2018年4月25日水曜日

ダンガル きっと、つよくなる

2016年

監督 ニテーシュ・シュワーリー
出演 アーミル・カーン
公開 2018年4月6日より、全国公開中

■ストーリー
 レスリングで、国のチャンピオンにまで上り詰めたマハヴィル。
引退した彼の夢は、自分の息子に金メダルを取らすことだった。
しかし生まれてきたのは女の子たちばかり。
夢を諦めかけたマハヴィルだが、ある日、娘のギータとバビータが
近所の男の子たちを喧嘩で負かしたことから、新たな希望が生まれる。
二人への特訓が始まった。
厳しい訓練に反抗する二人だが、やがて父親の深い愛情を知り、
また勝利の喜びも知り、前へ向かって進み出す。
数年後、国内の名だたる大会に出場している2人の姿があった。
やがてギータは国の代表選手に選ばれるが、
父とは次第に疎遠になっていく。。。

■レビュー

すでに観た方もいらっしゃるでしょう。
地元の映画館では今週いっぱいなので、急いで行ってきた。
ストーリーは単純。
もと国の代表レスラーだった父が、自分が取れなかった
金メダルの夢を子供に託そうとするが、生まれてきたのは女の子たちばかり。
そこで、父はスパルタ教育で娘たちを強くし、
一流選手に育て上げるという話で、しかも実話を元にしている。

最初は馬鹿にしていた村人たちも、
娘たちが勝ち進みだすと賞賛のまなざしに変わり、
反抗していた娘たちも勝利の喜びと父の深い愛情を知り、
前に向かって進み出す。

インド映画でおなじみのミュージカルシーンはないが、
時折挟み込まれる歌が、ストーリーを補完(覚えやすい曲ばかり)。
成長した長女が都会に出て、親離れしていくところは、
こっちは完全にオヤジの気持ちで、時に涙腺決壊。
「頑張れば夢は叶う」という超ポジティブストーリーも、
2時間半の夢を観客に見せてくれる、
映画館の暗闇のマジックを最大限に生かしている。
後ろを振り返ったら、スクリーンを見つめている
観客の顔がみな、幸せそうだったもの。

人権問題に関心を示しているアーミル・カーンだが、
本作はインドの女性が置かれている社会環境にも問題提起をしている。
成長しても、そのまま結婚して家庭に入り、
家事労働するしかない一生を強いられているインドの女性たち。
本作は、自分で自分の道を切り開くことが、
インドの女性たちにとっても夢ではないという、
メッセージも込められているのだ。

映画館を出た時は、頭の中では主題歌の
「ダンガル!ダンガル!」がぐるぐると回っていた。
★★★☆

PS.
映画とは関係ないところで気づいたのは、
2010年のデリーで行われたコモンウェルス大会がハイライトになるのだが、インドにおいてはオリンピックよりも重要な大会ということ。
確かにあの時、インド人、大騒ぎしていたし。
あと、インド国歌を初めてちゃんと聞いたこと。
それとインドでは、官僚は怠け者で仕事をしないとみんなが思っていることだなあ。

2018年4月13日金曜日

女は二度決断する


あなたならどうする? 家族を失った時、彼女は何を決断したか


2017年/ドイツ

監督:ファティ・アキン
出演:ダイアン・クルーガー
配給:ビターズ・エンド
公開:4月14日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館にて


■ストーリー

ドイツのハンブルク。トルコ系移民のヌーリと結婚したカティヤは、
息子ロッコも生まれ、3人で幸せな日々を送っていた。
かつては服役もしていたヌーリだが、今は更生して真面目に働いている。
しかしある日、爆弾が爆発し、ヌーリとロッコが犠牲になる。
犯人はネオナチのドイツ人カップルで、目的は人種差別テロだった。
裁判が行われるが、その過程でカティヤは身も心も傷ついていく。
そして裁判の結果を受け、カティヤが下した決断とは…。

■レビュー

もし、これが自分の家族だったら?という問いを、
見ている間、ずっと問い続けられている。そんな辛い映画だ。
移民問題やテロ、悲惨なニュースを毎日見ていても、
どこか他人事のような気がしてしまう。
しかし、もしそれが家族だったら、その苦しみは身近に感じるだろう。

200万人ともいうトルコ系移民を受け入れ、比較的移民に寛容と言われていたドイツだが、近年はシリア系などの移民の増加により、ネオナチや極右による外国人迫害による事件も多発している。
映画のモデルとなったのも、実際にドイツで極右グループが起こした事件だという。
その時はまだ、警察は事件を外国人排斥のテロだと思わず、
何年も犯人を特定することができなかったという。

人はどうしても、相手を国籍や肌、習慣や宗教、その外見で判断する。
それは否定しない。それでしか判断できないからだ。
しかし、自分の置かれている境遇への不満を人のせいにしだりたりすると、それが自分が属していないグループ全体に向けられるようになる。
映画の中でヒトラーを崇拝する若い男女も、
別に外国人の小さな子供に個人的な恨みがあったわけではない。
ただ、外国人だろうが同国人だろうが、結局は個々の人間であることが、もはやわからなくなっているのだ。
いろいろ理由はつけるが、結局は通り魔殺人が言う「誰でもよかった」と大して変わりはない。
で、こうした人は、日本だろうが海外だろうが、その場になったら自分の命は惜しくなる。
そもそも、「人の命は自分の命より軽い」と普段から考えているから起こすのだ。

映画の中で印象深いのは、犯人が捕まるきっかけになったのが、
犯人の父親が「ヒトラー崇拝の息子が何か犯罪をしでかす前に」と警察に通報したことだろう。
しかしその時、すでに犯罪は行われていた。
この父親に主人公は裁判で会うが、主人公はこの父親も大きな苦しみを抱えていることをわかり、許しもしないが責めもしない。二人は多くを語らないが、逆に重さがこちらにも伝わる。二人とも被害者なのだ。

反トルコということで、ギリシアの極右組織とドイツのネオナチが
結びついていることもあるのだなあということも本作で知った。

最後の彼女の決断については、映画を見た各自が重く受け止めるしかないだろう。
それでよかったのか監督自身の迷いも見られるし、正解はないのだから。
★★★

■関連情報
監督のファティ・アキン自身も、トルコ系移民の元に生まれた。
代表作は『そして、私たちは愛に帰る』『愛よりも強く』『消えた声が、その名を呼ぶ』など。
・本作は第75回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞、
カンヌ国際映画祭でダイアン・クルーガーが主演女優賞