2019年10月26日土曜日

少女は夜明けに夢をみる



イランの少女更生施設。彼女たちはなぜここに来なければならなかったのか。
 
2016年/イラン

監督:メヘルダート・オスコウイ
配給:ノンデライコ
公開:112日より岩波ホールにて

●ストーリー
新年を控え、雪が降り積もるイランの少女更生施設。少女たちが雪遊びを始める。ここは未成年の少女たちを収容する更生施設。彼女たちがここに来た理由は様々だ。強盗、売春、薬物使用、殺人などを犯して逮捕されたもの、性的虐待、家庭内暴力を受けて家出して収監されたものもいる。家族が守ってくれない世界では、彼女たちは社会的には“見えない存在”なのだ。そんな彼女たちが、カメラの前で自らを語りだす。

●レビュー
映画『ジョーカー』とちょうど同じ頃に観たので、本作に出てくる少女たちも、また『ジョーカー』のアーサーとWって見えた。社会で行き場をなくし、“見えない存在”になっている人々だ。しかし今の日本では、僕やこれを読んでいるあなたも一瞬にしてそんな存在になる危うさがある。今や、社会の分断は世界の問題なのだ。

ドキュメンタリーの舞台は、イランのテヘランにある未成年の少女たちの更生施設。
彼女たちが収監された理由はさまざまだが、ひとつ共通するのは、家族から見捨てられたか、家族から逃げ出したかしていることだ。
小さな頃から親の暴力や薬物依存、身近な人による性的虐待を受けていた彼女たち。
薬物は親の影響で始めたという少女もいるように、収監されている少女たちの周りの世界はドラッグに溢れている。
ドラッグ欲しさに強盗を働いたり、また親にお金をせびって断られ親を殴った少女もいたりする。

一人の少女は、ドラッグによりたびたび家族に暴力を振るう父親を、母と姉と共謀して殺したという。ドラッグ欲しさに、娘に売春させるような父親と暮らす生き地獄。
また、性的虐待を受けた経験がある少女たちも多い。しかし訴えても相手は社会的に信用のある男だから信用されず、親に殴られる。
15歳で子供を産んだ少女は、子供に会いたいと泣く。

カメラの前で語る彼女たちの人生は、まだ大人になってもいないのに、あまりにも辛く悲しい
そんな彼女たちの前では、日本でオッさんたちが使いたがる“自己責任”という言葉は、あまりにも無力に聞こえる。親にさえ守られないで育った子どもたちを、誰が責められようか。
彼女たちを見えない存在としてしか扱わない塀の外の世界では、彼女たちは“犯罪者”としてしか生きる道がないのかもしれない。ただ、このカメラの前でふと見せる、彼女たちの喜びや悲しみの表情は犯罪者ではなく、まだ子どもの顔だ
そんな少女に質問を投げかける。
「あなたの夢は?」
「死ぬこと」。

大人になる前に人生に疲れた少女たち。しかしこれはイランだけの問題ではない。
育児放棄や虐待が毎日のように報道されている私たちの国でも、同じことが起きているのだ。
子供たちの罪は大人たちの罪である。彼女たちを罰するなら、大人たちも罰しなければならない。゜それならそれを生んだ社会も同罪だ。
見ていて心苦しくなるが、見るべきドキュメンタリーだ。
前原利行 ★★★★