2018年12月7日金曜日

パッドマン 5億人の女性を救った男


インドで大ヒットしたという実話をベースにした感動作



2018年/インド
監督:R. パールキ
出演:アクシャイ・クマール、ソーナム・カプール、ラーディカー・アープテー、アミターブ・バッチャン
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公開:127日よりTOHOシネマズシャンテほかにて公開中

■ストーリー

北インドの小さな町マヘシュワール。
母親と2人の妹、そして結婚したばかりの愛する妻と暮しているラクシュミは、
ある日、妻が生理中に清潔とは言えない古布を使っているのを見て驚く。
妻のためにと薬局で生理用ナプキンを買うラクシュミだが、
高価な品を自分ひとりで使うわけにはいかないと妻に断られてしまう。
そこでラクシュミは生理用ナプキンを手作りするが、うまくいかない。
女子大でアンケート調査をしようとしたり、自分で試着したりと試行錯誤するが、
そんなラクシュミの行為は田舎町で波紋を呼び、恥じた妻は実家に帰ってしまう。
失意の中、あきらめきれないラクシュミは都会に出て研究を続け、
ついに低コストでできるナプキン製作の試作機を開発。
デリーからやってきた女性パリーという協力者を得て、発明コンペにその試作機を出品する。

■レビュー

仕事柄インドには毎年のように行くが、
私が男性なのでインド人女性が置かれている立場はわからない。
正直、本作でも初めて知ることが多かった。
映画で描かれるのは今から十数年前のインド。
インドでは当時(今も?)、高い生理用ナプキンを買うお金がなく、
不衛生な古布を洗って使い、そこから感染症になる女性も少なくなかったという。
また、生理中の女性は「穢れ」とみなされ、生理期間中は家の中で眠ることも許されない
という習慣が映画の中に出てくる(ベランダのイスで寝る)。
これは保守的な農村部だからなのかわからないが、
それも含め「生理」を話題にすることも避ける姿は、
やはり「穢れ」とする習慣があるからだろう。
そんな中で、ひとり大のオッサンが手作りナプキンに奔走する姿は、
田舎町でなくとも “ヘンタイ”にしか見えない。
まあ、映画では誤解を招くように誇張しているというのもあるが、
女子大の入り口で女子大生に手作りナプキンを配ってアンケートを取ろうとしたり、
初潮を迎えた近所の女の子のところに夜こっそり行ってナプキンを手渡ししたり、
テストのため動物の血で濡らしたナプキンを自分で装着して自転車に乗ったり(わざわざ白いズボンで)と、その後の“大惨事”を予想してハラハラしてしまう。
いや、周りから見たら“変質者”でしょ(笑)。

また、いたるところでインド人の宗教観が問題となるのも、日本人の意表をつく。
「聖なるナルマダ川を動物の血で穢した」と。そこが問題か。

そんなラクシュミの協力者になるのが、都会(デリー)の裕福なシク教徒の娘だ。
教育をきちんと受けて進歩的な考えというところで、
“恥”の文化で育った田舎育ちのラクシュミの妻と対照的に描かれている。
試行錯誤を続けながら、ラクシュミがあきらめずに続けるのは、妻への愛だけでなく(妻には実家に帰られしまうのだから)、ラクシュミの物作りの職人気質に火がついたからだろう。

ラスト近く、ニューヨークの国連に招かれたラクシュミのスピーチは感動的。
つたない英語で、わかりやすく自分の考えを述べるが、
素朴でストレートな主張だからこそ、人々に響くのだ。
そしてこの映画が、インドの人々に向けた志の高い啓蒙映画でもあることに気づくだろう。
★★★☆

■映画の背景

・主人公のモデルとなったアルナーチャラム・ムルガンダ氏は、南インドのコインバートル出身。映画ではデリーの発明コンテストとなっているが、実際の場所はチェンナイだった。

・映画では、主人公が暮らしているのはマディヤ・プラデーシュ州のインドール近郊のマヘシュワールに変更されている。マヘシュワールは聖なる川ナルマダ川に面した田舎町で、映画でもフォートに面したガートが重要な場所として何度も登場する。また、ここはインドールを都としたホールカル家が、18世紀の女性当主アヒリヤー・バーイーの治世の期間、遷都されていた町でもある。映画にはそのフォート前が出てくる。

・マヘシュワールから都会に出た主人公が行くのは、おそらくインドール。デリーから公演に来たパリーが主人公と出会うのもおそらくここ。しかし映画では、パリーの宿泊ホテルはマヘシュワールに近いマンドゥのマルワ・リゾートとなっている(乗っているタクシーにも名前が書かれている)

2018年12月1日土曜日

セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー!





監督:エルネスト・ダラナス・セラーノ
出演:トマス・カオ、ヘクター・ノア、ロン・パールマン
配給:アルバトロス・フィルム
公開:121日より新宿武蔵野館ほかにて公開

■ストーリー
1991年のキューバでは、欧州での共産主義陣営の崩壊を受け、経済が深刻な打撃を受けていた。
また若者たちを中心に、価値観も変わろうとしていた。
そんな中、モスクワ大学に留学し、大学でマルクス主義を教えているセルジオも
社会の変容に戸惑っていた。
セルジオはアマチュア無線が趣味で、彼の苦境を知ったニューヨーク在住の
交信仲間のピーターかり最新式の無線キットが送られてくる。
しかしそれは当局にセルジオが目をつけられることでもあった。
ある日、セルジオはソ連の宇宙ステーション「ミール」の宇宙飛行士セルゲイと交信する。
やがて2人はお互いの家族のことや将来への心配を語り合える親友になっていった。
12月、ソ連は消滅しロシア連邦となる。
地球に帰りたいセルゲイのために、セルジオはある計画を練るのだが。。

■レビュー
最初にこれは実話ではなく、「もしあの出来事の舞台裏でこんなことがあったら」
という想像を膨らませたフィクションであることを知らせておこう。
僕も映画を見るまでは実話かなと勘違いしてた。
若い方はご存知ないと思うが、1989年に長年続いていた東西両陣営の
冷戦構造が崩壊したのは、あっけないほどの速さだった。
超大国ソ連も一気に崩壊し、たちまち貧乏国になってしまった。
そんな国家の混乱の中でも宇宙飛行計画は続いており、宇宙ステーションのミールに
ひとり取り残されたセルゲイは、「最後のソ連国民」と呼ばれていたという。

宇宙飛行士セルゲイ・クリカレフは実在の人物だ。
10年に渡って宇宙滞在時間の最長記録を保持しており、
映画のモデルとなったのは1991519日からの宇宙滞在で、滞在が延長される中、
1225日にソ連から離脱してロシア連邦が成立する。
セルゲイが帰還したのは翌年の325日のことだった。

映画は全体的にはコメディタッチで、基本的には出てくる人物は善人か、
悪役となる権力者側も“間抜け”に描かれ、陰惨な感じはない。
もちろんその中にも、キューバ国民の将来への不安やその後に起こること(ボート難民など)が
顔をのぞかせてはいるが、国家が頼りにならないとなると、
人々は違法ながらラム酒を作ったり葉巻を巻いたりと、たくましく生きる姿に描かれている。

気楽に観られる映画で、後味もいいが、
もう少しひねりが欲しかったかな。無い物ねだりだが。
★★★

2018年10月13日土曜日

世界で一番ゴッホを描いた男

中国のゴッホの複製画家が本物に会いに欧州へ




2016年
監督:ユイ・ハイボー、キキ・ティンチー・ユイ
出演:趙小勇(チャオ・シャオヨン)
配給:アーク・フィルムズ、スターキャット
公開:10月20日より新宿シネマカリテにて公開
公式ページ:http://chinas-van-goghs-movie.jp/

職人か芸術家か
その問いを自分に投げかける人は、世の中にたくさんいるだろう。
自分を表現するために何かを始め、それで飯が食えるようになっても、
いつのまにか単に技術を提供するだけになっている、
なんてこの世界、当たり前のことだ。
僕が住んでいる出版や編集の世界でもまったく同じ。
最初は“バイト仕事”ぐらいに感じていた、技術だけ提供する雇われ仕事が、いつのまにか生活を支えるようになっている。
このドキュメンタリーの主人公となる趙小勇(チャオ・シャオヨン)は、その逆だ。
スタート地点が、生活を支えるための模写だった。
そして20年目にして、彼の心を動かす出来事が起きる。

中国深圳市にある大芬(ダーフェン)村
複製画の制作が世界の半分以上のシェアを占めるという、
世界最大の絵画村だ。
ここには複製画を描く職人たちの工房が軒を連ねている。
地方の農村から出稼ぎでここにやってきた趙小勇は、独学で絵を学び、ここでもう20年、ゴッホの複製画を描いている
工房には彼の妻や親戚もいるが、籍はまだ地方にあるので、
娘は遠く離れ、言葉もあまり通じない田舎の学校に通わなくてはならない。

本作の前半は、この大芬村で複製画を描いていく人々や、
その様子を映し出していく。
その中で次第に、ベテランの趙小勇がクローズアップされていく。
彼の夢はいつしか、“本物のゴッホ”を見ることだ。
本やテレビでしか見たことがない、ゴッホの絵。
自分が20年も描いてきたものの、本物が見たい。
仲間のひとりは、すでに複製画ではなく、“自分の”絵を描くようになっていた。そんな焦りもあったかもしれない。

後半は、お金をかき集めて、ついに念願の欧州へ旅立つ
趙小勇をカメラが追う。
長年、自分たちの描いた複製画がアムステルダムの画廊で
売られていると思っていた趙小勇だが、
着いてみるとそこはただのおみやげ屋だった
失望が顔に浮かぶ趙小勇。
さらに販売価格が、自分たちの売値の8倍と知って
やるせない気持ちにもなる。
複製画だが、誇りを持って描いてた自分なのに。

そして彼は、アムステルダムのゴッホ美術館に。
ゴッホの自画像に見入る趙小勇。
彼の旅は、アルル、サン・レミ、最後の地となったオーヴェル・シュル・オワーズと続く。
ゴッホの足跡を訪ねるその旅はまた、
趙小勇が自分を見つめ直す旅でもあった。
自分はいったい何者なのか。
本物と偽物の違いとは? 芸術家と職人の違いは? 
帰国後、彼はある決断をする。

複製しか描いたことがなく、自分の作品がない趙小勇が苦悩する姿は、滑稽でもあり、また私たちに真摯に訴えかけるものでもある。
彼が苦しむ姿は、“本物”だからだ。
これといった大きな仕掛けはない小品だが、
趙小勇の問いは多くの人が感じていること。
きっと観客の心にも、その問いは投げかけられることだろう。
★★★

2018年10月11日木曜日

アラン・デュカス 宮廷のレストラン

世界最高のシェフが世界を飛び回り、味を探求する


 
2017年/フランス
監督:ジル・ドゥ・メストル
出演:アラン・デュカス
配給:キノフィルムズ/木下グループ
公開:10月13日よりシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館にて公開
公式ページ:http://ducasse-movie.jp/

食通なら、アラン・デュカスの名を知らないものはいないだろう。
かくいう僕は食通ではないので、アラン・デュカスのレストランに行ったことはないのだが(笑)、その名ぐらいは知っている。
アラン・デュカスは、33歳のときに史上最年少で3星シェフに輝いた名シェフだが、本作からわかるのは、彼は単なる料理人ではなく、経営能力に優れていることだ。

デュカスは現在、パリ、モナコ、ロンドンに3星レストランを3軒運営するだけでなく、他にも2星、1星レストランを世界各地に運営している。
各店はその店のシェフに任せており、
今や自分で料理を実際に作ることはほとんどない。
とはいえ、自分の名前をただ冠しただけのフランチャイズではなく、また、各店舗の料理が全く関係ないわけでもない。
彼のマインドは、各店舗で生きているのだ。

本作はヴェルサイユ宮殿内のレストランのオープンをクライマックスに、世界を飛び回り味を探求するデュカスの多忙な2年を、
90分に凝縮したドキュメンタリーだ。
コンパクトにちょうどいい長さにまとめられており、
新書一冊読んだぐらいの充実度はあるだろう。
ロンドン、リオ、フィリピン、中国と世界各地へ味と食材を求めて飛び回り、また各店舗の新メニューをチェックして回るデュカスだが、日本のシーンも比較的長く収められている。

まずは東京の銀座のシャネルにある「ベージュ アラン・デュカス東京」で新メニューのチェック。
それから京都へ行き、老舗の日本料理店、大衆的な食堂、デパ地下のスイーツ店などをチェック。
彼が食べるのは、何も高級店ばかりではない。
数百円の安いケーキだって買ってホテルの部屋でチェックし、なぜこの価格でこのくらいのものができるかも気になるのだ。
その合間には、NHKの情報番組にだって出演する

パリへ戻ったデュカスは、新レストランのための「王の食卓」メニューの開発プロジェクトに取り組む。
ルイ16世時代をイメージした食器のデザインと発注、
現代でも揃う食材、そしてただ古いメニューの再現だけではなく、
そこに現代風のアレンジも施す
そしてオープニングの日。
政界ともパイプがあるデュカスなので、
来場客の中には各国大使が何十人もいる。
舞台裏ものが大好きな僕としては、
修羅場とそれに続く達成感を感じている顔を見るだけでも幸せだ。
そしてまた、自分もあのような達成感を味わいたいと、
羨ましくもなるのだ。

たまには贅沢して、デュカスのレストランへ行ってみようかと、
映画を見終わったときは思うのだが(笑)。
★★★☆

2018年10月5日金曜日

運命は踊る

イスラエルの兵士とその両親をめぐる運命のダンス。

ヴェネチア国際映画祭で審査員グランプリを受賞作品


 

Foxtrot

2017年

監督:サミュエル・マオズ
出演:リオール・アシュケナージー、サラ・アドラー、ヨナタン・シライ
配給:ビターズ・エンド
公開:9月29日よりヒューマントラストシネマ有楽町にて公開中
公式サイト:www.bitters.co.jp/foxtrot/
予告編



●ストーリー

ミハエルとダフナ夫妻の元に、息子ヨナタンの戦死を告げる軍の役人がやってくる。やがて、息子の死は誤報だったと告げられるが、安堵するダフナと対照的にミハエルは怒りをぶちまけ、息子を呼び戻すように要求する。一方、ヨナタンはたまにしか車が通らない検問所で、その日も間延びした時間を過ごしていた。しかし、彼の運命を狂わす事件が起きる。

●レビュー

映画は三幕構成になっている。一幕目は、息子の死を知らされた夫婦の悲劇。妻はショックのあまり倒れ、夫はお役所的な軍人の態度にイライラする。やがて息子の死が誤報であったことがわかった時、夫の感情は爆発し、息子をすぐに戦場から呼び戻すようにと言う。

場面が変わり、二幕目は国境付近の検問所で働く息子、ヨナタンの日常が描かれる。時おり、車やラクダが通るだけの、のんびりとした検問所。しかしいつ、何が起こるかわからない緊張が時おり走る。実際に戦闘が行われているわけではないが、かといって安全なわけではない。そんな場所は世界中のいたるところにあるのだろう。緊張の中の退屈、あるいは退屈の中の緊張。そんな警備の兵士たちの日常が、リアルに描かれる。兵士といっても、専門職ではなく徴兵された二十代の若者たちだから、そこらにいる若者たちと大して変わらない。だらだらとした日常だが、突発的に起こった“ある事件に”、観客はハッとさせられる。兵士は人を殺すこともできるし、殺される危険性もあるのだと。

三幕目は、ふたたび夫婦の姿が描かれる。そこで出てくるのが、映画の原題でもある「フォックストロット」だ。これは前右左後とステップを踏み、元の位置に戻るダンスのステップだが、「人は結局は運命には逆らえない」という宿命を象徴しているかのようだ。この三部構成の“悲劇”は、日頃私たちが忘れようとしている“運命”というものを考えさせてくれる。

非常に理知的に、きっちりと作られた作品だが、逆にそのあたりが鼻につくという人もいるかもしれない。監督・脚本のサミュエル・マオズは、実際にイスラエル軍に従軍し、1982年のレバノン侵攻にも参加している。この侵攻時に、パレスチナ人難民の大量虐殺事件が起きた。先日公開された『判決、ふたつの希望』でも語られ、その時の従軍経験を映画にしたアリ・フォルマン監督の傑作『戦場でワルツを』でも描かれている。さて、そうした作品群に比べると、「優等生が作った作品」ぽい感じがするが、まあそれは監督のスタイルなのだろう。僕は、あまり知ることがないイスラエル人兵士の日常、そして宗教離れしているイスラエル知識人の日常をしることが出来たのも、興味深かった。
★★★


●関連情報

2017年第74回ヴェネチア国際映画祭で審査員グランプリ(銀獅子賞)を受賞した、イスラエルのサミュエル・マオズ監督の長編2作目。マオズ監督は長編1作目の『レバノン』も同映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞しており、いまや国際的な作家といえよう。

2018年10月4日木曜日

僕の帰る場所

日本とミャンマー、二つの国に揺れる家族の物語


Passage of Life

2017年/日本=ミャンマー

監督・脚本:藤元明緒
出演:カウン・ミヤッ・トゥ、ケイン・ミヤッ・トゥ、アイセ、テッ・ミヤッ・ナイン、
         來河侑希、黒宮ミイナ、津田寛治
配給:株式会社 E.x.N
上映時間:98分
公開:2018年10月6日(土)、ポレポレ東中野ほか全国順次公開

●ストーリー 

 東京郊外の小さなアパートに住む、ミャンマー人の母ケインと幼い二人の兄弟。入国管理局に捕まった夫アイセの代わりに、ケインは一人で家庭を支えていた。日本で育ち、母国語を話せない子どもたちに、ケインは慣れない日本語で一生懸命愛情を注ぐが、父に会えないストレスで兄弟はいつも喧嘩ばかりで、ケインは不眠症になってしまう。移民申請は繰返し却下され、これからの生活に不安を抱うケインは、ミャンマーに帰りたいという想いを募らせていく・・。

●レビュー 

 これは、ある在日ミャンマー人家族の実話を基にした物語。ミャンマーでは、1988年に軍部が実権を握る社会主義政権に対し、民主化運動が活発化するが、その後、武力弾圧により軍事政権が成立。結果、多くの人々が身の安全を求めて国を離れ難民となった。日本に来た家族も少なくない。

 昨今、海外における難民、移民問題はしばしは報道されてるが、日本における難民の実情はほとんど知られていないように思う。この作品の中で、藤元明推監督は、異国の地で肩を寄せ合いながら生きる家族の姿をドキュメンタリーをような映像でリアルに捉えている。それを「難民問題」という視点でを切り取るならば、難民に厳しい態度をとる日本や難民が経験する周囲との軋轢など、難民をを取り巻く社会問題を提示する作品だと言えるだろう。けれども、監督の目線は、そうしたシビアな眼差しを含みながらも、難民の家族の毎日を優しく見守りながら物語を紡ぎ出している。

 フィクションでありながら、一家の姿をリアルに切り取っているように見えるのは、主だった役を演技経験のないミャンマーの人々が演じているからだろう。この作品の中心に描かれている6歳と3歳の兄弟もしかりで、二人を演じたカウンとテッは実際の兄弟(母親役も兄弟の実母)で、かれらの自然な姿がこの物語を心揺さぶるものにしている。祖国を離れた両親は、さまざまな問題を抱えているのだが、日本で成長した子どもたち、特に兄のカウンは日本語を話し、日本に馴染み、生き生きと学校生活を送っている。しかし、物語の中盤、生活に疲れ「普通の生活がしたい」と望む母から帰国を言い渡され、父とも離れてミャンマーに帰ることになる。まだ幼く屈託ない弟とは対照的に、言葉のわからない兄カウンは自分の居場所をみつけられず、思い悩み苛立つ。こうした、国情や大人の都合に巻き込まれ、社会の渦中に投げ込まれて翻弄するのは、いつも子どもたちだ。カウンが彷徨い歩くミャンマー、ヤンゴンの夜の街が印象的に映る。葛藤する子どもたちの姿に心が痛くなるのだが、彼らは大人以上に強く、自分の未来を切り開いていこうする力も持っているのだと知らされる。

 ミャンマーで劇映画を撮った日本人は過去にほとんどなく、企画から5年をかけてこの作品は完成したという。昨年の東京国際映画祭では「アジアの未来」部門で作品賞を受賞。アジアの知る一作となっている。オランダの映画祭では、兄役のカウン・ミヤッ・トゥくんが最優秀俳優賞を受賞している。彼のかわいらしさ、そして成長していく姿を体現した演技も必見。★★★★)加賀美まき


2018年9月19日水曜日

バッド・ジーニアス 危険な天才たち


監督・脚本:ナタウット・プーンピリヤ
出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン、チャーノーン・サンティナトークン、タネート・ワラークンヌクロ(『ポップ・アイ』)
配給:ザジフィルムズ/マグザム
公開:9月22日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー

■ストーリー

成績優秀で天才的な頭脳をもつリンは、授業料全額免除の奨学生としてとある高校に転入してくる。仲良くなったクラスメートのグレースに勉強を教えるも、彼女のレベルは低かった。中間テストの最中、リンはある方法で彼女に答えを教える。それによって見事にグレースの成績が上がった。それを聞いたグレースの彼氏パット(裕福な家の御曹司)は、彼女にビジネスの話を持ちかける。それはテストの答えを教える代わりに、一人一科目につき3千バーツを払うというものだった。

■レビュー

子供の頃の記憶になるけど、その昔、カンニング・ブームというのがあった。実際に学校でカンニングが横行したというのではなく、『ザ・カンニンング IQ=0』(1982年公開)というフランスのコメディ映画が話題になり、TVのバラエティ番組がこぞってネタにしたり真似をしたのだ。ジャッキー・チェンの映画に『カンニング・モンキー天中拳』(’83年公開)なんて邦題までつけてることから、当時の流行が伺える。(こちらは和製英語のカンニングではなく、本来の”ずる賢い”の意だと思うけど)

そんなわけで、カンニングを扱う映画と聞いて、コメディタッチの学園ドラマを想像していたのだが、これが良い意味で裏切られた。これはクライム・サスペンスといっていい領域だ。細部の作り込みが凝っていて、盛り上げ方もスピルバーグ並み。教室内で行われていたカンニングは、徐々にスケールを増し、アメリカ留学のために各国で行われる統一試験”STIC”で実行されることになる。オーストラリアとタイの時差を利用した国際的で大掛かりなものだ。

1981年生まれのタイの監督が『ザ・カンニング』を知ってるのかどうかわからないが、この『バッド・ジーニアス』は中国で実際にあったSAT試験カンニング事件から着想を得たらしい。なぜ今それを取り上げ、2017年のタイNo1ヒットになる社会現象になったのか。資料によると、近年のタイの受験熱が一因となってるようだ。90年代に大学制度が整備されて以来、学歴偏重社会が進み、現在大学進学率は50%に。バンコクのサイアム・スクエア近辺には進学塾が乱立するまでになっているらしい。

日本で『ザ・カンニング』が公開された時代というのは、'79年に共通一次試験が導入され(フランスの「バカロレア」を参考にしたという)、偏差値による大学の序列化が進み、1980年はあの「金属バット事件」があり、校内暴力も大きな社会問題になっていた頃だ。生徒の側からの学校制度・競争社会への抵抗や叫びが顕在化した年代でもあった。カンニング・ブームは、ある種の緩衝剤としての機能があったのかもしれない。

主人公のリンとバンクは成績優秀で本来優等生ではあるが、決して裕福とはいえない家庭の子どもたちだ。今ある状態(あるいは階層)から抜け出したいと思っている。追いつめられた彼らは自らの留学とカンニング・ビジネスでの収入を賭け、大きな勝負に出る。クライマックスの28分間のスリリングな展開は実に見事で、手に汗握るサスペンスとなっている。優れたエンタメ作品ながら、タイの不平等社会と学校制度を鋭く抉った快作だ。ラストのリンの描写に疑問がないわけではないが、青春映画としての魅力も十分にある。

(ちなみに、安室奈美恵が出演しているという『That's カンニング!史上最大の作戦』という日本映画が存在しているのをこの原稿を書く段階で初めて知った。公開された1996年は筆者は日本にいなかったので知らないのも当然なのであった。)

(カネコマサアキ★★★★)

■関連事項

第27回タイ・アカデミー賞(スパンナ賞)史上最多12部門受賞
アジアフォーカス福岡映画祭 観客賞
ニューヨーク・アジアフィルム・フェスティバル 作品賞/ライジングスター賞
カナダ・ファンタジア映画祭 作品賞/監督賞
ほか多数受賞

2018年9月15日土曜日

ヒトラーと戦った22日間

 「『ヒトラーと戦った22日間』予告編」の画像検索結果
 
2018年/ロシア、ドイツ、リトアニア、ポーランド
 
監督:コンスタンチン・ハベンスキー
出演:コンスタンチン・ハベンスキー、クリストファー・ランバート
配給:ファインフィルムズ
公開:9月8日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館にて公開中
公式ページ http://www.finefilms.co.jp/sobibor/


■レビュー

 最近、ナチス政権下のユダヤ人もの、「ヒトラー」を入れ込んだ邦題が多いのが気になるが、本作にもヒトラーは出てこない。そして本作は収容所ものには珍しい、ロシア映画。監督・脚本・主演をこなすのは、ロジア人のコンスタンチン・ハベンスキーだ。というのも、実話に基づいた本作だが、反乱のリーダーとなるサーシャが、ユダヤ系ソ連兵だったからだ。

 1943年9月、ポーランドにあるソビボル絶滅収容所に、ソ連兵のサーシャが送られてくる。ほとんどのユダヤ人はすぐにガス室に送られて殺されてしまうが、作業に必要なユダヤ人だけは生かされていた。彼らは脱出計画を練っていたが、強力なリーダーがいない。そこにウクライナで脱走経験のあるサーシャが来たので、一部のものたちが彼をリーダーにして反乱計画を練る。それはSS将校たちを殺し、全員が脱走するというものだった。そして22日後の10月14日、反乱が決行される。

 有名なアウシュヴィッツ=ビルケナウ以外にも、多くのユダヤ人強制収容所があった。勉強不足だったが、強制労働を目的とした強制収容所のほかに、最初から殺戮だけを目的とした絶滅収容所があった。そのうち、本作の舞台となるソビボルでは16万7000人が殺されているという。殺害が目的だから、列車で着いたユダヤ人のうち、生かされるのは死者の遺品の整理やそれを直して再利用できる職人などごくわずか。仕事ができない子供は問答無用で殺された。そしてソビボルなど、多くの絶滅収容所はソ連軍が迫ると、証拠隠滅のために残っていたユダヤ人もろとも、なかった状態にされた。

 本作の題材となった事件は、珍しく、収容されていたユダヤ人たちがやられっぱなしではなく、反乱を起こしたことだ。機を見て、11人のナチス将校を殺して武器を奪い、600名中、360名が脱走に成功。そんな歴史があったことは、あまり知られていないのでは。映画は、決してうまい出来ではなく、前半はナチスの囚人いじめがネチネチ描かれ、まったり感がある。ただし、脱走当日になると展開はスピーディに。結末を知らなかったので、ハラハラしながら見る。将校をひとりひとり呼び出して、ナイフで殺害するくだりは、「殺っちゃってください」と心の中で拍手喝采(映画なので、ナチス軍人は良心の欠片もない極悪人として描かれている)。


 脱走後の顛末は、字幕で書かれるが、脱走した360人のうち200人は、すぐに追っ手の親衛隊によって殺され、逃げられなかった240人も全員殺され、残った160人のうちの100人余りは、民間のポーランド人に殺されたり密告によって命を落としたという。当時のポーランドでは、反ユダヤ主義も根強く、自分たちがナチスに占領されながらも、そこから逃げてきたユダヤ人を殺したりしていたというのも陰惨な話だ。また、映画では触れられていないが、看守などにはドイツ人ではなく、反共産のウクライナ人が多く使われており、彼らもまた残虐だったという。弱いものがより弱いものをいじめるという構図はやりきれない。


 本作の主人公であるサーシャも、脱出後にはパルチザンに加わり戦ったが、戦後はドイツの収容所にいたとして「外患罪(外国の捕虜になった者は半共産思想に感染しているという言い分)」により、ソ連の強制収容所に入れられたこともあるという数奇な運命を辿っている。
 ということで、人間ドラマとしては薄い出来だが、こうしたことがあったという事実を知るにはいいテキストかもしれない。(前原利行 ★★★

2018年8月13日月曜日

1987、ある闘いの真実


1987

2017年/韓国
監督:チャン・ジュナン
脚本:キム・ギョンチャン
出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ユ・へジン、キム・テリ、パク・ヒスン、イ・ヒジュン、
   ソル・ギョング、カン・ドンウォン、ヨ・ジング
配給:ツイン
上映時間:129分
公開:2018年9月8日(土)、シネマート新宿、シネマート心斎橋 全国順次ロードショー


●ストーリー 

 1987年1月、警察での尋問中に大学生パク・ジョンチョル(ヨ・ジング)が死亡する。パク署長(キム・ユンソク)は、部下らに遺体の火葬を命じるが、その日当直だったチェ検事(ハ・ジョンウ)は不審を抱きそれを拒否、上層部の反対を押し切り解剖を執行させる。警察は心臓麻痺という虚偽発表を続けるが、現場の痕跡や解剖所見は拷問致死を示していた。事件を取材していたユン記者(イ・ヒジュン)は「水拷問中の窒息死」と報道。これに対しパク署長は、チョ班長(パク・ヒスン)と刑事の2人だけを拘束し事態を収束させようとする。
 一方、民主化運動家で指名手配中のキム・ジョンナム(ソル・ギョング)は真実を暴く機会をうかがっていた。協力者のハン刑務官(ユ・へジン)は、収監中のチェ班長から情報を得ると、検問をかいくぐるため、姪のヨニ(キム・テリ)に情報伝達の任務を託す。そして民主化運動が拡大する中、ヨニが知り合った学生運動家イ・ハニョル(カン・ドンウォン)に事件が起こる・・。

●レビュー 

 「1987」は、軍事政権下の1987年、大学生の死に端を発した韓国民主化闘争を描いた作品で、実話に沿い気骨に語られている。その年の1月、体制への不満が高まり各地で学生デモが勃発する中、警察に連行されたソウル大生が拷問中に死亡。隠蔽されようとしていた死因が暴露されるや前途ある若者の死の衝撃は、民主化の動きとなって韓国全土に広がっていく。

 実際の事件に基づくため、実在する多くの人物が登場する。脱北者の立場から任務遂行に執念を燃やす署長。青年の死を隠蔽しようする警察や強権的な政治指導者。その末端で命令に従う者たち。一方、体制に抗う者は、事実を暴こうする奔走する。民主化運動家、自ら行動を起こす学生たちや協力者。その裏では、体制に翻弄されてきた国民がいて、やがて彼らも民主化のうねりのひとつとなっていく。劇中、そうした登場人物一人一人に焦点がしっかりと当てられ、当時の韓国に生きた人々の姿がリアルに描かれている。キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、カン・ドンウォンら力のある俳優が背景をしっかりと含みながら役柄を演じて秀逸。特に刑事役のパク・ヒスン、記者役のイ・ヒジュンの堅実な演技がさらなる説得力を生んでいる。

 隣国が軍事政権下にあり、民主化運動が起こったのは、日本が「バブル」という名の景気に踊らされていた頃。この物語の1987年は、わずかに31年前のことだ。アジア大会後、「漢江の奇跡」と言われた経済発展を遂げ、ソウルオリピックを控えた隣国の実情を私たちは知らずにいたと思う。こうした作品を通じてあらためて隣国の本当の姿に気付かされる。

 最終盤、学生たちの民主化運動が激しさを増す中、無差別に発射される催涙弾が学生のひとりを直撃する。重症を負ったその学生の死亡が伝えられると、民主化運動は最大のうねりとなっていく。亡くなった学生の写真が掲げられる中で集まった市民。声をあげた彼らの勇気が大きな希望となり国を動かしていったことに心を動かされる。そして、知らずにいたことを目を向けていくこと、それがこれからの隣国との関係に必要なのだろうと感じる。韓国を知る上で必見の作品。最後には実際の写真も多く映し出される。
★★★★)

第69回 百想芸術大賞4部門
    (大賞、脚本賞、主演男優賞/キム・ユンソク、助演男優賞/パク・ヒスン)


2018年8月10日金曜日

ポップ・アイ



2017年シンガポール・タイ

監督・脚本:カースティン・タン
出演:タネート・ワラークンヌクロ(『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』)
ペンパック・シクリンほか
配給:トレノバ
公開:8月18日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー

■ストーリー

かつては一流建築家として名を馳せたタナーだったが、いつしか会社には居場所がなくなり、妻にも相手にされず、人生に幻滅している。ある日、バンコクの街角で幼い頃飼っていたゾウのポパイを偶然見つける。いてもたっていられなくなったタナーは巨大なゾウを買い取って家に連れて帰るが妻は激怒。何もかも放り出したくなったタナーはポパイと旅に出ることに…。

■レビュー

荻上直子監督の『めがね』という映画では、南の島でボーっとすることを「たそがれる」と表現していた。この映画もゆったりした時間の流れがあり、シンプルな画面構成にも荻上作品に似たモノを感じるのだが、この「たそがれる」、造語なのかと思っていたら、辞書に「黄昏れる」という言葉がきちんと存在していた。本来の意味は「盛りを過ぎて衰える」という意味だ。

主人公はかつては第一線にいた建築家だったが、会社や家庭にに居場所をなくし、文字通り盛りを過ぎてしまった「黄昏れた」中年男だ。バンコクの生活にうんざりして街角で再会したゾウと故郷ルーイへ戻ることに。旅をしながら自分の人生を振り返る。

旅先ではトラブルの連続。そして様々な人に出会う。廃屋で死を待ち続けている男、酒場でくだを巻くトランスジェンダーの女。いずれも黄昏れた人々だ。ようやく到着した故郷ルーイでは驚きの事実を知らされる。老いてなお変わらないもの、人生に大切なものとは…。いろいろと示唆に富んだ作品だ。心理学的にいったら「ミドルエイジ・クライシス」を描いているのだろうと思うが、筆者のような中年男にはなぜか居心地が良い世界観だ。

監督はシンガポール出身で2年間タイに住んでいた経験をもつ。タイ社会に自国にはない寛容さと仏教的諦観を発見するのは日本人も同じだろう。タイの伝統弦楽器ピンに似たギターの音色で奏でられたマット・ジェイムズ・ケリーの浮遊感ある音楽も素晴らしい。ルークトゥン『娼婦からの手紙』の詞にもぐっと来る。たそがれたい人、タイ旅気分を味わいたい人は必見だ。

(カネコマサアキ★★★☆)

第33 回サンダンス映画祭ワールド・シネマドラマ・コンペティション部門脚本賞
第90回アカデミー賞外国語映画賞シンガポール代表



ゲンボとタシの夢見るブータン

The Next Gardian
2017年/ブータン・ハンガリー

監督:アルム・バッタライ、ドロッチャ・ズルボー
配給:サニーフィルム
公開:8月18日(土)よりポレポレ東中野ほか全国ロードショー

■ストーリー

ブータンの小さな村に暮らす兄ゲンボ(15歳)と妹タシ(14歳)。ゲンボは悩みを抱えている。一族が代々受け継いできた寺院を引き継ぐために学校を辞め、戒律の厳しい僧院学校に行くように父親から薦められているからだ。タシは女子サッカーに夢中でナショナルチームへ行くことを夢みている。急速な近代化で変わりゆくブータン社会の中で思春期を迎えた子供たちの未来をみつめるドキュメンタリー。

■レビュー

ゲンボとタシの兄妹が実に魅力的だ。
二人は今どきの日本の中高校生のようにYoutubeやFacebookに興じ、まるで仲のよい親友同士のように、サッカーや可愛い女の子の話で盛り上がる。え?と思った方も多いだろう。兄弟ならまだしも、兄と妹が?と。タシは男っぽい女の子で、性同一障害(FtoM)の要素があるようなのだ。両親も「男の子の魂を持って生まれて来た」と、その辺は理解を示してるようだ。

一方、ゲンボは父親の期待を一心に背負っている。舞台となっているブムタンはブータン中部にあり、一族が代々受け継いできたチャカル・ラカンは8世紀初頭にまでルーツを遡る由緒ある古刹らしい。ゲンボとタシは600年前にその地に寺を建てた高僧ドルジ・リンパの子孫にあたる。父親は責任を感じていて、一刻も早く僧院学校に入学させ一通りの祭事を息子に教えたいと思っているが、母親は海外の訪問者を案内するための英語の勉強も必要だしそんなに急がなくても、と言って意見が合わない。ゲンボ本人も進路を決めかねているようで父親の問いかけにも無口だ。

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国家として「国民総幸福量:GNH」という理念を掲げるブータンだが、実は目標の数値を達成できないでいる。鎖国状態から1999年にTV放送とインターネットが同時に解禁され、2008年に立憲君主制に移行する新憲法が公布、ブータンは急激な近代化のただ中にある。物質主義ではない豊かさに価値を求めようとシステム化されたGNHだったが、皮肉なことに、国際化・近代化は多様な価値観、金=幸福の認識を広めてしまったため、人々の幸福度は下がってしまったようだ。

子供たちにとって何が幸せなのか。映画は結論を出さず、我々に問いかける。現代人にとって、目移りしてしまうほどたくさんの可能性があることは、ある種の不幸かもしれないと時に思ったりする。だが、これはすでに近代化を終えた側の身勝手な言い分に過ぎないかもしれない。伝統と近代化の問題は戦後アジア各国で未だに引きずっている問題だが、ゲンボと父親が下見に訪問した僧院学校の先生がとても現実的で理性的な意見を言うのが意外で安堵もした。ゲンボとタシは将来どういう選択をしていくのか。彼らの成長が気になるので、ぜひ続編を希望したい。
(カネコマサアキ★★★)

■関連事項
ブータン出身のアルム・バッタライとハンガリー出身のドロッチャ・ズルボーは、若手ドキュメンタリー制作プログラム「ドッグ・ノマッズ」で出会い、世界7つのドキュメンタリー・ピッチング・イベントに参加。国をまたがる6つの財団から資金を得て、完成にこぎつけた。その制作過程も興味深い。



「ゲンボとタシの夢見るブータン」ポレポレ東中野 公開記念ミニ・トークイベント・シリーズ 
8/18(土)12:20~上映後、監督&出演者ゲンボによる舞台挨拶(Skype)
8/20(月)19:10〜の回上映後 内山 拓/NHKスペシャル「秘境ブータン 幻のチョウを追う」
8/26(日)12:20〜の回上映後 松本 紹圭/浄土真宗本願寺派光明寺僧侶、一般社団法人お寺の未来代表理事  
8/29(水)19:10〜の回上映後 天城 靱彦/Tokyo Docs 実行委員会委員長
8/30(木)19:10〜の回上映後 関 健作/写真家、元ブータン日本人教師
9/2(日)12:20〜の回上映後 関野 吉晴/探検家、医師
9/3(月)19:10〜の回上映後 石川 直樹/写真家
9/5(水)19:10〜の回上映後 南 のえみ/Be Inspired! 編集者
9/7(金)19:10〜の回上映後 加部 一彦/埼玉医科大学総合医療センター小児科


8/25(土)& 8/26(日)大阪公開記念トークイベント
25日(土)12:20の回上映後にトーク ゲスト: 松尾 茜/元・ブータン政府観光局職員、現・京都大学大学院 地球環境学舎 持続的農村開発論分野
26日(日)12:20の回上映後 草郷 孝好/関西大学 社会学部 社会システムデザイン専攻 教授

9/1(土)「ゲンボとタシの夢見るブータン」 京都公開記念特別講演会
講師:熊谷誠慈/京都大学こころの未来研究センター
会場:出町座/時間:12:30〜の回上映後/劇場イベントページ



2018年8月6日月曜日

英国総督 最後の家


Viceroy’s House
2017年/イギリス

監督:グリンダ・チャーダ
出演:ヒュー・ボネヴィル、ジリアン・アンダーソン、マニーシュ・ダヤール、フマー・クレイシー、マイケル・ガンボン
音楽:A. R. ラフマーン
配給:キノフィルムズ/木下グループ
公開:8月11日より新宿武蔵野館ほか

公式HP:http://eikokusotoku.jp/

●ストーリー


1947年、独立が決まったインドのデリーに、最後となる新総督マウントバッテン卿とその家族がやってきた。目的は、つつがなく独立インドに主権譲渡をすること。新総督の到着に合わせ、インド人青年ジートが新しく秘書として雇われてやってきた。パンジャブ地方出身のジートは総督邸でかつて思いを寄せていた女性のアーリアと偶然再会する。アーリアはマウントバッテンの娘パメラの世話係だった。
準備を始めるマウントバッテンだが、ネルー、ガンディー、ジンナーといった指導者たちの意見はまとまらなかった。ネルーはムスリム優遇には難色を示し、ジンナーは分離してムスリム多数派の国を望んだ。ガンディーは統一のためにはジンナーに譲歩するようネルーに言うが、聞き入れられない。そんな指導者たちの対立が民衆に及び、各地で宗教対立による暴動が起こる。混乱を避けるため、マウントバッテンは分離支持に傾いていく。

●レビュー


8月15日は日本では終戦記念日だが、インドでは独立記念日となる。本作は、インド独立となった1947年8月15日にいたるまでの6ヶ月を、主権譲渡のためにやってきたマウンバッテン卿とその家族、そして総督邸で働くヒンドゥー教徒のジートとムスリムの女性との恋などを絡めて描いた歴史群像ドラマだ。

こうした歴史ドラマは大きく分けると2通りある。ひとつは歴史はあくまで背景で、そこに生きる人間の葛藤を主にしたもの。もうひとつは、歴史の動きをわかりやすく描くために、各役割を担う人々を散らした群像ドラマだ。本作は後者で、監督もコメントしているように、デビッド・リーン監督作(『アラビアのロレンス』など)を意識したようだ。ということで、人間ドラマというより、教養的な部分でいろいろとためになることが多い作品ととらえるといいかもしれない。

歴史の舞台をわかりやすくするため、本作ではさまざまな立場の人を登場させる。最後の総督となるマウントバッテンはイギリス貴族らしく、感情を抑え、自分の職務をまっとうしようとする生真面目な人間として描かれている。しかしその生真面目なゆえ、自分が老獪な政治家チャーチルに利用されているとは最後の方になるまで気付かない。現地で出迎える参謀のイズメイはチャーチル派で、マウントバッテンが知らない政府の思惑を裏で進めようとしている。
チャーチルは保守派の植民地主義者で、インドの独立には反対していた。しかし独立が避けられないとしたら、ソ連とアメリカが強大になる戦後の世界を睨み、パキスタンを分離独立させて英国の味方につけようとしていた。映画では、チャーチルはひそかに最初からジンナーにパキスタンを与えることを約束しており、ネルーやガンディーには「統一」という餌をぶら下げていただけということになっている。チャーチルは今の基準で言えば白人至上主義者であり(当時としてはふつうだったが)、ガンディーが嫌いだった。そして独立したインドがソ連と仲良くすることは避けたかったのだ。チャーチルは終戦を待たずに選挙で負けるが、マウントバッテンが赴任する頃には、自分の思惑を実行する人々を配置させていた。

インド側の代表となるネルー、ガンディー、ジンナーはそれぞれのそっくりさんが出てきて、それぞれの異なる主張をする。ガンディーは、統一インドの初代首相はジンナーにすべきと言うが、ネルーら国民会議派には受け入れがたいものだった。また、ジンナーにとっても、イスラム教徒が多数派になるのが目的だったので呑めるはずがない。しかし多数派にとっては天国でも、それが目的となる国では少数派には地獄になる。ガンディーはそのむなしさをわかっていたから、分離という結果には失望しかない。

インド側の庶民はどうだったか。それを観客に理解できるよう、映画ではドラマ部分の実質上の主人公であるヒンドゥー教徒のジートという青年を登場させている。彼の住むパンジャーブでは、各教徒が混在して住んでいた。ジートを総督邸に誘った友人はシク教だし、ジートが思いを寄せる女性はムスリムだ。しかし異教徒間の恋愛は、分離独立という社会のうねりの前には芥子粒のようなものだ。また、総督邸のキッチンでも、分離独立問題は従業員たちの争いを生むようになる。

分離独立が決まると、それまでのインド政府が持っていた資産が、インド8、パキスタン2の割合ですべて均等に分割されることになる。映画でも、百科事典を途中で分けるという馬鹿げたシーンがあるが、博物館の収蔵品もそれに沿って分けられたという。「断食するブッダ」像が、インドにないのはそのためらしい。

分離独立すると、それぞれで少数派にならないように、大量の住民の移動が起きた。その過程で略奪と虐殺が起き、それがさらに避難民の数を増やした。映画でもその模様が描写されるが、とりわけ地方が二分されたパンジャブ地方での被害が大きかったようだ。この住民同士による無差別大虐殺と過酷な移動で、双方合わせて100万人近くが死んだという。

ラストはちよっと甘いかもしれないが、それは観客のサービス。とはいえ、本作はインド現代史を知るにはいいテキストとなる映画だろう。イギリス映画らしく、派手さを抑えてきっちり作っている。これがアメリカ映画だと、大爆発や銃撃戦が盛り込まれるだろうし。★★★☆

●関連情報

監督は『ベッカムに恋して』などのグリンダ・チャーダ。彼女もまた自身がインド系で、祖母の代にパンジャブからきたシク教徒。夫で、脚本のポール・マエダ・バージェスは名前からわかるように日系アメリカ人。

マウントバッテン卿の妻役には、なつかしやXファイルのスカリーさん。

プロデューサーのディーパック・ナヤールも、名前からしてインド系だが、これまでに手がけた作品は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』『スラム・ドッグ$ミリオネア』『食べって、祈って、恋をして』『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』『ライフ・オブ・パイ』『LION/ライオン』など、異文化との出会いやインドをテーマにしたものが多い。

総督邸のロケが行われたのは、ジョードプルの宮殿ホテル、ウメイドバワンパレス。