2015年9月28日月曜日

真珠のボタン


El Bolon de Nacar



パタゴニアの先住民と虐殺された政治犯の水の記憶。
自然と人間を描くドキュメンタリー2部作の2作目




2015

監督:パトリシオ・グスマン
配給:アップリンク
公開:1010
劇場情報:岩波ホール


●レビュー




チリ南部、南極圏に近いパタゴニア。そこにはかつて「水の民」と言われる先住民が暮らしていた。裸で暮らす彼らは、身体に不思議な模様を描き、神を持たずに暮らしていた。しかしそこに“文明人”がやってきた。“裸”は非キリスト教的だとして、教会は服を着せたが、その服から伝染病が広まり、多くの人々が死んだ。また、入植者は彼らが邪魔で、地主たちは「水の民」ひとり殺すたびに賞金を払った。そのため、彼らは狩りの対象にもなった。彼らのうちのひとりが、“真珠のボタン”と引き換えに、イギリスへ渡った。見せ物として過ごしたあと、男は再びパタゴニアに戻ったが、以前のようには暮らせなかった。

パタゴニアの海底から、ボタンが見つかった。それは生きた人間の記憶を呼び起こすものだった。ピノチェト政権下で殺された者の衣服に付いていたものだったからだ。軍部は遺体の処理に困り、ヘリコプターで海に運び、おもりを付けて投下していたのだ。遺体はすでに海に還っていたが、服についていたボタンは腐らずにおもりやビニールなどとともに発見された。まるで、忘れないでいて欲しいというように。ボタンからたどる、生前の人物の記憶…。

水には記憶が込められていると言う。映画は水に耳を傾け、滅びつつある先住民の記憶、そして独裁政権下で亡くなった者たちへの記憶をさぐる。彼らはもうすでにこの世に生きてはいない。しかし、それを語り継ぐ事によって、私たちは何かを得る事ができるのだろうかと映画は問いかける。いや、すべては無駄なのかもしれない。人間は愚かすぎて何も学ばないのかもしれない。しかし、語り継ぐことを止める事はできないだろう。その記憶を知るものがいなくなるまでは。
(★★★☆)