2016年12月16日金曜日

ニーゼと光のアトリエ


Nise

患者に絵筆を持たせた、ブラジルに実在した精神科医とその治療を描いた作品



2015/ブラジル

監督:ホベルト・ベリネール
出演:グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール
配給:ココロヲ・動かす・映画社○
公開:1217日よりユーロスペース
公式HPhttp://maru-movie.com/nise.html

●ストーリー

1943年のブラジルのリオデジャネイロ。医師のニーゼはかつて働いていた病院に戻ってきた。
彼女がいなくなっていた数年の間に、同僚たちはロボトミー手術やショック療法などの暴力的な治療を行うようになっていた。
それを拒否したニーゼは、担当者がいない作業療法の部署に回される。最初はなすすべもなかったニーゼだが、やがて患者が絵の具を使って絵画を描くアトリエをオープン。
ユングに影響を受けたニーゼは、患者たちが描く絵が“無意識の現れ”ではないかと考えるようになる。
最初は乱雑だった患者たちの絵も、しだいに変化していった。
しかしそんな対処療法は病院内で反発を生んでいくことになる。

●レヴュー

ニーゼは実在の人物で、この映画も実話を基にしている。
冒頭、窓がない建物にニーゼがやってきて、入り口のドアを何度もしつこいぐらい叩いて、ようやく中に入れてもらう。
当時の社会、そしてそれに負けないニーゼの性格を暗示したものになっている見事な導入部だ。

ニーゼは自分が病院を留守にしていた間、統合失調症などの患者に、電気ショックやロボトミー手術という当時では最先端の“科学的な”治療が行なわれていることを知り、また同僚の医師たちがそれを進んで取り入れていたことに愕然とする。
それはどう見ても、患者たちの人権を奪う、残酷なものだった。

この当時の精神病の治療は、患者のためにというより、周りにいる人たちが楽になるためだったこともある。
まだ向精神薬の開発も進んでいなかったころだ。
興奮する患者を病院に押し込め、さらに外科手術で無気力な状態にする。
それが許されるのは、患者たちを人間としてみていない、あるいは劣った存在としてみているからだ。医師も世間も。

映画では語られていないが、ニーゼが病院に戻ってくるのは1943年。
第二次世界大戦中で、当時のブラジルはヴァルガス大統領によるファシズム独裁体制だった。
ヴァルガスはドイツやイタリアを真似た全体主義で、反対派の追放や投獄を行った。
ニーゼもその対象になり、病院を追われていたようだ。
つまり社会全体が、少数派に対して非寛容になっていた。精神病院はその縮図ともいえよう。
社会の迷惑になるものは、排除するか力を奪ってしまえばいいと。しかし「社会」ってなんだ?

そんな中、ニーゼはアートを通して、患者たちの心の内を知ろうとする。
絵画を学んだことがなく、知能も劣るとみなされていた患者たちだが、彼らが描いた絵は当初は乱雑だったものの、やがて目的のあるものに変わっていく。つまり変化していくのだ。
「それは治療なのか?」と同僚は問う。ニーゼは「わからない」と答える。
ただし治すことはできなくても、アートは患者に寄り添うことができる。
“治す”なんておこがましい。ただ、“生きやすく”することはできるかもしれない。

人が病気になるのは理由がある。
もしかしたら精神病になるのも意味があるのかもしれず、治すべきと考えるのは患者のためでなく、面倒を回避したい私たちのためにそう言っているだけではないのか。
少しはましになったが、21世紀になっても、自分のわからないもの、自分と違うものを排除しようとする世の中は続いている。
相模原の施設で起きた事件は、そんな“今の日本”を暴いて見せたように思える。最悪の結果で。
今でこそ、私たちはこの映画を見るべきなのかもしれない。

★★★☆前原利行

●映画の背景
今では想像もつかないことだろうが、脳の一部を切除するロボトミー手術は1960年代までは世界的によく行われていた。
僕が知ったのは映画『カッコーの巣の上で』だったが、もちろん日本でも積極的に行われていた。
たとえばこの外科的手術により、興奮したり攻撃的な感情を抑えたりすることができるということだが、副作用も多かった。
しかし1940年代にはこれは画期的な療法とされ、初めて前頭葉切除の手術を行ったポルトガルの医師モニスに、1949年にノーベル生理学・医学賞が与えられたほどだった。しかしこれはのちに「人体実験」に近かったことや、モニスも手術を行った患者に銃撃される事件も起き、廃れていくことになる。

・日本では第二次世界大戦中、戦後と、1975年に廃止されるまでロボトミー手術はよく行われていた。日本でも同意のないまま手術を受けた患者が、医師の家族を殺した事件も起きている(ロボトミー殺人事件)。

・アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディの妹ローズマリーも、ロボトミー手術を父により受けさせられていた。

・「ロボトミー」というと、「人間をロボットのようにしてしまう」こからつけられた名前かと僕も思っていたが、これはまちがいで、「葉(臓器の一部の単位のlobe)」の塊を切除するということから付いた名。

●関連情報
28回東京国際映画祭グランプリ&最優秀女優賞受賞作品。