2016年1月24日日曜日

サウルの息子


Saul Fia

アウシュヴィッツで同胞をガス室に送り込むゾンダーコマンドのサウルが、息子の遺体を埋葬するために奔走する。強い衝撃を与える、力強い作品。



2015
監督:ネメシュ・ラースロー
出演:ルーリグ・ゲーザ、モルナール・レヴェンテ、ユルス・レチン
配給:ファインフィルムズ
公開:2016123日より新宿シネマカリテほか
上映時間:107分



●ストーリー


194410月のアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。ナチスが収容所のユダヤ人から選抜した死体処理に従事する特殊部隊“ゾンダーコマンド”の一員として、サウルは働いていた。労働力にならない女性、子供、老人をガス室に送り込み、残った衣服を処分して金品を集める仕事だ。しかしゾンダーコマンド自身も、数ヶ月後には同じように殺されてしまう運命だった。ある日、サウルはガス室で生き残った少年を発見する。その少年は目の前ですぐに殺されてしまうが、サウルは少年の死体を盗み出し、ラビ(ユダヤ教の聖職者)のもとで埋葬しようとする。少年はサウルの息子だった。


●レヴュー

まちがいなく、今年のベストテン級、いや、現在のところ暫定1位の作品。しかしすごく感動したとか、良かったということでは語れないほど、強烈な映画だ。映画が4DXでアトラクション化しているこの世の中だが、この映画は昔のテレビと同じスタンダードサイズ(ほぼ四角)ながら、どんな大作映画よりも臨場感がある。それはまるで自分がその日、アウシュヴィッツに放り込まれているかのような、最悪の体験だ。かといって直接的なグロいシーンがアップで映し出されるわけではない。狭い画面の中でさらにピントは画面の中央のサウルにしか合っていないシーンも多いが、それが画面の隅でものすごく恐ろしいことが起きていることをより想像させるのだ。「地獄というものがあるとすれば、これじゃなくてなんだろう」と考えながら、暗闇の中でスクリーンを見つめ、2時間の地獄巡りに耐えた。

映画はほとんどピンボケのような画面で始まる。やがてサウルの背中を映し出すが、最初は何の場面か分からない。まもなく、収容所に列車で着いたユダヤ人たちが裸にされ、ガス室に送り込まれる。扉が閉まり、やがて中から悲鳴が聞こえてくるが、カメラは扉の外で虐殺が終るのを待っているサウルの無表情な顔をとらえ続ける。中がどんなことになっているかは、観客の想像に委ねられている。シーンが切り替わり、血や汚物にまみれた床を掃除するサウル。脇には裸の死体が積み上げられていく。その日もサウルにとっては同じような日だったろう。しかしそれはある少年の死によって変わる。サウルは少年の遺体を盗み、何とか埋葬しようとするのだ。サウルは少年を「息子」というが、それも本当に息子なのか、息子に似ていただけなのか、それはわからない。

すべての行為が無駄に思える収容所内で、なぜサウルは生きることでなく、埋葬にこだわるのか。それはユダヤ教では復活に備えるため、火葬は禁じられているかららしい。収容所内では虐殺の証拠を消すため、火葬した灰は川に流してしまうのだが、そのためサウルは自分の身の危険を冒しても死体を運び、ラビを探す。こんな場所で埋葬することに何の意味があるのか、生きるのに必死の仲間たちは無視するが、サウルにはそれがすべてだ。

そのサウルの背後で、ゾンダーコマンドたちによる蜂起の計画が立てられている。僕も初めて知ったのだが、実際に107日、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で武装蜂起が起こった。しかしそれはソ連軍が収容所を解放する3ヵ月前だった。また、映画の中で出てくるように、実際に隠し持ったカメラで収容所の様子が写されていたらしい。それは収容所で行われていることを、記録して伝えるという使命感からだったのだろう。ナチスは記録を残さないようにしていたからだ。

映画は終始息苦しい。そして収容所の中の状況は、いっそう絶望的になって行く。もし自分があの場にいたら? ネット上には「あれがオチ?」というコメントもあったが、ハリウッド映画しか見ていない人は、最後はアメリカ軍が助けにくると思っていたのだろうか。そういう意味では、見る人を選ぶ作品だろう。しかし、僕は心から、こんなことが二度と起きないようにと願わずにはいられない。今の世の中にあるちょっとした「差別」を見過ごし、再びこんなことが起きないためにも。必見。
★★★★前原利行


■関連情報

・第68回カンヌ国際映画祭グランプリ
・第73回ゴールデングローブ賞外国語映画賞
・第88回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート中