2018年4月13日金曜日

女は二度決断する


あなたならどうする? 家族を失った時、彼女は何を決断したか


2017年/ドイツ

監督:ファティ・アキン
出演:ダイアン・クルーガー
配給:ビターズ・エンド
公開:4月14日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館にて


■ストーリー

ドイツのハンブルク。トルコ系移民のヌーリと結婚したカティヤは、
息子ロッコも生まれ、3人で幸せな日々を送っていた。
かつては服役もしていたヌーリだが、今は更生して真面目に働いている。
しかしある日、爆弾が爆発し、ヌーリとロッコが犠牲になる。
犯人はネオナチのドイツ人カップルで、目的は人種差別テロだった。
裁判が行われるが、その過程でカティヤは身も心も傷ついていく。
そして裁判の結果を受け、カティヤが下した決断とは…。

■レビュー

もし、これが自分の家族だったら?という問いを、
見ている間、ずっと問い続けられている。そんな辛い映画だ。
移民問題やテロ、悲惨なニュースを毎日見ていても、
どこか他人事のような気がしてしまう。
しかし、もしそれが家族だったら、その苦しみは身近に感じるだろう。

200万人ともいうトルコ系移民を受け入れ、比較的移民に寛容と言われていたドイツだが、近年はシリア系などの移民の増加により、ネオナチや極右による外国人迫害による事件も多発している。
映画のモデルとなったのも、実際にドイツで極右グループが起こした事件だという。
その時はまだ、警察は事件を外国人排斥のテロだと思わず、
何年も犯人を特定することができなかったという。

人はどうしても、相手を国籍や肌、習慣や宗教、その外見で判断する。
それは否定しない。それでしか判断できないからだ。
しかし、自分の置かれている境遇への不満を人のせいにしだりたりすると、それが自分が属していないグループ全体に向けられるようになる。
映画の中でヒトラーを崇拝する若い男女も、
別に外国人の小さな子供に個人的な恨みがあったわけではない。
ただ、外国人だろうが同国人だろうが、結局は個々の人間であることが、もはやわからなくなっているのだ。
いろいろ理由はつけるが、結局は通り魔殺人が言う「誰でもよかった」と大して変わりはない。
で、こうした人は、日本だろうが海外だろうが、その場になったら自分の命は惜しくなる。
そもそも、「人の命は自分の命より軽い」と普段から考えているから起こすのだ。

映画の中で印象深いのは、犯人が捕まるきっかけになったのが、
犯人の父親が「ヒトラー崇拝の息子が何か犯罪をしでかす前に」と警察に通報したことだろう。
しかしその時、すでに犯罪は行われていた。
この父親に主人公は裁判で会うが、主人公はこの父親も大きな苦しみを抱えていることをわかり、許しもしないが責めもしない。二人は多くを語らないが、逆に重さがこちらにも伝わる。二人とも被害者なのだ。

反トルコということで、ギリシアの極右組織とドイツのネオナチが
結びついていることもあるのだなあということも本作で知った。

最後の彼女の決断については、映画を見た各自が重く受け止めるしかないだろう。
それでよかったのか監督自身の迷いも見られるし、正解はないのだから。
★★★

■関連情報
監督のファティ・アキン自身も、トルコ系移民の元に生まれた。
代表作は『そして、私たちは愛に帰る』『愛よりも強く』『消えた声が、その名を呼ぶ』など。
・本作は第75回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞、
カンヌ国際映画祭でダイアン・クルーガーが主演女優賞