2015年6月18日木曜日

しあわせはどこにある


しあわせはどこにある

Hector and the search for Happiness


人生に行き詰まった精神科医が、“幸福”を探しに世界を旅する




2014年/イギリス、ドイツ、カナダ、南アフリカ

監督:ピーター・チェルソム(『Shall we Dance ?』『ハンナ・モンタナ・ザ・ムービー』)
出演:サイモン・ペッグ(『宇宙人ポール』『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』)、ロザムンド・パイク(『ゴーン・ガール』『アウトロー』)、トニ・コレット(『リトルミス・サンシャイン』『シックス・センス』)、クリストファー・プラマー(『人生はビギナーズ』『サウンド・オブ・ミュージック』)、ジャン・レノ(『レオン』)、ステラン・スカルスガルド(『奇跡の海』『マイティ・ソー』)
配給:トランスフォーマー
公開:613日よりシネマライズ、新宿シネマカリテ

●ストーリー


ロンドンに住む精神科医のヘクターは、美人でしっかり者の恋人クララと何不自由ない生活を送っていた。しかし、毎日患者たちの不幸話を聞いているうちに、自分の人生がつまらないものに見えてくる。ヘクターは答えを求めて世界各地を旅することに。まずは中国へ。上海行きの飛行機で知り合った裕福なビジネスマンと遊びに行った先で、魅力的な若い中国人女性に知り合い、チベットの僧院では僧侶に悩みを打ち明ける。アフリカでは麻薬王と出会い、ギャング団に拉致される。ロサンゼルスではかつての恋人に再会する。はたして彼は“幸福”を見つけることはできるのか。


●レヴュー




いろんなタイプの映画があり、どうしようもないアクション映画とか褒めるのに苦労するのだが、この映画は期待は高かったのだが、久しぶりに退屈した。まあ、「そんな映画を紹介するな」と言われそうだが、なぜダメなのかをちゃんと考えてみようと思う。

映画の原作(「幸福はどこにある—精神科医ヘクトールの旅」NHK出版)は未読だが、解説によれば小説の形を借りた自己啓発本だという。その名残は映画のそこかしこに出ていて、ヘクターが旅でいろいろなできごとがあるたびに“幸せのヒント”をノートに書き付けて行く。「幸せとはありのままの姿で愛されること」「幸せとは時として、すべてを知りすぎないこと」といった、教訓というか標語というか。ただ、自己啓発本を読む人は最初から「啓発されたい」というモードに入って読んでいるが、映画を観る人はそうじゃない。別に面白ければいいし、主人公に共感するのも、自分がそうなりたいからではなく、主人公の気持ちがよくわかるからだ。つまり登場人物の心情に寄り添うことができなければ、映画は表面的にいろいろな出来事が起きるだけで、無味乾燥なものになってしまう。

ところが、この映画の主人公ヘクターには、ちっとも共感できない。更年期障害ではないが、生活には恵まれているのに漠然と「僕は幸せなのかなあ」では、よほどの人でなければ彼に入り込めないだろう。別に人一倍悲惨なできごとがあれば、という意味ではない。何不自由なくても精神が苦しいことは、演出やキャラ造型で示すことができる。ところが本作では、それが書き割りのキャラでうまくいっていない。軽いコメディタッチでもいい。笑わせるが、ポイントでシニカルな結果にして登場人物の思いに気づかせるウディ・アレンのような人もいる。しかし、監督・脚本のピーター・チェルソムからは、映画的表現のひらめきが感じられず、“幸せのヒント”の標語が出るたびに、押し付けがましさも感じてしまうのだ。

ちなみに、キャスト陣は僕の好きな人たちばかりだ。だが、誰もが深いキャラをみせておらず、ストーリーを進めるためにいるだけのキャラで残念。世界各地で主人公が出くわすアクシデントも、標語を導き出すためにひねり出されたストーリーのような感じ。各エピソードも毎回ヘクトールがノートに書き付けた標語でしめるが、それは毎回解答を提示されているようで、こちらに考えさせる間も与えない。「はいっ。この話の答えはこれです!」みたいな。

まあ、僕と違って、啓発を求めている人が本を読むような感じで、この映画を観ればまた違ったものがあるかもしれないが、豪華キャストの無駄遣いにしか思えない出来映えだった。もう劇場公開しているので、ハッキリ書けるが。
(☆なし)