2019年5月28日火曜日

パドマーワト 女神の誕生


インド史上の美女をめぐる、闘いを描く歴史大作

2018年/インド
監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー(『ミモラ 心のままに』)
出演:ディーピカー・パードゥコーン(『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』)、ランヴィール・シン、シャーヒド・カプール
配給:SPACEBOX
公開:6月7日より新宿ピカデリー、ユナイテッドシネマほか全国で公開
公式HP:http://padmaavat.jp/


●ストーリー
13世紀末、ラージャスターンのラージプト族のひとつメーワールの王ラタン・シンは、シンガール王国(スリランカ)を訪れる。
その時、シンは王女パドマーワティと恋に落ち、彼女を妃に迎えることに。
その頃、北方のデリーでは、アフガニスタンからやってきたハルジー朝がデリーを都として力を伸ばしていた。
その中で若きアラーウッディーンは頭角を現していき、スルタン(皇帝)である叔父を殺し、ハルジー朝のスルタンの位を簒奪する。
モンゴル軍の侵入を防ぎ、「第二のアレクサンドロス」と呼ばれたアラーウッディーンに敵はいなかった。
そんな時、アラーウッディーンは絶世の美女パドマーワティの噂を聞き、軍をメーワールの都に向ける。

●レビュー
何年か前、ラージャスターンのチットールガル城塞へ行った。
行った人はわかると思うが、ここは平地にそびえる高さ150m、東西800m、南北2.5kmという軍艦のような形をした丘だ。
その周りを城壁が取り囲み、戦時には人々がこの中に避難して戦うという城市だった。
今では中は遺跡になっているが(世界遺産)、その中に「パドミニ・パレス」という建物がある。これは王妃パドミニ(パドマーワティ)のために建てられた宮殿で、その隣の貯水池の中に小さなキオスクがあった。
解説によると、そこはアラーウッディーンがパドマーワティを見初めた場所と書いてあった。
その時は、本作で描かれたパドマーワティの伝説は知らなかったので、今回は映画を見て「ああ、あの場所か」と感慨深いものがあった。

パドマーワティは、インドでは知らない者がいないという絶世の美女だ。
何しろ彼女を手に入れるために、時のスルタンが大軍を送ったほどなのだから。
とはいえ、それは歴史上の事実ではなく文学による創作だ。
1540年にイスラームの詩人が著した叙事詩「パドマーワト」で、1303年に起きたハルジー朝のメーワール王国への侵攻をロマンチックに脚色したものだが、それが人気を呼び人々の間で歌い継がれ、現代ではドラマや映画として上演されて、インドでは知らぬもののない状態になったのだ。

本作はその叙事詩をもとに、自由に脚色した歴史大作だ。
33億円というインド映画では最大級の制作費を使ったが、『バーフバリ』のような派手な戦闘スペクタクルシーンは意外に少ない。
それではその制作費はどこに消えたかというと、CG処理ではなく(もあるが)、豪華な宮殿のセットや主人公であるパドマーワティの衣装代だという。
実際、そちらを見せるシーンにはかなり力をかけていることは確かだ。
一着何百万もする衣装が、映画のために作られたという。

本作はインド映画の王道とも言える演出で、特に目新しいところはない。
美男美女が出会って恋に落ち、結ばれるが強敵が登場する。
キャラクターもぶれずに、映画内での成長も特にない。
いい人は最後までいい人、悪い奴は反省もしない。
歌や踊りもあり、安心して見られる。
『バーフバリ』みたいに、笑っちゃうほど破天荒でもでもない。
オーソドックスに堅実に作っているのだ。

映画ではハルジー朝の軍は二度にわたってチットール城を包囲する。
ただしその攻防戦が、力の戦いだけではなく、バカしあいで相手の心理を見抜いて逆手に取るのは面白かった。
メーワール国王は善人なのだが、その分、映画的には掘り下げにくく、また攻めてこられる側なので、ドラマはほとんどが悪役であるアラーウッディーンを中心に展開する。
なのでアラーウッディーン、出番は多いのだが、もう少し人物像を彫り込んで見たら(小さい頃にトラウマがあったとか、冷酷だが動物は異常に愛するとか)と思う。
まあ、インド映画でそれをやったら、観客が混乱してしまうかもしれないけど。

二人の男の闘いも見せ場としてあるが、やはりパドマーワティを演じるディーピカー・パードゥコーンの美しさが本作の最大の見どころだろう。
とにかく彼女が美しく見えるようにというのが、本作のキモなのだ。
ということで、ラージャスターンの宮殿と豪華な衣装、それにアクションを足して楽しめる2時間半。この映画はしばしあなたをインドに連れて行ってくれるはずだ。
★★★

2019年5月18日土曜日

マルリナの明日



たった1人で強盗団に立ち向かうマルリナ。
これが噂のナシゴレン・ウェスタンだ!

2017年/インドネシア・フランス・マレーシア・タイ合作/インドネシア語
監督:モーリー・スリヤ
出演:マーシャ・ティモシー(『カリファーの決断』『ザ・レイドGOKUDO』)、エギ・フェドリー、ヨガ・プラタマ
配給:パンドラ
公開:5月18日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー
https://marlina-film.com/

■ストーリー

夫と子供を亡くし、荒野の一軒家で静かに暮らすマルリナ。そこへ、7人の強盗団が彼女を襲う。暴行を受けながらも次々と強盗団を倒し、首領マルクスの首を刎ねて脱出する。自らの正当防衛を証明するため、遠く離れた警察へ向かうが、強盗団の残党たちが彼女の行方を追う。

■レビュー

舞台はヌサ・トゥンガラ諸島にあるスンバ島。
荒涼とした乾いた土地は、そこがインドネシアであることを忘れてしまいそうだ。以前は森林で覆われてたそうだが、過度の放牧や野焼きで荒廃してしまったのが原因らしい。インドネシアでも最も貧しい地域であり、「現代社会では起こりえない事が、今でも起こっている場所」(監督の弁)なのだそうだ。未開拓地域・無法者の闊歩する世界を描いた西部劇の移築先としては最適な場所なわけだ。

西部劇風といっても不思議なテイストに満ちている。テーマもいわゆる復讐劇や英雄譚とはちょっと違う。「何じゃこりゃあ!」と松田優作みたいに驚いてほしいので詳細は伏せるが、スンバ島の風習や精霊信仰が色濃く作風に現れている。(その風習はスラウェシ島にも存在する)個人的には『ガルシアの首』('74)『メルキアデス・エストラーダ三度目の埋葬』('05)あたりを彷彿とさせるが、モーリー・スリヤ監督にとってはジャームッシュの『デッドマン』('95)が制作のガイドになっているようだ。
ちなみに「ナシゴレン・ウェスタン」と宣伝文句が踊っているが、ナシゴレンは出てこない。劇中に出てくる象徴的な食べ物はスプ・アヤム(鶏のスープ。ソト・アヤムとも言う)である。インドネシアのおふくろの味であり、傷ついた女性を癒すにはぴったりの優しい味の料理だ。もう少しネタばらしをするなら、この映画は西部劇の男臭さとは相反して、虐げられた女たちの物語なのである。

映画の企画は、2014年シトラアワード(インドネシア版アカデミー賞)で審査員を務めていた縁で、ガリン・ヌグロホ監督から原作「The Woman」を手渡されたことに始まる。ヌグロホ監督がスンバ島での経験を元に書いた脚本は、女性監督によって制作されるべきだと考えたようだ。そうして完成された作品は、カンヌでお披露目、フィルメックスで最優秀作品賞、2018年の同シトラアワードで10部門受賞する快挙となった。

先輩風を吹かせるわけではないが、僕は2013年の旅シネベストテンでモーリー・スリヤ監督の『愛を語るときに、語らないこと』('13 )を2位に挙げている。盲学校を舞台に、赤裸々な恋愛から国家表象まで描かれ、凄い才能の映画作家が出て来たものだと興奮した。彼女のオリジナル脚本で、本来の持ち味が色濃く出ている作品だ。こちらの作品も素晴らしいので、是非上映機会が増えることを願っている。(『マルリナの明日』も『殺人者マルリナ』のタイトルで2017年度のベストテン6位に挙げている)

(カネコマサアキ★★★☆)