2017年5月31日水曜日

光をくれた人

the light between oceans



孤島で暮らす灯台守の夫婦。妻は流産を繰り返していた。そこへ男の遺体と乳児をのせた一隻のボートが流れ着く。


2015年/アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド
監督:デレク・シアンフランス(『ブルー・バレンタイン』)
出演:マイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィキャンデル、レイチェル・ワイズ
配給:ファントム・フィルム
上映時間:133
公開:5/26(金)より TOHOシネマズシャンテにて公開中
公式サイト:hikariwokuretahito.com

■ストーリー

1918年、トムは戦争の英雄として帰国するが、心に深い傷を負っていた。俗世から逃れるようにオーストラリア西部バルタジョウズ岬から160キロ離れたところにある孤島・ヤヌス島の灯台守の仕事に就く。バルタジョウズの村で知り合った女性イザベルと孤島で幸せな結婚生活を送っていたが、二度の流産が二人の人生に影を落とす。ある日、島に一隻のボートが流れ着く。そこには男の遺体とともに女児の赤ん坊が乗っていた。トムは通報をしようとするが、イザベルの懇願にほだされ、男の遺体を埋め、二人は女児にルーシーと名付け育てることにする。
4年後、娘の洗礼式のためバルタジョウズを訪れると、トムは一人の女が墓石の前で泣いているのを目撃する。彼女は4年前、夫と娘を海で亡くしたというハナという女性だった。


■レビュー

そういえば、乳児の誘拐事件というのを、最近は聞かなくなった。
昔はよくニュースになってた気がするし、ドラマや映画の題材でもよく扱われていた。たいていは「かわいかったから」とか「子供がほしかった」という女性の犯行で、「母性本能」のなせる犯罪、という認識があった。
しかし、最近の研究では「母性本能」というのは生来女性に備わっているものではなく、後天的な社会の刷り込み(教育)であることもわかってきている。日本には石女(うまずめ)なんて言葉もあったように、女性の出産・子育てプレッシャーは相当なものだったはずだ。時代は変わり、家族形態の多様性が認められるようになると、そのプレッシャーも随分緩くなり、乳児の誘拐事件も減ってきたのではないか、と想像する。

この映画の舞台も、第一次大戦後のオーストラリアという古い時代設定だ。
イザベルは2度も流産を経験し精神が不安定だった。偶然にも流れ着いたボートに乗っていた赤ん坊を見つけ、自分の子供として育てる。孤島という環境が、それが犯罪であるという意識を鈍らせる。一方、ハナは夫と産んだばかりの一人娘を失い、失意の中にあった。2人の女性の持つ苦しみの対比はもちろんだが、イザベルの夫・トムの良心の呵責が絶海の風景とともにじわりと伝わってくる。物語の背景にあるのは、戦争の禍根である。ハナの夫は敵国ドイツ人で、戦争で身内を亡くした人々に逆恨みにあい、娘を連れてボートで海へ逃れたのだった。社会がまだ自由からほど遠く、全体主義的な雰囲気を残していたと考えられる。

昨年話題になった西川和美監督の『永い言い訳』という邦画作品がある。この作品、根底には、子供のいない夫婦、子供のいる夫婦、どちらが幸せだろうか?というテーマを孕んでいるように思うが、これが時代を反映していて面白かった。かくいう自分には子どもはいないが、近くに甥姪がいて、一緒に暮らした時期もあり、子育てに関わったことがある。と、自分では思っているのだが、本作の感動的な余韻とともに思うのは、子供は社会で育てるもの、これにつきると思う。二つの映画は、子供のいる人ーいない人、持てる人ー持たざる人、という両者の溝を埋めてくれる、両者を思いやる内容にはなっているが、子育て奮闘中の人はこの映画を観る暇さえないのだろうな。

カネコマサアキ(★★★)

■関連事項

原作はM.L.ステッドマンのベストセラー『海を照らす光』。作品の舞台のヤーヌス・ロックという孤島はインド洋と南大洋がぶつかるところにある南極半島に付随する島として実在するようだが、映画では名前を拝借した架空の設定らしい。灯台がある風景が撮影されたのはキャンベル岬である。