2019年4月5日金曜日

ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ

究極の美と権力に秘められた名画ミステリー。


HITLER VERSUS PICASSO AND THE OTHERS

2018年/イタリア、フランス、ドイツ

監督:クラウディオ・ポリ
原案:ディディ・ジョッキ
出演:トニ・セルヴィッロ
配給:クロック・ワークス、アルバトロス・フィルム
上映時間:97分
公開:2019年4月19日(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国公開

●レビュー  

 1933年から45年にかけて、ナチス・ドイツがヨーロッパ各地で略奪した芸術品の総数は約60万点にのぼり、戦後70年以上経った今でも10万点が行方不明だと言われている。なぜ、ナチス・ドイツ、ヒトラーは美術品略奪に執着したのか。本ドキュメンタリーは、イタリアの名優トニ・セルヴィッロが案内人となり、現代にまで尾を引く美術史の負の歴史を紐解いていく。

 ナチス・ドイツは二つの方法で芸術を掌握しようとしていた。ひとつは、印象派や前衛的なアートに「廃退芸術」という烙印を押して一掃するというもの。もうひとつは美術館やユダヤ人富裕層からの美術品没収だった。まず、二つの大きな展覧会が紹介される。ヒトラーが正統芸術とする品を集めた「大ドイツ芸術展」と、彼らの美の概念にそぐわない理由で没収された美術品を展示した「敗退芸術展」だ。芸術作品は作者の手を離れると特別な「価値」を持つものとなって利用されることがあるが、これは芸術がプロパガンダとして利用された最たる例だろう。芸術が備え持つ力を窺い知ることができる。

 美術品はその価値を増すにつれ、富の絶大なる象徴となっていく。プロパガンダを推進しながら、ヒトラーは自らの美術館を作るために、腹心のゲーリングはヒトラーを欺くまでの執着心で、美術品収集にのめり込む。芸術品を手にすることは上流会階級への仲間入りを意味していたからで、ここでも芸術が持つ特別な側面を見てとれる。そして、美術品の対価でビザを得たユダヤ人は海外に逃れ、持たざる者は収容所へ送られという事実は、美術品がたとえ作者の質実さから生まれるものであっても、その「価値」が人を動かす道具となることを顕著に表している。
 
 第二次世界大戦が終わると、隠されていた美術品が見つかるが、多数の美術品は今だに所在が不明だという。戦後60年以上たって、ヒトラー専任の画商が隠匿していた絵画が多数見つかるという事件が起きている。美術館に収められ返還が難しいもの多く、返還に至る手続きは複雑で、個人の訴訟はなかなか進まないのが現状だという。これもまた市場で取引される美術品がもつ特殊な一面を示している。

 美術品を前にすると人は不思議と気持ちの高揚を感じる。市井の鑑賞者はそうした気持ちに沿って芸術に親しめばいいのだが、様々な「価値」を持つ美術品には、表に見えてこない世界があるようだ。本作によるナチス・ドイツの時代に起こった負の美術史の検証は、多くの人間が芸術に眩み、翻弄された事実と芸術の持つ多様な側面を私たちに教えてくれる。最終盤に登場するピカソの言葉が全てを語っている。

 各方面からの興味深いアプローチで構成され、多くのインタビューを挟みながら検証が進むので、情報量がかなり多くなっている。把捉しながら見るのは少し大変かもしれない。★★★☆)加賀美まき


2019年4月4日木曜日

ROMA/ローマ

本年度暫定マイベストワン! 内容、風格とも素晴らしい 


 
2018年/メキシコ、アメリカ
監督:アルフォンソ・キュアロン(『ゼロ・グラビティ』)
出演:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タピラ
配給:Netflix
公開:公開中
劇場情報:アップリンク渋谷、シネスイッチ銀座ほか


今年のアカデミー賞作品賞最有力と言われながら、劇場での限定公開、
そしてメインが動画配信サイトのNetflixでの公開のためで惜しくも3部門の受賞にとどまり、
選考基準にも一石を投じた作品。
ただし、映画自体は文句なくすばらしく、また作品賞を取ってもいい格調であるあることは確か。
そして動画配信作品ながら、もっとも映画館の環境で見るべき作品だ。もし、見に行くか迷っている人がいたら、公開が終わる前に必ず行くべし! 
パソコンのモニターとスピーカーで見たら、映画の良さの1/10ぐらいしか伝わらないからだ。
ベネチア映画祭では最高賞の金獅子賞、アカデミー賞では外国語映画賞、監督賞、撮影賞を受賞



舞台は1970年から71年にかけての、メキシコシティのローマ・コンデンサ地区。
若い先住民の女性クレオはそこで医者のアントニオと妻のソフィアに雇われ、
住み込みの家政婦として働いている。
家には夫婦の子供たちが4人、ソフィアの母のテレサも暮らしていた。
ケベックへ仕事で出かけたアントニオだが、そのまま家には帰ってこなかった。
その前からソフィアとの夫婦関係はギクシャクしていたのだ。
一方、クレオは友達の恋人の紹介で、フェルミンという武術を習っている青年と付き合っていたが、ある日、彼に自分が妊娠したことを告げると、彼は戻ってこなかった。
クレオの出産予定日が近づき、テレサにつれられてベビーベッドを買いにいくクレオだが、
そこで暴動に巻き込まれてしまう。。。


上映時間2時間15分、モノクロ、映画のための劇伴音楽は一切なし。そして出だしはスロースタートと、見ていて眠くなってしまう要因は多いが、最初だけ我慢して見続けて欲しい。
冒頭、床とそこに流される水が数分にわたって映し出される。耳を澄ますと流れる水の音、
犬の吠える声、遠くを飛ぶ飛行機、通りの物売りの音がリアルに聞こえてくる。
カメラがパンすると、主人公である若い家政婦のクレオが映し出され、
それから彼女の日常の1日の仕事が始まる。
この生活音の音響設定が見事で、まるで自分がそこにいるかのように、
左右、前方から聞こえてくる。
スロースタートなのは、映画の世界に没入するようにするためだろう。
基本的には1シーンのカット割りが長い。というか、ほぼ1シーン1カットだ。
家の2階をゆっくりカメラが一周し、クレオの仕事とそこで暮らす家族を映し出す(これが劇中何度か繰り返される)。観客は間取りまで、完全に頭の中に入る。
ワイドスクリーンの画面をフルに使った画面構成は見事
クレアが家を出て町の通りを歩き、映画館に着くまでを長い横移動でほぼ1カットで見せる。
クレアがベビーベッドを買いにいくくだりでは、数百人のエキストラが動き、デモから暴動、
屋内の家具店内での事件からクレアの破水までを、ほぼ1カットの流れるような移動カメラで見せる。すごい迫力だ。
このカメラワークと、自然音の演出は、クレオの出産シーンやラストの海のシーンでピークに達する
そうした映画の中でインパクトが強いシーンの合間にも、印象的なシーンが多い。
というか、ほとんどが印象的なシーンといってもいい。
フルチンで武術をクレオに見せるフェルミンの滑稽さと、その後の最低男ぶりは、
誰かに語りたくなるほど。
フェリーニ映画(とくに『アマルコルド』)のような、大変なできごとを後ろの方で起きているユーモラスな絵のアンバランスが打ち消す。
たとえば深刻な状態でベンチに座り込んでアイスを食べている一家の後ろには巨大なカニの作り物(カニ道楽のような)があり、そして後ろでは結婚で喜ぶ新婚カップルが映し出されるなど、あげていけばきりがない。
さらに、メキシコにおけるメスティソと先住民との経済格差といった問題(先住民が多い地方の町はバスを降りると未舗装でドロドロだ)などが、重層的に盛り込まれている。
ただ、そうした階層の差を超えて、いつしか家政婦のクレオと雇い主のソフィアは、
男に苦しめられている女性という点で心情が理解し合えるようになるのだ。
もちろんアメコミ映画などとは違い、受け身で楽しめる映画ではない
しかし集中して見れば、不穏な空気がだんだん高まっていき、緊張を持って見ることはできるだろう。
なので、いつでも視聴を止められる環境で見ることは、あまり勧められない(集中が中断すると良さは半減する)。
そして、素晴らしい立体的な音響効果を堪能するには、やはり音のいい劇場空間で。
いや、本当に音が360度から聞こえてきて、びっくりした。THXならもっといいんだろうな(試してないがヘッドフォンやサラウンドシステムもアリかも)。
見る人を選ぶかもしれないが、今の所、本年度暫定ベストワンの作品だ。
★★★★☆