周知なのかもしれない。彼女は仲間とともに全米テニス協会を脱退し、女子テニス協会を立ち上げた。女子の優勝賞金が不当に安く(男子の1/8の金額だった)、男女平等を求めた末の行動だった。このゲームは、女子プレーヤーの地位向上ばかりでなく、フェミニズム運動の盛り上がりを象徴するような出来事として、人々の記憶に残っているようだ。

興味深いのはビリー・ジーン・キングの私生活だ。献身的な夫がありながら、別の人物に惹かれ、本当の自分を見いだして行く。実はLGBTQの問題を孕んでいるのだ。意外な背景に消化不良を起こしそうになるが、これが実話というんだから驚いてしまう。最近のMeToo運動の告発を見るにつけ、男女平等という点で果たして時代は進歩してるのだろうか?と訝しがってしまうが、先人たちの闘いに教えられることも多いはずだ。

(カネコマサアキ★★★☆)

■関連事項

この映画の試写を見る前日に、たまたまETV特集『Love1948-2018 多様な性をめぐる戦後史』という日本のセクシャル・マイノリティを検証したドキュメンタリーを見たせいか、とても連動感があった。機会があれば見てほしい。アメリカで言えば、フェミニズムもゲイ・プライドも50-60年代の公民権運動の流れにあるのだろうか。














2018年6月12日火曜日

ガザの美容室


2015年パレスチナ・フランス・カタール
監督:タルザン&アラブ・ナサール
出演:ヒアム・アッバス マイサ・アブドゥ・エルハディ マナル・アワド
配給 :アップリンク
公開:6月23日(土)新宿シネマカリテ、渋谷アップリンクほか全国順次公開

ストーリー

パレスチナ自治区。ガザ。クリスティンが経営する美容室は、女性客で賑わっている 。離婚調停中の主婦、ヒジャブを被った信心深い女性、結婚を控えた若い娘、出産間近の妊婦。彼女たちは世間話に花を咲かせ午後の時間を過ごしていた。しかし、通りの向こうで銃が発砲され、美容室は戦火の中に取り残されることに…。


■レビュー

女性の体臭でむせてしまいそうな映画だった。
日差しの強い午後であれば、特に夏という季節でなくても、女性客が集まる美容室の室内温度は上がるはずだ。パーマのアイロン、ドライヤーなど使えばさらに上がりそうだ。東京ならエアコンがあるので問題ないが、舞台はパレスチナ・ガザである。そんな時に停電が起きる。ガザ地区では送電が制限され停電は日常的なことのようだが、扇風機は止まり、ただでさえ仕事がのろい(?)美容師2人の仕事は滞ってしまう。暑さとイライラは頂点へ…。女性たちの本性が露になっていく会話劇であり室内劇だ。
日が傾いてくると外では銃声が。そして砲撃による大きな振動が。彼女たちは外に逃げだすことも出来ず閉じ込められてしまう。映画館という密室にいる観客も同じような臨場感を味わうはずだ。

冒頭から首輪と鎖をつけられたメスのライオンが登場する。何かのメタファーなのかと思っていたら、実際にあった事件を基にしているそうだ。2007年、ガザの大物マフィアが動物園のライオンを盗んだ。そのライオンを奪還するためにハマス自治政府が実行したのが「ライオンに自由を作戦」だ。そう、映画の美容室にいた彼女たちはその奪還作戦に巻き込まれてしまうという設定である。資料にあったジャーナリストの川上泰徳さんの文章によれば、このマフィアというのはハマス自治政府成立前のファタハ政府時代に結びついていた連中なのだそうで、要はパレスチナの中でも派閥争いが未だにあるということを意味している。メスのライオンはそういった男たちによる闘争に左右される女たちを象徴してるかのようだ。

ガザ侵攻、対イスラエルへの政治的な私怨は無くなることはないだろうが、監督は死より生を、ガザに住む人々の日常を描きたかったという。お洒落をしたい、奇麗になりたいという女性たちの想いは万国共通。普通の日常を送ることこそがガザにおける抵抗なのだ。彼女たちは一筋縄でいかない多様性を持っているが(それゆえ喧嘩も激しい)、男性社会の下で虐げられる彼女たちの哀しみは、彼女たちを一つにさせる。女性の機微をうまく描いてるので監督はてっきり女性だろうと思っていたら、なんとヒゲをはやした双子の兄弟であった。パレスチナへの偏見を色々と覆してくれる作品だ。
(カネコマサアキ★★★☆)

ザ・ビッグハウス


2017年
監督:相田和弘 マーク・ノーテス、テリー・サリスほか
配給:東風+gnome
公開:シアター・イメージフォーラムにて公開中

■レビュー

日大アメフト部傷害事件が大学運営の問題はもとより、日本社会の潜在的病理として波紋を広げている。ではアメフトの本場ではどうなっているのか?タイムリーなドキュメンタリー映画が公開されている。

ミシガン州にある全米最大のフットボール・スタジアム、通称”ビッグハウス”と呼ばれる施設。名門ミシガン大学が誇るフットボールチーム「ウルヴァリンズ」の本拠地だ。カメラはその巨大施設の全貌、背景を余すとこなくとらえる。収容人数は10万以上。グラウンドは地階に掘り下げられ、高いビルの上から覗き込むような客席。映画館の大画面で観るとその規模に圧倒されるはず。セキュリティ、食堂、医務室など、大量の観客を捌くスタッフたち。2年後の東京オリンピック関係者は参考になることもあるかもしれない。

開会式イベントでは大学の大所帯のブラスバンドが行進。上空には米軍機が飛行し、特殊降下部隊がスタジアムにパラシュートで降り立ち場内を盛り上げる。そして星条旗が掲揚され10万人が起立して国歌を歌う姿に、尋常じゃないナショナリズムを感じる。こうしてフットボールによる「大学」+「州」+「国」という揺るぎないネットワークが出来上がってるのか、と直感的に感じられるシーンである。

日大の事件でも露になったが、アメフトが及ぼすビジネスの面も気になるところ。これがミシガン大の場合、驚くべき収入がある。資料によると2018年のアメフトのチケット収入は44億円を見込んでいる。(次に人気があるバスケットボールが4億というのでその人気の差は歴然としている)加えて、ミシガン大の体育学部全体の予算(収入見込み)は200億円で、放映権料、企業スポンサー、VIP観覧席、グッズなどからの収入がある。日本のプロ野球球団の平均収入125億円を軽く超えているようだ。また、大学の広告効果も絶大のようで、内外の卒業生から寄付金も潤沢に集まるという利点がある。日大もこの辺をモデルにしていたのだろうか?それにしても規模が違いすぎる。

ワールドカップ・ロシア大会が間もなく始まり、そして2年後に東京オリンピックも控えているが、日本もスポーツ行政のあり方など、検証すべき時なのかもしれない。日大の問題にかつての軍隊の亡霊を見たように、スポーツから見えてくるものがある。アメフトを通して、アメリカという国の本質に迫った作品である。
(カネコマサアキ★★★)

■関連情報

以前『精神』というドキュメンタリー映画をここで紹介したことがあるが、その想田和弘監督を中心とした混成チームによる作品だ。NY在住ながら外からの視点で日本を”観察”する作品群は広く知られているが、敬愛するワイズマン的手法で、ついにアメリカを観察する。
前作『港町』(★★★☆)は集大成的な作品で、おなじみ牛窓が舞台。モノクロのせいか漁師の顔にきざまれる皺や絡まった網、瓦屋根などマチエールが心地よい。人々の語りと所作から港町が育んで来た歴史が浮かび上がってくる。こちらもおすすめだ。

2018年4月25日水曜日

ダンガル きっと、つよくなる

2016年

監督 ニテーシュ・シュワーリー
出演 アーミル・カーン
公開 2018年4月6日より、全国公開中

■ストーリー
 レスリングで、国のチャンピオンにまで上り詰めたマハヴィル。
引退した彼の夢は、自分の息子に金メダルを取らすことだった。
しかし生まれてきたのは女の子たちばかり。
夢を諦めかけたマハヴィルだが、ある日、娘のギータとバビータが
近所の男の子たちを喧嘩で負かしたことから、新たな希望が生まれる。
二人への特訓が始まった。
厳しい訓練に反抗する二人だが、やがて父親の深い愛情を知り、
また勝利の喜びも知り、前へ向かって進み出す。
数年後、国内の名だたる大会に出場している2人の姿があった。
やがてギータは国の代表選手に選ばれるが、
父とは次第に疎遠になっていく。。。

■レビュー

すでに観た方もいらっしゃるでしょう。
地元の映画館では今週いっぱいなので、急いで行ってきた。
ストーリーは単純。
もと国の代表レスラーだった父が、自分が取れなかった
金メダルの夢を子供に託そうとするが、生まれてきたのは女の子たちばかり。
そこで、父はスパルタ教育で娘たちを強くし、
一流選手に育て上げるという話で、しかも実話を元にしている。

最初は馬鹿にしていた村人たちも、
娘たちが勝ち進みだすと賞賛のまなざしに変わり、
反抗していた娘たちも勝利の喜びと父の深い愛情を知り、
前に向かって進み出す。

インド映画でおなじみのミュージカルシーンはないが、
時折挟み込まれる歌が、ストーリーを補完(覚えやすい曲ばかり)。
成長した長女が都会に出て、親離れしていくところは、
こっちは完全にオヤジの気持ちで、時に涙腺決壊。
「頑張れば夢は叶う」という超ポジティブストーリーも、
2時間半の夢を観客に見せてくれる、
映画館の暗闇のマジックを最大限に生かしている。
後ろを振り返ったら、スクリーンを見つめている
観客の顔がみな、幸せそうだったもの。

人権問題に関心を示しているアーミル・カーンだが、
本作はインドの女性が置かれている社会環境にも問題提起をしている。
成長しても、そのまま結婚して家庭に入り、
家事労働するしかない一生を強いられているインドの女性たち。
本作は、自分で自分の道を切り開くことが、
インドの女性たちにとっても夢ではないという、
メッセージも込められているのだ。

映画館を出た時は、頭の中では主題歌の
「ダンガル!ダンガル!」がぐるぐると回っていた。
★★★☆

PS.
映画とは関係ないところで気づいたのは、
2010年のデリーで行われたコモンウェルス大会がハイライトになるのだが、インドにおいてはオリンピックよりも重要な大会ということ。
確かにあの時、インド人、大騒ぎしていたし。
あと、インド国歌を初めてちゃんと聞いたこと。
それとインドでは、官僚は怠け者で仕事をしないとみんなが思っていることだなあ。

2018年4月13日金曜日

女は二度決断する


あなたならどうする? 家族を失った時、彼女は何を決断したか


2017年/ドイツ

監督:ファティ・アキン
出演:ダイアン・クルーガー
配給:ビターズ・エンド
公開:4月14日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館にて


■ストーリー

ドイツのハンブルク。トルコ系移民のヌーリと結婚したカティヤは、
息子ロッコも生まれ、3人で幸せな日々を送っていた。
かつては服役もしていたヌーリだが、今は更生して真面目に働いている。
しかしある日、爆弾が爆発し、ヌーリとロッコが犠牲になる。
犯人はネオナチのドイツ人カップルで、目的は人種差別テロだった。
裁判が行われるが、その過程でカティヤは身も心も傷ついていく。
そして裁判の結果を受け、カティヤが下した決断とは…。

■レビュー

もし、これが自分の家族だったら?という問いを、
見ている間、ずっと問い続けられている。そんな辛い映画だ。
移民問題やテロ、悲惨なニュースを毎日見ていても、
どこか他人事のような気がしてしまう。
しかし、もしそれが家族だったら、その苦しみは身近に感じるだろう。

200万人ともいうトルコ系移民を受け入れ、比較的移民に寛容と言われていたドイツだが、近年はシリア系などの移民の増加により、ネオナチや極右による外国人迫害による事件も多発している。
映画のモデルとなったのも、実際にドイツで極右グループが起こした事件だという。
その時はまだ、警察は事件を外国人排斥のテロだと思わず、
何年も犯人を特定することができなかったという。

人はどうしても、相手を国籍や肌、習慣や宗教、その外見で判断する。
それは否定しない。それでしか判断できないからだ。
しかし、自分の置かれている境遇への不満を人のせいにしだりたりすると、それが自分が属していないグループ全体に向けられるようになる。
映画の中でヒトラーを崇拝する若い男女も、
別に外国人の小さな子供に個人的な恨みがあったわけではない。
ただ、外国人だろうが同国人だろうが、結局は個々の人間であることが、もはやわからなくなっているのだ。
いろいろ理由はつけるが、結局は通り魔殺人が言う「誰でもよかった」と大して変わりはない。
で、こうした人は、日本だろうが海外だろうが、その場になったら自分の命は惜しくなる。
そもそも、「人の命は自分の命より軽い」と普段から考えているから起こすのだ。

映画の中で印象深いのは、犯人が捕まるきっかけになったのが、
犯人の父親が「ヒトラー崇拝の息子が何か犯罪をしでかす前に」と警察に通報したことだろう。
しかしその時、すでに犯罪は行われていた。
この父親に主人公は裁判で会うが、主人公はこの父親も大きな苦しみを抱えていることをわかり、許しもしないが責めもしない。二人は多くを語らないが、逆に重さがこちらにも伝わる。二人とも被害者なのだ。

反トルコということで、ギリシアの極右組織とドイツのネオナチが
結びついていることもあるのだなあということも本作で知った。

最後の彼女の決断については、映画を見た各自が重く受け止めるしかないだろう。
それでよかったのか監督自身の迷いも見られるし、正解はないのだから。
★★★

■関連情報
監督のファティ・アキン自身も、トルコ系移民の元に生まれた。
代表作は『そして、私たちは愛に帰る』『愛よりも強く』『消えた声が、その名を呼ぶ』など。
・本作は第75回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞、
カンヌ国際映画祭でダイアン・クルーガーが主演女優賞

2018年3月22日木曜日

大英博物館 プレゼンツ 北斎

モネ、ピカソを魅了した江戸時代の天才絵師の魅力を紐解くドキュメンタリー


British Museum presents: Hokusai

2016年/イギリス
監督:パトリシア・ウィートレイ
協力:大英博物館
ナレーション:アンディー・サーキス
出演:デイヴィット・ホックニー、ティム・クラーク他
配給:東北新社
配給協力:DBI INC
上映時間:87分
公開:2018年3月24日(土)、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国順次公開

●ストーリー 
 2017年の5月から8月にかけて、大英博物館で”Hokusai : Beyond the Great Wave”と題する展覧会が開催された。本作は、葛飾北斎をイギリスで初めて本格的に取り上げたその展覧会をフィーチャーし、展覧会の裏舞台と通して、葛飾北斎の生涯や作品に迫るドキュメンタリーである。

●レビュー 
 大英博物館で開催された北斎展のタイトルは”Hokusai : Beyond the Great Wave「The Great Wave」は大きな浪が砕ける先に富士山が描かれた代表作「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」のことである。その斬新な構図、圧倒的な迫力、繊細で緻密は木版の色と摺りから、ひときわ人目を惹く作品だ。かつて、印象派をはじめ多くの芸術家に多大な影響を与え、手本ともなった北斎の作品は、その後も多くの作家や研究者を魅了し続けている。

 本作品は「北斎」を多角的に取り上げていて興味深い。北斎は波乱の人生の中で、江戸の町に生きる人々の姿を題材とし、富士山を通して自然の雄大さを描き、最晩年にも圧巻の筆で美しい肉筆画を残している。最新の映像技術よって版画制作の工程や作品の隅々まで鮮明に見ることができるのも感動的で、今まで目にする機会の少なかった肉筆画の作品に触れられることも嬉しい。還暦以降の30年に焦点を当て、90歳を超えても意欲的に絵筆を持ち続けた絵師北斎の生涯を辿りながら、北斎の作品が紐解かれていく点も見所になっている。本作品を通して、北斎が生み出した構成力やデザイン力が、過去芸術作品から現代の漫画に至るまで影響を与え続けているということを実感できるだろう。

 そしてもう一つ感じたのは、驚きを持って北斎作品を見てきた世界の目に対して、私たち日本人が北斎作品から得る感覚は少し違うのではないかということだった。私たちの感動は、ごく自然と湧き上がり、そして印象深く心に刻まれていくようなような気がする。世界に誇る和紙、圧をかけずに「摺る」木版画、美しく雄大な富士山、折々に表情を変える日本の四季の風景、江戸の人々暮らし・・、私たちが日本という国の伝統や文化を背景に持っているからなのだろう。イギリスの研究者のインタビュー聞き、本作の映像を見ながら、日本人として見る「北斎」にも気づかされたように思う。★★★★)加賀美まき

2018年3月18日日曜日

馬を放つ


原題:Centaur
2017年/キルギス、フランス、ドイツ、オランダ、日本

監督:アクタン・アリム・クバト
脚本:アクタン・アリム・クバト、エルネスト・アブドジャパロフ
出演:アクタン・アリム・クバト、ヌラリー・トゥルサンコジョフ、ザレマ・アサナリヴァ
配給:ビターズ・エンド
上映時間:89分
公開:2018年3月17日(土)、岩波ホールほか全国順次公開

●ストーリー 

 中央アジアの美しい国、ギルギルで、妻と幼い息子と3人で慎ましく暮らす男は、村人から「ケンタウルス」と呼ばれていた。遊牧民を祖先に持つキルギルの民は、人と馬を結びつけその土地の伝説に根付いて暮らしてきたが、暮らしぶりは時代とともに変化していく。そのことを憂い、馬にまつわるある伝統は信じるケンタウルスは、夜な夜な馬の厩舎に忍び込み、馬を野に放っていた。
 やがて馬泥棒の存在が問題になり、犯人を捕まえる罠が仕掛けれるが・・・。

●レビュー 
 標高5000メートルを超える天山山脈の麓に広がるキルギス。作品の中で映し出される自然豊かな風景は、どこか懐かしく郷愁をそそるられる。主人公は、ケンタウルスと呼ばれる朴訥な男で、耳の不自由な妻と言葉を話さない5歳の息子との暮らしは、質素で素朴だけれど暖かい。だが、彼にはどうしてもそうせずにはいられない秘密があった。それは、夜、競走馬の厩舎に忍び込んで馬を野に解き放つこと。裸馬にまたがり天を仰ぐように両手を広げ、草原を駆け抜ける主人公の姿に観客はまず惹きつけられるだろう。

 物語の主軸は、遊牧民を祖先に持つキルギスの民の精神文化。グローバリゼーションとともに人々の暮らしぶりは大きく変化し、かつての遊牧民の心は忘れさられ、神話も失われていく。その中で、馬の守護聖者の神話を信じ、遊牧民の強さを受け継ごうとするケンタウルスの思いは、ごく自然に湧きあがってきたものなのだろう。そして、村のコミュニティー内の摩擦、宗教と価値観の問題、貧富の差、そして家族の愛と絆といったさまざまは事柄を織り込みながら、一つの物語が紡ぎ出されていく。作品の場面場面からも、そして全体を見終わった時にも、静かな感動が心に沁みわたる秀作だ。

 監督のアクタン・アリム・クバトは、自身の村で起きた事件の実話をヒントにこの物語を作り出したという。自ら主演も務めることによって、より繊細にこの物語を意図を伝えようとしている。民族の中に流れるものに対する思いが、作品の中にしっかりとした文脈となって感じることができるのはそのためだろう。冒頭のシーンも監督自ら裸馬に乗っている。子どもの時から馬に乗るのが当たり前にキルギスでは何も問題はなかったそうだ。『馬を放つ』という邦題がとてもいいと思う。★★★★)加賀美まき

ベルリン国際映画祭 パノラマ部門 国際アートシネマ連盟賞(CICAE)受賞
第90回 アカデミー賞 外国映画賞 キルギス代表