2020年12月22日火曜日

チャンシルさんには福が多いね

予期せずにやってくる人生危機、
それを乗り越える「福」を見つける物語



찬실이는 복도 많지 / LUCKY CHAN-SIL



2019年/韓国
監督・脚本:キム・チョヒ
出演:カン・マルグム、ユン・ヨジョン、キム・ヨンミン、ユン・スンア、ぺ・ユラム
配給:リアリーライクフィルムズ、キノ・キネマ
上映時間:96分
公開:2021年1月8日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
HP:https://www.reallylikefilms.com/chansil

●ストーリー
 映画プロデューサーのチャンシル(カン・マルグム)は、長年組んできた監督が、飲み会の席で突然亡くなり、これまでの生活が一変する。今まで恋愛もろくにせず、仕事に没頭してきた人生だったが、その大切な仕事がなくなり、今まで一体何をしてきたんだろうと、途方に暮れてしまう。
 風変わりなおばあさん(ユン・ヨジョン)の家に間借りさせてもらいながら、食べていくために、後輩であり女優のソフィー(ユン・スンア)の家で家政婦として働くことになる。そこに現れたソフィーのフランス語の教師(ペ・ユラム)にチャンシルの心はときめく。そんな時にチャンシルの前に「レスリー・チャン」と名乗る謎の幽霊(キム・ヨンミン)が現れる。この怪しい幽霊のアドバイスを聞き、告白を試みるチャンシルだが…。

●レヴュー 
 映画プロデューサーとして、信頼する監督と組み、ずっと仕事に没頭してきたチャンシルさん。だが、突然、人生がお先真っ暗な状態に陥ってしまう。仕事を失い、お金もなく、不便な坂の上の家に間借りすることに。気づけばろくに恋愛もしてない、恋人もいないアラフォー世代。頑張ってきた映画の仕事で評価を得られたわけでもなく、すっかり落ち込んでしまう。
 
 本作は、仕事に邁進してきた40代の女性たちが直面するであろう現実を軽妙なタッチで描いている。突然、エアポケットに落ちたような変化に戸惑い、悩み、自虐的にもなる。そんな中でちょっぴり心のときめきも経験する。一所懸命に打ち込んできた仕事から離れて、初めて自分自身に向き合うチャンシルさんの姿に共感する人も多いだろう。それしかないと思い込んでいた仕事が、本当にやりたいことだったのか。自分の幸せはもっと他にあったのではないか・・。曲がり角にぶつかって悩んだり、思いも寄らない落胆を経験したりするのは人生の習いなのだから。

 この作品がそうした共感を得るのは、プロデューサーとしてホン・サンス監督作品に参加し、本作が長編デビューとなるキム・チョヒ監督の力量にあると思う。40歳を過ぎてから映画を撮り始めたという監督自身の姿を投影するストーリー展開。自然で乙な台詞やオフビートな進行がユニークで見るものの心に優しく響く。『はちどり』のキム・ボラ監督、『82年生まれ、キム・ジヨン』のキム・ドヨン監督に続く女性監督の進出が楽しみだ。
 そしてもう一つは、チャンシルさんを演じたカン・マルグムの魅力である。先に日本で公開された『悪の偶像』(イ・スジン監督)では、息子の罪の隠蔽を図る母親役を強かに演じて印象的だった。本作では一変、悩めるチャンシルさんをひょうひょうと、それでいてユーモラスで愛らしい演じっぷりが秀逸。遅咲きながら、これからどんな役柄をどう演じていくのか楽しみである。
 また、チャンシルさんは個性的な人物たちに囲まれ、心を通わせていく。紆余曲折の人生を送ってきた大家のおばあさんを手助けしたり、ちょっと心ときめいた年下のフランス語教師とは映画談義をしたり。女優の後輩には不思議と慕われ、レスリー・チャンの亡霊には励ましの言葉をかけられる。そうした人物を名優ユン・ヨジョン、演技派のぺ・ユラム、キム・ヨンミンといった俳優たちが確りと演じている点も必見。

 人は、自分の周りに「福」があることに気づかないでいるだけなのかもしれない。エンディングに流れる「家なし、金なし、男なし・・でもチャンシルさんは福が多いよ~」というパンソリ(韓国の民謡)調の歌。思わず口ずさんでしまい、同時にタイトルの持つ意味が心に染みてくる。人との小さな関わりを大切にしながら、誠実に一歩一歩前に進もう、この作品はそう思わせてくれる。韓国でスマッシュヒットとなったのも頷ける。(★★★☆加賀美まき) 

2020年12月20日日曜日

カムイチェプ  サケ漁と先住権

サケ漁をめぐるアイヌ先住民と和人の攻防


2020年/日本
監督:藤野知明
上映時間:93分


●レビュー


監督の母校・北海道大学の研究者たちに盗まれた先祖の遺骨を、アイヌの人々が取り戻そうとする姿を追った昨年の『とりもどす-囚われのアイヌ遺骨-』('19)に続き、東京ドキュメンタリー映画祭2020で都内初上映された作品だ。


 北海道の紋別や旭川などでは、毎年9月に川を登ってくるサケを迎え、自然に感謝し、豊漁を祈るアイヌの伝統儀式カムイチェプノミ(神の魚=サケを迎える祈り)が行われる。本作では、儀式に供えるサケを川で獲る際、その許可を取るようにいう警察や道庁の職員と、それを拒む紋別アイヌ協会の会長・畠山さんとのやり取りが見ものとなっている。

 国や北海道と交渉してきた畠山さんたちが求めているのは、アメリカやカナダなどの先住民が既に取り戻し、認めさせてきた先住権と、その行使としての自由な鮭漁。話し合いが進展しないことから、畠山さんは許可申請せずに鮭を獲ると、「密漁」扱いで報道される。


 取り締まる警察や、許可を取って下さいと何度となく頼みに来る道庁の職員も所謂悪人には決して見えない。いや、むしろきっと責任感の強い「いい人」たちが自分の仕事を真面目に全うしようとしているだけなのだが、話は当然の如く折り合わない。このSNS時代、カメラ前での行動がどんな印象を与え、影響を及ぼすかを流石に理解した人々の立ち振る舞いに見入ってしまう。お願いに来た担当者たちがどんなに腰が低く、人が良さそうでも、上と話が付かないことには問題の解決はない。とても差別的で残酷な行為を戦時中黙々と執行していたのは、家族思いの生真面目な役人だったという報告が頭をよぎる。


 言い争う警官の言いぶんに思わず笑ってしまったり、道庁職員の帰り際にねぎらいの言葉をかけてしまう畠山さんの人の良さが滲み出る。既成概念や先入観のほころびを見るのが、映画を見る醍醐味であり楽しみだが、シビアなやり取りの合間にも垣間見られるアイヌの人々の大らかさが前作同様、そのまま本作の豊かな魅力や面白さになっている。

 年に一度の儀式に供えるサケの十数匹くらい、当局も多めにみろよと、この映画を観た誰しもが恐らく思うだろう。ただ、当局=和人が恐れるのは、土地の所有も含めた先住権を求める声の高まりや広がりなのだろう。


 アメリカのおもにアングロサクソンや中国の漢人の覇権主義的で高圧的な拡張政策にウンザリ憤る際、我が日本の和人がアイヌの人々にこれまでしてきたことや今現在していることを自覚しておきたい。

 アイヌ同士の根深い部族抗争もかつてあったと聞けば、人の本能や宿命、限界を感じてしまう。ただ、先住民との問題に関しては、模範にできる先例が、問題だらけのアメリカや海外にはいくつもある。ハンセン病隔離政策の廃止が世界から3040年遅れた我が日本にも、止めどないウイルスの蔓延を食い止める方法を模索するように、できること、すべきことがないわけはない。


                               (★★★★今野雅夫


●関連情報


2020年12/5(土)~12/11(金)に開催された東京ドキュメンタリー映画祭2020は、3年目を迎え、150 本以上の応募作から選りすぐられた40作品と、特集「映像の民族誌」9作品に加え、香港情勢を伝える2作品も特別上映された。上映作品のテーマは、戦争、民主主義、原発事故、障害、 家族、自然、人権など多岐に渡る。 
 今回、その中の特集「映像の民族誌」の中から2プログラムを観る機会があった。一つは
今回取り上げた『カムイチェプ サケ漁と先住権』(藤野知明監督)もう一つは「ゾミアの秘祭」プログラム。『ナガのドラム』井口寛監督)はミャンマーの山奥で巨木を繰り抜いて巨大な太鼓を作り、その完成を祝うナガ族の祭の記録だ。『アルナチャール人類博覧会』(本映画祭のプログラム・ディレクターでもある金子遊監督は、インド北東部のゾミア(山岳地帯)に暮らす多くの少数民族をインド政府が集めて開催したフェスティバルで、少数民族が観光に利用される様を映した作品。いずれも興味深く拝見した。
 


●関連作品

『アイヌモシリ』


2020年12月10日木曜日

ハッピー・オールド・イヤー

オフィス改装のため断捨離に挑むデザイナーは数々の思い出に悩まされる

『バッド・ジーニアス』主演女優が見せる涙の意味とは






Happy Old Year 


2019年/タイ

監督:ナワポン・タムロンラタナリット

出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン(『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』)、サニー・スワンメーターノン(『フリーランス』)

配給:ザジ・フィルムズ、マグザム

上映時間:113

公開:1211日(金)よりシネマカリテ、ヒューマントラスト渋谷ほか全国順次ロードショー



●ストーリー


スウェーデンの留学から戻ったジーンは、デザイナーとして本格的に活動するため、自宅の1階部分を事務所にしようとリフォームを思い立つ。その家は父親がかつて音楽教室を開いていた小さなビルで、母と自作の服を売る兄が同居しているが、モノが溢れかえっていた。断舎離を開始するも、母親と衝突したり、親友からもらったCDを捨てたことを咎められたり、元カレのカメラを返すうちに、複雑な思いにかられ心は疲弊していく。時は年末。ジーンは新たな気持ちで新年を迎えることができるのだろうか?


●レヴュー


コロナ禍で在宅時間が長くなったせいもあるのだろうけど、「断舎離」という言葉を最近またよく目にするようになった。日本発の「断捨離」は世界でウケているようで、この映画でも欧米で浸透した“こんまりメソッド”らしきパロディ映像が挿まれるので苦笑してしまう。「断舎離」の過程が家族のドラマになる…というのは常套で、TV番組の格好のネタになるわけだが、この映画も例にもれない。ただ、ナワポン監督の感性にかかると、だいぶその表情は変わってくる。


ナワポン監督の作品は、そのほとんどが日本国内の映画祭などで上映されており、新作が完成するごとに注目して来た。最初に日本で紹介された2作目『マリー・イズ・ハッピー』('13)は実際に投稿された女子高生のツイッターから書き起こされたというポストモダンな作品だった。インディーズを軸足にしてるが、『フリーランス』(’15)という商業ベースの映画でも卓越した才気を見せ、本国で大成功を納めている。(フリーのグラフィックデザイナーの悲哀がコミカルに描かれる。主演は本作で元カレ・エームを演じたサニー・スワンメーターノン)


とりわけ僕が感銘を受けたのが、長編デビュー作にあたる『36のシーン』(’12)という作品だ。写真の36枚撮りフィルムの特性(1枚1枚が時間や場所を異にしたり、成功した写真もあれば、失敗した写真があったり、現像しないまま月日が経っていたり)をヒントに、映画関係者の男女の記憶の断片を1シーン1カットに置き換えた実験的作品だった。時の移ろいや相手を想うことが見事に表現されていた。

本作の中でも、主人公のジーンが断舎離の中で見つけた元カレのコンパクトカメラと数本のフィルムを、本人に返す筋書きがあり、連動感を感じた。このジーンの行動は、元カレと彼が現在つきあっている彼女の間に波紋を起こすことになる。


さて、この映画の設定でとても気になるところがある。それはジーンの父親についての描写だ。ジーンの父親は音楽教室を開いていたが、家族を捨てて出ていってしまった。父が残していったアンティークなピアノをジーンは処分しようとするが、いつか夫が戻って来ると信じている母親は猛反対する。ジーンは父親にコンタクトをとり、ピアノの件を問うが、それは父が二度と戻ってこないことを確認するような作業だった。


僕にはこの父親像が二人の人物とだぶって見える。一人は2016年に亡くなった国父として篤く慕われたラーマ9世、すなわちプミポン前国王だ。プミポン国王は音楽に精通していて作曲までこなす人物として知られている。度重なるクーデター、国民の分断を仲裁してきたバランサーとしての役目もあった。彼の不在が語られ、時が元に戻らない事を強調しているかのように見える。もう一人は、おそらく監督と同じ客家華人系であるタクシン元首相。彼が行った政治の評価は支持層によって分かれると思うが、政変によって未だに亡命生活を送っている。

新しい事務所を作るため家を「リフォームする」ことはおそらく、民主憲法を反故にし軍事政権下にあるタイ政治を変革したいという願いと同義だろう。その政治的「断舎離」は痛みを伴い、人々の対立を生むに違いない。ラストの長まわしによるジーンの涙はそんなタイの行く末を悲観しているように見える。


(★★★☆カネコマサアキ)




関連情報


15回大阪アジアン映画祭・グランプリ受賞


 

2020年11月17日火曜日

ホモ・サピエンスの涙

 33のエピソードで紡がれる、この時代に生きる人々への映像詩



About Endlessness

2019年/スウェーデン、ドイツ、ノルウェー、、
監督・脚本:ロイ・アンダーソン
出演:マッティン・サーネル、イェッシカ・ロウトハンデル、タティアーナ・デローナイ
配給:ビターズ・エンド
上映時間:76分
公開:2020年11月20日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
HP:http://www.bitters.co.jp/homosapi/

●ストーリー
 高台にあるベンチに座る男と女。鳥の群が飛んでいる。「もう9月ね」永遠に続きそうな、穏やかな時間が流れる・・。
 美味しい夕食で妻を驚かそうとしていた男。数年ぶりに再会した友人に声をかけるが無視される。彼の横をその友人が再び通り過ぎるがやはり無視されてしまう。
 ぼんやり別のことを考えていたウエイター。唯一の客にワインを注ぐが、溢れてどんどんテーブルに広がっていく。助けを呼ぼうにも店内には誰もいない。
 さまざな人たちの33のエピソードが紡がれていく。

●レヴュー 
 淡々としたナレーションに導かれて、小さな33のエピソードが続いていく。色彩を抑えたブルーグレートーンの画面。登場する人々の動きはおしなべて緩やか。表情の変化も言葉も少なめで、時折静止画を見ているのかと錯覚してしまう。そこに散りばめられているのは、時代も世代も異なるが、どこか(文章や映像の中かもしれないが)で見聞きしたような市井の人々の人間模様。そんな彼らの姿に次第に惹きつけられていく。短いエピソードの断片は、最初は詩的なものにも感じられるのだが、実は自分の近くで起きていたかもしれない、不器用な人間たちのありのままの姿だと気付かされる。映像の魔術師と言われるロイ・アンダーソン監督は、そんな人間たちの愛すべき姿をユーモアとシニカルな独特の視線で描き出している。
 ひとつひとつのエピソードに、押し並べて関連性はないようなのだが、凡庸な人々の姿の合間に、20世紀を訓誡するような戦争の敗北者を登場させる。その中に、シャガールの絵に着想したという、空爆で破壊された都市の上空を飛ぶカップルのエピソードが印象的に織り込まれている。そのバランスが絶妙で意味深く、切れ切れにも思えるエピソードを見事に一つの作品にまとめ上げていると思う。

 もうひとつの見どころは、アンダーソン監督の構図・色彩・美術など細部に至るまで徹底的なこだわり。ほぼ全て、監督自身の巨大なスタジオにセットを組み、ワンシーンワンカットで撮影されている。前出の空爆された都市は、1/200の縮尺でケルンの街並みの模型を建てたという。そのディテールの再現、画面全体のグレーのグラデーションが秀逸。多くの絵画からインスピレーションを得ている監督だが、特に美的にも印象的なシーンになっている。
  
 そして、この作品を見ながら、不思議な感情が沸き起こった。薄雲に覆われたような世界、人の少ない空間、言葉少なに距離を取る人々の姿。監督はこの作品のテーマは人間の脆さだと語っているが、まるで新型コロナウイルス感染症によって様変わりした今の社会を予言していたかのようだ。人類が繰り返し経験してきた敗北、人間が誰しも抱える孤独、憂いや悲しみ。今まさにその渦中にあって、私たちはもがいていると思う。この作品の小さなエピソードから何を感じるかは観客に委ねられていると思うのだが、意味深長な逸話が多い中、3人の若い女性たちが、流れてきた軽快な音楽に合わせて道で楽しく踊リ出すシーンが、不思議と心に残る。人間の小さな希望や喜びがまた新しい世界へと繋がっていくのだと思わせてくれるからかもしれない。人生悲喜こもごも。悪いこともあるが、そればかりではない、原題の『無限』にその思いが込められていると思う。
(★★★☆加賀美まき)

76回ベネチア国際映画祭 銀獅子賞(最優秀監督賞)受賞。

2020年11月16日月曜日

セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選

 

 

そのほとんどの作品が主要国際映画祭に出品されているという、ドキュメンタリー作家セルゲイ・ロズニツァ。

今回《群衆》をテーマにした3作品の連続上映が行われるが、日本では今回の特集上映が初上映になるという。スターリンの国葬の記録映像を再編集した『国葬』、政府の自作自演だった裁判を描く『粛清裁判』、ダークツーリズムを考えさる『アウステルリッツ』の3本だ。

 

監督:セルゲイ・ロズニツァ

配給:サニー・フィルム

公開日:202011141211日シアター・イメージフォーラム

公式HPwww.sunny-film.com/sergeiloznitsa

 

 


 

 

国葬 State Funeral

 

2019年/オランダ、リトアニア

 

195335日、ソ連の指導者スターリンの死がソビエト全土に報じられた。世界最大級の国葬のため、彼の死を嘆く人々や世界各地から要人たちが集まってくる。首脳陣たちのスピーチが壇上で始まるが、その後まもなく粛清されてしまう顔も見える。

 

スターリンの国葬の模様を収めたフィルムがリトアニアで発見され、そのアーカイブ映像を編集した作品。驚くのが、デジタル修復されたその映像のクリアさ。スターリンの遺体を一目見ようと多くの群衆がモスクワに集まってくる。盛大な葬儀を世界に発信しようとする政府。人々はスターリンを畏れる一方で敬い、彼が死んだ後はどうして生きていけばいいかわからないと口にするものも少なくなかった。

最後にレーニン廟に埋葬されるスターリンだが、のちにそれが撤去される。権力は時代の前に風化し、群衆の関心はすぐに移り変わるのだ。★★★☆前原利行)

 

 

粛清裁判 The Trial

 

2019年/オランダ、ロシア

 

1930年のモスクワで、8人の有識者の裁判が行われていた。彼らは「産業党」というグループで、共産主義政権への破壊活動を行っていたという容疑だ。その裁判と並行して、街頭で「裏切り者に死を」というスローガンを抱えた群衆が練り歩く。しかしこの裁判はそもそも、“やらせ”だった。

 

本作が進むにつれ、観客は次第に違和感を抱いていく。8人は有罪になれば死刑になるのに、みな積極的に過ちを認め、深い反省の念を述べ、計画が失敗に終わったことを声高に言う。最後になり、ようやく私たちはこの裁判自体がやらせだったことをテロップで知る。今でもたいていの国で、政府は失敗すると国民の不満を逸らすために茶番をでっち上げる。権力を持っているものは、失敗を認めない。そして群衆はそれを信じる。人は自分が思っているよりも、騙されやすい。★★★前原利行)

 

 

 

アウステルリッツ Austerlitz

 

2019年/ドイツ

 

ベルリン郊外のザクセンハウゼン強制収容所跡。夏の晴れた日に多くの観光客がやってくる。かつてここには政治犯のほかユダヤ人やロマの人々が収容されていた。しかし今では単なる観光地と化している。

 

一つのシーンが固定で5分近くあるが、その間私たちは画面をずっと見つめるしかない。一体これは何なのだろうかと観客は自問していく。実はただベタで撮っているようでも、編集によりシーンは巧みに選ばれている。そしてロズニツァ作品共通のサウンド編集がある。意図的に音はクローズアップされている。

 

映画のタイトル「アウステルリッツ」は、本作はドイツの文学者WG・ゼーバルトの代表作「アウステルリッツ」にインスパイアされ、製作されたため。語り手である“私”が、ドイツ帝国時代の建物を巡るアウステルリッツから暴力や権力の歴史を聞く。

建物やその場所には、暴力や権力を刻んだものもある。それを再確認しに行くのがダークツーリズムだが、本作は、すっかり形骸化して単なる観光地になっている事実を映し出す。★★★前原利行)

 

2020年10月28日水曜日

私たちの青春、台湾

台湾の社会運動に突き進んだふたりの若者、彼らをカメラに収めたドキュメンタリー映画監督 それぞれの未来への記録


我們的青春、在台湾
Our Youth In Taiwan

2017年/台湾
監督:傳楡(フー・ユー)
出演:陳為廷(チェン・ウェイティン)、蔡博芸(ツァイ・ボーイー)
提供・配給・宣伝:太秦
上映時間:116分
公開:2020年10月31日(土) ポレポロ東中野他全国順次公開
HP:http://ouryouthintw.com

●ストーリー 
 2011年、傳楡(フー・ユー)監督は、魅力的な大学生に出会う。台湾学生運動のリーダーである陳為廷(チェン・ウェイティン)と台湾の社会運動に参加する中国人留学生の蔡博芸(ツァイ・ボーイー)。二人に興味を持った監督はカメラを回し、彼らの活動を記録する。
 2014年、為廷は林飛帆(リン・フェイファン)と共に立法院に突入し、「ひまわり運動」のリーダーになった。一方、中国からの留学生で人気ブロガーの蔡博芸(ツァイ・ボーイー)は、台湾における“民主”のあり方をブログで発信し、書籍化されて大反響を呼ぶ。傳楡監督は、彼らが最前線に突き進む姿を見ながら、「社会運動が世界を変えるかもしれない」という期待感を高めていった。しかし彼らの運命はひまわり運動後、思わぬ方向へと向かっていく。

●レヴュー 
 2014年に台湾で起きた「ひまわり運動」は、親中派の国民党政権がサービス貿易協定を強行採決したことに抗議する学生と社会運動家たちが立法院(国会)に突入し、3週間余りにわたって占拠するというものだった。その先頭に立ち、「ひまわり運動」の学生リーダーとなったのが陳為廷(チェン・ウェイティン)。もう一人、中国人留学生の蔡博芸(ツァイ・ボーイー)は、台湾の「民主」について果敢に発信して人気ブロガーとなり、ブログは書籍化され注目を浴びていた。この二人の大学生を追ったドキュメンタリーは、「ひまわり運動」が、台湾民主化へ向かう若者たちの奔流であったことをしっかりと記録している。「ひまわり運動」は一定の成果を残し、同年11月の統一地方選挙での国民党大敗を導き、台湾政治がよりリベラルな方向へと変革していく転換点となった。

 カメラは、学生たちのありのままの姿を捉え、当時の盛り上がりを映し出す。陳為廷、蔡博芸ふたりの姿は英気に満ちていて、恐れなど少しも感じさせず、台湾の洋々とした未来への期待感があった。ところが後半、事態は思いもよらない方向へと展開する。為廷は、地方の選挙戦に出馬するも性癖のスキャンダルが露見。博芸は学生会長選挙に臨むが、中国人留学生という立場が、反中リベラル層の非難の的となってしまう。映像は、のちに香港で雨傘運動を率いる黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、周庭(アグネス・チョウ)との交流も映し出すが、台湾・香港・中国が抱える問題の大きさを私たちに突きつける。あらわになる、若さゆえのもろさや危うさ。ふたりの活動は次第に失速していく。

 傳楡(フー・ユー)監督の目線は、ふたりを通じて「台湾」の未来を期待していた。だからこそ、その後の展開に監督自身が失意の底に突き落とされて涙を流すシーンが印象に残る。この作品が、監督自身の成長の記録であったことに大きな意味があるのだろう。本作は2018年・第55回金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。傳楡監督が、「いつか台湾が“真の独立した存在”として認められることが、台湾人として最大の願いだ」とスピーチしたことは大きな話題となった。
 
 私たち日本人には、「ひまわり運動」が突然起こった出来事のように思え、報道された一部分しか知り得なかった。たが、民主化運動はそれまでも台湾の底流に存在していたし、この作品を通して、台湾の歩みを知ることができたと思う。近年、日本では台湾ブームが起こり、コロナ禍においては台湾の政策が注目を集めている。「台湾」の心地よさにともすれば見過ごしてしまいそうになるのだが、彼らのアイデンティティ、歴史や社会についてしっかりと知っておきたいと思う。(★★★★加賀美まき)


THE CAVE(ザ・ケイブ) サッカー少年救出までの18日間


2018年にタイ北部で起きたタムルアン洞窟遭難事件の実話を基にタイで映画化

 

 
The Cave
2019年/タイ、アイルランド
監督:トム・ウォーラー
出演:ジム・ウォーニー、エクワット・ニラトウォラパンヤー、ジュンパ・サエンロム
配給:コムストック・グループ+WOWOW
上映時間:104分
公開:2020年11月13日より新宿ピカデリーほか

●ストーリー
2018年6月23日、タイ北部のチェンライ県メーサイの町はずれにあるタムルアン洞窟に、練習を終えたサッカーチームの少年たち12人がチームメイトの誕生日を祝うためコーチと共に入る。しかしその間に豪雨になり、洞窟は入り口から冠水。少年たちは水から逃れるために洞窟の奥へと逃れる。
少年たちが帰らないことで捜索が始まるが、洞窟内の水位が上昇し中に入ることができない。タイ軍の他にもアメリカ軍や世界各地から国際的なダイバーたちが集まり捜索にあたる。遭難から9日後、ようやく英国人タイバーが入り口から4km地点で取り残されている彼らを見つけた。しかし救出には困難が伴っていた。

●レヴュー
日本からも取材班が飛び、世界が注目したタイ北部の洞窟に閉じ込められたサッカー少年たちの救出。遭難から9日後、全員無事が確認されたが、問題は彼らをどうやって救出するかだった。死者が出てしまっては、非難は免れない。さらに雨季が続けば状況はさらに悪化しかねないし、少年たちの体調も心配だ。そしていつかは酸素もなくなる。

本作はその救出劇を映画化したものだが、何人かは当事者が自分自身を演じるなど、ドラマとドキュメンタリーの中間、いわば“再現ドラマ”に近い内容になっている。実際の救出作戦は、地上からの重機の掘削やポンプによる排出などいくつかの方法が同時並行で進められていたが、時間的にダイバーたちによる救出に絞られた。実際の救出に移る前に、途中の経路の確保中にタイ軍人が死亡してしまう事故も起きてしまう。

日本でこうした事故が起きた時、果たして海外の専門家に依頼するだろうか。阪神や東北の震災の時も、申し出を断っていたというニュースを耳にした。もちろん現地入りのインフラが整っていないということもあるが、こうした事故の場合、情報をオープンにすることにより、日本にはない別の意見や方法が生まれる可能性もあるのではないかと本作を見ていて思った。

本作はドラマなので、観客が感情移入しやすいように何人かのキャラクターを立てているが、主人公的な位置にいるのが、洞窟潜水の第一人者であるジム・ウォーニーで本人が演じている。ジムはこの救出劇に参加し、多くのダイバーたちと同様、救出の一部を受け持つ。映画の中心は全体を見たわけではないジムの視点で救出が描かれるので、その手探り感や緊張が伝わるようになっている。

タイ映画ということもあり、タイ側の重要なキャラクターとして登場するのが、ターボ排水ポンプを持ってくるポンプ会社の社長だ。彼が有効な手立てを訴えているのに、お役所仕事で受け付けてももらえないところは、日本でもありそうな話だ。また、排水により田が冠水してしまう地元の稲作農家の女性も登場させ、地元の協力なしには、作戦が成功しなかったことも語ることを忘れてはいない。あとわれわれ外国人からすると、まず偉いお坊さんが登場して祈りを捧げるところがタイらしい。

本作の問題は、いくつかキャラを立てているが、誰もが感情移入して物語に没入するほどではないこと。俯瞰と没入があるとしたら、本作はそれが中途半端になのだ。また救出される側の描写も、入れ込んだほうが良かったのではないか。遭難した側の心理にほとんどふれないので、心細さやハラハラ感がないのだ。たとえば最初のダイバーが発見するくだりはもっと感動的に描けたはずだし、睡眠薬の注射を見て少年たちが躊躇するとかのシーンもなかった。

なので全体的に再現ドラマの域を超えられず、映画的興奮に乏しくなってしまった。とはいえ救出作戦の様子を当事者本人が演じる試みは、リアリティがあり、悪くない面もある。★★★前原利行)


 

2020年10月17日土曜日

アイヌモシリ



阿寒湖のアイヌコタンで暮らす中学生カントは、自身のアイデンティティに揺れている。
アイヌ民族の現状を繊細に切り取った秀作



AINU MOSIR

2019年/日本・アメリカ・中国

監督:福永壮志

出演:下倉幹太 秋辺デボ 下倉絵美 三浦 透子 リリー・フランキー OKI

配給:太秦

上映時間:84

公開:1017日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開



●ストーリー


北海道阿寒湖畔でアイヌ民芸品店を営む母と暮らす14歳の少年カント。1年前に父を亡くして以来、アイヌ文化と距離を置くようになっていた。バンドに夢中で、中学卒業後は高校進学のため故郷を離れることを決めていた。そんな中、カントの父の友人デボは、自然の中で育まれたアイヌの精神や文化についてカントに伝えようとする。ある日、子熊を一緒に飼育しようと提案するのだったが…。



レヴュー


「アイヌ・ルネッサンス」、というのはちょっと大げさかもしれないが、例のマンガの大ヒットのせいか、若い世代のアイヌへの関心は非常に高まっているように見える。(僕もあのマンガにハマっているクチだ)また、色々と問題を孕んでるようではあるが、国家レベルでは「ウポポイ(民族共生象徴空間)」がアイヌ文化を復興するための施設として、今年の夏開館した。

 外からの関心は高まっているが、現在のアイヌのコミュニティの内側はどうなっているのか。彼らの現状が精緻な筆致で描かれているのが本作『アイヌモシ』だ。


中学生のカントは、一年前に父を亡くし、心を閉ざしている。アイヌのコミュニティからは距離を置き、バンド活動に没頭してはいるが、高校進学を機に村を離れたいと思っている。そんな様子を心配してか、父の友人だったデボは、あの世に通じるという山の洞窟へ誘ったり、子熊を一緒に育てようと提案する。かわいい子熊に惹かれるカントだったが、その子熊はアイヌの重要な儀式「イオマンテ」の復活に捧げられることが大人たちの会合で決定されてしまう。現代の社会通念ではとうてい理解されない「イオマンテ」に対し、カントの心は大きく揺れる。


主演のカントを演じる下倉幹太は実際にアイヌの血を受け継ぐ少年で、その力強くも澄んだ眼差しに引き込まれる。俳優として素晴らしい逸材だと思う。その母親に実母の下倉絵美。阿寒湖周辺でマルチな活動をするという秋辺デボも芸達者な俳優のように写るがプロというわけではない。脇を固める配役陣(トンコリ奏者で、OKI DUB AINU BANDの活動で知られるミュージシャンOKIの参加も個人的にはうれしい)、コミュニティーの会話も、もはやドキュメンタリーの領域である。彼らはアイヌが抱える葛藤をストレートに吐露する。

 その映画製作の方法論にも感心せざるを得ない。阿寒の人々と会話を重ね脚本を作り上げていったという監督は、この欄でも取り上げた『リベリアの白い血』(’17)の福永壮志監督だ。国際的に活躍するその幅の広さに驚くが、実は北海道出身で、自らのルーツを考えたときに、身近な存在だったアイヌと向き合わざるを得なかったという。


話は変わるが、『浮雲』で知られる名匠・成瀬巳喜男の作品に『コタンの口笛』(1959)という作品がある。1950年代当時のアイヌ集落と和人(日本)社会の軋轢が伺い知れる作品だ。差別や貧困など、当時の問題意識は現代とは随分違っているように感じる。森雅之演じる飲んだくれの父親イヨンとその子供たちの母子家庭が描かれるが、久保賢(山内賢の子役名)演じる中学生のユタカが、本作の主人公カントと重なって見えた。

アイヌ文化の存続は依然として危機的状況であるかもしれないが、ある種、形を変えながらも続いていくのだろう。カントのまっすぐな眼差しにアイヌの未来が見えた気がする。

(★★★★カネコマサアキ)



関連情報


19回トライベッカ映画祭・国際コンペティション部門、審査員特別賞受賞


作品の背景


北海道や樺太、千島列島には、文字は持たないが、口承文化や儀式、舞踊、自然世界と共生する技術や生活文化様式を持っていたアイヌや北方少数民族の人々が暮らしていた。明治32年に施行された「北海道旧土人保護法」はアイヌ民族を土人として認識し、同化政策を進めた。その法律は戦後、幾度となく改正されたが、土地の規制については1997年まで存続していた。タイトルの『アイヌモシ』とはアイヌ語で「人間の静かなる大地」という意味で、北海道を指す。