2017年1月25日水曜日

太陽の下で —真実の北朝鮮—

Under the Sun

2015年

人間が全体のパーツのひとつとして生きるはどういうことか?


監督:ヴィタリー・マンスキー
出演:リ・ジンミ
配給:ハーク
公開:121日よりシネマート新宿にて公開中
公式HPtaiyono-shitade.com
レビュー
すでに私たちは、ニュース映像や断片的な情報で、
北朝鮮が前時代的な全体国家であることを知っている。
ただし、映像は基本的には国営放送が流すものなので、
管理されていない北朝鮮の姿を見ることはできない。
ではこのドキュメンタリーはどうなのか。

ロシアのドキュメンタリー作家であるマンスキー監督は、
2年にわたる交渉の結果、ようやく「北朝鮮に住む庶民の日常風景に密着取材する」許可 
をとる。
ドキュメンタリーの主役となるのは、
少年団にいる8才の少女ジンミ
金日成の誕生祭である「太陽節」で披露する踊りの練習に余念がない、
そんな姿を映し出すはずだった。
ところが、現地に着いてみるとシナリオができていて、
  北朝鮮側の監督OKを出すまで、ジンミや両親、
カメラに映る人々は何度でも演技のやり直しをさせられる。
カメラに映る会話は、すべてセリフがあり、
演出されたものだった。
しかも撮影されたテープは、すべてその日のうちに検閲を受ける。
そこでマンスキー監督は隠し撮りを決行する。
リハーサルや休憩時間の段階から録画スイッチを押したカメラを放置し、
映像を密かに持ち出していたのだ。
こうしてできあがったのが、このドキュメンタリーだ。

撮影が始まり、北朝鮮に渡ったマンスキー監督がまず驚いたのは、
ジンミの両親の職業が変えられていたこと。
北朝鮮では職業選択の自由はなく、全員公務員のようなものだから、
映画に合わせてその間に変えられていたのだ。
そしてジンミ一家が住む住宅には、生活感がない。
どうやら、本当は別のところに家があり、
そこから通っているのがアリアリなのだ。
ケガをした友達をみんなで見舞いに行くシーンを
何度もやり直すところがあり、  
「北朝鮮ではこれがドキュメンタリーなのか」と驚くだろう。
また、授業風景では思想統一のために何を教えているかもわかり、
まるでディストピアSF映画だ。

ラスト、ジンミちゃんに自分の言葉で話すように監督が問いかけると、
意表を突かれて困ってしまうジンミちゃん。  
ジンミちゃんが考えて出す言葉が、悲しくも恐ろしい
 
言いたいことも言えないし、やりたいこともできずに
一生を終えていく人生。 全体の中のパーツとしてしか人生を過ごせない、
それはまるでアリの一生だ。
そこには自分の意思というものがない
そして監視されている人たちだけでなく、
監視している者もまた誰かに監視されていている。

でもねえ、これを「かわいそうな人達」とひと事だと
思って見るのは、まちがいだ。
このディストピアは今もこの瞬間に存在するし、
その世界と私たちの世界は無縁ではない。
そして私たちの世界も、条件さえ揃えば、
すぐにこんな世界に変わることもあるだろう。
日本にだって、本人はまったく意識していないが
「服従」に居心地良さを感じている人たちがいる。
受け売りだけで、自分の言葉で語っていない人たちも。
私たちの世界が、50年後にこうなっていないとは限らないのだ。
★★★前原利行)
 
映画の背景

・監督は両親が生きたスターリン時代のソ連がどうだったか、また自分が若かった頃のソ連も知っているので、それが今も続いている北朝鮮に興味を持ったという。

・気になるのは、この映画を北朝鮮政府はどうみているのかということだが、プレスによればやはりロシア政府に上映中止を要求したとのこと。それにより、ロシア政府も公の映画館では上映禁止にし、この映画を非難した。監督は、現在ロシアを離れてラトビアに住んでいるという。

・映画を見たら、その後のジンミちゃんも気になるが、公式のアナウンスメントはない。

2017年1月24日火曜日

カラフル!インドネシア2

 ■東京国際映画祭「CROSSCUT ASIA」提携企画

「カラフル!インドネシア2」





昨年の第29回東京国際映画祭で好評だった特集「CROSSCUT ASIA #3 カラフル!インドネシア」の第2弾が、明日1月25日(水)から28日(土)まで、アテネ・フランセ文化センターで開催される。

デジタル修復されたインドネシア映画の巨匠ウスマル・イスマイル監督の『三人姉妹』(1956)を筆頭に、スハルト政権崩壊後の10年目を期に製作された『9808〜インドネシア民主化10年目のアンソロジー』('08 日本初上映)、ジョコ・アンワル監督のサイコホラー『禁断の扉』('09)、折り合わない夫婦の姿を描くエディ・チャフヨノ監督の『SITI』('14)、ギター・ポップバンドのステージを追ったドキュメンタリー『White Shoes & The Couple Company in Chikini』('16 日本初上映) 、カミラ・アンディニ監督ら5人の短編を集めた『インドネシア短編傑作選』など、旧作から最新作まで充実の6プログラムがラインナップされている。



28日にはエディ・チャフヨノ監督とプロデューサーのメイスク・タウリシア氏を招いたシンポジウム(入場無料)も予定されている。近年、経済成長とともに製作本数を増やし、リリ・リザ監督やエドウィン監督などが世界的な評価を受ける一方で、若手監督の台頭めざましいインドネシア。日本でもアンガ・ドゥイマス・サンソコ監督『珈琲哲学〜恋と人生の味わい方』(仮題)などの娯楽作も劇場公開が予定されており、その動向から目が離せないインドネシア映画の豊穣と現在進行形を知るまたとないチャンスだ。

『カラフル!インドネシア2』
日時:1月25日(水)〜28日(土)
場所:アテネ・フランセ文化センター(御茶の水)
料金:一般=1300円 学生/シニア=1100円 
   3回券(一般・学生・シニア共通)=2700円 
   アテネ・フランセ文化センター会員=800円
主催:国際交流基金アジアセンター、アテネフランセ文化センター
スケジュール・詳細http://www.athenee.net/culturalcenter/program/in/indonesia.html



2017年1月21日土曜日

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男

2015年/ドイツ

地味だが堅実な出来のドイツ映画。アイヒマン裁判に興味がある人にはおすすめだ。




監督:ラース・クラウメ
出演:ブルクハルト・クラウスナー(『白いリボン』)、
ロナルト・ツェアフェルト(『あの日のように抱きしめて』)、
セバスチャン・ブロムベルク
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
公開:2017年1月7日よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町にて公開中
公式HP:eichmann-vs-bauer.com/


ドイツ映画らしい、地味だけれど堅実なタイプの実話の映画化。
まずそもそもアイヒマンを知らなかったら話にならないので、
せめてwikiでも読んでから映画を見ること。
ざっくり言うと、アイヒマンは第二次世界大戦時に数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に送り、殺害した責任者だ。
とはいえ、バリバリの軍人ではなく、
命令に従ってこなす“有能な官僚”タイプだった。
戦後、南米に逃亡していたが、1960年にアルゼンチンで捕まり、
翌1961年にイスラエルで行われたアイヒマン裁判の結果、
1962年に処刑された。
前にも紹介した映画『ハンナ・アーレント』にもその様子が描かれている。
全世界の人々は、裁判に出たアイヒマンを見て驚いた。
数百万人を殺したのだから、ものすごい極悪人の姿を想像していたら、そこらへんの役所にいそうな小役人顔だったからだ。
裁判では「命令に従っただけ」とアイヒマンは言ったが、
彼が積極的に効率よく“仕事”をしなければ、
もっと被害は少なかった。
では、最大の“悪”とは何か、それは『ハンナ・アーレント』を見てください。

ただ、日本ではこれから2月に公開される映画『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』という、アイヒマン裁判中にイェール大学で行われた“ミルグラム実験”を描いた映画にも示されているように、たいていの人間はアイヒマンと同じシチュエーションに置かれたら、同じことをするそうだ。
これは「服従の心理」というもので、
詳しくは「ミルグラム実験」とかでwikiで調べてください。
今回紹介する映画とは関係ないけれど。

さて、本作のタイトルを見て、アイヒマン捕獲を描いた華々しい作戦の映画と想像していたら、老人主演のあまりの地味さに驚くかもしれない(逮捕に関してはロバート・デュバル主演で『審判』という映画になってるいそうだが未見。DVD発売なし)。
アイヒマンを尾行し、アルゼンチンで誘拐して密かにイスラエルに
運んだのはイスラエルの諜報機関モサドで、
これはこれでひとつの映画になる。
しかし本作の主人公は、逮捕のきっかけとなったモサドへの情報提供を行ったドイツの検事バウアーだ。

舞台は1950年代後半のフランクフルト。
ナチスの戦争犯罪者の告発に執念を燃やしている
検事長バウアーのもとに、アルゼンチンに住むユダヤ人から
アイヒマンが潜伏しているとの情報が入る。
しかし、バウアーの周辺では、かつてのナチス党員や信奉者たちが社会復帰をしており、彼の行動に目を光らせていた。
ドイツの法機関の情報は、ナチスの残党に筒抜けだったのだ
そこでバウアーは違法と知りながらも、
アイヒマンを拘束するためにその情報をモサドに渡す。
彼の願いは、
アイヒマンをドイツで法により裁くことだったのだが…。

バウアーは判事時代の1930年代、社会民主党の党員だったが、
ナチスが政権を握り、ナチス以外のすべての政党を禁止すると、
強制収容所に送られてしまう。
その後、バウアーは政治的に転向し釈放。
しかし1936年にはデンマークに亡命する。
バウアーはユダヤ人だったが、無神論者でもあった
第二次世界大戦が始まるとスウェーデンで抵抗運動に加わる。
1949年に西ドイツに帰国したバウアーは、
ヘッセン州の検事長になる。

映画は50年代の末から始まるが、この時代は公職追放された
ナチスやその信奉者たちも社会復帰していた。
冷戦下だったから、アメリカや西ドイツ政府も、
戦争犯罪の追及にはあまり熱心ではなかった。
そのため、若年層の中には、ナチスの犯罪について知らないものも多く、ナチスの戦争犯罪は早くも風化し始めていたのだ。
映画の中でも、若手の検事たちの中には、
なぜバウアーが“過去”の犯罪の告発に力を入れているのかを
理解していないものもいることを見せている。
バウアーはそうした風潮に危惧を抱いていた。
バウアーは復讐のために逮捕に執念を燃やしたわけではなく、
事実を明るみにすることによって、人々にもう一度、
民主主義や人間の尊厳を再確認してもらいたかったのだろう。
映画では時間がどれくらい経ったのかわかりにくいが、
最初の情報提供から逮捕までの証拠固めには、
実は3年近い年月が経っている。

そうした地味な積み重ねを、観客が飽きないようにするために、
多少脚色はあるが、なんとかエンタテイメント作品にした本作。
僕はもともと関心があるから楽しめたが、みなさんはどうかな。

★★★

2017年1月6日金曜日

アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場


Eye in the Sky

ドローンによるテロリスト攻撃作戦。しかしその場に、関係ない民間人が居合わせたら?


 
2015

監督:ギャヴィン・フッド(『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』『ツォツィ』)
出演:ヘレン・ミレン(『クイーン』)、アーロン・ポール(『ブレイキング・バッド』)、アラン・リックマン(『ハリー・ポッター』シリーズ)

配給:ファントム・フィルム
公開:1223日よりTOHOシネマズシャンテにて公開中
公式HPeyesky.jp/


●ストーリー

アフリカのナイロビの上空6000メートルを飛ぶ、一機の無人ドローンがある映像を捉えた。それは国際的なテロリストが、一軒の家に集結する姿だった。彼らを追うイギリス軍諜報部のキャサリン大佐は、上官のベンソン中将と協力して逮捕を目指すが、監視カメラの映像は大規模な自爆テロの準備を映し出した。逮捕による隊員の損害や逃亡を防ぐため、作戦はドローン攻撃による殺害に変更。その命令によりラスベガス郊外の空軍基地では、ミサイルの発射準備に入る。しかし、カメラはドローンの殺傷圏内にいる、幼いパン売りの少女を映し出した。

●レヴュー

宣伝では典型的なB級アクション映画のようなルックで損をしているが、なかなかの拾い物、いや、個人的にはけっこうツボにはまった哲学的な命題を含んだサスペンス映画で、機会があったらぜひみなさんにも見て、考えてほしい映画だ。

哲学の世界では有名な「トロッコ問題」をご存知だろうか?
これは大学の講義でもよく使われる有名な話でバリエーションはいろいろあるが、基本となるのはこんな感じ。線路を走っているトロッコが制御不能になり、このまま放置しておけば前方で作業中の5人が死んでしまう。しかしあなたの前にある分岐器を動かせば、別の線路に引き込むことができる。ただし、そこでもひとりの人が作業中だ。つまり、5人を救うために1人を殺しても良いかということであり、法的な責任は問われないのが前提となる。功利主義的な立場から言えば、5人を救うのが正しい。しかし義務論から言えば否となるというもの。これにはバリエーションがある。たとえば、この問題で迷わず分岐の切り替えをした人でも、以下の問題はどうだろう。溺れている5人を助けるためにあなたがボートで向かっている途中、溺れている別の一人を発見する。その人を救うと時間がかかり、五人は死ぬことになる。それでもあなたは助けるか、見殺しにするか。

お気付きのように、これには誰も納得がいく回答がない。人は頭ではわかっていても、誰かを助けるために誰かを見殺しにはしたくないからだ。この映画では「自爆テロが起きれば数十人が死ぬ。また部隊の突入でも複数の兵士が死ぬ。ただしドローン攻撃をすれば“最小の被害”だけですむ」という、功利主義から言えば正しい選択が目の前にある。しかし、それは倫理的には正しい選択なのだろうか? 攻撃により、関係のない少女が死ぬかもしれない。多数を救うために、少女は死んでもいいのか。

オバマ政権では、兵士による直接攻撃ではなく、ドローンによる攻撃が推奨されている。現在では兵士のPSTD問題などが国内世論で大きく取り上げ、大々的に生身の兵士を戦闘に派遣しにくい。兵士の死傷者数を減らしたいこともあり、ドローン攻撃を重視しているのだが、あるニュースによればアフガニスタンでドローンにより殺害された200人のうち標的はわずか35人で、残りは巻き添えを食った民間人だったという。

ただし、本作が良くできているのは、現実の作戦に対する批判ではなく、「テロリスト攻撃」という事件を通して、上記の「トロッコ問題」という普遍的な哲学上の問題を私たちに見せてくれる点だ。そのため、この作戦に関わるどの立場の人間も納得がいくように描かれ、映画によくありがちな悪人や思慮の浅い人は出てこない。それぞれの立場で考え、意見を述べているので、観客もだんだんどうしていいかわからなくなる。それが狙いなのだ。「もし、少女を助けるためにテロリストを逃して、その後、数十人が死んだら?」、あるいは「少女が助かる確率が何%なら実行していいのか」などと考えてしまう。

イギリス映画らしい重厚な作りの本作だが、それはこの重いテーマにふさわしい。どのような選択をしても、誰かが傷つくようなことにならない世界を目指すのが、本当は一番いいのだろう。ヘビーな一本だ。
★★★☆

●関連情報
・最近では『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』などの娯楽映画が多い南アフリカ出身のギャヴィン・フッド監督だが、世界的なデビューは社会問題を扱った『ツォツィ』だ。
・本作は、アラン・リックマンの遺作のひとつになった。
・トロッコ問題についてはwikiを参照にしました

2016年12月16日金曜日

ニーゼと光のアトリエ


Nise

患者に絵筆を持たせた、ブラジルに実在した精神科医とその治療を描いた作品



2015/ブラジル

監督:ホベルト・ベリネール
出演:グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール
配給:ココロヲ・動かす・映画社○
公開:1217日よりユーロスペース
公式HPhttp://maru-movie.com/nise.html

●ストーリー

1943年のブラジルのリオデジャネイロ。医師のニーゼはかつて働いていた病院に戻ってきた。
彼女がいなくなっていた数年の間に、同僚たちはロボトミー手術やショック療法などの暴力的な治療を行うようになっていた。
それを拒否したニーゼは、担当者がいない作業療法の部署に回される。最初はなすすべもなかったニーゼだが、やがて患者が絵の具を使って絵画を描くアトリエをオープン。
ユングに影響を受けたニーゼは、患者たちが描く絵が“無意識の現れ”ではないかと考えるようになる。
最初は乱雑だった患者たちの絵も、しだいに変化していった。
しかしそんな対処療法は病院内で反発を生んでいくことになる。

●レヴュー

ニーゼは実在の人物で、この映画も実話を基にしている。
冒頭、窓がない建物にニーゼがやってきて、入り口のドアを何度もしつこいぐらい叩いて、ようやく中に入れてもらう。
当時の社会、そしてそれに負けないニーゼの性格を暗示したものになっている見事な導入部だ。

ニーゼは自分が病院を留守にしていた間、統合失調症などの患者に、電気ショックやロボトミー手術という当時では最先端の“科学的な”治療が行なわれていることを知り、また同僚の医師たちがそれを進んで取り入れていたことに愕然とする。
それはどう見ても、患者たちの人権を奪う、残酷なものだった。

この当時の精神病の治療は、患者のためにというより、周りにいる人たちが楽になるためだったこともある。
まだ向精神薬の開発も進んでいなかったころだ。
興奮する患者を病院に押し込め、さらに外科手術で無気力な状態にする。
それが許されるのは、患者たちを人間としてみていない、あるいは劣った存在としてみているからだ。医師も世間も。

映画では語られていないが、ニーゼが病院に戻ってくるのは1943年。
第二次世界大戦中で、当時のブラジルはヴァルガス大統領によるファシズム独裁体制だった。
ヴァルガスはドイツやイタリアを真似た全体主義で、反対派の追放や投獄を行った。
ニーゼもその対象になり、病院を追われていたようだ。
つまり社会全体が、少数派に対して非寛容になっていた。精神病院はその縮図ともいえよう。
社会の迷惑になるものは、排除するか力を奪ってしまえばいいと。しかし「社会」ってなんだ?

そんな中、ニーゼはアートを通して、患者たちの心の内を知ろうとする。
絵画を学んだことがなく、知能も劣るとみなされていた患者たちだが、彼らが描いた絵は当初は乱雑だったものの、やがて目的のあるものに変わっていく。つまり変化していくのだ。
「それは治療なのか?」と同僚は問う。ニーゼは「わからない」と答える。
ただし治すことはできなくても、アートは患者に寄り添うことができる。
“治す”なんておこがましい。ただ、“生きやすく”することはできるかもしれない。

人が病気になるのは理由がある。
もしかしたら精神病になるのも意味があるのかもしれず、治すべきと考えるのは患者のためでなく、面倒を回避したい私たちのためにそう言っているだけではないのか。
少しはましになったが、21世紀になっても、自分のわからないもの、自分と違うものを排除しようとする世の中は続いている。
相模原の施設で起きた事件は、そんな“今の日本”を暴いて見せたように思える。最悪の結果で。
今でこそ、私たちはこの映画を見るべきなのかもしれない。

★★★☆前原利行

●映画の背景
今では想像もつかないことだろうが、脳の一部を切除するロボトミー手術は1960年代までは世界的によく行われていた。
僕が知ったのは映画『カッコーの巣の上で』だったが、もちろん日本でも積極的に行われていた。
たとえばこの外科的手術により、興奮したり攻撃的な感情を抑えたりすることができるということだが、副作用も多かった。
しかし1940年代にはこれは画期的な療法とされ、初めて前頭葉切除の手術を行ったポルトガルの医師モニスに、1949年にノーベル生理学・医学賞が与えられたほどだった。しかしこれはのちに「人体実験」に近かったことや、モニスも手術を行った患者に銃撃される事件も起き、廃れていくことになる。

・日本では第二次世界大戦中、戦後と、1975年に廃止されるまでロボトミー手術はよく行われていた。日本でも同意のないまま手術を受けた患者が、医師の家族を殺した事件も起きている(ロボトミー殺人事件)。

・アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディの妹ローズマリーも、ロボトミー手術を父により受けさせられていた。

・「ロボトミー」というと、「人間をロボットのようにしてしまう」こからつけられた名前かと僕も思っていたが、これはまちがいで、「葉(臓器の一部の単位のlobe)」の塊を切除するということから付いた名。

●関連情報
28回東京国際映画祭グランプリ&最優秀女優賞受賞作品。

2016年10月29日土曜日

彷徨える河

コロンビアのシーロ・ゲーラ監督が描く、アマゾンを舞台にした失われゆくものの物語


El abrazo de la serpiente

2015年/コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン

監督:シーロ・ゲーラ
脚本:シーロ・ゲーラ、ジャック・トゥールモンド
出演:ヤン・ベイヴート、ブリオン・デイビス、アントニオ・ボリバル・サルバドール
配給:トレノバ、ディレクターズ・ユニブ
上映時間:124分
公開:2016年10月29日(土)、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

●ストーリー

 アマゾン流域の奥深いジャングル。侵略者によって滅ぼされた先住民族唯一の生き残りとして、他者と交わることなく孤独に生きているシャーマンのカラマカテ。ある日、彼を頼って、重篤な病に侵されたドイツ人民族誌学者がやってくる。白人を忌み嫌うカラマカテ は一度は治療を拒否するが、病を治す唯一の手段となる幻の聖なる植物ヤクルナを求めて、カヌーを漕ぎ出す。数十年後、孤独によって記憶や感情を失ったカラマカテは、ヤクルナを求めるアメリカ人植物学者との出会いによって再び旅に出る。過去と現在、二つの時が交錯する中で、カラマカテたちは、狂気、幻影、混沌が蔓延するアマゾンの 深部を遡上する。闇の奥にあるものとは...

●レビュー

 アマゾン流域の広がる奥深いジャングルは、他の世界と隔絶して暮らす先住民もいて「未開の地」と言われている場所。その過去に何があったのか私はほとんど何も知らなかったと思う。『彷徨える河』という物語は、アマゾンの姿をスピリチュアルな世界観で捉え、その地に根付く精神世界を見せながら、闇に紛れてきたその歴史の一端を明らかにしてくれる。

 物語には、時代も国籍も異なるふたりの白人探検家とアマゾンで生き残った先住民族の男が登場する。ヤクルナと言う幻の植物を求めてアマゾンに分け入ったふたりの白人の探検家が、若き日の先住民でシャーマンのカラマカテと年老いたカラマカテ訪ねるという、二つの時間軸によって物語は紡がれる。カラマカテがそれぞれの男と一緒にカヌーを漕ぎ、アマゾン深部へ遡上するのだが、二つの時間と記憶の交錯によって、観客はアマゾンの深遠な世界に引きずり込まれていく。モノクロームの美しい映像がその様相により一層の深みを増している。

  20世紀の最初にアマゾンに足を踏み入れた実在のドイツ人の民俗学者とその30年後にアマゾンを探検したアメリカ人植物学者の手記に触発されて書かれたこのストーリーは、フィクションではあるが事実を織り交ぜていてとても興味深い手法になっている。さらに、時代の違う二人の探検家の目線に加え、クルーを率いてアマゾンに入った監督自身の視線が三つ目の視線になっていると気づく。二人の探検家とともに、カラマテカがアマゾンの奥地へ分け入ることで、失っていた自身の記憶を取り戻していくのだが、それはすなわち、私たちがアマゾンの闇の記憶を掘り起こすことになる。監督自身が語っているように、先住民の目線で語ることが最も重要なことだ。アマゾンの歴史とその記憶を通じて、私たちの世界観とは異なる習慣や掟で成り立ってきたアマゾンというの存在をこの作品は再認識させてくれる。そして、私たちが失ってしまったものが何かを示唆してくれている。

 監督は、近年世界的な注目を受けているコロンビアのシーロ・ゲーラ。本作は2015年にカンヌ国際映画祭で監督週間芸術映画賞を受賞。2016年ののアカデミー賞外国語映画賞でもコロンビア史上初めてノミネートされ、高い評価を受けている。老いたカラマテカを演じたアントニオ・ボリバル・サルバドールもオカイナ族最後の一人で、彼の出演が本作品により一層のリアリティーをもたらしている。★★★☆)加賀美まき

2016年10月19日水曜日

奇蹟がくれた数式


The Man Who Knew Infinity

 20世紀初頭、若きインドの天才数学者が海を渡り、英国の教授と数式の謎に挑む

 

2016年/イギリス
監督:マシュー・ブラウン
出演:デヴ・パテル(『スラムドッグ$ミリオネア』『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』)、ジェレミー・アイアンズ(『運命の逆転』『ミッション』)、トビー・ジョーンズ (『裏切りのサーカス』)
配給:KADOKAWA
公開:1022日より角川シネマ有楽町ほか

 ●ストーリー 

1914年、インドのマドラスで働く青年ラマヌジャンが出した手紙が、イギリスのケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで教授を務めるハーディの元に届いた。その手紙に書かれていた大きな数学的発見を目にしたハーディは、ラマヌジャンの才能を見抜き、彼をケンブリッジへと呼び寄せる。ほぼ独学で数学を学んだラマヌジャンだが、ハーディは大きな才能を秘めているのを見抜いたのだ。妻と母をインドに残し、単身ケンブリッジに向かったラマヌジャンだが、“直感”に基づく彼の数式は、論理的な証明をすることができなかった。ハーディはラマヌジャンに数式の証明を促すが、なかなかそれを説明することはできない。ラマヌジャンは、次第に孤独に追い詰められていく。

●レヴュー 

「数学者」というと最も映画になりにくい題材のように思えるが、数学者ジョン・ナッシュを描いた『ピューティフル・マインド』(アカデミー作品賞)や、数学の才能を持った青年を描いた『グッド・ウィル・ハンティング』などもあるし、数学ではないがホーキング博士を描いた『博士と彼女のセオリー』などもあった。また、悲劇の数学者チューリングを描いた『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』も面白かった。

本作はそうした流れを受けつつ、インド以外では知られていない、夭折の数学者ラマヌジャンを取り上げたところが面白い。僕も10年前に、担当していた某ガイドブックのコラムで取り上げるまでは彼の存在を知らなかった。南インドのクンバーコナムという町についての原稿を書いていた時に、ラマヌジャンの名が出てきたのだ。

彼の生い立ちや業績は、各自ググっていただくとして、映画の多くを占めるのは彼のイギリスでの留学時代で、彼と指導者であるハーディ教授との師弟関係を中心に語られる。ラマヌジャンはインドの敬虔なバラモンの家庭に生まれた。しかし母親と結婚したばかりの妻を養うため、研究に勤しむ事もままならずに、日々働くしかなかった。彼を研究に駆り立てたのは何だったのか。

私は数学にはとんと疎く、数式を見てもさっぱりわからないが、数学をしている人に聞くと感性は大事だという。映画では彼の数学的発見の理由を“直感”ともしているが、ラマヌジャンはそれを“女神の導き”とも表現していた。つまり自分の直感は、神が与えてくれたという事だ。私たちも日々暮らしていて、理由なしに直感で感じてしまう事がままある。もちろん、数学は印象ではないが、数字に驚くほど精通していた彼にとって、すべての数字には意味があって存在しているものなのだ。意味のないものはない。

しかし彼の指導者であり、もう一人の主人公であるハーディには、それが理解できない。ハーディは無神論者であるだけでなく、人の悩みや様子に気づかない、“ニブい”男なのだ。しかし彼も学者で、真理を知りたい気持ちはラヌマジャンとなんら変わる事がない。そんなある意味イギリス的な、世渡り下手な初老の教授を演じているのは『ミッション』などの名優ジェレミー・アイアンズ。最近、力が抜けてきて、いい感じになってきているが、ここでもそんな役をうまく演じている。

映画は、そんな年齢も国籍も考え方も違う2人が、人間として向き合える関係を築くまでの物語。なので、スリリングな展開やミステリー風味はない。20世紀初頭のケンブリッジ大学の雰囲気も興味深い。誠実な造りだが、無難な展開や着地点なので、あまり印象に残らない出来になってしまったのも確か。悪くはないが上品にまとめすぎたかな。
★★★前原利行